第5話 未知の領域
「この短期間でよく戻った。もう少しかかると思ったが」
目が覚めると、ペオースが不機嫌そうにこちらを見ていた。
「しかし、急がねばならない状況であろう?」
じーっとこっちを凝視する少女。
「不潔……」
なおも凝視している。
いたたまれない気持ちになった。
「変態……」
――この女、一体どこからどこまで見ておったのだ!?
目をそらして、気のせいか……鼻で笑った気がする。
「さて、ニイドカゥムに向かう」
そういうとペオースは椅子と私に縄をくくりつけた。
「これはどういう?」
ペオースは椅子事ふわりと宙に浮くと、それに引きずられるように私はぶら下げられた。
「安全対策だ。縄が切れなければ、無事に着く」
――安全対策か……なんか、扱いが酷くなっている気が。
「切れたらどうなる?」
「自力で捕まるといい」
――私が何をしたと言うのか。
それから縄とペオースの機嫌を見ながら3時間ほど空中散歩……。
空を飛べる衣をつかえば落ちたところで無傷で済むだろうが、私はニイドカゥムまでは行けても目的地を知らない。
目的を達成できなかった場合、わがままなあの発明家がどのようなことをしてくるのか分かったものではない。
達成してもなんだかんだ言ってくるのだろうが、達成できないのは私の自尊心が傷つく。
あとはニイドカゥムでこの石を加工してもらうだけなのだが、どんな形に加工されるのやら。
でも、よく考えたら私が行く必要なあるのだろうか。
ーー縄は今のところ無事だが……。
心配性な私は指でこっそりルーネを刻み込んだ。
その様子を上から見ていたのか、ペオースは口を開いた。
「ハガルのルーンでも刻むか?」
今まで見ていない楽しそうな表情を浮かべている。
ハガルのルーンはハプニングの訪れを意味するルーン。新鮮さなどを求めて変化を求める時に利用する術師は確かにいる。
ーーこの状況を楽しめというのか?
「この状態にハプニングのルーンとは、なかなかハイリスクではないか?」
やめて欲しい気持ちもあり、一応釘を刺しておく。
「賭けるか?」
ーーいやいや、やるなという意味だ。
子供がこれからいたずらをしてやろうと言う顔だった。ここまで来てようやく違う一面を見た気がした。
大人ぶった口調を心がけているようにも見える。中身はまだまだ未熟なのではなかろうか……。
思考を巡らせていると、私の視界は目まぐるしく変わり出した。地面が近づいてくる。
そして、あっという間に地面だった場所は空に変わり、暗闇の中に身を投じると感じるものは下からの風だけとなった。
ーー不味い。
そう思って私は手で印を結ぶと、ハヤブサへと姿を変え、地面を求め滑空した。
やれやれと言う感じで辺りを見渡しても暗闇が続くばかり。
獣の姿になったせいか、土の匂いに僅かな変化を感じ、速度を落とす。
ーーここら辺か!?
足元の土は通常の地面より柔らかく感じた。落ち葉や泥などが降り積もって出来た地層にしては違和感がある。
そのまま落ちたとしても致命傷には至らなかったかもしれない。
とりあえず、着陸できたことを足で確認すると、姿を元に戻す。
ーーそれにしても、本当にやりおったか。まったく、いたずら者め。
私は何故か笑っていた。恐怖からの生還があると人は笑うことがあると聞いたことはあったが、それとも少し違う感情であった。
昔、私はニイドの悪戯に何度か肝を冷やした経験があった。
ーーあの頃のニイドと比べれば、まだまだ可愛らしいではないか……。
私は昔のことを思い出しながら、その場で胡座をかき、周辺に引火する空気がないか確認した。
そうして、火を使っても大丈夫なことを確認すると"カノ"のルーネの印を結び、普段から持ち歩いていた杖に定着させた。
ーーこう言う時に、ティールがいれば大抵の準備が整っているだろうに。
とは言え、火が消える前に地上出るかこの中を探って置かなくては。
私は目の前にある未知の洞窟を見て内心ワクワクしていた。
暗闇の時は見えていなかったが、この穴の中には無数の扉が設置してあった。
鍵が閉まっているか確認するべく、ドアに手をかけた瞬間勢いよく扉が開く。
私は開けようとしたその手をドアに弾き飛ばされ、不意の痛みに悶絶しかける。
「どうだ?ハガルのルーンの効果は楽しめたか?」
扉の向こうから現れたのはペオースであった。
それはもう嬉しそうな顔で、思い通りになったと言わんばかりだった。
「して、この先はどうすれば良い?」
痛がったところで、さらに喜ばせそうな空気を感じた私は、痛いそぶりを見せないよう全力を注いだ。
「ふむ、ニイドと合流する予定だ」
思ったほど、ダメージがなかったと感じたのか少し不満げな空気を感じる。
ーー勝った!
