第4話 常闇の楽園
「あら、この人どこからきたのかしら? お姉さま~、今日は髭の男が一人来ましてよ!」
遠くで女の声がしている。
ペオースのいう通り、私は冥界に一番近い場所に来てしまったのだろうか。
暗闇と氷の国イーサヘイム。この地に霜の巨人ユミルとアウズンブラという牝牛が現れ、私の祖父ブーリを生きながらえさせた。これらは巫女たちが伝えた過去の伝承。それが真実か否かを知る者はいない。
時が流れ父、ボルもこの世界に生まれ暗く寒い世界を生き抜き、母ベストラと出会った。
その思い出の地がここ、イーサヘイムである。
それにしては違和感がある。何より、日差しが近い。イーサヘイムに太陽はないはずなのだが。
「お兄さんは事故か何かでここにきたの?」
薄着の女が二人私に話しかけてきた。
こんなところで下着になって……暑さを考えれば、それが正常なのかもしれないがそれでも肌は好きな男以外の前に露出すべきではない。
そんな状態、私は目のやり場に困っていた。
「申し訳ない、恐らく私は殺されてここにきてしまったと考えているのだが、よくわからないのだ」
――そうだ、下を向いていればよいのだ。
私はずっと目を足元を見るように努めた。
「お兄さん、ヤダ、照れてるの? これは水着! 見られるために見てるのよ? かわいいでしょ?」
「私は妻帯者だ。からかわないでもらいたい」
「あら、奥様も亡くなったのかしら?」
「いや、私一人がここにきた」
「それじゃあ、気にすることないよ。独身みたいなもん!」
そういうと腕を首にまわしてくる。
――胸が当たっておるのだが。
たまらず、両手で押しのけた。
「いやだ、お兄さん赤くなっちゃって! かわいい♪」
話を聞きたいが、他に話の通じる者はいないのだろうか? と私は必死に周囲を見渡した。
青い海、白い砂浜、照り付ける太陽。
死んだはずがマンナズガルドにでも転生してしまったのだろうか。
いや、マンナズガルドに生まれ変わったなら誰かの遺体を乗っ取るか、赤ん坊として生れる必要があるはずだ。
ジェラヘイムの時もそうだったが、こんなにもアンスルガルドの外が刺激に満ち溢れているとは。私の心臓は耐えられるだろうか……。
――そもそも、今は死んでおるか。
「ねぇ、お兄さん。お名前は~?」
「すまぬが、先を急ぐのでな! 失礼する」
私は本来の目的を果たすために、熱く焼けた砂浜を疾走する。
白樺の森を抜けて、ぽつりぽつりと商店や家の建つ、町らしい場所までやってきた。
情報の集まりそうな店を探しながら歩くと、談笑が聞こえてくるひと際騒がしい建物を見つける。きっと繁盛しているのだろう。
――酒場か。
情報を集めるならばこういう場所に限る。
私はドアを押して入った。
「いらっしゃい、お客さん! ――おや、初めての顔だね?」
この世界で新入りは珍しいのか……?
