渚
「じゃあな、マオ」
「ああ、またいつでも来てくれ」
旦那様と魔王様が挨拶を交わしてます。私は笑みを浮かべて旦那様に寄り添っていますの。固まった笑みですが。魔王にはまだ慣れませんわ。
「おっ、そうだ。蔦かごで渡ってはどうかな、奥方様」
魔王がいきなり私に話しかけてきましたわ。『奥方様』なんという甘美な響きでしょう。
「そうだな。リリィは怖がりだから、吊り橋も蔦渡りも腰がひけているのだよ」
旦那様の手が私の腰をさわさわしだしました。もちろん、つねりますわ。
「奥方様、私が蔦かごを編むから、それに乗って対岸まで渡れるがどうだろうか?」
魔王はとっても丁寧に言ってくれました。見た目に怖がっていましたが、魔王様はとっても優しいのね。
ーーシュルシュルシュルシュル……ーー
どこからか、蔦が伸びてきて私の前に蔦のかごが出来上がりました。蔦には棘はなくて、とても可愛らしいかごですのよ。まるで、小鳥を飼うかごのように。
「まあ、素敵!」
「マオ、お願いするよ。私は町長と蔦渡りで行くよ。シシー、リリィを頼んだよ」
旦那様は意気揚々と出ていきました。従者たちは吊り橋で渡るようですね。私はシシーとこの蔦かごですわ。……あれ? このかごはだれが動かすのかしら。
「さあ、乗ってくだされ」
魔王に促され、シシーと一緒に乗りました。とたん、シュルシュルと蔦が動きだし、かごも移動していきます。
「シ、シシー、もしやと思うけれど、このかごは宙を浮いたりしないわね?」
「ヒャッホー!」
旦那様の雄たけびが聴こえます。
「空中ランデブーですね、奥様」
シシーをガッツリ掴みます。かごは吊り橋の横を動く蔦と共に進んでいます。決して、下は見ませんわ。
「リリィィィィィ」
旦那様が前方から迫ってきます。かごの横をヒュンと過ぎていきました。めまいが……
「リリィィィィィ、向こうで待ってるよぉぉぉぉ」
旦那様は背後からまたヒュンと過ぎていきましたわ。それを追うように蔦かごが進みます。対岸に着くと、すでに馬車が待機しておりました。覚束無い足で蔦かごを降ります。
ーーシュルシュルシュルシュル……ーー
蔦が屋敷の方にひいていきました。
「マオ、ありがとう!」
旦那様が蔦に手を振っています。私も震える手で振りました。私を運んでくれたのですから。
「さあ、行こうか」
旦那様は私を躊躇なく横抱きにして、馬車に入ったのですわ。
***
その後、普通の町に一泊し、翌日最終地である南方の港町に出発しました。普通の町にちょっとガッカリしたことは内緒ですわ。旦那様といると、何か起こるのが当たり前になっていたようです。可笑しなものね。
「旦那様、港町は何という町ですの?」
「イッセシーマと言うのだ。とても綺麗な湾だよ。それに神様の住む場所なのだ」
魔王の次は神様ですの? 旦那様の交友関係は天から地獄まで幅広いですわね。
「今度は何屋敷ですの?」
「今度は王家の別宅だよ。フェイン国紋章の天井のある邸宅だ」
紋章と聞いて思い出すのは、あの廊下でのこと。思わず笑ってしまったわ。旦那様も笑っております。
「楽しみですわ」
ーーガタゴトガタゴトーー
馬車は進みます。
『町の入り口です』
外から声がかかりました。旦那様は窓を開け、外を見ています。窓から、入ってくる風の香りが違いますわ。
「リリィ、見てごらん。海だよ」
旦那様に横抱きの向きを変えられて、窓の方を見ますの。そしたら、ライトブルーの海と真っ青な空が見えました。丘の緑と白い壁の家屋。オレンジの屋根。すべてが鮮やかに輝いております。潮の香りでしたのね。
町に入ると、白の壁と青い空のコントラストに目を奪われました。空にはかごめでしょうか、気持ちよさげに翔んでいます。段々と騒がしくなる街の賑やかさに、心はすでに外へいっておりました。
「リリィ、私を忘れないでおくれ」
旦那様が口を尖らせています。子供みたいな旦那様だわ。
「コクト様がこの町に私を連れていきたかったのが、とてもわかりますわ。うきうきしますもの。この鮮やかな町は、コクト様のようですわ。暑いのに、キラキラ輝いていて、温かく包み込む雰囲気、曖昧のない真っ直ぐな姿、私、とっても好きですわ。連れてきてくれてありがとうございます!」
「どういたしまして、リリィ」
コクト様は、チュッと鼻の頭にキスをされました。窓が開いているのに、恥ずかしいですわ。
「コクト様はキ、キスが好きなのですね」
「リリィが好きだから、キスがしたいのだよ」
クハッ、私リリィ悶絶です。コクト様はクスクス笑って、窓を閉めカーテンをひきました。
「ほら、恥ずかしがりやさん。私の胸に顔を埋めてしまいなさい」
