プロローグ
今回の登場人物
アンスール
『言葉のルーン』の名をもつ神。
アンスズ神族の長。この物語の主人公。
ソウェイル
『太陽のルーン』の名を持つ男。
隣の国からやってきた。
ニイド
『束縛のルーン』の名を持つ邪神。
アンスールの義弟。
ハガル
『ひょうのルーン』の名をもつ謎の少女。
とっても元気。
ミーミル(?)
空飛ぶ謎のタコ。
見た目はかわいいがすごみがある。
フェオ
『富のルーン』の名をもつ研究家。
色っぽいおねえさん。
「いいか、ソウェイルよ。この世界は3つの階層、9つの世界に分かれている」
「知っておりますとも」
私の元にやってきた黒髪の男。
急にやってきたその男を私は追い返してやろうと押し問答していた。
「まぁ、聞け。私が住む"アンスルガルド"は第1階層に位置する"アンスズ神族が住まう世界"だ」
「この国の東にあるのが、私たちを襲ってくる巨人たちの世界、"オセルヘイム"でしたよね?」
「そうだ。だが、おぬしが来たのは東そのくらいでここに入れてやるわけには――」
「私はほかにもいろいろ知っていますよ。それがわかったら入れてくれますね?」
男は私よりも少し背の大きく、整った顔立ちをしていた。
ただし、ものすごく顔色が悪い。
「そして、北には小人の国"ニイドカゥム"、その下には黒い妖精たちが住む"ハガラズテネブレ"だったでしょうか?」
「よ、よく知っておるではないか……」
彼が答えた国は創世後に生まれたものには馴染みのない名前になっていた。
ましてや、ドヴェルグとドワーフの区別など知らないものは多い。
どちらも気質が似ていて陽気で、見てくれはよろしくない。
そういうのもドヴェルグというのは、私が気まぐれに『余ったユミルの骨』でドワーフを真似して作り出した種族だ。
邪神の『ニイド』は美しくないと言いながらも、北の地に住まいを作ってやっていた。
雰囲気を出したいからと言って、ドワーフの住む北の土地に建造物を作ったらしい。
小人たちは、義弟ニイドを慕い"ニイドカゥム"という国の名前にしたそうだ。
――ドヴェルグたちを作ったのは私なのだが。
少しばかり、納得はいかなかったが決ったものはしようがない。
私は頭をぶんぶんと左右に振って心を落ち着けた。
落ち着いてきたのを察知したのか、ソウェイルはつらつらと話を続けている。
「南にある"カノクラーティル"は第2、第3階層にもつながっているといわれている――」
「……そうなのか?」
「アンスールはご存じなかったですか?」
ソウェイルは嬉しそうにクスリと笑って見せた。
――女のような笑い方をする男だ。
「母たちはカノクラーティルの生き物も研究しておりまして、その関係で私はよく足を運ぶんです」
「おぬし……熱くはないのか?」
カノクラーティルは炎の国という別名がある。
年中燃え盛っているので、近づこうという物好きはほとんどいない。
「私の着ている服は母特製の暑さも寒さも軽減される作りなので」
「ほぅ、私も作ってもらいたいものだ」
「私の予備を差し上げましょうか?」
「おぉっ! まことか!!」
そんなものをもらえるのか! と私は素直に喜んで声を上げた。
「まぁ、腕と足を詰めれば問題なく着られると――」
「やはり要らん! デザインが好みではない」
ソウェイルはニッと笑う。
「何がおかしい?」
「……すみません。母たちの言った通りなのがあまりに……」
笑いをこらえながら話を続ける男に正直腹が立った。
「やはり面白い人だ」
そう言ってソウェイルは彼の白いスーツが汚れることも気にすることなく、ひざを折って私を見上げて笑って見せる。
どういうわけか、私はその笑顔に見入ってしまったのだ。
