第六十一話 御堂サキ「最後の戦い」
相変わらずの暴風雨。それでも私たちには一息つく余裕ができました。
「ああ、やっぱりアイツらバカじゃないね。さて、どうしようか?」
千華がスマホを見ながら尋ねてきました。どうしようかって、なんの話ですか? 私の問いに、千華がスマホの画面を見せる。
千華はさっきオーベッド派の連絡用SNSに、私たちが倒されたと言うデマを流しました。ルーカスの副官を自称するアンガス・ボロの、それに対する返信が表示されています。
『現在の状況を撮影して画像をあげてください』
「元から『第二波』の事を信用していないのか、それとも怪しいと感じたのか……」
口をへの字にして悩んでる千華。そしてへの字はそのままアヒル口に。
「じゃあ、撮影しよっか!」
千華の企みに先輩やその舎弟の皆さんが苦笑い。
「アイツ、絶対くだらない事考えてるぜ」
私もそう思います。そして始まった撮影会。私と千華は手を後ろに縛られたフリ。顔に殴られた跡に見えるメイクを施します。
「おばちゃん、これ凄い色だね。どんな時に使うのさ?」
化粧品を提供してくれたドラッグストアの店員さんと千華が雑談。私はその間に優子の意見を取り入れて写真の構図を考えました。
「やっぱり『第二波』の人もフレームに入ってる必要はあるよねー。その人にどっちかの髪の毛をつかんで引っ張り上げるような格好してもらってさ、傷だらけの顔を見えるようにしとくってどう?」
『千里眼』でこっちを見ている優子も既にノリノリです。ちなみに病院の騒動は既に収まっているそうです。
「うん、騒いでるヤツのほとんどが『第二波』の連中だったんだって。先生がどっかに連れてったらしいよー」
それから彼らの姿を見た者はいない……、なんて事にならないといいのですが。
ワイワイと騒いでいる私たちに先輩が苦い顔をしながら話しかけてきました。
「なあ、楽しそうにしてるとこ悪いけどよ。真面目にやってくれねえかな……」
いえ、結構真面目にやっているつもりなのですが……。
折りたたみ式の椅子に座って、なぜかスター気取りでメイクをしてもらってる千華が先輩を手招きしています。先輩は渋い顔をしたまま千華の元へ。そして舎弟の皆さんには聞こえない程度の声で先輩と内緒話。
「いやね。真面目にやってもいいんだけど、みんな引くよ。多分逃げたくなるんじゃないかな、真面目にやっちゃうと」
先輩は顔色を変えて千華に詰め寄る。
「そんなにヤバい連中なのか? さっきのヤツらくらいなら俺らでもなんとかなるかも……」
「ぶっちゃけ段違い。レベルが違う。そもそも人間じゃない。オーケー?」
ため息をついて先輩が応える。
「オーケーだ。で、それなら俺らはどうしたらいい? 帰って下さいってのは無しだぜ」
「正直なとこね。帰って下さいって言ってあげたい。マジでヤバい連中だから。でもアタシたちだけじゃ勝ち目が薄い。せめて親玉を相手している間に雑魚の足止めくらいはして欲しい」
そして千華は作戦を打ち明ける。先輩はそれを聞いた後、舎弟の皆さんと作戦の確認。そして協力してくれるお店の方々に、挨拶に行きました。
「はーい。千華さん入りましたー。撮影始めまーす!」
ドラッグストアの店員さんもノリノリです。千華もモデルさんのような歩き方で商店街の中央へ。
オドオドした『第二波』の人に手伝ってもらって、私たちは『やられたフリ』。倒れた私たちは両手を縛られて、顔はアザだらけ。その顔が見えるように髪の毛をつかんで引っ張り上げる『第二波』の人。
「おい! ちょっと力強いな。アタシが自分で顔あげるから、アンタはちょっと髪の毛持ってるくらいでいいんだよ!」
スターの演技指導が入りました。あ、私もやるんですか? でも、そのパンダみたいなメイクはちょっと……。
***
撮影が終わって、SNSに画像をアップ。それから私たちはベーカリー・ダゴンへ。一度アーケードから出ないといけないので、酷い目に遭いました。もう服がびしょ濡れです。
「ほんで、優子。アイツらはどうなった?」
「うん。SNSの画像は確認してたねー。なに言ってるかは分からないけど、なんかニヤニヤしてたよー。多分信じてるね」
「で、今どこにいる?」
「それがねー。なんか止まってるんだよね。なんか待ってるみたい」
私は千華と優子が話している間にお店を物色。勝手知ったるベーカリー・ダゴン。とりあえずなにかお腹に入れておこうかと冷蔵庫を開けてみます。
特に美味しそうな物は見当たりません。そのまま勢いで冷凍庫も開ける。そこにはまだ魚政さんの『クソガエル』が残っていました。