愛想のよさそうな体格のいい髭の親爺が腕を組んで、私の顔を見てニンマリと笑う。
イーサヘイムは「藁の死」を遂げた者が冥界へ行く前に通る場所で、それはもうひどい有様の町だときいていたのだが、巫女の予言も適当な部分があるのかもしれない。
「あぁ、この世界のことを知りたいのだが」
「お前さんは何でここに来たんだい?」
「あぁ、私はアンスール。この世界には……」
――この世界にはなんで来たんだったか。
「まぁ、最初はみんなそんなもんだ」
「ここは、どういう場所なのでしょうか?」
「ここは、イーサヘイムのラグズヘルク。ダガズアントゥルの……まぁ、宿場町みたいなもんだ」
「ダガズアントゥル(冥界の入口)の宿場町か」
「そうだ、ラーグの川を渡ればもう元の世界にはどう足掻いても戻れないと言われている」
「……戻れないといわれている?」
「兄さん、察しがいいね! 実際のところモーズグズ様がお許しになれば出入りは自由なのさ」
「モーズグズ……ここにおったのか……」
懐かしい名前を聞き、思わず言葉が口を突いて出てしまった。
「なんだ、兄さん、知り合いなのかい?」
「まぁ、ちょっとした腐れ縁でな」
「……兄さん、何者なんだい?」
「アンスールだ」
「名前はさっき聞いたんだけどもよ……」
男はものすごく困ったような不思議そうな顔をしている。
私は私だ。私以外の何者でもない。
「まぁ、いいや。せっかく来たんだし、何か飲んで行くかい?」
「あいにく、持ち合わせが無くてな」
「あぁ、ここは道楽でやってんだ。仕入れも金はかからねぇし、みんな好きで生前の仕事をやってる」
「おぉ、そういうことなら助かる」
「まぁ、時間は無限にある。有限の世界とは価値観が大きく違うんだ。きたばかりの奴らなんかはそれはもうダラダラ過ごしてたりする奴もいるんだけどよぉ。20年続けてそのままの奴は皆無だな」
「ほぅ」
「何より、この世界はやりがいが最も価値があることなんだな。ってぇことで、何飲む? どの世界の酒も一通りそろってるよ」
「そうか……では、麦酒を」
「あいよ」
男は慣れた手つきでビールを酒杯に注ぐ。
「イーサヘイムは至る所に冷気が立ち込めている場所があるから、よく冷えてて美味いぞ?」
酒杯を手に取るとその冷たさが伝わってくる。
「まぁ、やってくれ」
言われるままに麦酒を口に運ぶ。
外の暑さからは想像しないくらいに冷えて、火照りが冷めていくようだ。
「兄さん、結構飲める人なんだな」
「あぁ、酩酊したことは数えるほどだが……ここへ来る前は、この場所に太陽が降り注いでいるなどとは考えもしなかった」
「太陽? いやいや、地上じゃねぇんだ。太陽なんかじゃねぇ」
「太陽ではない?」
「この光はダエグ様の功績だ」
「冥界の女王の功績……?」
「詳しいことは知らねぇが、ダエグ様はこの世界に朝を与えてくれた素晴らしい人だ」
「どのようにして?」
「詳しいことはオイラのような学のない人間には想像もつかねぇ、お知り合いのモーズヘグ様にでも聞くといい」
「では、モーズヘグはどこにおる?」
「この町の大通りをダエグ様の光のない方角に進むといい。そこにダガズアントゥルがあって、モーズヘグ様はそこにいつもおられる」
私は店を出ると大通りを探し、言われた通り太陽を背に歩き出した。
太陽とは移動するものと考えていたが、一向に沈む気配がない。少し、その光が店に入る前より衰えたような気さえする。
街道はアンスルガルドの道よりも歩きやすく整備され、時折馬車なども通っている。
「おにいさぁん! いいことしていかな~い?」
また随分薄着の女が私のことを呼び止めようとしているが、なんともはしたない国だろうか。
「にいさん、そろそろ日が暮れるよ! 外套着てった方がいいんじゃない?」
時折お節介な男だろうか、私の肩に誂えたばかりなのだろう、しつけのついたままのマントを着せていった。
この世界の人間は本当にお節介で暖かい。
――こんなに日が照っているのに、寒いわけはない。
そう思って歩いていたのだが、次第に気温はみるみる下がり肌寒さを感じる。
私はマントのしつけを取って、少しでも暖まろうとマントに身をくるみ、身をすぼめた。