「私の知っていることはそれだけではありません。聞いてくださいますか?」
傅かれて、私は心を掴まれてしまったのかもしれない。
ニコッと笑うソウェイルに、ぎこちなく二回頷いて固まっていた。
「第2階層を占めるのは人間たちの住む国"マンナズガルド"」
マンナズガルドはアンスルガルドの下にある海に囲まれた土地である。
「おぬし、詳し過ぎはしないか?」
「私の母たちは博識でしたから」
「……私の母ベストラの愛妹子たちだったからな」
「このくらいは答えられないと父に恥をかかすからと、生まれたころより創世の時代の話は聞かされていましたよ」
その言葉に私の心に火が付いたのを感じた。
「では、これは知っておるか? どこにでもあってどこにもない白い妖精たちの楽園と呼ばれる"イグヘイム"が今日もどこかに移動していることを」
――ずいぶん懐かしい。
伯父ミーミルとも、よくこんな風に知識を競い合ったものだ。
「もちろん、イングがその指揮を執っていることも知っています」
「では、第3階層に広がるのはイーサヘイムはどうだ?」
「そこを抜きにこの世界を語ることはできません。氷に覆われた土地には大昔、科学と魔法によって栄華をきわめた国があったんですよね?」
「波の乙女はそんなことまで話しておるのか?」
「えぇ、教養なしには門前払いを食らうだろうと……先の戦いで場所が不明となった"ジェラヘイム"は魔法の国だったでしょうか?」
――魔法はこの科学の国アンスルガルドでは、禁忌とされ使える者はわずかだ。科学と魔法を融合する技術があの悲劇を巻き起こしたのだから。
「ああ、訳あってアンスルガルドでは魔法を封じている」
「大賢者ミーミルの助言ですね?」
――それも知っているのか……。
大賢者ミーミル……創世の折、この世界が完全に凍てつく寸前で食い止めた……。
「伯父なしに今のこの世界は語れはしないだろう」
「以前の"イーサヘイム"は科学によって豊かになり、魔法によってすべてが平等――」
「しかし、どういった文明も未来永劫に続くことはない……」
「ミーミルの言葉ですね?」
「ああ、世界が発展を続け、これ以上ない楽園が存在していたのだ」
「その発展していた"イーサヘイム"が氷で覆われ、"ジェラヘイム"と"アンスルガルド"として分かれたのには――」
「天の……」
私は言いかけてその名を言えなかった。
――伯父ミーミルはその存在は確かにあると言っていた。
「天の神……ですね?」
――なぜそれを?
アンスルガルドの上層部でもそれを知っているものは限られている。
「予言を預かる巫女とて、その名を言うことも許されない存在」
「……誰から聞いた?」
「これだけ答えられれば、この国で雇用してもらうことはできないでしょうか?」
「いやだ」
「何故です? 私はこの国の人間になることは運命なのですよ?」
「だからだ」
「予言通りに進めなくとも、あなたの未来は変わらない」
「……」
「この世界の構造を支える5つの柱、その中核にあるのは"ユグドラシル"」
「あの樹は創世より前からあり、凍てつく大地にも覆われた水にも負けることなく存在し続けている」
「あなたはそれだけでは不安だと、その東西南北に第1第2階層を支えるためドヴェルグたち塔を建築させた」
「当時担当していた小人の名前をとり東にはアウストリ、西にはヴェストリ、南にはスズリ、北にはノルズリという名前をつけたが……ソウェイルよ、何が言いたい?」
「あなたは、臆病な人だ」
「臆病で結構だ」
【この世界は滅びに向かっている】
――ユグドラシルにある日現れた予言……。
「あの不吉な言葉を発端に、私は次々に愛する者たちを失ったのだ」
「予言は最後にあなたの命も奪う――」
