君は秘密の子猫ちゃん
どうでもいい話だが、うちは陰陽師の家系だった。
はるか昔から連綿と続いてきた家だけど、明治大正昭和と妖しの物も様々な術もあるんだかないんだかはっきりしない世の中だったから、親父の代の頃には伝統芸能の継承みたいになっていた。
もっと昔は陰陽師の家というのはちゃんとしたものだったんだろうけれど、うちに限って言うなら、明治のご一新から科学が表に立つ時代が来て、それに流されて廃れてしまったわけだ。
そしてもう一度転換期が来たが、一度落ちた家が何もなくもう一度振るうわけもない。
うちが古い技術を伝えるだけの、伝統芸能枠から復帰することはなかった。
なにしろ誰でも魔法が習えて、使えるようになっちゃったからね。
本当に古い技術になっちまったわけだ。
親戚筋やらなんやらの勧誘で家族はまとめて連合に所属しているけど、それだけだ。
積極的にそういう仕事はしていない。
家族は皆、本職を他に持っている。
その本職も陰陽師とはまるで関係ないのが多い中では、俺は割と陰陽師っぽい仕事をしている方だ。
俺はウェブで割と大きくやってる天気予報会社で、気象予報士として勤めている。
陰陽師ってのは、元々は天文学者だったり暦学博士だったりして、お天気とも縁が深いんだぜ。
しかし人外とわちゃわちゃやってる連中との関係のなさは、家族と同程度だ。
だからその日も、単にテロに巻き込まれた、それだけだった。
ここんとこ、気象テロが続いていた。
気象テロってなんじゃいって言えば、ゲリラ豪雨を降らせるってテロだ。
ゲリラ豪雨程度でテロって言うのかと思うなかれ、変な場所に降られれば、あっさり死人だって出るんだ。
坂のあるところで降られれば、急流並みの水が流れていくからな。
人なんか簡単に流される。
車が水没すれば、水圧で中からは簡単には開かなくなる。
そのために窓を壊す緊急脱出用のハンマーを載せておかなくちゃいけないだろう?
だからゲリラ豪雨予報なんてものもあるんだが、しかしこのゲリラ豪雨は自然現象じゃなかったから、予測ができなかった。
予報できないってのはうちの会社的にマズイ話だ。
それで会社でも依頼をして、犯人を捕まえてもらうなりなんなりすることになっていたが、まだ片は付いていなかったようだ。
俺?
いや、俺はただの気象予報士なんで依頼とは全然関係ない。
ただ、その日は中継で外に出ていたんだ。
そこでどんぴしゃで降られた。
配信用の中継そのものは終わっていて、撤退中のことだった。
ばらばらっときたかと思ったら、あっという間に1m先が見えない雨量になって、すぐに近くのビルに避難して雨あがりを待つことになった。
バンで来ていたが、この雨量じゃ車も危ない。
こんな仕事だから雨の中の中継もあるし、防水はしっかりしてるけどカメラは精密機械だからな。
避難はしたものの、全身はびしょ濡れだ。
手持ちのタオルじゃ足りなくなって、逃げ込んだのが商業ビルだったのでTシャツとタオルを買った。
下はもうしょうがないが、上だけ着替えて、トイレで絞ってきた濡れたシャツを広げながら外を見ていた。
その時だった。
急流下りよろしく、俺の視界の中をダンボール箱が一つ流れていった。
箱だけだったらよかったんだが、上に乗っかってるものが見えてしまった。
ダンボール箱に子猫が乗っかってた。
中にいるんじゃない、乗っかってるんだ。
外はまだ大雨が降っているから、子猫inダンボールだったら早々に沈んだだろう。
箱が伏せた状態で流れていたから、中の空気が流出するまで沈まないで頑張ってる……が、時間の問題だった。
ダンボール箱に密閉性は期待できない。
その上に子猫がいた。
子猫が沈むのも時間の問題だってことだ。
見捨てて見ないふりをするには、雨に濡れた子猫はいたいけすぎる。
俺は思わず舌打ちして、自分の鞄を漁った。
