第11話 酒宴の客人
その日は、海の巨人エーギル殿の邸宅で久しぶりに宴会が開かれ、みな楽しく食事をしていた。
エーギルはどういうわけだか、目立ちたがり屋のニイドとその妻イスの2人を呼んではおらんかった。
「なんで招待状が必要なの? 僕だけ仲間はずれにしたいのか? エーギルは心がせまいんじゃない?」
真っ赤な目をしたニイドがやってきて、和やかだった宴会の空気は一瞬にして凍りついた。
「何をしにきたのだ? 邪神ニイドよ。うちにはお前のような、信用ならない奴に出せるものはない」
ニイドはさっきも来ていたが、戻ってきたことでさらに場は凍りついた。召使い一人を斬り捨てていたからだ。
「そもそも、戦わないお前には間抜けな武勇しかあるまい。私は強き神々だけ武勇を聞くために集めた」
それを聞くと、ブラギのところまで移動してからを指をさす。
「え〜? ブラギは詩の神だろ? 武勇などあるわけがない。なぜここにきた? 場違いだ」
「彼には余興で来てもらったのだ」
ニイドの問いに主催のエーギルは即答した。
「ふ〜ん……、じゃあ、俺も余興をやってやるよ。それでいいだろう? それはもう愉快なね!」
「お前は余興で人を簡単に斬るのか?信用ならない」
「俺には今日にふさわしい出し物がある。それでいいだろう? あ〜っ! 喉が渇いた! 足が痛いな〜」
場の空気が悪くなり、ウィンが少しくらい顔になったので、夫のブラギが口を開いた。
「ニイド殿、エーギル殿が怒らないうちに出た方がいい」
ブラギの言葉にニイドは床をへばりついてゴロゴロと転がる。まるで子どもが駄々をこねているようだ。
「俺も酒を飲みたいな〜。アンスール は俺を仲間はずれにして一人だけおいしい酒を飲むのかい?」
今度は私の先までやってきて、私の肩に手をあてて、私の背中にニイドは『のの字』をかきはじめる。
「義兄弟の儀式をした俺をさしおいて、一人だけ義兄さんは、おいしいお酒をゴクゴクと。ふーん」
字をかくスピードがどんどん速くなり、いたたまれなくなる。確かに兄弟は平等であるべきだ。
「エーギル殿、申し訳ない。このアンスールに免じて義弟も参加させてはもらえないだろうか?」
「ありがとう。アンスール! エーギルもさっきはごめんね! 俺は寂しくてどうかしていたようだ」
流れがニイドの望む方向にすすんでいく。エーギルは鼻を鳴らしてから両手をたたいていった。
「邪神に席と酒を用意してやってくれ」
「エーギル! 話せばわかる人だと思ってたよ」
エーギルにハグをしてそれは嬉しそうにぴょんぴょんと義弟ははしゃいでいるようだ。
ニイドのために新しく席と酒が運ばれた。
「アンスルの偽者の神以外の神々に祝福を!」
チラリとニイドはブラギのことを見る。
ブラギはよく私の代わりに留守を預かってくれていた。それをニイドは快く思っていなかったようだ。
「ニイド殿、あなたという人は言ったそばから」
ブラギは苦い顔をしている。
「私のことをどう思おうと構いません。ただ、今はそれを言う時ではない。場をわきまえるべきです」
「アンスールは戦から逃げてばかりのこの弱虫をどう思っているんだい? 俺は恥ずかしいと思う」
「お前こそ、戦いのときはいつも不在じゃないか!」
たまらず私も口を出した。
「あなた、義伯父にあたる人とパーティがこれから始まろうとしているときに言い合いをしないで」
ブラギが怒り出しそうなのを見て、誰もがこれはどうしようもないと流される中妻ウィンが声をかけた。
「実兄を殺した男と結婚するような女は黙れ」
ウィンの眉がピクリと反応した。
「しかも、それを神々にわからないように隠してるとか笑うしかないよね? 俺でもやらないよ」
「ニイドよ、もう酒が回ったのか? すまない、ウィン。ニイドは酔うといつもこうなのだ」
「ええ、義父さま、わかっております。私はこのパーティを心から楽しみにきたのですから」
酒の席に悪酔いはつきものと分かっているウィンの表情はすぐに元の穏やかな顔に戻っていた。
「えこひいきしないでよ、アンスール。君はいつもそうだ! いつもえこひいきばっかりでムカつく」
「それを言うなら、ニイドよ。お前は女々しい。しかも、男の身で出産まで経験するとは」
「俺にとって、あの子は宝だ! 臆病な奴を勝たせるような神にどうこう言われる筋合いはないよ」
酔いが回っているように見えるニイドは酒をさらに口に運ぶ。おとなしくする様子はない。