「そのことにおびえながら、私は千年以上の時を過ごしている」
「時には虹の橋を渡り……」
「その橋を作ることができるのは光だけ。お前がこの国に来ることは予言が――」
「私は、もう飽き飽きしているんです。この先にある未来が見たい」
「その先に終わりがあっても……か?」
「終わらない退屈するだけの日々、人間たちには暇つぶしに憎み合う余興を演じさせる……」
「私が望んだことではない……」
「もっとワクワクしたいと思いませんか?」
その時のソウェイルの顔はとてもキラキラとして見えた。
少し見とれた私は頷いて、彼に背を向ける。
「……そこまで言うなら、寝ずの番でもしておれ」
「ここにいていいんですね!?」
「ただし、10年だ……」
「10年?」
「10年間、アンスルガルドに巨人が侵入しないよう見ておれ」
「それでいいのですか? 私は――」
「一匹でも侵入したときは、母たちの元へ帰ることだな」
「えぇ、ここにいられるなら問題ありません」
「ふん! ふざけたやつだ……」
そのまま立ち去ろうとしたとき、ソウェイルは思い出したように言った。
「あぁ、そうそう! 私はお知らせがあって来たんでした♪」
気になった私は振り返り、問いかける。
「なんだ?」
膝についた土埃を払いながら立ち上がるソウェイル。
「大賢者ミーミルはもうすぐ戻ってくるでしょう」
その言葉に私は驚き、思わず叫ぶ。
「そんな馬鹿な!」
――伯父ミーミルはジェラヘイムに人質として……。
「それも異形の姿で、連れもいます」
「異形の……姿?」
「これ以上は言うわけにはいきません♪」
「なっ……おぬし!」
立ち上がったソウェイルに私は詰め寄る。
「ここにいたいなら、情報の出し惜しみは……」
ソウェイルは威圧するでもなく、ただニッコリと突っ立っている。
「それは、その時になったら必ずわかるでしょう」
「今、言わんか」
「ダメですよ! これから、仰せつかった仕事が始まるんですから」
東から多くの巨人たちが音を立てて駆けてくるのが見えた。
5……10体はいただろうか?
ソウェイルは準備運動と言わんばかりにそれらをあっさり切り刻む。
切り刻んだ肉片が空から落ちてくる隙間にソウェイルの眼光がギラリと光った。
「私のカン、当たるんです♪」
あっさりと一仕事終えたソウェイルはにっこり笑う。
「すいません。思ったより服が汚れたので、お風呂貸してください♪」
「断る」
「あー、酷い! アンスール様の恥ずかしい話、国中に暴露してあげちゃいますよ!?」
「なおのこと断る!」
「もう、お湯だけでいいですから―」
「い・や・だ!」
私はその場を立ち去ろうとする。
「わー、わー、もう、わかりました! 水で妥協します!」
ソウェイルは私の右腕にぶら下がって引きずられている。
「もう、帰ってしまえ!」
「じゃあ、いいですー! このまま添い寝します」
――この状態の男が寝床に来るなど、冗談ではない。
私は、少しだけ考えて、腕を振り払いながらソウェイルに言った。
「……風呂だけだぞ?」
地面に放り出されたソウェイルは顔を上げ、すくっと立ち上がる。
私は駆け出した。
「ついでに着替えも貸してくださーい」
ソウェイルも走ってついてくる。
「図々しいやつめ!」
「アンスール様は、こういうタイプがお好きかとー♪」
――確かに、こういう奴は私は好きなのかもしれない。
賑やかになりそうだと感じながら……私は、ソウェイルを嫌々アンスルガルドに迎え入れた。
そして、ソウェイルが来たことにより人間界との行き来が容易になった。
私はマンナズガルドに頻繁に様子を見に行くようになった。
――そう言えば、昨日私はアンスルガルドに戻ってきたのではなかっただろうか?
