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Character rone storys  作者: 路十架
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第8話 平和の蜜酒

「まさか、アンスール様とまたお会いすることが叶うとは」


 グレンズは最初こそは青ざめた顔をしていたものの、私が見舞いに訪れたとわかるや否や、とても血色がよくなっていた。


 病の際は会いたい人に会えることは最良の薬である。


 私達はオセルヘイムのスッツングの館を訪ね、昔話に花を咲かせていた。


「私も詩の蜜酒の効果に溺れていたのかもしれぬな」


 すっかり年を取ったスッツングは昔よりも丸みを帯びた性格となっていた。


 面持ちも昔見たつり上がった目では無く、目尻が垂れ笑い皺で一杯だ。


 ――時の流れとはこうも人を変えるものか。


「奪い去った当初は、本当に恐ろしい思いをしたものです」


 詩の蜜酒、クヴァシルの酒には中毒を起こすような強い作用があった。飲めばたちどころに詩や言葉が上手くなる。そして、誰にもこの酒を渡したくはないと思ったものだ。


「しかし、今ではクヴァシルの酒は無償で分け与えられるようになった……ありがたいことだ」


 スッツングは肩をすぼめ、誇らしいような、恥ずかしいような複雑な顔をしている。


「この酒は争いの元になりましたが、平和ももたらしました」


 スッツングは持参した酒を飲み上機嫌であり、私の言葉を頷きながら聞いている。


「お父様ったら、私に子がいることがわかったら本当にしばらく口も聞いてくれなくなったのよ」


 この二人にとって私の犯した罪は許されないものだったであろう。


「そんな、古いこと! どうでもよいわ! ブラギは本当に我が家の宝だ。その紡ぎ出す詩は緊迫した状況を和ませ、ここいらの農夫は本当に楽しく働き、よく尽くしてくれる」


 最初はそれはもう拍子抜けであった。この場に足を踏み入れるまでは、この老人の鬼のような形相しか浮かぶことはなかった。


 足のすくむような思いをしていると、ブラギは大丈夫といって家に招き入れた。


「ブラギさんは平和の神……『クヴァシル様の生まれ変わり』でもあるかもしれませんね」


 フッラも場の和やかさに、笑って話に参加する。


 


 クヴァシルはジェラ神族とアンスズ神族の和平の証として生み出された賢者であった。


 各地の争いを静め、話し合いで大抵の問題は解決できるのだと説いて回っていた。


 彼はどんな国にも歓迎され、招待され沢山の問題を解決すべく長い間旅をしておった。


 沢山の諍いの種を彼は鎮めてみせたのである。


 


 そんなクヴァシルの消息がある日突然途絶えた。


 彼が消えてしまったことで神々だけでなく様々な世界が歎き悲しみ、彼の無事を祈ったものだ。


 そんな時、不思議な酒があるという噂が流れた。


 それが詩の蜜酒、クヴァシルの遺体から作り出された酒であった。


 彼は心ない兄弟に出会い、痛めつけられ生命を奪われた。


 私は彼の遺品を手にするべく、私はスッツングのもとに訪れ、姿を変え農夫として懸命に働いた。


 沢山の収穫と引き換えにクヴァシルを取り戻そうとできる限りのことをした。


 スッツングの弟は収穫を得たとき、酒を分けてくれることを約束した。だか、スッツングは独り占めをしようと娘グレンズに見張りを任せ、一滴足りと分けないという。


 仕方なく私はグレンズを口説き、良い仲となることで酒を飲み、グレンズが寝てしまっている間にすべての酒を持ち去った。


 ことを知ったスッツングは怒って追ってくるかと思ったが、グレンズは機転の利く女だった。父には町で買った酒を飲ませ、酒がなくなったことを気づかせずに乗り切ったのだ。


 時が過ぎてグレンズから私に文が届いた。


 酒を量産し、沢山の人が詩を嗜み、詩を楽しむことができる世にしてくださいとのことであった。


 私は罪悪感もあり、そのように取り計らった。


 


「恐れ多いです、フッラ様。私は詩の蜜酒を飲んだこの賢い母のお陰でこのように何不自由のない生活を送っております。今気がかりなのは祖父と母の健康だけです」


 ――ブラギよ、お前は謙虚すぎやしないだろうか?


 そうさせたのは私なのだが、謙虚に振る舞えば振舞うほど心が痛かった。


 あまりに人格が完成され過ぎていて、私には少し怖ろしい者のように感じた。私の心が汚いからこんな風に感じるのだろうか?


