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肉感

 ひいぃっ。今何とおっしゃりましたの? ハクト様はわかっていらっしゃるのかしら……私が膝を深く折って、やっと同じ視線でありますのに。面を上げちゃっていいのですか?


 その前にハクト様を再度瞳に映すのは危険ですわ! きっと、きっと、私リリィ笑ってしまいますもの。淑女の一大事、さあどうするのリリィ?


 ……何もいい案が浮かびませんわ。私リリィ、もう運命に抗うことは止めます。屍は拾ってね、シシー。淑女たる所作でスッと立ち、頭を上げる。本来殿方のご尊顔が存在するであろう場所に視線が上がる。


「フェイン国の天井は綺麗でございますね」


 面を上げて見えたのは、立派な天井ですもの。お部屋と同じで、フェイン国の紋章がキラキラ光っておりますわ。


「そうであろう。城の天井は全て金の紋章で設えてあるのだぞ」


 つい癖で、声の方に視線を移してしまいましたわ。ええ、面を下げましってよ。見てしまった……見てはいけないものを。


 ハクト様のご尊顔は天井を向いていらっしゃるわ。その頭を従僕が支えておりますのよ。それだけならまだしも、ハクト様の足首をしかと持つ従僕もおりますの。これは、何かの喜劇でございましょうか?


「ぅっ、ふ……はっ」


 ダメよリリィ、しっかりなさい! 腹筋死して屍になろうとも、笑うことせず! 淑女の命を遂行いたしますわ。後ろに手を伸ばす。きっとシシーなら気づいてくれますから。バシッと手に渡ったのは扇子。素早く開き、顔を隠します。


「とても、す、すばらし、くっ……クックッ。私、感動して、おりぃヒッヒっ、ますの」


 扇子で顔を隠し、耐えきりました。迫真の演技でしたわ。感動に声震わす感じですものね、皆からは称賛されることでしょう。決して、決して、見破られてなどおりませんことよ。


「私の奥さんは、なんと感動やさんなのだろう! 兄上、私は素晴らしい奥さんを貰って幸せです」


 ほらね。さすがコクト様ですわ。私の演技にイチコロよ。


「ふんっ、この素晴らしいフェイン国に嫁いでこれたのだ、幸せなはずであろう」


「兄上からお祝いの言葉をいただけるとは、ありがたき幸せ! では兄上、父上母上が待っておりますので失礼します」


 やっと、やっと、ここから脱出できるのね。ぼんぼん嫌み小デブ王子とはおさらばよ。あら、嫌だ私ったら思わず本音が……


 コクト様は私の腰に腕を回し、促してくれましたわ。その足が少し早足なのはどうしてかしら?


「私の奥さん……」


 廊下の角を曲がるとコクト様が耳元で囁かれた。まだ私の口元を隠している扇子の手を覆い「面を上げよ」と囁いたの。耳が熱い……ちらりと見上げる。


「ぁ……」


 掠れるように触れた唇。


「良かった。気絶しないで」


 悶絶。これ以外の言葉は思い浮かばなかったですわ。コクト様との扇子内の密事……なんと甘美なのでしょう。


「よく頑張ったね。さすが、私の奥さん。兄上と普通に会話ができるのは、父上母上と私ぐらいさ。振り返って見てごらん」


 コクト様に促されて後ろを振り向くと、床に屍が……


「まあ!」


 コクト様の従僕も、フェイン国の侍女たちも、シシーすら床に膝を着き悶絶しているなんて。私の悶絶とは違って、お腹が捩れているのね。声も出さず笑っているものね。皆、涙目だわ。