私はショックのあまり、ずいぶんと昔のことを思い出していたらしい。
□■□■□■□
――一体どうしたことか。
私は久々に頭を抱えていた。
「うわーい!なのだー!」
その事態は突然に起こった。目が覚めると、薄ぐもりの空のような髪色をした女の子と空飛ぶタコが宙を浮いていた。
寝ぼけ眼の私に対して、タコが親しそうに話しかける。
しゃべるタコが私の名前を呼んだところで、私のまぶたは開け閉めを繰り返す。
思考が混乱しつくして、同じ場所を行ったり来たりするのみで最終的には完全に停止した。
この世界では、女子どもや動物が飛び回っている程度のことは日常茶飯事で、とくに驚くようなことではないが、この日はさすがに困惑した。
「うっわーい! ほんがいっぱいなのだー」
この空飛ぶタコが自分の敬愛する伯父、ミーミルを名乗り、一緒に空を漂う少女を最近和睦交渉を結んだジェラヘイムから連れてきたという。
――嫌な予感しかせんわ。
何に困惑しているかというと、伯父のミーミルはその和睦交渉の際、和睦交渉のための人質としてジェラヘイムから帰ってくることはない考えていたからだ。
いや、それ以前に伯父はタコではなかったはずだ。
「戻って早々に悪いが、我らをここに置いてはくれぬか?」
返事を待っていたタコが、まるで伯父が話すかのように再度声をかけてこちらを伺っている。
――誰に案内されるでもなく、迷うことなくまっすぐこの部屋に入ってくるとはタダモノではない。
タコの言い分としては、首だけで転がっていたところをこの宙を浮く少女に助けられたので、この国アンスルガルドに住まわせろということだった。
「ダメだろうか? アンスール。ダメなら勝手に家を建てて住むが」
そういうと、タコは横目でチラリとこちらを見てくる。
「……わしはどちらでもいっこうに構わん」
――住むことは決っておるのか! 勝手に決めるでない!
頭に血が上っていく感覚が自分でもわかる。
――タコが好き勝手言ってくれる。
しかし、このタコが『伯父上という証拠』も『伯父上ではないという証拠』も現状はない。
何より、私が誰にもわからないようにこっそりと作ったはずの部屋に、元から知っていたかのようにいとも簡単に入ってきている。
「オセルヘイムのわしの家ではどうだ? こんなことになってしまったとはいえ、もちろん……わしの家はまだあるのだろう?」
こんなこととはこのような姿になったことを指すのか、それともジェラヘイムとの和睦に問題が生じてしまっていることに対してか。
あるいは、無許可で素性もしれぬ少女を連れてきていることだろうか。
伯父のふりをした敵である可能性が捨てきれない以上、身内が危険に合うような場所に住まわせるわけにも行かない。
「ひっさつ!はなふぶきなのだー」
タコの後ろで少女が息抜きのためなのか、私のお気に入りの書物を無邪気さを凶悪に発揮して大量に紙くずへ強制変化をさせていく。
――うわーーーーっ! やめんかー!
心の中で叫びながら冷静を私は装った。
この二人をここに置くわけにはいかない。
被害を最小限にするためにも、とにかく早い決断が必要があった。
「……伯父上の家ですか?」
混乱した頭に冷静さを取り戻そうと、普段よりも強く眉間をこすって知恵を振り絞る。
――そうか、あの泉か!
伯父を怒らせるのは得策ではないが、時間が経てば経つほど被害が大きくなっていくばかり。
普段ならじっくりと情報を集めたいが、今はすぐに決定しなければ被害が増えるのだ。
――ここは伯父の逆鱗にあえて触れよう。
私は泉についての話題で伯父かどうかの確証を得ることにしようと考えいた。
怒れば、伯父であろうと簡単に確認できる。
伯父の逆鱗に触れようと決意し、拳を握った。
緊張感とストレスからか、無駄に喉が渇く。
握った拳を声が震えないようあごに添える。
――怒りださなければ、『ただの伯父に成りすました敵』ということになる。
私は心を整えて、一回うなずく。
――よし! 言うぞ!
