第四十一話 山田千華「そんな病気はねえんだよ」
まったく意味が分からない。クラーケン石田、これは優子がつけた名前らしいけど、まあ、そんな事はどうでもいい。このクラーケンがどうしてクソガエルを手に入れたのか、そしてなぜコイツはルーカスを『様』なんてつけて呼んでいるのか。
アタシたちの知らないところでなにかが動いている。それは分かる。むしろ当然だ。アタシらがフランチェスカで枝豆チーズ食べている間、オーベッド派もどっかでノンビリとバカンスしていたなんて思っちゃいない。
だけど、予想外過ぎる。ベーカリー・ダゴンにフランチェスカをぶつける。そしてアタシの友達の優子を襲う。もしもそれがアイツらの策略だと言うのなら、腹が立つけど効果的な戦略だと認めるしかない。
だけど、なにかがおかしい。今のクラーケンにしても、優子にはまったく危害を加えていない。むしろ眼中にもなかった。
アタシたちの事すら、ほとんど知らなかった様子にも見えた。少なくともオーベッド派の連中はアタシたちの事を『ゲロメリケン』とは呼ばないと思う。
そんな呼び方をするのは、くだらない噂話に乗っかっている連中。オーベッド派とは関係のない日常を生きている人たち。
分からない事が多すぎる。だけど、一つずつ解決していこう。まあ、一応手がかりもアタシの足下に転がってるしね。
クラーケンと戦っている最中、クラーケンの触手プレイに興奮していた景保を張り倒しておいた。気を失っている訳じゃなさそうだけど、アタシの足下でガタガタ震えてる。
「おい、オマエ逃げたら承知しないぞ。どこまで逃げても張り倒すからな!」
景保の件はオッケー。あとでお店まで連れてって、全部吐かせればいい。その次は、塾の関係者と生徒。こっちは結構問題。一応の口止めはしておいたけど、こんなもん、効果がある訳がない。
この塾から外に出れば、この異常な事態は笑い話になる。あっという間に拡散するだろうね。本当にアッサリと、そして急速に。
噂話に関しては、出来る事なんてほとんどない。今、アタシがやらないといけないのは時間稼ぎ。クソジジイが動いてくれるまでの間、話を余計に混乱させない事。
塾の講師を呼んで、適当な話をでっち上げる。
「すいません。この件に関しては詳しくお話しする事が出来ないのですが、石田先生や先日の斉藤君は、後天的な遺伝子疾患の疑いが持たれているんです。
発見者の名前から『ダンセイニ症候群』と呼ばれる奇病なんですが……」
そんな病気ねえよ。自分でもよくこんなデタラメが言えると感心する。アタシはこんな裏方の仕事が嫌いなんだけどな。
サキはいいよね。クラーケンをフルボッコにしたと思ったら、しれっと『ここまでする必要はなかった』とか言い出しちゃうんだから。言ってる事とやってる事のギャップがえげつない。しかも、しれっとしながら上品に笑ってんだから余計に酷い。あんなもん、アタシですら引く。
「感染症に類する疾病ではありませんが、現在は市長が陣頭指揮を執りまして対策の方を進めているのですが……」
塾の関係者はまだ警察に通報はしていなかった。それものんきな話だと呆れてしまうが、とりあえず今回は好都合。このまま穏便に済ませて、後片付けは全部クソジジイに振ってしまおう。
「では、これから市長に報告した後、このまま石田先生の身柄は預からせていただきます。石田先生のご家族へも連絡をさせていただきたいので、出来れば連絡先を……」
こんなね、調整役って言うかさ、裏方って感じの後片付けをさ。なんでアタシがやらないといけないのかね。こんなもん、クソジジイの仕事だろうがよ。
適当な事を並べ立てたけど、普通なら信じないよね、こんな話。まあ、アタシの場合はクソジジイの後ろ盾があるからごり押しできてるだけで。
実際は中学生だけど、ぶっちゃけアタシは身長のせいもあって小学生にすら見られる。そんなアタシですら豹紋葛の名前を出せば、大概の人は対応に困りながらもわがままを通させてくれる。まあ、あんまり使いたくない手なんだけど。
とりあえず時間稼ぎ程度でも構わない。警察を呼ばれたりする前に、クソジジイに連絡をいれないと。
アタシはスマホを取り出して、すぐにクソジジイに連絡した。
