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だごん秘密教団にようこそ!  作者: 吠神やじり
第一章 間丹生市にようこそ!
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第七話 御堂サキ「それでは始めましょうか」

 今日は失敗しました。せっかく山田さんの家にお呼ばれして、出会った時から疑問だったダゴン秘密教団や深きものの話を聞かせてもらえるはずだったのに、私は途中で居眠りをしてしまいました。

 さすがに失礼です。山田さんに起こされた後、とりあえず魚政さんに平謝り。居眠りしていたのでもう一度話してくださいとはさすがに言えません。


「疲れてるみたいだねぇ。今日はもう帰りなよぉ」


 魚政さんに促されて私は帰宅する事になりました。今日は山田さんも途中まで一緒です。


「いやー、ちょっと夕食の買い物もあるからね。途中まで一緒に行こうよ」


 なんというか恥ずかしい限りです。まだ出会って数日しか経っていない友達の家にお呼ばれして、その場で寝てしまうなんて失態もいいところです。


「まあ、まだ引っ越したばかりで色々大変なのかなぁ。ゴメンね、なんか色々付き合わせて」


 挙げ句の果てには山田さんにまで気を使わせてしまっています。


「いえ、実は昨日の夜、少し寝るのが遅くなってしまったんです。あの、クトゥルー神話というのを調べていたもので……」


「ん? なになに、そんな事してたの? 調べたってどのくらい?」


「ネットで少し検索した程度と、後は父がラブクラフト全集を持っていたので、その中から『ダゴン』と『インスマスの影』を読んでみました」


 山田さんはなぜか呆れた様に私を見ています。そしてニヤニヤと笑いだしました。


「ああ、アレ読んだんだ。どうだった? 面白かった?」


「少し分かりづらかったですね。それよりもあのクトゥルー神話というのは事実を元にした話なんですか? 実はそれを魚政さんに聞きたかったんですが、途中で寝てしまったんです」


「て言うか、どこまで聞いてたの?」


「確か日本とアメリカが戦争したとか、なんとか……」


「ああ、結構最後まで聞いてたんだね。うん、あの辺はあんまり面白くなかったしね。ミクロネシアで隠れて暮らしてた時の、一人ダッシュ島の話も大して盛り上がりもなく淡々としてたしね」


 なんですか、それ? その部分は少し聞きたかったかも知れません。


「お父ちゃんは話が長いんだよね。情感タップリに説明してるんだよぉ、とか言ってるけどさ。話があちこちに飛ぶから理解が追いつかないときあるんだよね。

 まあ、サキが寝ちゃった後はウチのお母ちゃんとののろけ話が大半だったよ」


「じゃあ、魚政さんがどうして昔の写真から大きく変わってしまったのかは、話してもらえなかったんですか?」


「あ! それ聞き忘れた。マジであれは気になる。うん、ちょっと家帰ったらお父ちゃん問い詰めるよ。いや、あの変わり様はないよね。絶対別人だもん。

 ああ、ゴメンね。アタシの話も結構あちこちに飛ぶよね。クトゥルー神話の話だったっけ。アレね、お父ちゃんに言わせると、『分かってる人』が書いたみたいだけど全部が事実って訳じゃない、だって」


 分かってる人? つまり逆に言えば小説自体はフィクションだけれど、内容の一部は事実に基づいている……。そういう事でしょうか。

 あの深きものや、山田さんの手の水かきを見ていなければ、にわかには信じられなかったと思います。でも確かに実在する、私はソレに出会ってしまった。今まさに。


 山田さんが先に気が付きました。山田さんが歩みを止めて、その表情を強張らせた時、私も気が付きました。

 私たちが立っている場所から二十メートルくらい離れた場所、その場所に佇む人影。私たちの進む道に立ちはだかるように立つ、一際大きな、そしていびつな頭部の人影。

 先日、お店を監視するように立っていた深きものが今、私たちの前に立っていました。


 山田さんは一言も言葉を発しません。私も同じでした。私はどこかで、昨日と同じように深きものが立ち去ってくれる事を期待していました。ですが、その生ぬるい期待はアッサリと打ち砕かれ、私は全身のうぶ毛が逆立つような感覚の中で微動だにも出来ず立ち尽くします。

 深きものは私たちを見据え、そしてゆっくりと私たちに向かって歩き始めました。私たちはなにも出来ず、ただゆっくりと大柄な異形が歩み寄ってくるのを見ているしかありません。それ以外にはなにも出来ませんでした。脳が思考する事を諦めてしまった様に、私はただ深きものが近付いてくるのを待ちました。


「サキ、アタシがなんとかするから、サキだけでも逃げて」


 山田さんは小声で私にそう言いました。でも、その山田さんの声はか細く消え入りそうで、表情にも生気を感じません。恐怖におののいている様に、捕食されるのを待つ獲物の様に、足は震え、そして繰り返し私に逃げる様に促す声も、最後は歯がガチガチ鳴る音に変わりました。