これが『クソガエル』、魚政さんから力を奪った異形の生物。私はそれを手に取る。その様を見た電話中の千華が真っ青な顔で私に詰め寄ってきました。
「サキ! いくらお腹が空いても、それは食べちゃダメ!」
私はそこまで腹ぺこキャラじゃないつもりです……。それにしてもこのカエル、見るほどに不快になってきます。
ワニの身体みたいにゴツゴツした表面、そしてネバネバした体液。黒ずんだ体液は不凍液でしょうか、カエル自体はカチコチですが、体液は凍っていませんでした。
その凍ったカエルをもてあそび、そして手にまとわりつくような体液を眺めている内に、私の嗅覚が最大級の悲鳴を上げました。
「くさっ! いや、マジで臭い。ちょっとサキ、それしまって。冷凍庫に封印して、マジで!」
恐ろしいほどの臭さ。私が出会った中で最強の敵かも知れません。慌てて千華が店内に消臭スプレーを撒き散らしています。
「いや、テロだよ、それ。テロ。二度と冷凍庫から出さないでね」
千華に怒られました。でもこれを呑んだ優子もただ者じゃないですね……。私は改めて優子の凄さを思い知った気がします。
後で知った話ですが、臭いのは体液ではなく身体そのものだそうです。凍らせておけば大丈夫だけど、冷凍庫から出して溶け始めたせいで匂いが拡散してしまったそうです。
「はあ、なんか疲れたね。まあ、そうも言ってられないけどさ。そろそろ準備始めようか」
私たちがお店にやって来たのは準備のため。そして簡単にシャワーを浴びるため。メイクを落としてシャワーを浴びて、それから着替え。びしょ濡れになった服は千華に預かってもらって、私は商店街でたった今買ったばかりの服に着替えました。
上は厚手のYシャツ、下はカーゴパンツ。まるでジャングルに行くような格好です。そしてお気に入りの革手袋とメリケンサック。
髪を後ろで縛って戦闘準備は完了。千華はハーフパンツにはんてん。ベルトのバックルはメリケンサック。なんでしょう靴に妙な迫力があります。千華に尋ねたら『鉄板入りの安全靴』という答えが返ってきました。そしてダゴンハンマー。もうフル装備です。
「髪、邪魔になりませんか?」
「アタシは髪縛ってるとかえって気持ち悪くてね」
「いっそ、ツインテールとかどうかなー」
「優子は黙ってろ」
いつも通りの会話。だけど千華の顔は冴えない。あの撮影会の時もそうでした。無理に明るく振る舞っているような顔。
千華は私の視線からなにかを感じたらしく、苦笑いしながら言ってくれました。
「サキ、アリガトね。ここまで付き合ってくれて。ああ、優子もついでに」
「ついでなの!?」
千華が笑う。笑っている内に彼女は吹っ切れたようでした。迷いはもうなさそうです。思いっきりテンションが上がったり、そのまま落ち込んでしまったり。また元気に振る舞ったと思ったら、どこか無理しているような態度。きっとずっと前から迷ってた。
「参ったよね。こんな事に巻き込まれちゃってさ。サキだってアタシと関わらなかったら、今頃家でテレビでも見てたんじゃないの? それが化け物と戦争だよ。なんかいくら謝っても足りないね」
悪びれた風でもなく、いつものアヒル口で笑いながら言ってくれた。
「結構楽しんでますよ。それに、千華に謝られても困ります。だって私も散々振り回してますから」
「そういやそうだね。じゃあ、お互い様だ」
お互いに見つめ合い、そして笑い合う。
「私には謝ってくれてもいいよー」
「ちょっと黙ってろ。いや、むしろお前が謝れ」
「酷い!」
みんなで笑って、最後の戦いの準備。できればこの場にケイトと魚政さんにもいて欲しかった。
「じゃあ、行こうか!」
***
私たちはせっかく着替えた服が濡れないようにカッパを着込んで商店街へ。そこには既に人影もなく閑散としていました。聞こえるのは暴風雨の音だけ。
「優子。ヤツらはどうしてる?」
「そっちに向かってる。人数が増えたねー。二十人くらいいる。あと、なんか不機嫌そうだねー。アンガスとかいう人、結構怒ってるっぽい」
なにがあったんでしょうか……。
「先生から連絡があったんだけどねー。その時になんか言ってたよー、SNSのやりとりが妙な事になってるって」
「妙ってどんな?」
「私も分かんないよー。私もSNSのやりとりは読んでるけど、どこが妙って言われても……」
千華はブツブツと言いながら考え込んでいます。千華のスマホは優子と通話中。なので、私のスマホを取り出してひいお爺様に電話。
