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白百合と真珠

「旦那様、起きてくださいまし」


 私の魅惑姿を部屋に入った瞬間見た旦那様は、アーチのような鼻血を出しながら倒れてしまいました。すぐに駆け寄り旦那様をうかがいます。


「シシー、白布を」


 シシーの持ってきた白布で旦那様の汚れてしまったお鼻を拭きます。


「奥様、頭を高くしませんと」


 シシーが旦那様の頭を持ち上げました。


「奥様、さあお膝を」


 パチクリと目を瞬かせます。膝をどうするのです?


「膝枕にございます。さあ、奥様お膝を。私シシー、腕がもちません。このままでは、頭をゴッツンと床に落としてしまうでしょう!」


 ササッと膝を滑り込ませました。旦那様の頭の重さを感じます。旦那様のお顔がニヘラァと緩んだような気がしました。一瞬でしたから、きっと見間違いですわね。ですが、おかしいですわ。旦那様の鼻血の勢いが増したような気が……


「シシー、すぐにお医者様を呼んできて」


「そうでございますねぇ。すぐにお医者様を呼びまして、可愛らしいルームドレスの奥様が、旦那様を診てとお医者様にお願いすれば、お医者様もイチコロでしょうねぇ。お医者様の目にルームドレスの奥様が記憶されますでしょうねぇ」


 ガバリと旦那様が起き上がりました。


「もうこの通り、大丈夫だ!」


 ボタボタと鼻血を流しながら旦那様はおっしゃいました。


「ですが、まだ血が……」


 旦那様はいきなり白布で、鼻を思いっきり拭いました。『フンッ』と鼻息をもらした後、白布をシシーに渡しました。ニカッと私に笑いかけます。


「止まった!」


 何が何やら。


「奥様、旦那様は鼻血上がり後にございますから、どうぞ膝枕で数刻診ていただければと思いますが」


 病み上がり後なら聞いたことがありますが、鼻血上がり後とは何ですの? それに旦那様とシシーは互いに親指をたてて頷いてます。ムカつきますわ。二人して楽しくしちゃって!


「シシーの方が良いなら、シシーに膝枕してもらってくださいませ! 二人して目で会話するほどの仲なのですから!」


 私、ここにはいられませんわ。扉に向かいます。


「リリィ!」


「いやっ!」


 旦那様の呼びかけを思いっきり拒んで、部屋を飛び出しました。




 どこともなく走って、たどり着いたのは『コクトの秘密部屋2』と札がかかった部屋の前ですの。


「ほら、秘密になんてなっていないわ」


 カチャリと扉を開けて部屋に入りました。


「……これは」


 部屋は一貫性のないものばかりで埋め尽くされています。幼い頃に集めたのでしょうか、樽一杯のどんぐり。その横に鎧甲冑、三体。これはきっと青年期でしょうね。それから、幾何学的オブジェ。芸術、もしくは哲学にでも目覚めたのでしょう。それから、連なるお面。不気味ですわね。そして、書庫。びっしりと薬草関係の本でうまっています。ええ、わかりますわ。おデブ解消痩せ薬の研究でしょう。……この部屋のひとつひとつが今までのコクト様なのでしょうね。


「可笑しな方ですわ」


 笑みがもれます。きっと、このお部屋を婚姻後すぐに見せられたら、私は恐怖で震えたはずです。ですが、私は笑っていますわ。だって、コクト様なのですから。どんなに奇天烈でも、そこには揺るがない優しさがあると知っているからですわ。


「……ばかね、私ったら」


 どうして逃げてきてしまったのでしょう? コクト様とシシーの息の合い方に、ムカついてしまったけれど、なぜそう思ったのかしら? シシーですのよ。可笑しなのは私ですわね。この出で立ちに、少々可笑しくなっていたのだわ。手近な椅子にポスンと腰を落としました。大きく息を吐き出して、心を落ち着かせます。


「あらまあ」


 机の上に開いた本が目に入りました。いえ、本がたくさん乱雑に置かれています。あやしげな絵やメモのノートもあります。それから、


「日記かしら?」


 幼い字の題名は、『どんぐり勇者コクトの大冒険』と書かれています。クスッと笑ってしまったわ。ペラペラと捲り読み、幼いコクト様を思い浮かべることができました。コクト様は本当に、真っ直ぐなお方ですわ。


「これは……四年前のかしら」


 日記は六年前から年で分けられているようです。四年前は、私がはじめて社交界に出た年ですわ。十五才の時ね。コクト様とは六つ違いですから、コクト様は二十一かしら? ペラペラと流し読みします。


「レネス?」


 その日の日記の題名は『レネス国』と記されています。思わず見いってしまいます。コクト様の字を一文字一文字追いかけます……




『レネス国』


【一日目】


 兄上に代わりレネス国に訪問。レネスとフェインは友好関係にはない。レネスは位制度を重んじる国である。フェインに位はあっても、それは国を統治するための役目名。貴族社会でないフェインと、レネスが友好になるには無理があるだろう。フェインは位を重んじるわけでなく、役目を重んじる国であるからだ。役目をいかに果たすかが重要であり、それに位がくっつくのだ。その上に王権はあるのだが、その任命が主な仕事となる。人を見る目が重要な仕事だ。