「冷えるな……」
遠くに見えていた大きな壁は大分近くなり、少し先には大きな橋、そしてその先に関所のような場所が認められる。
――イーサヘイムがこんなに広かったとは。
私の知るイーサヘイムは氷に閉ざされた土地で、草はおろか土も見当たらない土地であった。
だからこそ私はこの土地の上に新たな土地を作り上げ、草花や木や動物たちの過ごしやすい世界を整えたのだ。
モーズヘグは本当にこの先にいるだろうか……。
彼女とは幼い頃世話になった。血筋はよく知らぬが、母ベストラとは親しくしていたようだ。
母をよく知る人物との再会に私の気分は舞い上がっていた。
待ちきれないのか早足だった足取りはいつしか駆け足になっている。
――それにしても遠いな……。
私は疲れと寒さからうずくまった。そこまでは記憶があったのだが、いつの間にか暖かいベッドの中で目が覚めた。
「おや、目が覚めたかね。ベストラの息子」
目が覚めると見覚えのある顔がこちらを見ていた。
イーサヘイムでは時の流れが止まっているのだろうか、その凛とした姿は前と一切変わらず、その知性派表情の端々に見られる。
「モーズヘグさん……。私は一体」
真っ白なローブの四角い帽子、伯父ミーミルに負けない知性とモラルの持ち主で、当時も男顔負けに活躍する賢者の一人であった。その聡明さは服の裾にまで伝わって見えるようだ。
「私が通りかからなかったらどうするつもりだったのだ?」
「私は……目的があってここへ来たのですが、知識が乏しくあなたを探しておりました」
頭をポリポリとかいたモーズヘグは呆れたような顔をしている。
「君は昔から無茶をする子だったな。しかし、ダメじゃないか。日が沈んだ後、ろくな装備もつけず、激しい運動を続けては、汗で余計に身体が冷えて身動きが取れなくなるぞ?まぁ、この冥界では命を取られるということはないが、多少はしんどかったろうに」
「会えてよかった。とても、お会いしたかったのです」
「事情を聞かせてはもらえまいか?」
私はことのあらましを説明した。モーズヘグはこの世界に残り、この世界の脅威ニーズヘグの動向を探りながら番犬ガルムとともに、この世界を少しずつ変えてきたという。
数百年前、滝壺から現れた不思議な赤子を拾った事で事態は急変した。
その不思議な子が今冥界に君臨する女王ダエグ。
彼女は強大な魔力を秘め、毎朝のように冥界の太陽に強大な火をともす。
「まさか、このようなことになっているとは思いもしませんでした」
「そうだな、私もこんなにも冥界の生活がよくなるとは考えてはいなかったよ。数千年前、君が新しい世界を作ると言い出したとき、生と死が作られた。この世界は勇敢に戦うことなく死したものの行き場となった」
「勇士たちは生の世界をより良いものと変えるべく、死した後もヴァルハラで懸命に働いております」
「そうだな。世をよくするためには英断だったと思う。しかし、それによって会うことが叶わなくなった者共も存在するだろう」
考えもしないことであった。
「だからこそ、ダエグはダガズアントゥルを築き、生者もイーサヘイムであれば入れるように取り計らったのだ」
「この門を通ってしまえば、その生命はダエグが預かるところとなる。もし、闇に満ちた心を持つ者であれば彼女は迷わずその生命を刈り取るだろう」
「恐ろしい女王だ」
私がつぶやくとモーズヘグは首を横に振って私に言い聞かせた。
「彼女は善人にとってはこれ以上いない指導者、国に訪れたものを不幸にしないために常に考える強き女王だ。この国におるもので、彼女を悪くいう者は一人としていない。沢山の悪人が彼女の心に触れ、いつの間にか改心しておる」
――そんなことがあるものか。
「アンスールよ、お前はダガズアントゥルに立ち入ることは勧めない。今のままではダエグの怒りに触れるだろう。目的を果たしたら、即刻に元の世界へ戻るといい。赤い石を真の姿にとのことでしたが、それは私が引き受けましょう」
この世界にふさわしくない。なんだかとてもさみしい気分になった。生まれ故郷に立ち入りを拒まれた。そんな気分だった。
モーズヘグは石を手に取ると扉の方に歩いて行く。