「俺が女々しいって言うなら、アンスールだって魔女の格好をして魔法の練習をしていたじゃないか」
「わ、私は格好から入るタイプなんだ。知っているだろ? 魔法が女だけのものなんて悔しいじゃないか」
「あ〜やだやだ。魔女のかわいらしい杖を振り回す君を思い出してしまって笑いが込み上げてきたよ」
そう言ってニイドはニヤリとする。
確かに魔女の衣装は、ハガルのような少女が着るデザインではあるが……。子供の時のことだ。
「ほらほら、二人とも過ぎたことで喧嘩をしないの。続けてもお互いに恥をかくだけでしょう?」
べオークが私たちに声をかける。
「ふーん、男狂いのベオーク義姉さんも口出しするんだ。いいよー、みんなに教えてあげるよ」
ニイドはかなり酔っているようだ。
「誰か、ニイドに酔い覚ましの水を」
私は水を持ってくるようにニイドに声をかけようとするが、べオークの顔が怒りに支配されるのを見た。
――これは、マズい。
「あなた本当に無礼ね! エイワズほど賢くもきれいでもないくせに。だから、巨人族の者は……」
「へえ〜、エイワズのこと言っちゃうんだ。エイワズはアンスールに全然似てないよね」
席を立ったニイドはフラフラとベオークに近づいて、何かを懐から取り出してベオークの前に置いた。
「彼は本当に愛しい義兄さんの子供? 美しかったヴェリ兄さんじゃないの? 俺は知ってるよ」
食卓に置かれたのはヤドリギの小枝だった。
「これ、何かわかる? このほそっこい枝……ヤドリギって言うんだ。義姉さんは契約してないよね」
笑いをこらえるようにニイドは言った。
「ラーグも未契約だったこの枝を俺はホズに渡して、ホズは目障りな実の兄をこの世界から消したのさ」
バシャッ……バリーン!
火のように顔を赤くしたベオークはニイドにグラスを投げつけ、水をぶちまけると床に落ちた音がした。
「あっは、酔いが覚めたよ、義姉さん! ありがとう。でも、エイワズは助けに来てくれないねー?」
ニイドの頭は水に濡れて雫が落ちている。
それでもまったくもってこりることなくニイドは怪しく笑いながら毒を吐き続ける。
ベオークは床にペタリと座り込んで泣き出す。
「いい加減になさい」
この混沌とした状況に、べオークと同郷のギューフがハンカチを差し出し、ニイドに向かって言う。
「このパーティはベオークを励ますために開かれたのよ? あのことは話すべきではないわ」
「それならギューフ、君はこの場にふさわしくない。だって、ここにいる男全員が君の恋人だろう?」
この場にいる誰もが互いの顔を大きな瞬きをしながら見てはそらし、見てはそらしを繰り返す。
「ま、また口からでまかせばかりを繰り返して……そんなことばかり言うなら、お帰りなさいよ!」
「でまかせかどうかなんて、周りの反応を見たらみんなわかるだろう? 神の秩序が聞いてあきれるよ」
「ギューフよ相手にするな。予言にもあるだろう? この男は神々の幸せを乱すためにここにきているのだ」
ギューフの父、ヤラが口を開く。
「全く……ジェラの人間は秩序のかけらもない。父も子供も兄妹で夫婦の営みをするんだから」
ジェラヘイムの神は植物の化身とも言える存在。そう考えれば、秩序をつくる基本が違う。
「しかも、父は変態プレイも喜んで受け入れる飼い犬以下だ。人質生活が長いとプライドもなくなるのか」
「確かに私は人質という身分。しかし、誇り高き息子の誉れがあれば、それ以上望むことなのだないのだ」
ヤラは何を言われても穏やかな顔だ。
「その息子自体が秩序を乱してるのに?」
「彼は前の国の秩序は乱していない。私もこちらに来てからは、その秩序をしっかり守っておる」
「なんの騒ぎだ?」
宴会に到着が遅れていたティールが会話に参加する。手詰まりを感じたニイドの顔は輝いた。
「やぁ、ティール。右腕の調子はどうだ?」
「おお、ニイド殿。おかげで前より戦果が増え、良好だ。不自由を強いられた私にいい物を……感謝する」
「いいんだよティール。僕が君の奥さんと作った子供が悪さをしたんだから、責任を取るのは当たり前だ」
「フェンリルには本当にかわいそうなことをした。また、うちに遊びに来てくれ。彼も待ってる」
「俺は知りたい。君は妻を別の男にとられても、どうしてそんなににこやかに話すことができるんだい?」
その発言をそばで聞いていたソウェイルは、ものすごい形相で二人のやりとりを見ている。
「妻はきっと君に感謝している。それでいい」