「グレンズ殿の病によく効く薬をお出ししておきましょう。あなたのような方が健やかではないのは心が痛い」


 そういって、フッラは持ってきた薬の材料を手際よく煎じ、グレンズの問診を始めた。


 そうして、体の具合を確認したいのか男勢に出ていけと目配せをした。


 男たちは部屋を移動した。そうして、それぞれいろんな思いを抱いたと思うが共通する思いはグレンズの回復であろう。


「父上、最近オセルヘイムでは沢山の巨人・獣人達は平和的に生活しようという努力を始めております」


 ブラギが思わぬところを口にしだした。


「ジェラヘイムとも和睦を結んだようですが、オセルヘイムの住人とも和睦してはいかがでしょうか?」


 私は考え込んだ。ラグナロクにある滅びの予言とは巨人と神々の大戦の予言である。


「もし争うことなく、和睦することができるのであれば、その方がお互いのためではないでしょうか?」


「しかし、ブラギよ。例えそれが叶ったとして、巨人も獣人も食糧がすべて賄えるかどうか……」


「わたしには実りを多くするという才があります。ジェラヘイムの方々にご協力いただければその力はさらに効率よく使うことができるでしょう」


 食糧さえ確保できれば争う必要などない。まだ若いブラギは真剣に考えた結果を提案しているのかもしれない。


 私は少し考えてから首を横に振った。


「問題はそれだけではないのだ」


 ブラギは私の表情を確認すると、己の経験不足を感じたのか、出そうになった言葉を飲み込んだ。


「起きていない問題をあーだこうだ考えても仕方あるまい」


 あっけらかんと、老人は言い放った。


 スッツングは争いを失くすことは可能と考えておるのだろうか。老い先短くなり、戦うよりも平和の方が都合がよいだろうか……。


 ――オセルヘイムと和睦を……まさか、そんな意見がここで聞かれるとは。


 アンスルガルドに壁ができ、巨人達は戦うことを諦めたように思う。この機会に和睦は考えることは試みてもいいのかもしれない。


 この機会にラティオガルドのロキ殿を訪ねてみようかと、私はぼんやりと考えていた。まずは、女神の最高神ベオークの意見を聞いてみることとしよう。


「出来るかは分からぬが、行動してみることにしよう」


 私の返事を聞いて、ブラギは目が輝いておった。


「私も是非、お手伝いをさせてください」


「母が落ち着いたら、アンスルガルドへまた来るが良い」


 私は沢山の土産をこれでもかというくらいにもらい、行きよりもはるかに大荷物でアンスルガルドへ帰還した。


「ハガルたちに沢山土産を渡せるな。フッラよ」


「あら、アンスール殿『たべることのできる』お土産はハガルが大喜びするのではなくて?」


「そうだな……ハガルは食べられるものが欲しいといっておったな……」


 フッラは本当に周りに気を配ることができる素晴らしい女神だ。義妹といえど本当に誇らしい。


「グレンズも元気になったようだし、フッラには心から感謝しておる」


「感謝なら、ねえさんに伝えて下さいな。私もオセルヘイムの希少な植物などが見られていい経験になりましたわ」


 そう言われれば、行きも帰りも書物にある薬草があったと言っては採取を繰り返しておった。


「そうだな。フッラのいう通りか。ベオークには格別の感謝を伝えなくてはな」


 姉の名前を口にすると、フッラの顔は複雑な色を浮かべていた。


「私は……この短期間に家がどの程度の惨事になったかが心配でならないの」


 ――やはり、そこか!!


