肝
「リリィ、そろそろ目覚めてくれないかい?」
ぃやぁょ。私は猫だもの。まだ寝たいの。
「私の可愛い子猫ちゃんはまだおねむなのだね。……まあ、その分夜は楽しめるか」
ん? 夜楽しめるって、何かしら?
「桃色の夜、楽しみだ」
桃色の夜?
「馬車で出来なかった……破廉恥なこと。まさに桃色の夜。楽しみだね、リリィ」
もわもわもわと頭に浮かぶ破廉恥なことに、一気に覚醒しました。
「旦那様!」
「やっと起きた」
旦那様はプップッと笑いました。私、ひっかけられましたの?
「桃色の夜の前に、夕食なのだよ」
「旦那様、失礼します。奥様はまず目覚めのお茶をお飲みいただかないと」
「ああ、そうだったね」
ダメ、頭がついていかないわ。そう、まずは目覚めのお茶を飲まないといけないわ。
「ジンジャー茶にございます」
まあ、ジンジャーは久しぶり。フゥフゥ、フゥフゥ……なぜかしら、隣から熱視線を感じます。フゥフゥ、フゥフゥ……
「旦那様、冷めましたわ。どうぞ」
ぱぁっと笑顔が弾けるって、こういう顔なのね。旦那様ったら、すごく嬉しそう。
「ありがとう、リリィ」
「どういたしまして、コクト様」
愛しい人の名を呼ぶことは、とても幸せなことですわ。
***
「本日の夕食は、三毛猫の間でございます」
ロビーに降りると、オーナーが人間姿で待っておりました。どうしても、頭に目がいってしまいます。生え際を見たい欲求にかられるのですわ。だって、本当にネズミにかじられたのかしらって。
『こら、リリィ』
旦那様がペチンと額を叩きました。思わず、口が尖ります。その口を摘ままれました。
「あんまりにも美味しそうな口だから、摘まんで食べてみたくなったじゃないか。私の奥さんは全身が美味しそうだ。……いや、きっと美味しい」
旦那様の瞳が、怪しく光っております。獲物を狙うような、野生的な瞳が。少し怖い、でも惹かれてしまう、そんな瞳です。
「すぐに食べたりはしないから。ゆっくり私に慣れていっておくれ。怖さもなくなったらね」
旦那様は白い歯をキラリと輝かせ、ウィンクいたしました。キザですね。暑っ苦しいのに、うざったく思っていたのに、今はとてもその旦那様に安心します。
「どうぞ、皆様のお席はこちらで決めさせていただきました」
三毛猫の間が開かれました。三毛猫柄のエプソンをつけた給仕が席に案内してくれました。旦那様と私は並んだ席です。椅子の間隔がほぼないほどのみっちり感です。
シシーやフェイン国の侍女ら、従者らも同じテーブルにつきました。
「皆一緒に食べるんだ。この『肝屋敷』のルールだからね」
シシーと同じテーブルなんて嬉しいわ。こんな風に皆で席につくのってはじめてですもの。
ーーガラゴロガラゴローー
オーナーがワゴンを押して入ってきました。
「皆様、お待たせいたしました。『肝試し』のはじまりにございます」
ワゴンの上には丸皿カバー(ドームカバー)の付いた料理が並べられています。前菜なのに、カバーっておかしいわね。
「まずは、コクト様お選びください」
「いや、最初に選ぶのは私の奥さんだ。新婚旅行なのだしね」
旦那様はニッコリ笑いました。笑みを返しますが、選ぶとはどういうことでございましょう?
「奥さん、料理は全て違うのだよ。だから、カバーをして選んでもらうのだ。……もちろんこれは『肝試し』、中はお楽しみにってことさ」
あら、面白いシステムね。なるほど『肝試し』とはお料理を見ずに選ぶことを言うのだわ。うふふ、さあどれにしようかしら。
「では、これを」
オーナーの指示で給仕係りが料理をテーブルに置いてくれました。けれど、カバーが開かれません。
「皆が選んだ後で、自分で開けるんだ。もう少し待っていて奥さん」
次に旦那様が選びました。次々に皆が選んでいきますわ。うきうきわくわくします。どんな料理が入っているのでしょう。それにカバーを自分で開けるなんてはじめてですわ。
「皆様、ではカバーをお開けください」
カバーの摘まみを持ってカパリと持ち上げました。リリィ、私リリィ、カバーを自分で開けましたわ! 色鮮やかな前菜が眩しい。カバーはいつのまにか給仕が持ってくれていました。
「旦那様! 私の前菜はハートです」
パプリカがハートで型どりされています。なんて、なんて、可愛いの。
「私の前菜は猫ちゃんだ」
旦那様のお皿を見ます。ああなんてこと、ムースが白猫だわ。お皿に食材で絵が描かれているなんて。
「奥さん、一緒に食べよう。二人で二人のお皿でいいのだ。新婚の特権なのだから、はしたなくはないさ」
私ったら、物欲しそうに見てしまっていたのね。恥ずかしいし、はしたないわ。けれど、旦那様が私のお皿のハートを先にすくってくれました。
「美味しいな。ほら、奥さんも」
うふふ、いいことを思いつきましたわ。ハートをすくって、旦那様の口元に持っていきます。
「ぁーんですわ、旦那様」
「クハッ、あーんとは! 私の待ち望んだ妄想と一緒ではないか。なんと夢のようなのだろう」
旦那様ったら、心の声を出しすぎですわ。パクンと食べた旦那様のお顔は、とても幸せそう。
「さあ、奥さんも。ほら、あーんして」
ハゥッ、なんてこと。私もあーんですの? 私リリィ夢にまで見た……激甘ラブシチュエーション。クラクラしちゃう。旦那様に開けた口を見せる羞恥と、旦那様の照焼甘顔に、私リリィ今にも気絶しそうです。
「ぁん……おいしゅうございます」
なんとか食べました。なんとか言えました。ふぅ、大仕事でしたわ。
「奥さん、付いてるよ」
旦那様がそう言って、指を唇の端に触れました。
「ほら、ムース」
指に付いたムースをペロンと食べました。それだけでものぼせそうですのに、旦那様ったら……お顔が近づいて、私の唇の端をペロンとなめました。
「まだ、付いていたからね」
離れた顔はイタズラに笑っております。
「付いてなどいませんでしたでしょ?!」
きっと私の顔は真っ赤でしょう。こんなはしたない食事、許されないのに、のに……楽しい。ずっと憧れていた食事ですもの。皆と席について、愛する人と笑顔で食べる。今まで、一度もなかった優しく楽しい時間。こんなに幸せでいいのかしら?
