第12話 絆の夜明け
ニイドは神々の手によって隔離され、暗い洞窟の中で家族ともども軟禁状態に置かれた。
私は、ソーン神の気持ちがニイドのことを許せるようになれば、出してやるつもりでいた。
ニイドが閉じ込められて1年、この世界では地震が頻繁に起こるようになっていた。
私はニイドが寂しがることがないよう、家族も一緒に軟禁しておくように伝えたのが始まりだ。
顔を見ると出してやりたくなってしまう。だから、会いに行くことをしなかったのだ。
私はまた後悔を繰り返すことになった。
ほんとうに愚かなことをした。自分自身の目で確かめず、情報を集めることもしていなかった。
そのせいで孫のアルジズは両親の顔をほとんど覚えておらず、ベオークのことを母と呼ぶ。
私は、形だけの反省を繰り返したのだ。
過去に学ばなければ、それは愚か者だ。
「アンスール、ねぇ聞いて。今日はアルジズはとてもよく喋っていたのよ」
嬉しそうに目を細めたベオークは相変わらず、私の自慢だ。どんな女神よりも美しい。
私は上の空で頷いていた。
アルジズとは鹿のルーンの呼び名だ。
友情や絆によって助け合い、トラブルから身を守る。
私たちはこの名前に何度救われたか。
エイワズたちの思いをその名に強く感じる。
どうやればソーンの心をなだめることができるだろうか? 関心ごとはそればかりだった。
そうしているうちに2年、3年と時間ばかりが過ぎていた。
人間たちの間では捕縛された神が毒を浴びて、地震を起しているという話が出ていた。
私はニイドの妻イス殿に宛て長い長い文を出したが、待てど暮らせど返事は来なかった。
――顔だけでなく、心も冷たいのであろうか……。
私には思い込みで物を決めてしまうところがあった。
いつ頃からだろうか?
マンナズガルドでの経験がそうさせているのかもしれないと、自分の中で決めつけた。
それ自体も妄想であった。
あの頃、私はイーサヘイムをさまようヴァルキリーどもをつかい、人間の男を従わせた。
たくさんの生命を刈り取り、アンスルガルドのヴァルハラに大きな戦略を得たつもりだった。
冥界の女王、ダエグ殿は私のことを咎めるだろうか?
エオーはニイドら家族があの洞窟へとらえられる前に、彼女の元へつれて行っただろうか?
とにかく私は上の空であった。
アルジズはソーンのところの召使いのウルツをしたって、よく一緒に遊ぶようになっていた。
ウルツは性根がまっすぐで、いい刺激になるだろうと私たちは期待を込めて見守った。
そんなとき、ちょっとした事件が起こる。
孫は2日ほど行方不明となったのだ。
ベオークはエイワズのとき以上に必死で探した。
私はそれに任せきりにした。
たくさんの巫女を頼り、和睦を結んだ全ての国、全て民の手を尽くしてようやく見つけた。
実際のところ、みなが疲れて眠っているとき彼はひょっこり何事も無かったように戻った。
戻ったときには急に50cmも背が伸び、どういうわけか発言も、行動も急に大人びた。
有識者たちの意見としては、『時の狭間にでも落ちたのかもしれない』ということであった。
消えた本人については、何度聞いても『いえないと』真相は教えてくれなかった。
ときどき戻りたそうにしているが、よい時を過ごしたのだろう。とても社交的になった。
友人はウルツだけではなくなった。
最初にうちにつれて来たときは驚いた。
私にはベオークにどうしても、言うことができなかった我が子が新しい友人となっていたのだ。
名はマンナズ。
とある神との間に生まれた、目つきの鋭い子であった。
生れたのはエイワズが結婚する数年前だ。私はその子を結婚したてのブラギ夫妻に託した。
アルジズよりは年上のはずだが、年の頃は同じくらいになっており、よく遊ぶようになっていた。
そして、同じ年の頃で集まると、その好奇心のままに行動する。かつてのニイドと私のように。
私たちもずいぶん無茶や馬鹿なことをしでかしては、こっぴどく親に叱られたものだ。
アルジズは楽しそうに、マンナズや友だちとの冒険を私に教えてくれるようになっていた。
「お祖父さま、お祖父さま」
アルジズの容姿はエイワズに似てとても整っていた。
長いまつ毛や華奢な体つきはラーグに似である。
ベオークのことは母ではないのに母上と呼ぶ。しかし、なぜか私はおじいちゃん扱いである。
アルジズは素直でまっすぐな子だった。
「ねぇ、お祖父さま!聞いてよ」
楽しそうにニコニコする孫は、私たちの寂しさを埋めてくれる大きな存在になっていた。
ベオークはこの子のために泣いて過ごすことをやめた。
「この間ね、マンナズと好きな人に告白しようって言われたんだ。ボクはね、特にいないけど」
「マンナズが告白したのか?」
「愛は伝えてこそなんだ!っていうから、やってみてよっていったら、本当にいっちゃったんだ」
「それで、相手は誰だったのだ?」
「だーれだ?」
「うーん、フノスか?あの子はかわいいかからな」
私は姪っ子の名前を出してみた。
「ぶっぶー」
「うーん、難しいな……ゲルセミか?」
ゲルセミはギューフの娘である。
「ぶっぶー」
――そうなると人間か巨人か?