私は心の中で勝利を喜んだ。
ーーしかし、まだ少し痛い。
私たちは真っ暗な洞窟を進んだ。
右に行ったり、左に行ったり、降ったり、登ったり。
ずいぶんな広さを感じた。
「この洞窟はどこまで続くのだ?」
数時間無言で歩き続けたが景色が変わる様子がなく、念のため確認しようと思った私は、ペオースに質問して見た。
「多分、もうすぐだ」
それからまた数時間、私達は移動を続けた。数十分ほど前から、背後から何者かが付いてくる気配がする。
ペオースも飛びつかれたのか、背後を警戒してなのか、自分の足で歩くようになっていた。
「あれから数時間経つが……」
質問しようとしたのだが、応答がない。
「ペオース殿?」
再度声をかけるとペオースは勢いよくこちらを向く。
振り向いた少女の顔は不安からか、少し強張っていた。
「……迷った」
ーーなんとっ!?
それなら先導して歩くなと内心では感じていた。
だが、責めたところで何も解決はしない。
痛みは耐え抜いたが、私はここでいよいよ焦りを感じた……。
「だっ、大丈夫だ!探索のルーネを使えばなんとかなる!」
「ここまで飛んでいたので、ルーネを使うほどの余力はない」
ーーなんだとっ!?
「では、私が探索の……」
「さっき面白くなかったから、今日一日、お前のルーネは封じておいた」
ーーなんだとっ!?
「それと、先程より何者かが付いてきておる」
敵意のない者なら良いが、獣であれば暗闇で戦うことになる。
後者であれば絶体絶命の状況である。
ーー走って逃げきるのが吉か、それとも何者かを確認すべきか。
平和ボケした体にはかなりこたえるが……。
ここへ来てペオースの肩は揺れていた。中身は年相応の女子ということだろうか。
「大丈夫、私がなんとか」
後ろからの足音がどんどん近づいてくる。向こうも松明を所持しているようで背後が明るくなる。
私はもしもの時に備えて、懐の武器に手を添えた。
「ったく、いつ到着するのさ」
後ろを確認していた私の背後から、少女が笑う声が聞こえる。
「ーっ、ふふふふふっ!あーっ、面白かった」
「ペオース、笑いすぎだって」
「だって、ニイド!この人っ」
薄暗いが、目に涙を浮かべて笑っておるようだった。
「まだまだ、僕的には遊びようがあるとは思ったけどさ、今回はちょっと遊んでる場合じゃないんだよね」
「ふふっ……、そうね、ニイド」
「お主達……」
力が抜けて、思わずペタンと座り込んでしまった
「キャハハハッ!」
ーーやられた!今回は共闘だったのか!?