 本来兄上が訪問するはずであったレネスに、私が代わりに来たのにも意味がある。フェインと友好関係にある、いくつかの国からレネスの悪い噂を報告されたからだ。


『訪問者を足止めし、その本国から金をせしめている』


 王権社会であり、貴族社会であり、位制度を重んじる国の財政は、その見栄のため相当逼迫しているにも関わらず、華美な嗜好をまったくかんがみないらしい。財政は崩壊しているが、その華美な金遣いを止められないレネスは、訪問した王子や高位貴族らを長くひき止め、もてはやしながらの建前をもって人質のようにレネスに留まらせておくのだ。そして、滞在が長引き本国は焦りだし、長き滞在を詫びながら滞在工面金を出すそうなのだ。『貴国の優雅な暮らしは素晴らしく、長き滞在を謝罪する』との文と共に。この工面金によって人質は解放される。こうして、レネスは財政を補てんしているらしい。そんな噂を聞いた父上は、私を代役としてたてた。


 今回の訪問は断れるものではない。薬学者が一堂に会し、新しい開発薬を発表する会合がレネスの輪番で開催されるためだ。薬学者だけを出しても良いのだが、国ぐるみで優秀な学者を囲い込み帰国させなかったことが過去にあり、必ず国の中枢の者との訪問が主流となっている。故に私の出番である。レネスの実状を目にするのも、今後の国政の役にたつだろうと、父上は若輩の私を推してくれた。やりがいのある訪問だ。


【二日目】


 価値観の違いに驚かされた。主役であるはずの薬学者会議は、広間の端でこじんまりと開催されていた。脇役であるはずの交流が、主役のようの広間の中央で繰り広げられている。フェインでの開催時は、薬学者会議を中央にその周りを各国の訪問者が座り開発薬の情報を得る。互いの国の医術の交流を主としたものだ。そこに貴族や商人の身分、位などは関係なく、自国のため様々な者が熱く語らう場である。実際、フェインは少し離れた国から特別な薬草を仕入れるようになったのは、この会議の交流のおかげなのだ。


 しかし、このレネスはどうだろう。会議はそっちのけで、他国から訪問した王子や高位貴族の子を値踏みするような視線を強く感じる。主役は、レネスの娘らの嫁ぎ先を見つけることにあるようだ。


 驚きと落胆とを肌で感じた。そんな中でも、会議をきちんと聞き入る国の王子と意気投合することができた。レネスの隣国である『ヴェネト国』の王子だ。ヴェネトも貴族社会であるが、このレネスほどではなく、実力のある者は貴族でなくとも引き上げるらしい。誇らしげに語るヴェネトの王子は今年二十五になるそうで、姫でも令嬢でも取っ捕まえてこいと王に追い出されてレネスに来たと言う。第三王子である自分は、レネスではどうせ見向きもされないからと言って安心して出されたそうだ。レネスからは第一王子を所望されたらしいが、王は一蹴したと豪快に笑っていた。すでに第一王子は立太子され、正妃も決めれているという。それでもレネスは所望するほど、肌寒い野心のある国だと笑っている。良い友ができた。レネスで初の手応えかもしれない。


【三日目】


 会議での収穫と、ヴェネトの王子からの情報収集で有意義に過ごせた。ヴェネトとはこれから友好関係を築くことになるだろう。


 今から、夜会に出席しなければならない。気が重い。第二王子という肩書きは、ここレネスでは動きやすい方かもしれないが、それでも妙な視線を感じる時がある。それも王族にである。兄上にまだ妃候補がいないためであろう。幾度か話しかけられそうになったが、ヴェネトの王子や会議に集中することで避けてきた。しかし、夜会ではそうもいかないだろう。やはり、気が重い……


【四日目】


 昨晩の夜会が忘れられない。胸が熱くて痛くて苦しくて、しかしそれを手放せない。手放したくない。ヴェネトの王子は、私にそれは恋わずらいだと言った。そうなのだろうか?


 彼女の輝いた笑顔をもう一度見たいと思った。あんな能面のような顔で踊る彼女でなく、庭で盛大に転んだ後に『いくら私と踊りたいからって、私の足を捕らないで』と言い、草原の上で裸足になりくるくると楽しそうに回り踊っている彼女はとても輝いていた。王城の端までつい足をのばしてしまった私が見つけたのは、輝く真珠のような姫であった。有益な雑草はないかと、迷いこんだそこはレネス国第三姫の離宮であったのだ。


 心を躍動させ夜会に出たら、彼女は能面になって踊っていた。貴族らは、彼女を白百合のようだと例える。馬鹿な男どもめ、彼女は真珠姫だ。私はヴェネトの王子と歓談しながら、彼女を盗み見る。ヴェネトの王子から真珠姫のことが出た。隣国であるヴェネトは、レネスの内情も詳しい。


『ああやって、一番下位の姫に踊らせてから高位の姫がそれをかっさらうという、なんとも嫌な趣向だ。あの第三姫はいわば踏み台といったところさ。これだからレネスは嫌なんだ』


 王子は眉を寄せていた。もちろん、私もだ。彼女と踊る者が、彼女に気遣いをしていないのは明らかだった。彼女を誘おうと一歩踏み出したところで、ヴェネトの王子が肩を掴んだ。


『やめた方がいい。フェインは富の国だとレネスは知っている。君が彼女を誘えば、きっとレネスは君の兄上との繋ぎを得てしまう。レネスは財政は逼迫しているが、侮れない国だ。知恵のある古狸にやられてしまうぞ。もし、彼女を思うなら、抜け目ない策と準備をしてからだ。そこまでの気持ちが持てたならな。ここは私が行こう。私は無害だしね』


 ぎりりと歯がみし、きつく握り拳を作った。彼女が踊るのを遠目で見守るだけだ。心が何かを叫んでいる。だが、今は鎮まってくれ。ヴェネトの王子の言うように、抜け目ない策と準備、それと、この気持ちが一過性の正義感でないことを祈りながら。いや、すでに一過性のものでないとわかっている。


 恋わずらいではない。すでにわずらいを越して、突き進んでいるのだから。

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