コクト様の大きな手が私の頭を包みます。トクトクと波打つ鼓動を感じながら、ここが私の居場所なのだと胸がいっぱいになりました。
***
ーーゴトンーー
馬車が止まりました。
「着いたようだ」
旦那様の胸から離されます。
「外は陽射しが強いよ。シシーに日傘を用意させる?」
「ええ、お願いします」
馬車の扉が開きました。シシーが日傘を開いて待ってましたわ。さすがシシーね。言わなくてもわかっているのですもの。
旦那様が先に降り、手を添えて私も馬車を降りました。シシーが持つ日傘を手に取ります。真っ白な日傘、フリフリのレースがとっても可愛らしいですわ。
「奥さん、貝殻採りでもしよう」
真っ白な砂浜が目前に広がっていました。旦那様に手をひかれ、砂浜におります。サンダルが砂に沈む感覚ははじめてで、おそるおそる進みます。旦那様がゆっくり歩いてくださっていますわ。時々『大丈夫?』と確認してくれます。
「ほら、リリィ。あそこに桃色の貝殻があるよ」
コクト様が指さしたところに、小さな貝殻がありました。コクト様がしゃがんで取っています。
「リリィ、手を開いて」
私の手に桃色貝殻がおかれました。
「可愛い」
「ああ、そうだね。旅の宝箱に入れよう。ほら、リリィも探してごらん」
シシーが素早く日傘を取り、つばの広い帽子を渡してくれました。帽子を被り、貝殻を探します。波の音を聴きながら、貝殻を拾いますわ。なんて素敵な時間なのでしょう。心地よい海風が頬を撫でていきます。コクト様が、楽しそうに笑っています。
「あっ」
突如、ふわりと風が吹き上げ帽子が舞ってしまいました。コクト様が帽子を追いかけています。風に遊ばれるように帽子は、宙を舞っています。
「こら、待て」
コクト様が跳びましたわ。見事なキャッチです。コクト様がキラキラ輝いています。
「私から逃げようなど、お転婆な帽子だな」
キラリンと白い歯を輝かせ、夏色の肌で笑うコクト様。ま、眩しいですわ。眩しすぎる存在です。
「ほら、リリィ」
コクト様が笑って、帽子を出しています。ですが、私は逃げましたわ。お転婆な私ですから。
「待て、リリィ」
「うふふ、嫌よ」
「捕まえるぞ」とコクト様。
「きゃあ」と私。
「アハハ」とコクト様。
「うふふ」と私。
「アハハ、待て」とコクト様。
「うふふ、嫌よ」と私。
アハハ……うふふ……アハハ……うふふ……
***
「足が痛いのはなぜかしら?」
別宅に着きましたの。さすが、王家の別宅です。例の天井が健在ですわね。コクト様は『コクトの秘密部屋2』に行っています。ええ、秘密でないことの突っ込みはもうしませんわ。
私は、シシーとコクト様専用のお部屋に居りますの。一階の東側がコクト様のエリア。西側がハクト様エリア。二階が王様、王妃様エリアです。
「走ったからにございましょう」
……ええ、そうね。砂浜を走ったのですからね。くらくらとめまいが。
「私、またやってしまったのね。海辺を走る恋人たち、本人たちだけが楽しいイタイ世界に行ってしまっていたわ……」
「恋人たちではありません。海辺を走る新婚夫婦にございましょう」
シシーがすかさず突っこみましたけれど、華麗にスルーしておきましょう。
「奥様、弐の巻『生足魅惑のルームドレス膝丈』は夜になりますので、ただいまは旦那様がセノビールでご用意くださいました他のワンピースにお着替えくださいませ」
前半に聞こえたナンチャラドレスは聞かなかったことにしたいわ。待って、でもここでスルーしたら、私リリィ敵前逃亡ですことよ。
「シシー、弐の巻を出しなさい」
お城ではちゃんと確認できなかったんですもの。今しかないでしょう。だって、覚悟がいりますから。
「これにございます」
「短い……」
ドレスの体をなしていないその短さ。膝丈でなく膝上ですね。お袖がレース程度にしかないのも、もう全てにおいてドレスではないわ。胸元の大きなハート、フリフリレースで飾られ主張しております。さらに、ちっちゃいエプロンがスカートに着いているのはなぜでしょう?
「もし、生足がお嫌でしたらこれをはかせるようにと仰せつかっております」
シシーが出してきたのはながーい、ながーいソックスね。白にレース。
「ニーハイと言うらしいソックスにございます。膝上までございますので、ご安心ください」
「安心などできるものですかぁ!!」
私リリィ、一生の不覚。敵を目の前に冷静さを失いましたわ。いいでしょう、旦那様。私、リリィこちらを着こなして見せますことよ。あまりの、壮絶に似合う姿に気絶しておしまいなさい!
「受けてたつわ!」
「さすがリリィ様にございます」
ニヤリと笑ったシシーの顔は見なかったことにしておきますわ。