「あー、なんか疲れたわ!早く用事を済ませて帰りましょ」
「いやぁ、ペオース。君は女優でも目指すといいよ」
目の前で談笑するいたずら者二人組。
「首謀者は……首謀者はどちらだ?」
怒りを堪えて声を絞り出した。
「ニイドに決まってるじゃない」
「いやいや、言い出したのはペオースだったって」
「じゃあ、そういうことにしておいていいよ!早く、行こう!」
怒りは込み上げてきたものの、内心楽しかった。昔を思い出すようで、旅は……やはり、良い。
「じゃあ、用事を済ませてくるからアンスール、石を貸してくれるかな?話はつけてあるから」
立てないでいる私への気遣いなのか、ニイドは私から石を受け取ると駆け足で離れていった。
「ペオース、肩を貸してはもらえぬか?」
ペオースは今までとは打って変わって良い笑顔だった。
元々はきっといい子なのだろう……。
「い・や・よ!」
変わらずいい笑顔を浮かべている。
ーー前言撤回!!
あそこまで表情が豊かだったとは……すっかり、すっかり騙された。狐につままれるというのはこういうことだろう。
私は、最後の意地ですくっと立ち上がってみせようと足を踏ん張った。
思った以上にスムーズに立ち上がる。
「よしっ!」
そう言ってよろけてしまう。
「ーーっ、あはははっ!」
それを見てペオースの笑いにまた火がついたようだ。
ーーぐぬぬぬぬっ!
事態はあっさり解決に向かいそうではある。
新しい出来事は、歳をとると時に億劫に感じてしまうが、一度飛び込んでしまえば心地いい。
笑いすぎてむせ返るペオースを見て、そろそろ家に帰りたくなった。
こういう経験をすると、家の有り難みも強く感じられる。
ほんの数日であったが、変化はあっただろうか?
皆は息災にしておるだろうか?
ベオークは怒っていないだろうか?
その場に立ってからしばらく時間が経ち、ふと疑問を口にした。
「それで、私たちはここで待っておればいいのだろうか?」
「ニイドがドワーフのところにはあまり行かない方がいいって言ってたよ?」
ニイドの消えた扉に手をかける。
硫黄と何かが混ざったような物凄い異臭がしてくる……。
予想外の臭いに、胃の内容物が上がってきそうになる。
即座に扉を閉じた。
「ここに大人しくしていた方が身のためのようだ」
「それは同意する……」
とはいえ、このままではどこか気まずかった。
ーー何か話を振らなくては。
「ニイドはなぜ平気なのだろうか」
「鼻が悪いんじゃないかしら?」
「鼻が良いのに平気で行けたというなら、尊敬に値するな」
まともに会話になっている……気がする。
ペオースの素はこちらの性格なのだろうか……。
彼女のことはどういう素性の子なのかはわからない。
ペオースとはダイスカップのルーネの名である。
ルーネが指し示すものは未知。運命はまだこれから変化していくということと言われている。
予言の書にあるラグナロク。私は彼女の名と同じルーネの未知の部分に救いを求めることになるのであろうか。
予言に名前のない小さな存在と考え、差し障りなく付き合っていくべきなのだろうか……。
多くの巫女が口にするラグナロクはイーサヘイムと同様に出まかせであってほしい。
「しかし、遅いな」
「私たちのこと忘れてるんじゃない?」
「ペオース、呼んできてはくれぬか?」
「いやよ、あんな異臭のする場所、乙女が行くべきではないわ」
「私だってごめんだ……」
「来ないわね」
「……来ないな」
数時間押し問答を続けたのち、私は異臭のする扉を開けた。
すると、扉の向こうには出来上がった物を懐に抱いたニイドが眠りこくっていた。
「お前と言う奴は……」
「何?もう終わった?」
「戻っているなら、早く来れば良いだろうに……」
「んあ?あーあっ!もう出来てたのか!?」
ーーわざとらしい……。
「ホント、ホントだって!出来たら起こしてくれるって言ってたんだけどなー?」
少し寝ぼけながらも、人差し指を頰に当てている。
ニイドが困った時にする仕草だ。
私とペオースはニイドカゥムには、もう二度と足を踏み入れないと固く、物凄く固く誓い、帰路に着いた。
良く休んだであろうニイドが変身した鷹の背に乗って、旅の締めくくりを満喫したのであった。
またいつか誰かを伴って旅をしよう。
旅は知識欲だけでなく、自分に足りないものを補ってくれる素晴らしいものだ。
私の辞書にも追加しておこう。