「ほかに、マンナズの好きそうな子!」
「わからんな……」
マンナズのことを一切知らなかったのだ。
「ねぇ、知りたい?」
アルジズは自慢げにしている。
「あぁ、教えておくれ」
私が正解をねだると孫は耳打ちを始める。
「正解はねぇ、……シフでした」
まさかの人妻に私は正解できるかと思いつつ叫ぶ。
「シフは結婚しておるではないか!」
子供は世間に縛られない。
私もそんな風な考えが持てたら、未来はずいぶんと明るいものになっていたのかもしれない。
「うん、だから、結婚してっていってた」
――結婚には結婚でということか?
マンナズはあろうことか、ソーンの妻に求婚したという。
子供の理屈で考えるとそれも正解なのかもしれない。
ソーンは『女を見る目がある』と笑っていたが、目が怖かったとアルジズは嬉しそうにいった。
「だから、マンナズはソーンに勝てるくらい強くなるって!ボクも一緒にしゅぎょうするの」
――怖いもの知らずめ。
しかし、勝てないと決めつけてやらない方が子どもにとっては愚か者なのかもしれない。
私も、あの大きな狼に勝つ方法はあるのかもしれない。
信じて動かなければ、可能性の芽は出ない。
アルジズは特に好きな子はいないそうだが、ウルツはどうやらペオースに惹かれていると話した。
その前はイング神のことが好きで、昔、2人で追跡ごっこをしたんだと笑って話す。
「だけど、イングは男の人できれいなのにとがっかり」
孫とウルツはイングの髪が腰より長く、華奢なので女性だと決めつけたのであろう。
見た目でわかる情報量は圧倒的だが、目で見るだけの情報を鵜呑みにしてはならない。
「……それで、諦めたのか?」
アルジズは大きく2回うなずいた。
「その次はフェオさんが好きっていってた」
――まぁ、子供にあのたわわな胸は魅力的か。
「ねぇ、お祖父さま。ウルツは幸せになれると思う?」
「それは、ウルツのやる気次第だろう」
「ウルツは人間だから、長く生きるのにリンゴをたくさんもらっているけど、いま食べないの」
「何故だ?」
「ペオースより大きくなりたいから!」
アルジズの言うリンゴは体の時間を止めるリンゴのことだ。
一度、オシラの父に奪われ、アンスルガルドに住む神々はそれはもうパニックになった。
「すごいやる気だから大丈夫だよね?」
――そういうことではない気もするが。
「あぁ、今回は大丈夫かもな」
子どものいうことなので、否定するのもおかしいと感じて私はぼんやりと肯定しておいた。
アルジズは無邪気に笑っている。
彼の求めた答えを出したからだろう。
「お祖父さまは、洞窟の女神のことは知っている?」
ずいぶんと話が飛ぶ。
まごまごするというのはこういう時に使うのだろう。
イスのことだろうか……ニイドは元気にしているだろうか?
「最近のことは知らないが、会ったことがある女神だ」
私は孫に嘘をつかないように気をつけて言葉を選ぶ。
「じゃあ、そのそばの動けない人は?」
動けない人?二人は軟禁状態のはずだが……。
制限はあっても、生活は普通にしているはずである。
「お祖父さまの椅子でボク見ちゃったんだ」
そういえば、最近はソウェイルやブラギに任せきりで椅子に座ることも減ってしまった。
気になっていたのなら、見ればよかったのだ。
しかし、私はそれすら避けた。
「蛇の下に動けない男の人がいるんだ。それでね、蛇が毒をおとすと女の人が動けない人をかばうの」
――何を言っている?
「フライパンで毒を受けないようにして、毒がいっぱいになるとどこかに捨てに行っちゃうんだ」
――誰のことを言っている?
「その間、動けない人はもがき苦しむの」
――どういうことだ?