「あの家は、伯父上がジェラへ行くこととなった折……」
タコは大人しく聞いていた。
それなのに、自分の脈拍は速度を増す。
――言うと決めたもののやはり恐ろしい。
私は用意したセリフを出来るだけ落ち着いてひねり出した。
「……取り壊して、跡地は植樹をしております」
タコから、わずかに殺気を感じた気がした。
――紛れもなく、これは伯父上だ。
「そんな戯言を……お前はなんの代償も払わずに、あれを壊して……もしや、水を飲んだのか? 水を飲むために、わしを人質としたのか?」
伯父だという確証は得られた。
その確証を得るのと同時に、念のためにこのタコが本当に伯父だった場合の心の準備をしていたが、上半身が恐怖で少し仰け反る。
私は以前、伯父を怒らせて3日ばかり起き上がれないようにされたことがある。
その時のことを思い出したせいか、背中や手にうっすらと汗の存在を感じる。
「答えよ。お前はあの水を飲んだのか?」
伯父の言う『水』とは、伯父の所有する古屋のそばに湧き続ける『不思議な力を持つ泉水』のことであった。
泉の水はこの世界の神の力も超えるほど、強い魔力を秘めており、この世界には欠かせない神木『ユグドラシル』を生かし続けている。
その貴重な水を、伯父は『世界のバランスを保つため』と言い、それはそれは厳重にたくさんの鍵をかけて管理している。
水の管理をいい加減にすることは、このタコが伯父だというのなら、間違いなく怒りくるう状態になるだろうと私は考えていた。
伯父以外の存在であれば、住居が壊されたくらいにしか思わないであろう。
昔、私は彼の貴重な書物をなにがあっても読まないよう言われたのに、親や伯父に隠れてこっそり読んだことがあったのだ。
そのときの伯父の反応というと、それはもう地形が変わるほど暴れくるった。
あの時のことを思い出し、私は反射的にだろうか……冷や汗が首をつたう。
――このまま怒り暴れ出されては、家も消え去るかもしれない。そうなれば、たまったものではない。すぐに弁明せねば。
「申し訳ないとは思いましたが、オセルの住人が化けて侵入することが多く、伯父上かどうか確かめるために偽りました」
――口を挟ませる前に謝ってしまおう。
「あなたは紛れもなく伯父上だ。どうか、どうかお許しください」
私は慌てて口をはさめないほどの早口で、つらつらと心からの謝罪を述べた。
伯父にむかって、経験上で今までこれ以上は下げたことはないぞというくらい、とにかく深く……深く頭を下げた。
話には無関心にしかみえなかった少女がおりてきて、とがった何かが顔に軽くさわった。
ニコニコと笑いながら、二本の腕を天井に向けて少女は元気な声でいった。
「みーちゃんはやさしーから、ぜったいおこったりしないのだよー」
その手には墨とペンが握られている。
その光景に伯父の怒った表情は緩んでいく。
さらに、伯父は気持ちを切り替えようと深く息を吐いて、こちらの顔をジ~ッとのぞきこむ。
私は伯父の表情の変化を緊張したままの顔でおそるおそるうかがってみる。
伯父のつり上がった目や表情はみるみるうちに柔らかさを取り戻していった。
「ほう、なかなかよく描けたな」
ポツリと呟き、目尻を下げて喜ぶ伯父に、見た目以外の部分も丸くなったとホッとする。
「わあい!ほめられたのだー」
クルクル宙で回転しながら、飛び回る少女。
バリーン
少女が動くたびに何かが砕け散る音を立てる。
この部屋は私の秘密の宝部屋なのだ。
何か顔に描かれたようだが、そんなことよりも後ろの被害のほうが気になる。
――いや、早くケリをつけないと、この部屋の存在もバレてしまう。
振りかえって確認もできず、これ以上悪いことが起こらぬよう願い続けた。
焦りを感じたが、かつての私が怖くて仕方なかった父でさえ『弟は恐ろしい』と言っていた。
その頃の伯父と、今目の前にいる存在は別人のようにしか感じることができなかった。
「わしだと証明されたなら、ここに住んだとて問題ないだろうか?」
色々な驚きが重なり重なり、頭は先ほどよりもさらに混乱し始めている。
先に進めたい思考は1㎜たりと動かす余裕もなく、身体が震える。
声も上手く出すことができない。
私はこくりこくりとうなずいて、和解の握手を求めようとあせりを見せないよう手をさし出す。
私は知的かつ理性的な神だ。今までこれほど混乱したことはない。
はやく決着をつけて、一刻も早くこの部屋からこの二人を追い出してしまいたいところだが、伯父の怒りもどうにか避けたい。
穏便にことを運ぶことだけに重点をおいて考えてから、慎重に言葉を選ぶ。
「また、相談役を引き受けてくださいますか?」
伯父だとすれば、創世前を知る貴重な人材。その知識はこの世界でも貴重なものだ。
――これでいい。……これで。
握手をしようと差し出した手は浮いたままになっている。
――落ち着くのだ。
ガシャーン
後ろで、音のする角度と音の質から考える。
――あの音は、私が大事にしていた妻との思い出がつまった陶器の割れる音だ!