「おお、千華か。さっき魚政には連絡をいれたが……」
「もう始末したよ。塾の二階、さっさと引き取りに来てよ。人目があり過ぎるし、塾の中も荒らされてる。塾の備品も結構壊されてね、あとで問題になるかも」
「仕事が速いな。まあ、事後処理は任せておけ」
どんな手を使うのかは知りたくもないな。その後、アタシはクソジジイとしばらく話をした。そこで知った事。
クソジジイはクラーケン石田の素性まで知らなかった。今から二時間くらい前に、住宅街をフラフラと歩くクラーケン石田が目撃され、警察に通報が入った。
ぶっちゃけ、警察への通報の方が早かったらしい。その情報が入った時点でクソジジイは警察を足止めした。この街の警察署長は穣治と親しかった。ただ穣治がクソジジイと揉めているという噂話がここ数日の間に広まり始め、そして穣治が姿を消した直後から警察署長はクソジジイにやたらとこびを売るようになったらしい。
「まあ、元から知っているヤツだったんだが、穣治が姿を消した途端にワシにこびるようになった。多分、穣治と組んでいかがわしい事にでも手を染めていたんだろうな」
この街で誰よりもいかがわしいヤツに言われたくないね。
「断っておくが、ワシはいかがわしい事なんぞに手を出しちゃいないぞ。そんな真似せんでも権力を握る方法は心得てるよ」
心を読むな、クソジジイ。マジでおっかないな、この化け物。
「それでクラーケン石田とかいうヤツと穣治の関係は分かっとるのか?」
「いや、まったく。これから穣治の息子のクソボケってヤツに事情を聞くつもり」
「さすがにクソボケって名前ではないだろうよ。確かカゲヤスとかなんとか……」
「そう、そのハゲヤス。今、一緒にいるよ。ゴーレムの時もしばき倒して色々吐かせたんだ。今回はもう少し突っ込んだ事まで吐かせようと思う」
「ふん。まあ、ソイツも一応ワシの身内って事になるから、あまり手荒な事はせんでやってくれ。それと、話を聞いたらワシにソイツの身柄もくれんか?」
「殺すの?」
「お前、ワシをなんだと思っとるんだ?」
不思議だな。あれだけ怖かったクソジジイと普通に話してる。まあ、今でも怖いけど。それからクソジジイとの会話は続いた。
クソジジイは穣治の所在をいまだに掴んでいない。だけど、穣治だって仕事はしている。不動産会社の社長らしいけど、それ以外にも手広くやっているって話。
その辺の仕事が社長不在で滞るって事もなく、自分の会社にはメールで指示を出しているらしい。
「メールね……。じゃあ、仕事関係で付き合いのある人間を問い詰めても所在は分からないか……。でも、メールだけで仕事になるの?」
「長期間は無理だろうな。もって数日。少なくとも月末辺りには会社に戻って仕事をせにゃならんだろうな」
後先考えない行動だな……。なんか腑に落ちない。クソジジイ曰く、穣治のボケは『俗物』らしい。だけど、それなりに社会的地位だってある人間だ。考え無しに行動を起こしたりはしないはず。しないよね……。するのか? そんなバカが相手なのか……。
念の為、フランチェスカの事も聞いてみた。クソジジイはフランチェスカに関してはまったく知らなかった。
「イチイチワシのところに、パン屋の一つや二つ開店するなんて話が耳に入る訳無かろうよ。しかし穣治が仕掛けたとしたら、片手落ちもいいところだな」
クソジジイが言うには、ベーカリー・ダゴンにフランチェスカをぶつけるのは単純に『ベーカリー・ダゴンを潰す』という目的じゃない。アタシやお父ちゃんがブチ切れる事を計算に入れていないというのがその理由。
「ワシは魚政をよく知っとる。パン屋を潰されたからといって、いきなり穣治をぶち殺したりはせんな。だが、他人はそう思わん。普通なら店を潰そうとする嫌がらせに、なんらかの対応をする」
要するにフランチェスカの開店には二通りの目的が考えられる。
一つ目は『アタシやお父ちゃんをブチ切れさせる』。これが目的だった場合、穣治はアタシたちが行動を起こした時の対策まで準備して待ち構えてる。
もう一つは懐柔策。『フランチェスカの開店は見合わせるから、こっちの要求を呑め』という交渉に持ち込む。