「そうするとね、地面がグラグラーって揺れるんだ」
私はそれらしい理由をつけてニイドのことを避けていた。
目の当りにしたら逆に危険にさらしてしまう。
頭をハンマーで殴られたような気分だった。
「それでね、グラグラーってするとハガルちゃんと片足立ちをどっちが長くできるか勝負するんだ」
ハガルは相変わらず、小さいままであった。だが、そのことが孫にはいい結果になっていた。
――その話をしようとしていたのか……。
私は全てを知った孫が私のことを愚か者だと咎めようとしているのかもしれないと身構えていた。
子どもはときどき大人でも驚くようなことをいう。
今日は特に驚きの連続であった。
ニイドたちは長い間苦しんでいる。
こんなにときが経つまで、私は見ないふりをしていた。
私は繰り返してしまった悪事に頭を抱えた。
まさか、地震の原因がニイドの苦しみだったとは。
「お祖父さま、しらなかったんだー」
「アルジズは私のしらないことをよくしっておる」
そう言って私は彼の頭をなでてやった。
ほこらしさと、はずかしさの混じったなんともいえぬ笑みを浮かべ、彼は大人になっていく。
「お祖父さまもみてみてよ」
「ありがとう、そうしてみよう」
私は孫の手を引いて部屋を移動した。
孫にうながされ私は久しぶりにここから世界を見る。
私は世界を見わたす椅子でいまのニイドを確認すると、自分の愚かさを悔いて泣いた。
「お祖父さま、地震嫌いでしょ?」
「好きなものはおらんだろう」
「だって泣いてるもの」
アルジズは私の頭をなでた。
「ボク、こわくないよー」
泣いている場合ではない。どうしてこんなことになっているのか、きちんと確認をせねばならん。
「アルジズは強い子だな」
アルジズが遊びに行くと出かけていったので、私はさっそく鴉のフギンとムニンを呼んだ。
「アンスール、黙っててごめん」
2羽とも知っていて、知らないのは私だけであった。
「あの子は私がお仕置きをしておいたのよ。あなたが悔いることはなに一つないの……」
私にとってなつかしい声がした。私は声のした方を確認しようと、周辺に目を配った。
「アンスール!あそぼうなのだ!」
そこにはハガルがおるだけで、声の主はいなかった。
「ハガルか。今日はアルジズと遊んで来てもらえるか?」
「いいのだー」
「まだ庭におると思う」
「わかったのだー」
ハガルが背中を向けるとまた声がする。
「あなたが何もすることはないわ。ただ、駒を揃えて……神々の夕暮れを待ちなさい」
「誰だ?誰が喋っておる!?」
声がどこからするかわからず、私は出どころを探ったが、それ以降聞こえることはなくなった。
知っているはずなのに、誰だかわからない。
この声は誰だっただろうか?
「アンスール、邪神とはもう関わらないで」
フギンが言った。
「ソーンは彼を許す気などない」
ムニンも悲しそうに言った。
戻れるものなら、最初からやり直したい。
昔マンナズガルドで聞いた人間の嘆き。
私が同じことを思うとは意外であった。
――イスが返事をくれぬのはこう言うことか。
そして、私はなぜかのような拷問のようなことをしているのか、誰がやったのかを尋ねた。
「オシラだよ。ニイドとは仲が良さそうだったのに」
フギンが言った。
そして、その残虐な仕打ちをムニンがためらいながら、少しずつ少しずつ言葉を選び、話した。
このことをヤラが知ると、2人は離縁することとなった。
オシラは最後まで「そんなことはしていない」と、ヤラに離縁を考え直すよういった。
オシラのやった非道すぎる仕打ちをムニンは見ていた。
そして、その証言はイスの話と一致していた。
ニイドを繋いでいるその赤黒い縄は、ナルヴィの体から作られたものだったからだ。
オシラがそんなことをするとは思えず、フェオに調べさせたが、結果は証言通りであった。
そして、オシラの術で狼になったもう1人の息子、ヴァーリは野生に帰り仲間を増やした。
ラグナロクの前の晩、獣たちの襲撃を受けた。
ニイドとイスは姿を消した。
そして、フェンリルも縄を解き消えていた。
ソウェイルは終わりの笛を手に取った。
世界の終わりを告げる笛は高らかに響いた。
私は気づかなかった。
この笛の音を合図にするように、ウィンとヤラ、マンナズが姿を消してしまったことに。
彼らもアルジズのように『時の狭間』迷い込んだのかもしれない。
そして、神々の黄昏に向けて、各地からの進軍が始まった。
南のカノクラーティルから、ニイドと同じ血を持つものたちが五千ほどの軍勢を率いてきた。
冥界から現れた死者の船には、一万三千もの大群。
陣頭指揮はモーズヘグ、先陣を冥界の犬ガルム。
我々の手駒はわずか76人の勇士たち。
そして、雷神ソーンや多くの戦神。
私は予言の通り、フェンリルに呑み込まれるだろう。
――いや、呑み込まれてなるものか。
ソールがラグナロクの始まりを告げようとやってくる。
今日、世界が見るのは一つの終わり。
私は最後の瞬間まで抗うと決めた。
こうして、神々と巨人どもの戦いは幕を開けた。