「……と言う訳なんですけど、なにが妙なのでしょうか?」
「千華に代われ」
あれ? なんかカチンときました。ひきつった笑顔で千華にスマホを渡す。しかめっ面で受け取る千華。
「なに? あとでサキにぶっ殺されるよ。ん? うん、うん。そうなんだ。いや、アタシは分かってる」
なぜか笑顔の千華。私にスマホを返してくれたけど、まだひいお爺様と通話中。そのスマホからひいお爺様の怒鳴り声が響く。
「お前だけ分かっててもしょうがないだろ! 説明しろ! どういう事だ!」
面倒くさいので電話を切りました。千華はニヤニヤと笑ってる。なにが面白いのでしょう。
「うん、ここまでは予想通り。ふふん。アンガスがキレてんのも納得だよ」
「なにがあったんですか?」
「『第四波』との連絡が途絶えてるんだって。一時間くらい前からSNSでなんの反応もないんだってさ。アイツの計画は全部崩れていく、そりゃ冷静じゃいられないよね」
どうして『第四波』との連絡が……。ああ、そういう事ですか。魚政さん、なかなかやりますね。
「優子、『千里眼』ってどこまで見れんの? 海まで見れる?」
「海はちょっと無理。遠すぎるー。すぐに調べた方がいい? それなら私の方が少し動けば見える範囲に入ると思うけどー」
「雨も酷いし、今はいいや。でも後で頼むかも」
「オッケー。あっ、そろそろ来るよ」
無人の商店街。立ち並ぶお店のシャッターは全部下ろされています。不思議な光景でした。アーケードの外は午後三時とは思えないほど暗く、そして暴風雨は地響きにも似た轟音を奏でる。
その薄暗い嵐の中にいくつもの影が浮かぶ。それは激しい嵐の中にあっても圧倒される事もなく歩みを進める。
まるで海から上がってきたばかりのように、ずぶ濡れの影が商店街へとやって来る。
商店街のメインストリート。その中央で私と千華は仁王立ち。
影は商店街の中へ。蛍光灯に照らされて、影はその姿を晒す。二十人の深きもの。そして人間の姿をしているにも関わらず、不自然なほど長い手を持つ異形。
その『手長』の異形が叫ぶ。怒りと困惑を隠しきれず。
「どういう事だ!?」
やられたはずの私たちが仁王立ちでお出迎え。確かに困惑するでしょうね。アンガスは辺りに目を配る。下ろされたシャッターが並ぶ商店街を見回す。
それから彼は無理矢理落ち着いたフリをした。計算が狂っている事を隠そうと、無理に悠然と構える。
「なるほど、一杯食わされたという事ですか……」
千華がドヤ顔で応える。
「違うね。これから一杯食わせてやるんだよ!」
商店街のシャッターが一斉に上がる。そして雄叫びを上げて深きものに特攻していく先輩たち。
全員が武器を持ち、そして不意を突いた。それでも勝ち目は薄い。だけど、時間を稼いでくれるだけでいい。私たちが決着をつけるまで。
そしてまた乱闘が始まった。先輩たちはたった十二人。深きものは二十人。それぞれが強靱な肉体を持っている上に、数でも勝る。
優位に立ったのは不意を突いた一瞬だけ。その一瞬を逃さず、私と千華は走り出す。
「先輩たちも長くはもたない。一気に決めるよ!」
千華が叫ぶ。でも私たちはすぐにその気勢を削がれてしまう。ルーカスが構えた。両手を胸の前に。両手でなにかを持っているような格好。
手の中にはなにも無い。だけど私たちは知っている。ルーカスのスキル、『嵐』。
「逃げろ!」
千華が再び叫ぶ。風は見えない、それなのにルーカスの両手に力が集まっていくのが分かる。
そしてルーカスは『嵐』を放った。両手に集めた力を無造作に放り投げるように。そしてアーケードの中に突風が吹き荒れた。
爆発音にも似た轟音。それが先輩たちを一気に吹き飛ばす。『嵐』の直撃を受けなかった舎弟の一人が悲鳴を上げて逃げようとした。それをアンガスが捕まえる。そして今度はアンガスがスキルを使った。
音も無くねじ曲がっていく腕。それをやられている本人は呆然と見ている。小さな悲鳴を上げているが、恐らく自分がやられている事を理解していない。
気味の悪い老木のように腕が歪んでいく。それを見て嗤うアンガス。
「すべて、歪んでしまえ」
そしてアンガスは舎弟の腕を放した。曲がりくねり、ねじ曲がった腕はそのままだった。スキルをくらった人が悲鳴を上げた。
満足そうにそれを眺めたアンガスは、私たちに向き直りまた嗤う。
「ははははははははっははっはっ、はははっ! いいだろう、思い通りに行かないなら、全部壊す! それでいい! なにもかも歪めてやる! なにもかもだ!」
狂ったような笑顔で、アンガスは千華に手を伸ばした。