「ふーん、ティールもイングもずいぶんと腑抜けているんだね!俺なら恥ずかしくてたえられない」
「何をいう、イングほど愉快で優しい奴を私は知らない。女や子どもに人気のあるイングを妬んだか?」
「そんなわけがないだろう! ……ティールが仲裁の神なもんか! だから腕もなくなったんだ」
――元凶は全部お前だろう。
気まずい空気にイング神が立ち上がり、2人の間に立ってニイドとティールの肩に手を置いた。
「もうやめておけ。ニイド殿。今回君が何をいったとしても勝機はない。負けを悟れば撤退も策だぞ」
「うるさいよ!イング」
そういうとニイドは肩に置かれた手を振り払った。行き場を失った手はしばらく宙にあり、ニイドが発声した内容を確認してから下に落ちた。
「君の求婚の話を聞いて、俺は腹が壊れるほど笑ったのを思い出したよ。女に不自由してない君が……」
「ああ、そうだな使いの者に代行を頼んだ」
「なんで認めてるんだよ。恥じろよ」
「私に恥があるとすれば、妻が正してくれる。私は気づかないでやらかすことに対して恥を感じない」
「はぁっ?!」
「私が恥じるとしたら、自分の悪いところを認めないで、周りを責める行為をすることだ」
「ふーん、俺がそれでやめると思う?」
「やめたらラッキーくらいには思っているよ」
拍子抜けする答えにニイドは少し戦う気が失せたようだった。怖い顔のソウェイルも落ち着いたようだった。
「そんなだから、伝説の剣も行方不明になるんだよ! 予言ではそれがなくて君が死ぬって言われてるんだよ?」
「だからどうした?」
「ラグナロクが始まったらどうするんだ」
「妻が隣にいないことを考えたら、私は今すぐにでも死んでいる。彼女にはなんでも捧げる覚悟だ」
ニイドは頭を抱えた。
「大丈夫かニイド……」
ソウェイルはニイドの元にタオルと水を持って駆けよる。ニイドはべオークにかけられた水で濡れていた。
「酒を飲んでウロウロしていると体に良くない。水でも飲んでおとなしくしているといい」
ソウェイルはニイドの濡れた頭をくしゃくしゃとタオルで拭いてやる。ニイドはまだ酔っているようだ。
彼はニイドを無理やり引っ張っていって、着席させてテキパキとソウェイルはニイドに水を飲ませた。
――ソウェイルは介抱もこなすか。
「水を飲んで、落ち着いたら用を足してくるといい。ニイド殿も素直に楽しんで過ごしませんか?」
「……ソウェイルは本当にかわいそうに。どうしてこんな役回りばかり任せるんだろう」
今度は突然の涙目になるニイド。
「大丈夫。あなたさえその気なら、ちゃんと楽しめます。いつものあなたが優しいことはみんな知っていますよ」
「俺だって知ってるさ。ソウェイルがどんな天候の日もずっとこの国を守っていることを!」
ーーまだニイド劇場はまだ続くか。
「それなのにそれなのに、物騒な狼の住む館に間借りして仮眠? ありえない。よく眠れてるかい?」
「またまた、ニイド……フェンリルは予言にあるような物騒な子供ではありませんよ。いい子ですよ」
ニッコリ微笑んでソウェイルは続ける。
「それに私は家にほとんど帰らないので、ティールと館を交換しました。間借りはしていません」
ソウェイルでティールに視線を送ると、タイミングを合わせたようにティールが話し出す。
「私のボロ屋だとフェンリルの縄は繋げておけないのだ。広くて使ってない館だからとソウェイル殿が」
「暗いところに閉じ込めるよりは、いくらかお互いにいい時間を過ごせるんじゃないかと使ってもらっている」
「……そもそも、なんで君がそこまでして体を張り続けなきゃいけないのさ。明らかにおかしいだろ?」
「私がやりたいから始めたことだ。やってみるとたくさんのことが知れて楽しいぞ」
微笑むソウェイルに影響を受けたのか、ヤラの妻のオシラが声をかける。彼女もニイドと同じ巨人族である。
「ウフフッ! ニイド! そろそろやめたら? 彼には何言っても無駄よ。楽しみましょう?」
少し酔っているのか、艶っぽい声だ。その美しい容姿がさらに美しく見える。場の空気がよくなってくる。
泣き疲れたのかべオークもすくっと立ち上がって着席した。ようやくパーティが始められそうだ。
「……オシラもすっかり普通に結婚生活を楽しんでいるんだね。父親のことはもう許してくれたの?」
オシラの父は悪さをして、アンスルガルドで焼却された。その先陣を切ったのはニイドだった。
「悪い感情に支配されないようにと……夫、ヤラが教えてくれたからな。それに過去をどうこう言ったら」