「リリィ、なぜ泣いているんだい?」
旦那様は困ったような顔を向けました。泣いている? 目元を指でなぞります。濡れる指先を見ますの。自然と笑みがもれます。
「だって、嬉しくって。嬉しくて……ずっと、一人の食事でしたから」
ぽすんと旦那様の胸に引き寄せられました。旦那様が私を抱きしめています。私、つい口が滑ってしまったわ。レネスでは、私は価値のない下位の姫でしたから。誇れたのは白百合のような白さだけ。あぶれた貴族たちの自尊心を満たすだけの、夜会の華ですから。夜会以外はいつだって独りぼっち……第三姫なんて誰も見向きもしなかったもの。
「リリィ、これからはずっと私と一緒だ。私はリリィと離れはしないよ。皆もリリィを一人にはしないよ」
ずっと欲しかった言葉。ずっと憧れていた生活。また涙が溢れてきました。
「リリィ、今日の食事はずっとこうして二人で食べようか。オーナー椅子を」
背後にオーナーが回り、少しだけ離れていた椅子をくっつくように動かしてくれました。旦那様は私の腰に手を回します。椅子のようにくっついて旦那様に寄り添います。旦那様の温もりに身を委ねました。私の特権ですもの、この場所は。はしたなくでも、ここにいたいのですもの。
「リリィ、ほら笑顔になって。一緒に可愛い料理を食べよう。っと、さて前菜の当たりは誰がひいたのかな?」
旦那様がテーブルを見渡します。私もそれを追いましたわ。そして、おかしな光景を目にしました。一人だけ、丸皿カバーが外れておりません。
「シシー?」
シシーの前菜だけカバーがしてあります。シシーは瞳が潤んでおりますわ。私と旦那様のやりとりのせいね。ううん、私のせいね。
「おや、シシーかい? オーナー、では別ルームに」
オーナーがささっとシシーに近寄り、こそっと何か囁きました。シシーは立ちあがり、一礼して出ていきます。カバーをしたお皿を持って。
「当たりはコッソリ食べるのだよ。さあ、次に当たりをひくのは誰かな?」
当たりが気になる!
「あの、当たりって……最高級の料理ですの?」
「ああ、ある意味最高級だ」
「まあ! でしたら、私も当たりを選びたいわ」
「奥さん、当たりはね、『肝』なのだよ」
旦那様はニヤリと笑いました。音もなく横に立ったオーナーがボソッと……
「新鮮な肝料理です。ゲテモノの……フフッ」
ひぃっ、なんてこと! まさに『肝試し』ね。旦那様の腕を掴みます。
「だ、旦那様……ぉ願ぃ」
「ああ、わかっているよ。選んでしまったら仕方がない。目隠しして食べればいいさ。もちろん、私が食べさせてあげるよ」
まさかの目隠しプレイ。旦那様、リリィ恥ずかしいぃ……ちっがぁーう!
「一緒に食べてくださるって言ったじゃないですかぁ」
旦那様の意地悪ぅ。エイエイと胸を叩きます。旦那様はアハハと笑い私の手首を捕獲しました。
「ああ、そうだね。ゲテモノと言っても大陸の珍味。最高級といっても過言ではない美味しさなのだ。ただ、見た目がね……」
そのときです。パタンと扉が開く音がして視線をそちらへ移しました。驚愕です。シシーが、あのシシーが泣いています。口元をおさえ、むせび泣いています。もう、私ガクブルですわ。と、お思い? いいえ、私は知っています。あれは、シシーの嬉し泣きだということを。だって、シシーは肝料理が好きなのですから。
「シシーがご帰還だ。オーナー、次の料理を!」
***
「おいしゅうございました」
シシーは満足げにお腹をさすっています。あの後、全ての当たりをひいたシシーに、皆が目を丸くしてました。シシーは鼻も利きますから、もくろみ通り肝料理を選んだのでしょう。
「良かったわね、シシー」
二人で笑いあいました。こんなに楽しかった夕食は本当にはじめて。
「シシー、またミャンミャンの町に来ましょうね」
シシーは『かしこまりました』と言いながら、うっすら涙の膜をはっていました。その涙が、肝料理への期待でなく、私の幸せを思ってのことだと信じていますわ。
「新鮮な肝……グヘヘ」
頭を下げたシシーから、魔女如き声が聞こえましたが、聞こえなかったことにしておきましょう。