「皆、よく頑張った。特にシシー、君の扇子の早技は素晴らしかったぞ。皆も見習うように」


 シシーは何とか立ち上り、コクト様に頭を下げた。


「ありがたきお言葉にございます」


 私、いいことを思いついちゃった。


「苦しゅうない、面を上げよ」


 言っちゃった。床の屍たちはまた悶絶をはじめた。


「本日もリリィ様は、白百合のように美しくあられます」


 チッ、さすがシシーね。ですが、誇らしかったわ。だって、コクト様が小声で『素晴らしい』と呟いたんですもの。




***




「リリィ、ああリリィ、我が嫁よ」


 いきなり抱きしめられましたわ。とっても豊潤で芳醇で豊満な膨満な……肉感。私リリィ今から天に召されます。意識が遠退くわ……


「母上、私の奥さんを窒息死させる気ですか?」


「ふぁふぅ」


 く、苦死かった。あの肉感は凶器ね。なるほど、さすが姑様。大歓迎に見せかけて、これが所謂姑の嫁に対する先制攻撃とみたわ。ですが姑様残念ね。コクト様は私の味方ですってよ。


「私の奥さん、苦しかったろ? さあ私の息をもらってくれ」


 ひぃっ、何ですって!


「ま! 原因は私ですから私も」


 ぎゃっ、照焼と肉感が迫ってくるわ。


「これこれ、リリィが困っているではないか」


 助け船の王様の背後に逃げ込みましたわ。


「すまぬなリリィ。さあ、こちらに座って茶でも飲もう。お前たちも座りなさい」


 さすが王様ですわ。促されてテーブルに向かいましたけれど、これはどういうことかしら? 椅子が二脚しかありませんわ。


「さ、リリィ私舅の膝の上に」

「父上、全く油断も隙もない。奥さんは私夫の膝の上でしょう」


 は? へ? 何で膝の上ですのぉ?! 逞しい腕に引き寄せられ、ちょこんとコクト様の膝上に横抱き状態で座らされたわ。目をパチクリしていると、もう一脚の椅子に王様が座り、その膝上に王妃様がちょこんと……いえ、どっしりと座ったわ。耳にウグッと聴こえたことはスルーいたしましょう。王様のお姿がほとんど見えませんけれど、圧死しておりませんかしら?


 侍女たちは奇妙な座り方も気にもせず、お茶を準備していきますわ。フェイン国ではこれが普通ですの? シシー、シシーはどこかしら? フェイン国のお茶の作法をこっそり教えてもらいたいのに。


「あの、シシーはいる?」


 コクト様の膝上でシシーをさがす。


「ん? どうしたんだい、私の奥さん」


 近い近い近いぃ。そして、頬を滑る手が輪郭をなぞり……顎クイッ。


「よそ見しないでおくれ、私の奥さん」


 私気づきましたわ。今日のコクト様は『私の奥さん』ブームですのね。


「私の旦那様……あの……私、フェイン国のお茶の作法を知らないのですが、どうしたらいいのでしょう?」


 チラッと旦那様のお顔を見ると、旦那様は大きく目を見開いた。お茶の作法を知らないのがそんなに驚くことかしら?


「もう一度、もう一度言ってくれないか」


「はい?」


「ほら、さっきの『わ、私の……だ、だ、だ、旦那様!』だ」


 まあ、旦那様ったら照れてらっしゃるのね。


「私の旦那様、フェイン国のお茶の作法を教えていただきたいのですわ」


 ウフフ、旦那様ったら嬉しそう。旦那様の指が私の鼻をちょんとつつき、「あちらを見てごらん」と指先が動いた。動いた先には王様と王妃様。


「あなた、もうちょっと右よ。……ああ、違う違う。ちょっと戻って上げてくださる?」


 見せられているのは二人羽織り。いいえ、何も羽織っておりませんから、こういう場合は何と言うのかしら? 私の目には王様の震えた腕しか見えませんわ。右手にティーカップ、左手にソーサーですわね。カップが王妃様の口元やや右側に向かっていますわね。あ、惜しい。ちょっとずれてますが、王妃様のお口がカップに合わせてあげましたのね。


 ……って、普通に状況見学しちゃったじゃない。私リリィったら、何を冷静に見ているのよ。おかしい、オカシイ、可笑しすぎるわ。


「さ、私の奥さん」


 旦那様が満面の笑みでティーカップを持っているわ。まさか、まさか、あれを私にもやれと言いますのぉぉ?!