 そして眼前には深きもの。私よりも頭一つ分は大きい。異形である事をあからさまに主張するいびつな頭部を見上げ、私も山田さんと同じように理由の分からない恐怖をソレに感じ始めました。


 逃げられない。心のどこかで甘い期待にすがろうという気持ちもあります。まだ相手が私たちに危害を加えるとは限らない、そう思い込みたい気持ちがありました。

 それでも眼前の異形から放たれる腐った魚の様な不快な臭いと、意思の疎通を拒絶する様な無機質な目に、私たちは身動きもとれないほどに威圧されていました。

 深きものは大柄な身体に少しきつめに見えるコートを羽織り、そして私たちの目の前で、そのコートのポケットから小さなマイクの様な機械を取り出しました。

 隣で山田さんの息を呑む音が聞こえ、私が山田さんに目を向けると、彼女は怯えながらも腰からぶら下げた特殊警棒にゆっくりと手を伸ばしていました。

 深きものはとりだしたマイクの様な機械を自分の喉に押し当てて、異様な声で話し始めました。


「オ前タチハ、アノ小サナ深キモノノ仲間ナノカ?」


 妙に機械的な声。声の中にモーターの音に近いノイズが混じっている様に聞こえます。無機質な目と、機械的な声。せめて生き物の様に見えれば不快感も少なかったと思います。ですが目の前の異形は、ただの化け物とは表現し難い違和感を持っていました。

 遠目か、あるいは写真で見れば『気味の悪い化け物』と受け止められたと思います。ですが至近距離に立つその存在は、異様な無機質さとそれに相反する生物的な汚らわしさを持っています。

 不快な臭いをまとい、荒い呼吸に合わせて不自然なほどに激しく動く顔面の皮膚には吐き気すら覚えました。


「アノ小サナ深キモノノ事ヲ、洗イザライ話シテモラオウカ」


 この深きものは、魚政さんの事を詳細に知りたがっている様です。冷静に考えれば、大声を出して人を呼ぶべきなのでしょう。

 それに気が付いた時、私は自分自身に驚きました。私が今の状況を『冷静に考えている事』に。

 深きものを観察して、山田さんの様子をうかがい、そして辺りに目を配り、私は何をするべきなのか。自分の頭に思い浮かんだ『打開策』に、私自身が困惑します。でも私にはなぜかそれ以外の回答が見つかりません。


 私は呼吸を整えて、意識を集中します。そして頭に思い浮かんだ、この状況から切り抜けるための『打開策』について、もう一度考えを巡らせます。

 拳を握り、そして深きものの気味の悪い顔を凝視して、本当にその行動が正しいのか考えます。


 けれど、私は『ソレ』をやりたくて仕方がない。


 不思議と手足が震えてきます、なぜか身体が熱くなっています。私の身体がソレの準備を始めている様でした。すぐにでもソレを実行に移したいと身体が求めている様でした。

 私の頭に思い浮かんだ『打開策』は一つ。


 『殴りかかる』


 目の前にいる私よりも大きな異形に対して、私から殴りかかる事をなぜ思いついたのか、なぜそれを実行しようとしたのか。私にそれは分かりません。ただその衝動が身体を燃やすように熱くさせ、熱くなった身体はそれまで自分を凍てつかせていた恐怖をかき消していました。

 私は拳を握り、そして一歩前に……。


「ア……、アタシのお父ちゃんに用があるならアタシが聞くよ」


 私が動くよりも先に、山田さんが私の前に身を乗り出しました。私には彼女の後ろ姿しか見えませんが、その小さな身体が震えているのが分かります。

 武器を持つのはかえって危険だと判断したのか、特殊警棒は腰にぶら下がったままです。


「誰ガ、動イテイイト言ッタ」


 深きものは私の前に立った山田さんを正面から蹴り飛ばしました。山田さんの『グェッ』という声を聞いた次の瞬間、蹴り飛ばされた山田さんが私にぶつかり、そのままの勢いで私も後方にはじき飛ばされてしまいます。

 それ以降は若干記憶が曖昧になっています。私の目の前で昼食に食べたパンを吐き出している山田さん、飛ばされた拍子に頭を打ってしまった私はボンヤリとその光景を眺めているしかありませんでした。

 そして不自然に歪んでいく視界。正確に言えば深きものの周囲だけが妙に歪んで見えました。恐らくは何かの攻撃を受けたのだと思います。深きものの周囲の歪みが、その手のひらに収束されたと思ったら、それが弾ける様に私たちを襲いました。

 衝撃。空気の壁がぶつかってきた様な衝撃を受けて、私は更に後方にはじき飛ばされ、そしてそのまま……、意識を失った様です……。


 どれだけの時間が経過したのか分かりません。気が付けば私は殺風景な室内で、服を血まみれにしたまま横たわっていました。顔に何かが張り付いている感触があります。多分、服だけでなく顔にも乾いた血が固まっているのだと思います。