背中に汗が伝うのがわかる。割れた何かを確認するのが怖かった。
みっともないが、涙が出そうだ。
平静を装っていたが、おそらく苦笑いに顔が引きつっているのだろう。
伯父は私の顔を凝視している。
「お前とわしの仲だ。相談に応じる程度は造作無い……だが、あいにく差し出すための手を持ち合わせておらんのだ」
今はタコのような姿に見えるものの、確かに今の伯父には体らしきものがなくなっていた。
よく見るとタコではなく伯父は首だけの存在になってしまっているのが確認できた。
「ジェラのやつらめ、ヘーニルのやつがあまりにも優柔不断すぎて『約束を違えた』とわしの話も聞かずに斬りかかりおった」
しばらく、伯父ミーミルの小言は続いた。
「しかし、和睦は継続といたしましょう。伯父上は首だけの姿になられましたが、アンスル側としては結果の出ない戦乱は望みません」
伯父は何か言いたげだが、私は間髪入れずあえて話を続けた。
「最近ではオシラの動向も不穏、我々は手を結んでいる形をとるのが良いでしょう」
私の舌は自分の心臓の音とシンクロするようにいつもよりもはやいテンポで言葉を刻んていた。
伯父は苦そうな顔をしている。
「……うぬの言う通りじゃ」
返答の前に、少しだけあった間に不安になる。
――納得のいかない部分があったのか!?
「しかし、少しまだお怒りではありませんか?」
私がしつこかったからか、その問いにプイッと横を向いてしまうミーミル。
「し・つ・こ・い」
これは怒らせてしまったか? と私はとにかく不安で仕方がない。
私たちの間に遊びまわっていた少女が降りてきて、ニッと笑ってみせる。
「みーちゃんはしつこいのはきらいなのだ~。ハガルもしつこいのはきらいなのだ~」
少女は私たちの話を聞いて、場を和ませたかったのかそう言った。
部屋の中を自由にしていたのだが、私の足元まできて楽しそうに両手をあげている。
子供特有の気遣いなのだろうか……私のこわばった顔は自然と緩む。
心配そうにしているように見えたので、私は少女と目線を合わせるためしゃがんで言った。
「申し訳ない。ハガル殿」
「はがるどの? ハガルはハガルなのだよ?」
不思議そうに首をかしげている少女。
「ハガルという一人称をお主……ハガル(?)が自分で話していたから、てっきり、お主の名前かと思ったのだが……その……」
なれない子どもを相手にして、私がもたついているのを見かねたのか、ミーミルが私の方にくるりと向き直って口を開いた。
「そう言えば、紹介をしておらなんだな。アンスールよ。それはハガル。おそらく巨人の子と思うが面白い術を使う。いずれ、役立つであろう」
「ドヤ顔でそう言われましても、その面白い術以前にこの惨状……希少な書物は落書きで見るも無残。私には役に立つより被害の方が大きいかと」
「大丈夫。問題ない」
伯父はニヤリと笑って見せる。
「問題ない……? 気に入っていたツボは割れてしまっているし、さぞかし私の顔は面白い形相にされているのでは?」
私の言葉に何かを思い出したのか、顔をチラリと見て目をそらし、もう一度チラリと見る伯父。
「……ップ。もんだいない……」
――絶対に何かが起こっておる!? しかも、二度見しなかったか!?