「だ、旦那様、私一人で飲めますってよ」


「私の奥さん……」


 ああぁぁ、そんな哀しげな瞳で見ないでくださいまし。


「旦那様、私が飲ませて差し上げたいのですわ」


 旦那様のカップに手を添えると、すんなり離してくれました。旦那様をちらりと見ると、わくわくした面持ちで待っております。可愛らしい方。


「私の奥さん、私は猫舌なのだよ。フゥフゥしてくれないか」


「ええ、わかりましたわ。フゥフゥ……フゥフゥ……ふふっ」


「こら、笑ったなリリィ」


「笑っておりませんわ。フゥフゥしただけですわ」


「この嘘つきの可愛い口をつついてやる」


「きゃ、うふふ」


「あはは」


 うふふ……あはは……うふふ……あはは……




***




「楽しいお茶会でしたわ」


 王様は政務に。王妃様は散歩に。旦那様は執務室に。私は、自室に戻りましたの。


「奥様、フェイン国の作法に親しんでおられましたね」


 そう言って、シシーは椅子を一脚持ち上げたわ。


「シシー、何をしているの?」


「椅子は一脚で宜しゅうございましょう。″旦那様″と″奥様″で一脚が、フェイン国の作法でございますから」


 え、ちょっと待って。……いえ、待つ前に思い出すのよ。そう、フェイン国のお茶の作法。そうよ、あまりに楽しかったから、気づかなかったわ。おかしい、オカシイ、可笑しすぎる!


「シシー! 私いつの間に……いちゃいちゃ二人だけの世界熱視線お茶会の仲間になっていたの?!」


 な、なんてこと。私、雰囲気に流されてしまったのだわ。私リリィ一生の不覚。フラフラとテーブルに手をつく。ストンと腰を下ろすと一脚だけになった椅子が迎えてくれましたわ。


「因みに、フェイン国の侍女たちに訊きましたが、お茶の作法はレネス国と同じだそうです」


「は? なんですって。じゃあ、あれは何だったの? シシーさっきフェイン国の作法と言ったじゃない」


「フェイン国王様と王妃様の習慣的作法なのでございましょう」


「シシー! さっさと椅子を戻しなさい!」


「申し訳ありません。先ほどの椅子はすでに引き取られていきました」


「引き取られたの? 戻してもらって」


「引き取った先ですが……」


「まさか……」


「王妃様の所でございます」


「ああぁぁ」


 テーブルに突っ伏しました。だって、もう戻らないとわかりましたもの。


「一週間に一脚の頻度だそうです」


 ああ、確かにあの使い方では……壊れてしまうわね。二人で座って一人はあの肉感。子猫脚の可憐な椅子には耐えられない重さですことよ。そう……子猫の上に豚が乗るようなもの。くっ、さすが姑様ですわね。子猫こと私リリィを尻に敷くが如くというわけね。


「つい先ほど、あちらの侍女長様が慌てていらっしゃいまして、椅子の控えが一脚もないとうちひしがれておられましたので、差し上げました」


 シシー、ええいいわ。いい仕事をしたわね。


「これで、王妃様の侍女もこちらの手の内ね。ふっ、ふっ、ふっはっはっは!」


 シシーがスッと扇子を渡してきたわ。さすがよ、シシー。口元に扇子をあてがい、高らかに笑いましたわ。


「見事な悪役嫁にございますね」


「なんですって!」


 扇子をぐいっとシシーに押し付けたわ。またシシーにのせられて、やってしまいました。


「シシー、貴女私で遊んでいるでしょう?」


 ほらね、明後日の方向に目を泳がせましたわ。わざとらしくね。まったく、油断も隙もありませんことよ。


「さあ、奥様。本日も旦那様をお迎えすべくご準備いたしましょう」


 やっぱりシシーには敵わないわ。

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