防犯グッズ的な意味合いで持ち歩いてた式札を引っ張り出して、外に駆け出した。
ぎりぎり視界から外れる前に式札を打ち、式を飛ばした。
大鷲に成って飛んで行った式がダンボール箱に追いつき、子猫を掴んで舞い上がる。
子猫の悲鳴染みた鳴き声がしたが、流れていくよりきっとましだから許せよ。
鷲は旋回して俺のところに戻ってきて、俺の手に子猫を落とし、式札に戻って雨の中に落ちた。
「大丈夫か? 怪我は……ないな」
ビルの軒先から、びしょ濡れの子猫を抱えてまたビル内に戻る。
「中尾、猫か?」
「ええ、流されてくの見ちゃったんで」
「ほら、タオル貸してやるよ。拭いてやれ」
カメラの小木さんが乾いたタオルを貸してくれたんで、ビルのフロントの隅っこへ行って、それで子猫を拭いてやった。
子猫は鷲に捕まれた時には鳴いていたけど、今は俺に拭かれて大人しくしてる。
「中尾、あんな技できるんだな。何? 神道系なの?」
「陰陽道なんですけどね……ちょっと習ったんですよ」
「へえ、俺も習おうかなあ。宴会芸にでも、なんかできる方がいいよな」
宴会芸レベルか、とちょっと遠い目になったが、ガシガシと子猫を拭くのに夢中なふりでやり過ごした。
「あ、やみそうだな」
それで、小木さんが明るくなってきた外の様子を見に行った時だった。
「たすけてくれてありがとう、おじちゃん」
子猫が言った。
おいおい、おじちゃんかよ……
ああ、いや、それはどうでもいいことか。
「おまえ、喋れんの?」
「うん」
見た目はまるっきり普通の子猫なんだが。
と思ってたら、ぽんっと子猫が猫耳幼女に変わった。
ふわっと茶髪な、猫耳幼女だ。
でもすっぽんぽんだった。
ヤバい。
これは事案だ。
「戻って戻って」
「もどるの?」
「そう。速やかに戻って」
「うん」
ぽんっと、よし、子猫に戻った。
白に茶トラのぶちの入った短毛の日本猫だ。
「親はどうした? 一人で出歩いてたのか?」
「ううん、きゅうに雨がふってきてお母さんとお兄ちゃんたちとはぐれちゃったの」
迷子……って、言っていいのか。
「箱には最初から乗ってたんじゃないんだな」
「うん、はこにぶつかって、お母さんたちがわかんなくなったの」
はぐれた原因はダンボールか。
「……雨やんだら、お母さんたち探しに行くか。雨が降ってた範囲はそんなに広くないから、流れてきた方向に戻れば、多分お母さんたちも見つかる」
「うん」
人間宣言してるかどうか、この小ささじゃわかんないしなあ……
迂闊に警察に迷子ですって連れていくのも、ちょっと考えどころか。
「名前は?」
「タマ」
「そうかー……」
タマか。
昔ながらの名前だな……
「中尾、雨やんだぞ。バンも大丈夫だ。どうする?」
そんな話をしつつタオルドライでタマの毛がだいぶ乾いてきた頃、外のバンの様子を見てた小木さんが戻ってきて事務所に帰るか聞いてきた。
「小木さん、俺、今日はこの中継で終わりだったんで、直帰にしといてもらえます? 小木さんは帰りますよね」
「ああ」
「俺、ちょっとこいつの飼い主が近くにいないか見てきます」
「わかった。飼い猫っぽいのか?」
「どうなんでしょうねえ……」
見た目は普通の猫なんだけど、喋るんです、とは言わなかった。
小木さんのいる時には喋らないってのは、人を警戒しているってことだろう。
「じゃあ、カメラ積み込んだら俺は事務所帰るわ」
「はい。タオルは洗って返します」
「ああ。俺やっとくから、おまえそいつの飼い主探しに行っていいよ。まだ近くにいるかもしんないしな」
「はい」
俺は鞄を肩にかけ、濡れたシャツとタオルを突っ込んだビニール袋を持ち、タマを逆の手で抱えてビルを出た。
「さて、あっちから流れてきたな」
タマが流れてきた方へと歩き出す。
雲はもうすっかり消えて、夏の名残の陽が射している。
