第7話 過去の融解
私は家族旅行の計画を立てていた。
あれもこれもと組み込んでいる内に、ふと気づいた。
――おかしい、二人きりの旅行のはずが、なぜアンスルガルドの大部分を伴おうとしておるのだ?
今思えば、フギンとムニンがいるならハガルもということだったのだが。これはこれで楽しみではあるが留守の間誰がこのアンスルガルドを守るのだ!?
私は頭を抱えていた。
「アンスール! なにをやっているのだ?」
書斎の机に突っ伏していた私に、ハガルが上から声をかける。
「あぁ、ハガルか」
ハガルは傘を使って器用に浮いていた。
「あたまいたいのか? いたいいたいとんでかすか?」
「ありがとうハガル。でも、大丈夫だ。しいて言うなら、楽しみで胸がいっぱいというところか」
「そうか、むねはいっぱいになると、おなかもいっぱいなのか?」
「いや……そういえば、腹が減ったな」
「ハガルもなにかたべたいのだ」
普段はベオークが山羊や牛の乳などをハガルに与えていたようだが……私に催促するとは珍しい。
「ベオークはどこか行ったのか?」
「わからないのだ!」
えっへん!と言わんばかりのドヤ顔であった。
「そ、そうか……どこか出かけたのかもしれないな」
私はすくっと椅子から立ち上がり、外に出ようとハガルの手を取って扉に手をかけた。
「ふぬっ!?」
「どうしたのだ?」
「あ、開かぬ……」
どういうことだろうか?私は扉を蹴り破った。
「なんだ、開くではないか」
部屋を出て、扉をルーネで復元して私は隠し通路を進む。
「とびらこわれたけど、なおったのだ! こんどハガルもやるのだ」
「い、いや……行儀が悪いからやめなさい」
「アンスールぎょうぎわるいのか?」
「今のは開かなかったから、修理するために仕方がなかったのだよ」
「なかからしゅうりできなかったのか?」
隠し通路から広間に続く廊下に出る。
ハガルのなんでなんで病は成長の証だろうか?半分嬉しいところもあるが、ベオークはこれの相手を年中やっておるのか……。
「外開きの扉だからのぅ……時間がもったいなかろう」
それっぽいことを言っておいた。今回のことは実際にそうであるし。
「そとびらき? ……アンスールはあたまがいいのだ」
少し消化不良な顔をしておるが、何とか納得してもらえたようだ。
それにしてもおかしい。人の気配がない。
――外の様子を見てみるか。
私は高座に座ろうと応接室に移動した。高座であれば異変を捉えることができる。
「アンスール、おなかがすいたのだ!」
「すこし、まってくれるか?私も腹は減っておる」
「いーやーなのーだー」
――仕方ない、先に厨房か。
私は行く先を変更することにした。
厨房につくと冷暗所に保管していた牛の乳を出し、コンロにあった温かいスープと、かごに積まれたパンを皿に用意した。
――何かがおかしい。普段ならベオークは別宅でもフッラがおるはずなのに。
ハガルは満足そうに食べていた。
――私も少し食べるか。
私は考えながら、とりあえず食事にありついた。
「はらぺこがおいしーのだー」
「そうだな、腹がすいている時に食べる食事はうまいな」
「アンスールはなにをしていたのだ?」
「旅行の計画を立てたのだが」
「りょこうはなんなのだ?」
「とおくにでかけることだ」
「なんでとおくにいくのだ?」
「それが旅行というのだ」
「りょこうはたのしいのか?」
「ハガルもここまで旅行に来たようなものなのだぞ?」
「そうか!りょこうはたのしーのだ」
「今は楽しいか?」
「アンスールもおいしーなのでいいのだ―」
かれこれハガルもここにきて5年くらいになるだろうか……いや、10年か?巨人の子とはいえこの子は神以上に成長がスローペースだ。
そもそも別の種族なのかもしれない。フェオはだいたい予想がついているようだが、機密といって教えてはくれない。
多種多様な種族がこの世界におるが、この子はいったい何者なのだろうか。
――それにしても、本当に妙だ。
「ソウェイル! ソウェイル、来てはくれんか?」
事情を知っておるかもしれぬので、時間はかかるかもしれんが呼んでみるかと声をかけてみる。
「ソウェイルなら、ねていたのだよ?」
ハガルから思いもよらない情報を得て私は仰天した。
「ど、どこにおるかわかるか?」
「げんかんでおねんねしてたのだ」
不眠不休で働けるソウェイルが寝ているなんて、どう考えてもおかしい。
「ハガルはここでゆっくり食べていておくれ」
「はいなのだー」
ハガルを厨房においたまま私は正面玄関へ急ぐ。
――無事であってくれ。
「ソウェイル! ソウェイル!」
玄関で本当にソウェイルが本当に横たわっていた。
私は抱き起すと、意識があるかを確かめようと体をゆする。
「アンスール……?」
目を開いたソウェイルは意識が戻ると短刀を抜き、私の首に突きつける。
「どうした、ソウェイル。流石の私も首を切られてはちょっと痛いぞ?」
まだソウェイルの目は私に敵意を持っていた。
「なぜこんなところに寝ていた?」
この平和な世界で何かが起きているのか……ソウェイルは何かを知っているとは思う。暫く何かを考えているようだ。
「城の中の人間も忽然と消えてしまい、わしも困惑しておるのだ」
この様子からして、敵襲があったと予測する。ソウェイルの行動からして敵はおそらく。
「わしと同じ姿の何ものかに潜入を許したのか?」
