アイテム
「選んで」
……これはいったいどういうことでしょう。ずらりと並んだアイテムは、黒から白まで色とりどりありますし、形も様々です。ですが、なぜでしょう。これを選ぶ理由がわかりません。
「私はこれにしよう」
旦那様は黒のそれを……装着されました。
「奥さんは、エプロンとお揃いの色がいいよ。形はこれかな」
旦那様によって装着されてしまいました。ふわふわの可愛らしい……ピンクの猫耳を。
「シシー、例の物を」
シシーはささっとやって来まして、私にこれまたささっと、例の新妻の必須アイテム壱の巻『ピンクのエプロン』を着けていきました。そのシシーの装着猫耳は、ピンとたった茶色の猫耳です。もしやと思い振り返りました。皆が、皆が! 猫耳を着けています。
「私は蝶ネクタイだ。さ、皆も何か着けなさい」
皆が猫耳以外に小物を着けはじめました。シシーはポシェットです。猫耳と同じ茶色のポシェット。
「ミャンミャンの町は、猫耳と小物を着けないと入場できない仕組みなのだよ」
黒猫の旦那様が教えてくださいました。私の勉強不足でしょうか、そんな町があるなんて知りませんでした。フェイン国のことをあんなに勉強したのに、知らないことばかりですわ。
「皆準備はできたようだな。さあ、行こう」
従者が入場門の扉を三回叩きました。扉の小窓が開いて私たちを確認する者がおります。
「緑の耳は門番だよ。他に町の保安も緑の耳。困ったら緑の耳に訊けばいい仕組みさ」
旦那様が小声で教えてくださいました。何でしょう、わくわくしています。門がキィーっと開きました。
「まあ!」
「奥さん、気に入ってくれた?」
「うふふ、ええとても」
町は皆が猫耳です。町の建物は全てがお伽の国のような可愛らしさです。なんだか、まるで夢のよう。
「町をうろうろしよう。入りたい店があったら言っておくれ」
黒猫旦那様と腕を組んで歩きます。皆が、猫ちゃんです。うふふ、あの厳つい兵士も顔を真っ赤にして白耳を着けています。幼い主様の付き添いなのでしょうね。強面の者も猫耳を着ければ威厳もありませんわ。まあ! あのご年配のご夫婦はお揃いの猫耳です。二人仲良く肩寄せあいながら歩く姿の微笑ましいこと。
「奥さん、そろそろ私にも気にかけておくれ」
優しく声をかけられました。ちらりと見上げると、やっぱり白い歯をキラリとさせた旦那様の笑顔です。はじめて見たときはうざったかったのに、どうしてかしら? 今はうふっと笑ってしまうのですわ。
「奥さん、ここに入らないかい?」
旦那様に促されたのは、ラブリーな小物入れのお店でした。
「旅の思い出を入れる小物入れを買おう。二人のはじめての旅行だしね。二人で拾う海岸の貝がらとか、散歩した道にあった小石とか?」
うふふ、貝がらはいいですが、小石って……旦那様ったら可笑しな人ですわ。ですが、小物入れは良いお考えね。旅の思い出かぁ……楽しみです。
「ええ、旦那様。私、これがいいですわ」
「奇遇だね。私もそれがいいと思っていたよ」
二人で小物入れを取りました。蓋には黒猫と桃色猫が寄り添った絵が描かれています。周りは星が煌めく柄です。猫ちゃん二匹が月を眺めているのです。
「奥さん、今宵は私と月を眺めてくれますか?」
「ええ、よろこんで」
町を堪能しました。堪能した証しに、背後の従者たちは手一杯に荷物を持っています。これ以上の買い物は無理でしょう。
「奥さん、次はあの店に行こう」
背後から小さく悲鳴が上がりました。
「旦那様ぁ、私……足が疲れました。ぉ休みしたいな?」
甘ったるく言いますの。もちろん、小首を傾げます。
「なんと、奥さん!」
「きゃあ」
ばっと横抱きにされてしまいました。早技です。
「言ったでしょ、これは特権だとね。ではそろそろ宿に向かおうか」
ああ、恥ずかしい。いくらこの町が特殊でも、横抱きにされるご婦人は町にはいませんわ。時おり、『ピュー』と口笛が吹かれます。ますます恥ずかしいのです。旦那様の厚い胸板に顔を埋めます。
「リリィ、恥ずかしがりやさんだね」
「……ここは私の特権ですから」
そう、ここは私だけが許される場所。旦那様の胸板は私の特権ですもの。
***
おどろおどろしい。狼男、吸血鬼、魔女……そんな者が住んでいそうな外観の屋敷です。旦那様、ご冗談ですわよね? こんな怖い屋敷が宿なのですか?