「どうこう言ったら?」
「父の仇であるニイドのことを私は逆さに吊るして、痛めつけて……ジワジワいじめなくてはいけなくなる」
――怖すぎる。
「え〜、あの時はその大きな胸で俺のことを温めてくれたのに?本当に女ってやつは……俺にはわからないな」
「まったく、おかしなやつだ。あんまりふざけたことを続けると痛い目を見るのはお前の方だぞニイド」
「いいよ〜。ヤラとやってるプレイでもなんでも、やってないことでも俺とやってみるかい?」
ヤラは挙動不審になっていた。
――ヤラよ、さっき少し見直したのに。
「まぁ、ニイド……まだ水が足りていないみたい。私が注いで差し上げますわ。お飲みになって」
そう言ってアンスルガルドで一番恐ろしい男ソーンを夫に持つシフがニイドのグラスに水を注いだ。
「清楚な女が注いだ水なら飲めるのにな〜。シフはすぐ浮気するからな〜。このまま酔いが覚めないかも」
シフの顔は引きつってる。
「で、次はいついけばいい? いい子ぶっちゃって続きがしたいから、そんな風に優しくするんだろ?」
「ニイド……あなたと言う人は……」
ソウェイルが怒りに体を震わせ立ち上がる。それと、ほぼ同時に我々は部屋の異変に気がついた。
音がする。
凄まじい音が。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ
カタカタカタカタカタカタッ
大地が揺れ、皿が震えている。
轟音が徐々に大きくなってくる。
ドッドッドッドッドッ!!
「な、なんの音だ!?」
私たちがうろたえ始めると少し音が変わる。
ドゴーーンッ!
ガツン!
乱暴な音がこの部屋の入り口から聞こえた。
扉は粉砕され、原型を思い出せなくなるほどだ。赤目の屈強な男が立って余興の主役をにらんでいる。
巨人からはアンスルガルドの赤い魔王と呼ばれる男。世界一固い体を持つシフの夫……雷神、ソーン。
「話は全て聞こえていたぞ、この外道め」
「やぁ、ソーン。今日来る予定だった?」
「あぁ、絶命させる対象の巨人の名前を変更することに決めたからな。お前もその名前をよく知っていると思うぞ」
「それなら、フェンリルの方が先じゃないか?あれは放っておけば、アンスールを必ず飲み込むようになるぞ」
ソーンはニイドの子供たちには一度も勝てていなかった。そのことを結構気にしておった。
「まだいうのか? 俺のミョルニルは当たった者はたいてい一撃で絶命するが、試してやろうか?」
ミョルニルとはソーンの持つハンマーで、投げると自分の手元に戻ってくるすごい武器だ。
ちなみに私は一度、投げつけてみて帰ってきたミョルニルで大怪我をした経験がある。
「ふーん、多分、俺はそのぐらいじゃ娘の元には行けないよ?だって俺は火で焼いても死ねないんだから」
「では世界の果てまで、お前の頭で球技の練習でもしてやろうか。もしかすると、途中で娘の顔をみられるかもな」
「それなら、俺は君に勝利した者たちの武勇伝を語り続けてあげるよ。世界中に恥をさらすといい」
「お前の口をふさぐため、これから俺のもつ全力を尽くそう。出て行くのなら今の内だ」
「……わかったよ、俺は十分楽しんだ」
そういうとニイドは降参を表すように両手を上げて、ゆっくりと壊れた扉の方に歩いていく。
扉のあったところでくるっと向き直って続けて言った。おそらく、負け惜しみだろう。
「今後、宴会はやめておくことだ。必ず災いを巻き起こすよ。それじゃあ、みんな! じゃあね!」
赤い頭のニイドが去って、ソーンはその後を追って部屋を出ていく。もうニイドと会うことはないかもしれない。
少し重苦しさは残ったが、まだ料理はある。みんな楽しもうとそれぞれ話に花を咲かせる。
するといつもの調子でニイドが戻ってきて、当たり前のように先ほどの席についてグラスを高くかかげる。
「ひどいなー。僕を仲間はずれにしてパーティなんて。エーギル! 僕ももらっていいかな?」
尋常ではない冷たい視線が注がれる。
「え? 僕、何かした??」
――記憶が飛ぶならもう飲むな。
そこから、ニイドは空気を読んで逃げ出し、世界中を舞台にした隠れんぼが始まってしまった。
最後にニイドを捕まえたとき、彼はそれはそれはおいしそうな大きな鮭に化けていた。
他の鮭に混じって気持ちよさそうに泳いでいたところをペオースによってとらえられる。
神々はラグナロクの最期の章をなぞり始めたのだ。運命の時、私たちはその通りになるのだろうか……。