ソウェイルは苦い顔をしている。おそらく予測は当たっている。
「ソウェイル……大事はないか?」
ソウェイルに声をかけていると背後から声が聞こえる。ソウェイルはどちらが偽者……もしくは両方が偽者として考えをまとめようと思考をフル回転にしている。
「お主が、この騒動の首謀者か。驚いたな」
「……それはそうでありましょうな。わざわざ、すぐれた容姿でもなく身長もそう大きくないわれらの父に化けるとは」
考え込んでいたソウェイルは、あまりに酷い暴言を吐いている。
「おい、ソウェイル! こんな時に私のコンプレックスを刺激するでないぞ」
「えぇ、我らの父は考え合っての暴言を許す器を持っています!!」
そういいながら、もう一人の私に斬りかかっていった。
「アンスール、これを!」
そういって染料の入った球を私にぶちまけるソウェイル。私はその球に見事打ちぬかれて、見るも無残だ。
「あぁ、確かに本物を確定しておくのは確かに得策なのだが」
そして、がむしゃらに斬り込むと剣を鞭のように変化させ、あっという間に偽者をとらえた。
「……色々気分はよくないのだが、よくやった」
私の内心はそれはもう荒みに荒んでいた。あまりにショックが大きい。
「我らが父よ、私はあなたのその大きさゆえに慕っているのです。見た目などは……」
――頼むから、それ以上えぐるのはやめてもらいたい。
私の全身は染料で、真っ黒である。それ以上に心は真っ暗である。
「言いたいことはわかるし、評価はしておる。だが、心の準備が……な?察してくれないか?」
「それは……大変失礼を」
――いや、最上級の失礼だぞ?
「ま、まぁ……他の者はみていない。この武勇は……」
「うぁー、ソウェイルかっこよかったのだー! アンスールちっこいけどでっかい!」
「私は父上を訪ねてきただけなのだが……」
私の顔をした男は、突然のことに納得のいかない顔だった。
この男が皆の失踪について知っていて言わない可能性はあるが、他に原因があるとしたらどのようなことがあるのだろうか。
「お主、何者だ?私の顔をして、何をしにきた?」
「ですから、父上に会いにきたのです。母が病にかかり、父に会いたいというものですから」
ただでさえ混乱をしているところに、男は更なる混乱を持ち込んできた。
「じゃ、じゃあ、皆はなぜ消えたのだ?」
「アンスール! みんなはひろまで、かちんこちんなのだ」
「広間?そういえば、そこではニイドの妻が氷漬けに……」
――まさか、戻っておらんかったのか?
ハガルの手を引いて私は広間に急いだ。
ベオークやフッラ、ニイドまで一緒に凍っている。一枚の絵画のような美しさを感じる光景だった。
――あの時、ニイドと確認しに来ればよかったのだ。
私は、過去の自分が恨めしかった。気まずいからと避けたから罰が当たったのだ。
「私が……悪かった。お前たちの関係を許そう」
このまま氷漬けになっているくらいならと、口を突いて出た言葉だった。
そうすると、ハガルの王冠が赤く激しく輝いた。
見る見るうちに氷は解けていった。
「ねえさん、これはいったいどういうこと?」
フッラが凍った時に言いたかった言葉だろうか?彼女は不思議そうな顔をしている。
「ニイド、あなた、また何をやってらっしゃるの?」
ベオークも何かつぶやいている。
「……」
ニイドは無言のようだったが、小さく「ただいま」といったようにきこえた。
「私は、ニイドの隣にいたいだけ」
ハガルの妻、イスから聞こえたのは凍った表情とは対照的な情熱的な言葉だった。
「申し訳なかったな。私には心の準備が必要だったのだ。イス殿。素性はよく知らぬが、貴方をアンスズ神族の一員として認めることとしよう」
「あーりーがとーぉっ!義兄さんっ!」
ニイドが私の言葉を認識したのか猛烈なハグをしてくる。
「馬鹿者、だから、ベオークのおるときに傍によるでない!」
「だって、うれしーんだもん!」
図体もでかいがなかなかにニイドは馬鹿力だ。
「く、苦しいと言っておろう」
何故許せなかったのだろうと、過去の自分の小ささが悔しかったのと苦しいとで何故か涙が出た。
「今、はじめて聞いたから!!なに、泣いてるんだよぅ」
ニイドも氷の解けた水なのか、涙なのか。目が濡れているように見えた。
「お、お主も泣いておるではないか」
「違うよーこれは、溶けた氷だって!」
「わ、私だってお前がまとわりついてるから泣いてる風に見えるだけだ」
ベオークとフッラもその光景を微笑ましく見守った。
「うふふ、まったく素直ではないのだから」
「ニイドもアンスールも真っ黒ね」
こうして、イスという女神がアンスズ神族の一員に加わることとなった。
「アンスール殿、この者はどうしたらよろしいか?」
感動の場面を崩さないようにしようと待機していたソウェイルが、申し訳なさそうに声をかけてくる。
何か乗り越えた感じがして、今ならどんなややこしい話も何とかできそうだった。
「父上。すぐにオセルヘイムのわが家にいらしてください。母グレンズが、父上に会いたいと」
「はぁっ?!」
私そっくりな男が父上に巨人の国へきてくれという。この場にいる男はニイドと私とソウェイル。男は私そっくり。瞬時に事態を察知したベオークが聞いたこともない低い声で叫んだ。
――何とかできそうって思ったの、気のせいかも知れん!!