タコの肩……いや、頭(?)は、笑いを殺すためか震えていた。
「そんなに、傑作なのですか?」
普段から真面目なイメージがある伯父が笑うとは、相当な顔になっているのであろう。
私は笑いが少し落ちつくのを待った。
「んっ……ん……ん~!?」
変な声を出しながら、伯父は笑いを噛み殺しているようだ。
笑いで震える体を制止させ、一度深呼吸をしてからハガルに声をかける。
いっそのこと『爆笑してくれた方が気が楽』なのに……と私は感じていた。
「ハガルよ、わしがこやつに絞られぬよう、元に戻してやってくれ」
――いや、伯父を絞るなんてとんでもない。天地がひっくり返っても無理だ。
私はそんなことを考えて、複雑な思いを殺そうと小刻みに首や肩を横に揺すった。
ハガルはミーミルの言葉を聞いて、本棚の上にちょこんと腰をかけ、小さく敬礼してみせた。
「あいあいさー」
待ってましたと言わんばかりに、満面の笑みを浮かべたハガルは木の枝をタクトのように振り出した。
まずは割れたツボや破れた本も……私が知っていたかつての姿に戻っていく。
「おおっ……」
その光景に自然と声が漏れる。
そして、次は物が乱雑にちらかっていたはずなのに、まるで定位置がわかっているように吸い込まれるように勝手に戻されていく。
「なるほど、これがその術ということですか」
「すごかろう?」
伯父は鼻息も荒く、私に賛美を求める。
「えぇ……しかし、この様なことができるのであれば、……その、伯父上の体のほうも元に戻ったのではないでしょうか?」
沈黙がひろがった。
――私は聞いてはいけないことを聞いたか?
ハガルの術が自分の手柄を喜ぶような誇らしげにしていた顔が、一気にくもる。
「それがのぅ、本体が行方知れずでの~ぅ。斬り落とされた痛みと衝撃でしばらく記憶がなく、どうしようもなかったのだ」
――首が本体とか言うと、なんだか生々しい。
とても苦々しい顔をする伯父の気持ちがわかるとまでは言えないが、納得はした。
「しかし、手もないのでは生活も難しいでしょう。フェオに何かないか頼んでおきますよ」
「おお、確かに! フェオであれば……まぁ、少し嫌な予感はするが……」
ミーミルもフェオには散々な目に遭わされているらしく、苦々しい顔をしている。
「……頼めば手や知恵くらいならどうにかしてくれるかも知れんな」
提案したものの不安はある。
フェオとはここアンスルガルドとオセルヘイムの境界付近に住む、少し変わった研究を趣味というか生業にしている学者である。
時々、変なアイテムを自作しては女神たちの退屈しのぎに事件を起こしてくれる面白い女だ。
こういった依頼をすると、喜んで何かしら解決策を見つけてくれる人物ではある。
私の住むアンスルガルドはこの二人の訪問を機に少しずつ、変わりつつあった。
予言では、この世界を真の姿へと導くといわれているラグナロク。
今思えば、この2人との出会いはラグナロクへの予兆の一つだったのかもしれない。
はじめまして、路十架と申します。
最後まで目を通していただき、ありがとうございますm(_ _)m
北欧神話とルーンを題材にルーンの持つ意味や魅力をたくさんの人に知ってもらえたらと思ってい執筆しております。
この物語が終わった時、すべてのルーンがたくさんの方に助言を与えてくれるようになっていればいいなと思う次第です。
占いが好きな方、そうでない方にも楽しいファンタジーをお届けできれば幸いです。