ーーミャーゴーー
黒猫が前を横切ります。もちろん、本物の黒猫です。
「出迎えかい?」
旦那様は黒猫に着いていきます。
「あの、旦那様。確認ですが、目前のおどろおどろしい屋敷に泊まるわけではないですよね?」
「ん? 何か言ったかな奥さん」
しっかり聞こえているはずなのに、何なのです、その返しは。じとーっと旦那様を睨みます。
「今夜の宿は『肝屋敷』と言ってね、まあなんだ……肝だめし屋敷なのだよ」
私、旦那様の胸板をエイエイと叩きます。旅行の最初の宿なのですよ。思い出の宿になるはずですのに、『肝屋敷』などとは。
「バカバカバカァ。はじめての旅行の宿ですのに。うっうっ」
感情が高まって涙が出てきました。
「リリィ、泣かないで」
まただわ。名を呼ぶなんて……。いつもそうなのだから。コクト様はいつもそう。その声に迷いがないのは、婚姻式のときもそうだったし、その後もそうだったもの。
「私のイチオシの宿なのだよ。……豪華で華やかさな屋敷には、リリィも私も慣れているだろう? ここは面白いのだ。私はここでリリィと笑顔で過ごしたい」
確かに豪華で華やかさなものには慣れていますわ。ええ、私ったらおバカさんでしたわ。グズグズと鼻を鳴らしながら、えへへと自然に笑ってしまいました。
「おどろおどろしくて、面白いのですか?」
「ああ、そうだよ。私の可愛い桃色子猫ちゃん、機嫌がなおって良かった。見た目はこれだが、中はファンシーなんだよ。さあ、入り口に着いた。立てるかい? それとも中までこのままがいいかい?」
唇を尖らせましたわ。桃色子猫ちゃんですが、私も淑女ですのよ。大人の女です! 旦那様は私を子供のように扱うのですもの。
「立てますわ!」
「奥さん、ちょっと待って」
降りようとした体を旦那様がグッと引き寄せます。なぜ? と旦那様を見たらニッコリ笑っております。
「ご褒美のチュッはないの、奥さん?」
まあ! もう旦那様ったら。うふふ……
「もぉっ、目を閉じてくださいまし」
旦那様は嬉しそうに目を閉じました。照焼肌の旦那様の頬にチュッとしましたわ。
「まだ頂戴」
まあ、おねだりのおかわりとは、旦那様ったら……うふふ……もう片方にチュッ。
「ありがとう奥さん。では私もご褒美を」
「ぁ……」
旦那様の唇に囚われた私の小さな吐息。今までよりも長い口づけ。また、涙が出てしまう。離れた先の旦那様が、頬に流れた一筋にもう一度唇を這わせます。顔が心が熱を出す。
「恥ずかしぃ。皆が、見ていますのに」
「やっぱり、恥ずかしがりやさんだね」
***
「いらっしゃいませ」
屋敷の入り口に立っているのは、宿の方でしょう。ですが、何かおかしいのです。普通の人間なのです。おかしいでしょ?