「君は少しゆとりや遊びを覚えた方がいい。石が輝きを取り戻すのには四半日ほどかかります。余興を用意するので楽しんでいかれよ」
そういって退室すると、何人かの女が私の部屋に酒を持参して現れた。
「あなたがアンスール様? とても初心な方だと主人より伺っておりますわ」
くすりくすりと笑う、清楚な女は昼間の女とは違って美しい赤色の絹のローブをまとっていた。
「モーズヘグ様とは旧知の仲と聞きました。楽しまれて行ってください」
ハツラツとした喋りに巻き髪を一つにまとめた清楚な身なり、自分の魅力を引き出すことのできる色を心得ているのか、黄色のドレスがとてもかわいらしく似合っている。
――この世界にはこのような女子もおったのか。
「アンスール様はお飲み物は何がお好きかしら?」
タイトな青いドレスの女は切れ長の目にテキパキと酒を用意する。せっせと並べた酒瓶には見知らぬ文字が書かれた物も見受けられた。用意された酒杯も酒の種類に合わせるためか様々な形のものが準備されている。
自分用の酒を作っているのか、その手さばきに私は感心しきりだった。
――この女、出来る。
「麦酒を……」
麦酒は注ぎ方だけで味が変化することもある奥の深い飲物である。
「あら、甘いお酒は苦手かしら? 身も心も温まりましてよ?」
注ぐだけでは不満なのか、他に飲んでほしいものでもあるのか透明な美しいグラスに氷を入れ、小振りな銀色の筒にいくつかの酒を手際よく入れていく。
――断りづらい……。
「では、お勧めの酒を頂こう」
私がそういうと目を細めて彼女は笑った。
「うふふ、素直な人……あら?」
戸惑う私の首にすっと手をのばす女。
「あまり……その、こういうのは……私には妻がおってだな」
いきなりのことに声が裏返る。
――なんと大胆な!!
私の心臓はいつもの2倍……いや、3倍落ち着くことなく動いていた。
そうすると、首にまわした手には糸くずがつままれている。
「ゴミが……取れましたわ」
くすりと笑う。私の心は鷲摑みにされていた。
「本当にアンスール様は初心な方なのですね」
「そのようね、ミスト。ほんの一時ではありますが……自己紹介をまずしましょうね。アンスール様も緊張しておられるようだから」
青いドレスの女は黄色のドレスの女にそういうと、どうやら自己紹介の時間を作ってくれたようだ。
「私はミスト! イーサヘイムのアイドルだよー☆ でも、敬語とか苦手だからふつーにはなしてもいい?」
黄色のドレスの女の自己紹介を聞くとハガルを思い出して懐かしくなった。元気にしておるだろうか?
「あぁ、楽にしていてくれて構わない」
「やったぁ! アンスールちゃん、話わかる子でよかったぁ!」
――自然に抱きつかないでもらいたいのだが。胸が当たっているのだが!
「こらこら、ミスト! アンスール様が困ってらしてよ?」
それとなく、赤いローブの女が自重するように促してくれたようで、ミストが離れて着席し安堵する。
「ホント、フルンドはぁ」
むっとした様子でむくれてはいるようだが、そういうところも可愛らしい。
ハガルを思い出して、少し目と口元が緩む。
「次は私が」
青いドレスの女が胸に手を当てて一呼吸置く。
「私は、エルルーン。この世界では宴会の統括を任されております」
そういうと軽く微笑む。
――美しい!!
「最後は私、フルンド。ミストは少し落ち着きが足りないもので、失礼もあるかと思うのですが……お酒が入ればきっと楽しめる余興が見られるかと思います」
赤いローブの女が一番の年長だろうか……お目付け役的な雰囲気を感じる。
私はイーサヘイムの国をモーズグズの計らいで、緊張しつつも楽しい時間を過ごした。
フェオに旅立てと言われた時は、もっと苦労する旅になるかと思っていたのだが拍子抜けするくらい順調で充実していた。
石が輝きを取り戻し、私の手に渡った時、私は慣れない酒にへべれけになって醜態をさらしてしまっていたが、アンスルガルドの民はこの場所に立ち入ることはしばらくはないだろう。
よい息抜きになったと思う。
私は二日酔いの頭で石をもってイーサヘイムに別れを告げた。
次は、ドワーフどもの住処、ニイドカゥム。
私の旅は本当に信じられないほどに順調そのものであった。