「……は、ハガルが元に戻す魔法でなんとかならんか?」


 以前フッラがジェラヘイムに戻った時、ベオークは厨房をススだらけにしたことがある。


 火力が強ければ早く食べられるからと言う考えだったようだが、時々力技を見せるのは私も驚かずにはいられない。


「ねえさんのやることですわよ?料理をしたらやりっぱなし、片付けるまでがお料理だとお父様にさんざん言われていたのに。なんでもまぁ、こうなってしまうのか」


「……すまんな。フッラ、苦労を掛ける」


「服は毎朝数時間悩んで4着くらい着た後にいつもの服を着て出かけるんだから、困ったものよ」


「……そうであったか。今度それとなくいっておこうか?」


「それで聞いたら、私がこちらに来ることはなかったんですわ!」


「すまんな、申し訳ない」


 フッラには身重なところにアンスルガルドの惨状を聞き、手伝いにきたまま住み着いてしまったという経緯がある。


「まぁ、教育の点で考えればアンスルガルドの方が環境がいいし、私としてもありがたいお話だったので良しとしましょう」


 フッラには夫はおるのだろうか……私の都合で、寂しい思いをしておらんだろうかと心配になった。


 彼女にはベオークとは違った力強さがあった。


「……お主、ことごとくポジティブだな」


「えぇ、あの姉をもったらこうなるしかないでしょう?」


 しっかり者の妹フッラに天然の姉ベオーク。フッラ自体も少し天然なところがあるのだが、指摘しても気づくまい。


 美味しそうな朝食をならべてフォークとスプーンを並べずに「みなさん、何を遠慮しているの?どうぞ、召し上がれ」といったこともあった。


「それに、可愛い甥っ子の成長も見ることができて私は果報者だと思いますわ」


 フッラの言う甥っ子とはエイワズのことであった。前にも述べたかもしれないが親に一切似ず、性格も見た目もどこに出しても恥ずかしくない子だ。


「もう、お戻りになられたのですか?」


 ソウェイルは変わらず橋の番をしていた。


「あぁ、フッラの薬が効いたようでな。やりたいことも出来たので、急ぎ帰ったのだ」


 ベオークは玄関前でハガルと外遊びをしていた。


 私たちに気づくと、いつも以上のスピードで駆け寄って来る。


「あら、おかえりなさい。フッラ、この人、良からぬことをしていなかったかしら?」


 ベオークは怒っているのか私に刺さるような視線を注いでからフッラに尋ねた。


「ねえさん、ただいま戻りました。こちらは特に問題はなく。むしろ私はこの家の方が心配です」


 ベオークはハッとした顔の後に満面の笑みで答えた。


「問題ないわ!」


 何かを感じ取ったフッラは厨房の方へ走って行き、今まで聞いたことのない音量で何かを叫んでいた。


「ベオークよ、あとで私も一緒に謝ろう」


「もちろんですわ」


「ハガルもあやまるー」


「ハガルは本当にお利口さんね」


「わあい、おりこうさんなのだー」


 ――果たして、許してくれるだろうか。


 許すには大きな代償が必要になったのは言うまでもなかった。


 細かい部分はご想像にお任せしたい。


 


 □■□■□


 


 掃除よりも私はすぐに取り掛かりたい案件を私は持ち帰っていた。


 神々を招集しすぐに民会を開く。


 オセルでの出来事を語り、自分たちの国も歩み寄るべきということを伝えた。


 そして、アンスルガルドの者達に外の世界から学ぶことを勧め、全ての者に外を見る機会を平等に作った。


 今よりも過ごし良い世界にするための意見を募ったのだ。


 話は大きく展開し、人間界とも交流すべきであると言う意見もあった。


 巨人達は食料が足りなくなると人間を食べにどこからか入り込む。


 神々としては人間を食らうのをやめさせない限りは和睦はないという意見を持つものは多かった。


 私達神々が生きるためには、彼らの願いや祈りが大きな糧だったからだ。


 彼らが恐怖を抱くことなく過ごせるようにすべきであるという主張であった。


 伯父ミーミルは『むやみやたらに快適だけを追求することはいいことばかりではない』と耳にタコができるほど繰り返し言っていた。


 首だけになった賢者は、もしかすると、ラグナロクを引き起こす存在が何者かを知っているのかもしれない。


 繰り返される民会の間をぬって私は時々ベオークと人間界に行き、怒らせて見たり楽をさせて見たり、交流するようになった。


 アンスルガルドの中から見守るだけではなく、私達は問題を見定めなければならなかった。


 時には同じ寝床で寝起きをし、食事をしたりもした。


 優れた人間もあれば、浅ましい人間もたくさんおった。


 金のことしか考えぬ者、愛が欲しくて困窮する者、悩みは本当に様々で思いもよらない行動をする者はたくさんおった。


 私は時々人間界の王になり、他の神々と国取りに興じるようになっていった。


 和睦も重要であるが、危険が伴う可能性もあり、我々は同時に保険も用意しなくてはならなかった。


 ラグナロクへの対抗策として手駒を揃えておかねばならない。


 最初の始まりはベオークとの賭けだった。とある国の王子二人、どちらに国を統治する才能があるか?


 私は長子を選んだが、その傍若無人さに失望し、その生命を刈り取って王の座を退かせた。


 弟は国をよく統治し、国民にも慕われた。頭が良く回るだけでは国は良くならない。


 たくさんを知っていても、心が貧しければ、名声と富をあわよくば掠めとろうと集まるずる賢い者共に貶められてしまう。


 心が真っ直ぐでも、知識や経験に乏しい者では統治する者の側近は務まらぬ。


 権力を持った段階で心が麻痺していくのである。一人に負担がかかればいくら良政であっても短命になる。


 その隙を、ずる賢い奴らはいい人のような体裁を取り繕って選ばれるのを待っておる。


 人口の多い人間界では、秀でればいくらでもチャンスはある。しかし、心根の優しい者ほどわざわざ悪しき者の多い所に身を投じたりはしないのだ。


 凄まじい悪政でなければ誰も立とうとしない。立候補制が続く限り、誰かの都合に振り回される政治の中生きていくのである。


 そして、苦難や不幸を愚痴り、我が家はまだ幸せなのだと言って過ごす。


 私は人間を知れば知るほど傲慢になっている自分を感じ取った。


 知りたくないことを沢山知った。私はクヴァシル殿のような聖者にはなり得ない。知ると言うことはこれほど苦しいことだったのだろうか。


 私はこの苦しみに心が凍りつき、次第に心を閉ざしていった。


 そんな最中、エイワズは悪夢にうなされるようになっていた。

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