クソジジイがこの策を『片手落ち』と評したのは、穣治の策が『待ち』であっても『交渉』であっても時間がかかるって事。結局はアタシたちが行動を起こしたり、交渉に応じたりしないと話が進まない。
「それで自分が姿を消してりゃ意味が無い。どうも腑に落ちんな。もう一つ、考えられるとすれば……」
クソジジイの話は途中で遮られた。クソジジイが送り込んできた『回収班』が到着したらしい。
前回、ゴーレム斉藤を回収していったゴツいオッサンたちがまたやって来た。
「お嬢、お疲れ様です」
誰だよ、お嬢って。そんな呼ばれ方初めてだよ。まあ、ゲロメリケンよりはマシかな。お嬢か……。うん、まあ、悪くないかな……。
「おお、アイツらが到着したか。じゃあ、そのクラーケンとかいうのはこっちで引き取ろう。それから景保も、お前らが知りたい事を吐かせた後でいいからワシのところに連れてこい」
ええ! アタシが連れて行くの? まあ、『行け』って言ってほったらかして、逃げられたら困るしね。
このところ、電話で何度か話してるけど、直接会うのは久しぶりかな……。やっぱり少し怖いな。
***
そしてクラーケンは気を失ったまま、ゴツいオッサンに連れて行かれた。一応、まだ死んでいないらしい。て言うか、『クソガエル持ち』って凄いな。あんだけサキに殴られたのに、まだ生きてたんだ。
そのサキはどうも複雑そうな顔をしてた。とりあえず一段落したし、『どったの?』って気楽に声をかけてみたけど、サキは困惑した表情のままだった。
「結局、石田先生ってなにがしたかったんですかね? 暴れたかった? でも、それならどうして授業を始めようとしてたんですかね……」
正直、クラーケンの言動はおかしかった。でも、ゴーレムだってかなり無茶しやがったし、実際に話してみた時も支離滅裂な印象があった。
「あんなに身体を変えちゃうんだよ。まともな精神状態じゃいられないでしょ。狂ってるとまでは言わないけどさ、多分錯乱状態だったんだと思うよ」
サキはまだ困惑した表情を浮かべてる。多分、この子は戦う理由を探してる。今回もそうなんだと思う。
人を襲ったり、アタシたちにハッキリと分かるような敵対行動をとってくれた方が、話が分かりやすい。だけど今回のように錯乱した状態で騒いでいるだけだと、アタシたちだってどうしていいか分からない。
クラーケンからしてみれば、アタシたちは突然現れていきなり襲いかかってきたようなもんだろう。最初からアタシたちとは無関係の人間だったから。
そこをいきなりボコってしまった。やるだけやった後に『ここまでやる必要はなかった』と言い出したのも、戦う理由が見つからないせいじゃないかな。
だけど、どうしてそんなに戦いたいかね? いや、普通に女子中学生をやってんのが不服か? なんでメリケン振り回してんだよ、このお嬢さんは。
まあ、ダゴンハンマー振り回してるアタシが言っていいセリフじゃないね。
「それと、もう一つ……。優子の様子がおかしいと思いませんか?」
あれ? 戦う理由はそれほど深刻な悩みじゃないの? 意外とあっさりしてるね。まあ、優子の様子がおかしいのは知ってる。アタシもそう思うし、お父ちゃんもそう言ってた。だけど、こればっかりは本人が口を開いてくれないとね……。
そんな話をしながらアタシとサキは家に帰った。クラーケン石田を引き渡した時、優子はクソジジイの部下のゴツいオッサンとなにか話していたみたいだけど、気が付いたら既にいなかった。一人で帰ったのかな……。やっぱり少し変だな……。
***
クラーケン石田との戦いから一夜明け、アタシは普通に学校へと向かった。そして当たり前のように授業を受けた。
学校中で噂になっているクラーケンについてはガン無視。誰の質問にも答えなかった。そして優子は学校を休んでいた。
優子の休みについて、先生が漏らした言葉にアタシは背筋が寒くなった。
「茅野さんね、なんか珍しい病気にかかったとかでしばらく入院が必要らしいの。診断書のコピーは受け取ってるんだけど、確か病名は『ダンセイニ症候群』とか言ったかしら……。聞いた事のない病気よねえ……」
なんだよ、それ……。なにが起こってんの……。