暦の上ではとっくに秋だが、最近は温暖化のせいか夏が長い。
道路は濡れていたが、じき乾くだろう。
ここはゆるやかに斜面だったから、急激な水量で水嵩が出たが、水は溜まらず流れてったようだ。
下流にもしかしたら深く浸水した場所があったかもしれない。
なんだって犯人はゲリラ豪雨テロなんかしてんのか、と、根源的な疑問を抱きつつ、タマの母親が見つかったら見に行くか……と思った。
「行くか」
「うん」
「見覚えある場所に来たら教えてくれよ」
「うん、おじちゃん」
お兄ちゃんにしてくれないか……というのは、あれか。
「俺は中尾和希って言うんだ。和希でいいよ」
おじちゃん呼びをやめさせるために名前を呼び捨てにさせるのは姑息かと思ったが、まあ許されるだろう、多分。
「カズキ?」
「そう」
「あのね、カズキ、あの建物、お母さんといっしょに見たの」
「あれか?」
特徴的な丸いビルを目指して歩いていくと、ほどなく向かいから慌てた様子の茶髪の女性が小走りに近付いてくるのが見えた。
「お母さん!」
「タマちゃん!」
おお、ダンジョン探索も何もなく、ミッション終了らしい。
俺の腕からタマが飛び降りて、女性のところに駆けていく。
女性の上着のポケットにもぞもぞ動いている塊があるところを見ると、あそこにタマの兄弟がいそうだ。
「タマちゃん、心配したのよ」
タマを抱き上げた女性は……猫耳あるな。
スカートから尻尾が出てるな。
尻尾が……二又に割れてるな。
猫又か……
そうか、猫又の子も猫又なのか。
「お母さん、カズキが助けてくれたの」
「まあ……ありがとうございます。娘を助けていただいて」
「ああ、いや、大したことはしてないんで」
「このお礼はいずれ……よろしければ、ご連絡先を」
「いや、ほんとに」
いやいや、いやいや、と問答をした後、俺は猫又母子を見送った。
ああ、いいことした後は気持ちがいいな。
そう思いながら、俺も来た道を戻った。
それから二ヶ月。
ゲリラ豪雨テロは終息していた。
雨降小僧が暴走していたらしい。
理由は知らん。
暑かったのかもしれないな……
夏の名残の暑さが終わると、短い秋があって、一足飛びに冬が来た。
どうしようかと思っていたコタツを引っ張り出した、その日のことだった。
「はいはい」
ぴんぽんと呼び鈴が鳴ったので顔を出すと、JCと思われる女の子が立っていた。
「カズキ、来ちゃった」
どこからだ。
と思ったが、なんか見覚えがあるような気がする。
ふわっと茶髪に猫耳がある。
スカートから出た尻尾が、二又に分かれてる。
「……タマ?」
「うん」
タマなのか。
二ヶ月で、でかくなり過ぎじゃないか?
「あのね、鶴のおばさんが、やっぱりお礼にはいかなきゃ駄目だって言うから、来ちゃった」
そうか。
「……鶴は義理堅いからな」
「うん、お母さんも行くべきだって言ったし」
「猫もけっこう義理堅いよな……」
化け猫話は、主の仇討ちや守った話が多いよな。
「よくここがわかったな」
「カズキと一緒にいた人が乗ってた車に書いてあった会社の名前で探して、聞きに行ったの」
ああ、個人情報保護とは、如何に。
「迷惑だった?」
「いや、嬉しいよ。恩を忘れないのは大切だな」
「うん、お母さんもお鶴のおばさんも、しっかりお世話してくるようにって……」
でもJCにお世話されるのは事案だな。
そこで、タマが可愛らしくくしゃみをした。
「ああ、そこにいたら寒いよな……とりあえず、中に入れよ。コタツ出したとこなんだ」
「うん!」
嬉しそうにタマが部屋に入ってくる。
そう、俺は、ちゃんとお世話されるのは事案だと思っていたんだ、本当だ。
でも、知らなかったんだ。
子猫は4ヶ月目で6歳相当、6ヶ月目で14歳相当で、そして6ヶ月目には早い子にはもう発情期が来るってことを……
知らなかったんだよ。
……事案だけど、秘密にしておいてくれ。