『ああ、リリィ。気づいたかい? 彼はここのオーナーでね。そう、三年前だ……彼はネズミに耳をかじられてね。猫耳を失ったのだよ』
旦那様は、耳元で教えてくださいました。ですが、……はい? 猫耳はまた新しいのを着ければいいではないですか。
「あの、新しぃ……」
チュッと口を塞がれました。旦那様はそのまままた口を耳元に寄せます。
『彼は本物なのだよ。彼は猫人族でね、本物の耳があったのだ。いいかい、奥さんこれは秘密のことだよ。決して彼の前で猫耳のことを口に出してはいけないよ。口に出したが最後……この屋敷に閉じ込められてしまうんだ』
ガクブルにございます。さすが『肝屋敷』にございますね。……って、騙されませんことよ! 旦那様ったら、私を怖がらせようとなさっているのね。そして、怖がる私が『行かないで、旦那様ぁ。離さないで、旦那様ぁ』そうねだるのを楽しもうという魂胆でしょう。いいわ、のってあげます。旦那様の体にピッタリ寄り添います。け、決して怖いわけではありませんけれど!
「本日の肝は新鮮にございますなあ」
耳に届いた声は、あのオーナーのもの。こ、怖いぃ! 旦那様の腕をぎゅっと掴みます。
「どうぞ、お入りくださいませ」
ーーギィギィギィィィーー
扉が嫌な音を出して開きました。
「まあ! なんて可愛らしいの!」
全てが猫ちゃんです。ロビーはガラスの猫ちゃんがずらりと並んでおります。壁紙はお眠り子猫柄です。飾られた画は、あらゆる愛くるしい猫ちゃんたち。椅子もテーブルにもどこもかしこも、猫ちゃんグッズが飾られております。
「ありがとう、旦那様」
旦那様の腕をぎゅっとしました。今度は嬉しくてです。見上げた旦那様のお顔が、私をまた幸せにします。穏やかで、愛おしそうに私を見つめていますから。
「お部屋にご案内いたします。ご所望は白猫の間でお間違えありませんでしょうか?」
「ああ。部屋係はいらない。シシーが良いのだろ、リリィは」
私の頭をポンポンと撫でてくれました。ええ、私はシシー以外はダメなのです。
「旦那様、弐の巻は必要でありましょうか?」
シシー、久しぶりの登場だというのに、いきなりの爆弾を落としましたね。私、キッと睨みます。シシーはカッと目を見開きます。そう、まるで威嚇する猫のように。お見事だわ、シシー。
「それは、南方に行ってからだ。伍の巻を頼む」
「かしこまりました」
何でしょう、伍の巻って。口元がヒクヒクしてしまいます。
「あの、旦那様?」
「楽しみにしておいて。さあ、部屋で夕食までゆっくりしよう」
誤魔化された感があります。いい、リリィ聞きなさい。雰囲気に流されないように気をつけるのよ。私自身に語りかけましたわ。この旦那様とあのシシーという巨頭に、私は負けませんことよ!
「白猫の間でございます。どうぞ、おくつろぎください」
「もふもふ」
思わず声が漏れてしまったわ。部屋中、白いもふもふですの。もふもふ絨毯に足を踏み入れました。
「はぁん」
なんて柔らかな毛並みの絨毯なのでしょう。足首を包み込む柔らかさ、もうそれだけで腰を落としそうになります。この絨毯に座ってみたい欲求にかられてしまいました。
「奥さん、この部屋では靴を脱ぐのだよ」
旦那様はすでに靴を脱いでおられます。ですが、ベッドの上以外で靴を脱ぐなんて、明るい中で旦那様に素足を見られるなんて、恥ずかしいわ。
「私たちは猫なのだよ。猫は靴を履いていないものだからね」
旦那様はそう言って、私の前で膝を着き私のドレスの中に手を入れました。靴を脱がされてしまいました。素足がもふもふの中に埋まります。
「はぁん」
なんて心地よさなの。
「奥さん、猫はゴロンと横にもなれるのだ」
旦那様は私の手をひき、部屋の中央に敷かれているふわふわマットに誘います。繋いだ手のまま、旦那様はマットに横になりました。もちろん、私を抱えています。もふもふとふわふわと、旦那様の胸板と……なんと至福の時でしょう。
「リリィ、夕食まで猫寝しよう。私たちは猫なのだから」
ふふぁあん。欠伸が出てしまいました。まぶたが重いですわ……
「おやすみ、リリィ」
優しい声に誘われ、リリィ桃色猫は意識を手放しましたの。