 不思議と落ち着いていました。最初に、私は深きものに拉致されたのだと判断しました。そして恐らく深きものは油断しきっているとも思いました。

 気を失った私はどこかへと連れ去られた様ですが、特に縛られたりもされていません。小さく身体を動かしてみましたが、身体には特に異常もなく、なぜか痛みすらありません。

 むしろ『痛みがない』のは危険ではないかと思いもしましたが、いったんは自分の周囲の状況を理解する事に意識を集中させました。


 壁も天井も床も、すべてがコンクリートの殺風景な室内。灯りは工事現場などで使われている様な、大きく強い光量を持つ白熱灯らしき物。それが天井から一つぶら下がっているだけ。

 室内には私を入れて七人。私、山田さん、深きもの、そして明らかに人間だと思われる男の人が四人。

 その四人は年齢や格好に共通点がみられません。スーツ姿のサラリーマン風の人、何日も洗濯していない様な汚い服を着たホームレス風の人、何かのトレーニング中にやって来た様なサウナスーツを着た人、そして妙にアグレッシブな髪型の若者。

 あれ? 最後の人は見覚えがありますね……。確かそば屋さんだか、うどん屋さんの息子さんだったでしょうか……。なぜか顔が腫れ上がり、服が血まみれになっています。


 私が意識を取り戻した事はまだ誰にも気付かれていない様です。私は音を立てないように辺りをうかがい、出来るだけ状況を把握しようと試みます。

 血だらけでうずくまっている山田さん。その山田さんの頭を踏みつけている深きもの。その状況の中でも山田さんは深きものとの対話を試みていました。


「目的はアタシとお父ちゃんなんでしょ! お父ちゃんが来たらサキは帰してあげて!」


 これまで気を失っていたせいで話の経緯は分かりませんが、深きものは私と山田さんを連れ去った後、魚政さんをこの場所に呼び出した様です。

 そして山田さんは、さっきと同じように私を巻き込まないように自分が盾になる言動を繰り返しています。

 ただその呼びかけにも深きものは応じません。山田さんが何か言う度に、強く頭を踏みつけて黙らせようとします。深きもののその陰湿な行為に、山田さんの表情は血と涙で汚れていました。


 もう殴っちゃおうよ。これ犯罪でしょ? 相手、化け物でしょ?


 そんな思いが頭をよぎり、また私の身体が熱くなっていきます。横たわったまま、拳を握る。でも勝てない、それは分かっています。

 辺りを見渡して、室内に一つだけ置かれていた家具に目をとめます。折りたたみ式の机。簡素な作りの机が一つ。その上には私と山田さんのお財布、それに特殊警棒とメリケンサック。どうやら持ち物は取り上げられていた様です。

 室内の全員を注意深く観察。山田さんは深きものへの呼びかけを続け、それを嘲笑うように頭を踏みつける深きもの。残りの全員は、その二人のやりとりに注目していました。誰も私や机には注意を払っていません。


 私は立ち上がり、そして音を立てない様に、目を引かない様に、ゆっくりと机を目指します。そして机の上のメリケンサックを手に取って、右手に装着。

 人を殴るための武器。金属製の塊。指を通す四つの穴があり、親指以外の全部の指をそれぞれの穴に通し、そしてしっかりと握りしめる。


 思わず口角が上がります。私がメリケンサックを装着しているのに気が付いたうどん屋さんを突き飛ばし、そして一直線に深きものに向かって走り出します。

 走り出した勢い、私の体重、全身のバネ、そして殺意。そのすべてを乗せて、私はメリケンサックを装着した拳を深きものの後頭部へと叩きつけました。


 ゴッ!


 鈍い音が室内に響き、そして私以外の全員が愕然としていました。握りこんだ金属製の武器が深きものの後頭部に食い込む瞬間、武器を伝わって拳に、そして肩に、身体全体に響く衝撃。

 重く、激しく、そして鋭く。その衝撃が生み出す、背筋を走り抜けるような快感。またやってきました、全身が熱くなる感覚。頭に血が上ってしまったのか、頭皮がチリチリと痺れるような感覚。


 なんて気持ちが良いんでしょう。


 私の足下にひざまずいて、その容姿に相応しいカエルのような呻き声を上げる深きもの。


「ゲコッ! ゴケェ……、グゲェ……」


 自然と口角が上がり、そしてこれから始まる初めての戦いに胸が高鳴ります。大きく息を吸い込んで落ち着きます。メリケンサックの位置を少し調節、意外とズレやすいみたいですね。私の手が小さいだけかも知れませんが。

 メリケンサックをしっかりと握りこんで、そして眼前にいる『情けをかける必要のない人たち』を順番に眺めてから一言。


「それでは始めましょうか」

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