「あ・な・た? これ、どーいうお話か・し・ら?」
満面の笑みを浮かべて、怒っていないアピールを周りにするベオーク。
――絶対怒ってる!?
「いや、恐らくあらゆる世界で出生不明の子の父を私という流行があってだな」
「流行があるとあなたそっくりな子供たちで世の中があふれるのかしら?」
「うわー、想像するのも怖い光景だね」
切れかけのベオークを見てニイドはどこか楽しそうだった。
「事実無根だ。私が巨人を相手にそんな不貞を働くわけが」
「あら、心に手を当ててお考えになったらいかが?」
「母がいるのは、スッツングの館。祖父はもう昔のことと怒ってはおりません。母の回復のためどうか足を向けてはいただけないでしょうか?」
――めちゃくちゃ!滅茶苦茶心当たりがあった……。
「申し訳ない。あれは蜜酒を取り戻すために……」
私は光のごとき速さで謝った。
「まったく、仕方がないですわね、今日は家族が二人も増えた……ということで許して差し上げるわ」
「で、では……」
「次があれば、私……実家に帰るかもしれませんわよ?」
「ベオーク!! 本当に君のような素敵な人が妻で……」
私はベオークを抱きしめようと両腕を広げた。
「それで、あなた。お名前は?」
しかし、ベオークは染料で服を汚されたくなかったのか、私の息子の方に歩んでいってしまう。
「……アンスール、本当にいつもタイミングが悪いよね」
ふふっと笑いを浮かべるニイド。
――寂しさが増すからえぐらんでくれ!
「ブラギという名を祖父より頂きました」
「そう、ブラギ……賢そうな子ね、お母様は美人なのですか?」
グレンズはベオークとは違ったタイプの美人である。
「そ、そんな……奥方様の美しさには到底かないません……」
――こ、こやつ!…………デキる!!?
「あら、口はアンスールよりお上手なのかもしれないわね」
「い、いえ……心のままに語っております」
私に瓜二つなためどこか不信感をもったが、ブラギは見た目以上に好青年であった。
「うふふっ、アンスールは詩の神の座をこのブラギに譲り渡しなさいな」
ブラギが好青年だったことで、ベオークの機嫌はさほど悪くはならなかった。それに免じて私の肩書の一つや二つ譲ってやろうと素直に思った。
「あぁ、このブラギの言葉には素直さを感じる。素晴らしい才能をもっておるのだろう」
「もったいないお言葉です。母もきっと喜んでくれましょう」
「では、私も一緒に参りますわ。多少は回復の助けもできるでしょう」
「そ、そんな……母は本来は存在してはならない私を……」
「いいのよ、そもそも、アンスールが断らなかったのが悪いの。……そんなことよりも、私はあなたに会えたことが嬉しいわ」
「い、いや……流石に奥方様が来られては、母も心の蔵が止まってしまうかもしれません」
「言われてみれば、そう……そうね、普通はそうよね……そうか、そうよね」
ベオークは必死に動揺を隠そうとしていたのかもしれない。
私もまだ動揺しているわけで、しかし、今さら会いに行っていいものだろうか。
「じゃあ、代わりに私よりも術の上手な妹を同行させていいかしら?」
ベオークは私とグレンズを二人きりにしたくないようだった。もしかすると、巨人側に私が捕らえられることを心配しているのかもしれない。
ブラギは少し困った顔をしたものの静かにうなずいた。
話を聞いていたフッラが歩み寄るとブラギの肩に手を置き、力強くうなずいた。
「私の力はエイルほどは強くないけれど、力を尽くしますわ」
フッラの言うエイルとはアンスズ神族の中で一番すぐれた治癒能力を持った女神だ。フッラの治癒魔法も免疫力を上げたりする分には十分強い力を持っていた。
「ありがとうございます」
ブラギはその場にいる全員に向かって言うようにして深く頭を下げた。
「ねぇさん、出かけている間悪いのだけれど、娘を頼みます」
フッラには一人娘がいた。ハガルより少し年齢としては上に見える可愛らしい少女だ。
「わかったわ、そちらもくれぐれもお願いね」
「あと、出来たら家事の方もほどほどに……」
「そ、それは気が向いたら」
ベオークの家事は基本的に大雑把である。フッラがいなくてはこの邸宅は常に新居のような輝きを放つことは難しいだろう。本当によくやってくれている。
そうして私たち一行はオセルヘイムへと足を運ぶこととなった。