第三話 御堂サキ「なにがなんだか分かりません」
私の名前は御堂サキ。この春から中学三年生です。父の仕事の関係で、私はこの間丹生市に引っ越してきました。
周囲を山に囲まれた田舎町。都市部へ出るのにも、電車で三十分ほどかかります。しかも、その電車自体がなかなかやって来ません。
東京に比べたら、本当に何もない田舎です。ただ少しだけ、新しい生活に期待もしています。
詳しくは知りませんが、私の母の実家は間丹生市の外れに複数の山を保有する地主だという話です。詳しく知らない理由は、その母方の実家と疎遠だったためです。
聞くところによると、母は駆け落ち同然で父と一緒になり、その時点で実家から勘当された状態だったらしいです。
その状態を変えたのは父の出世でした。父の勤め先は決して有名な大企業ではなかったのですが、それでも父の出世から家は裕福になり、そしてどこからかそれを聞きつけた母方の実家は居丈高に、結婚を認めると連絡してきたそうです。その時点で既に結婚から十年が経過して、私も生まれていましたが。
間丹生市に来るのは初めてではありません。実は小学生の頃、一度だけやってきた事があります。母に連れられて、間丹生市の外れにある母の実家へとやって来ました。
「貴方も御堂家に嫁いだとは言え、当家の者である事には変わりありません。今後は当家の末席に連なる者として相応しい振る舞いと教養を……」
正直に言えば、私は実家のお婆さまに対して良い印象は抱けませんでした。でもそれ以来、母は変わってしまいました。父の更なる出世を期待し、そして私にも母方の実家に恥ずかしくない教育をしなくてはいけないと思い立ったらしく、それまで優しかった母は厳しい人に変わってしまいました。
「あー、ゴメン。その話、結構まだ続くの? なんか飽きてきた」
なんか色々台無しです。私の隣を歩く山田さんは、かなり退屈そうな顔をしています。いや、確かに私の身の上話を聞かせても、面白いとは思わないでしょう。
「いや、いいんだけどね。色々あるんだろうし。ただなんて言うか、リアクションに困る話だよね」
確かにそうかも知れません。この街に引っ越してきた理由について話していたら、最後は身の上話になってしまいました。
「いや、いいんだよ、本当に。何でも話してくれるのは嬉しいし。ただ思ったよりも話の内容が重くなってきそうな気がしてさ。本当にそれ話して大丈夫な話なの?」
もしかして気を使ってくれているのでしょうか。まだ知り合って日が浅いですけど、山田さん、意外と空気を読むタイプのようです。
「ぃよっし! ここは一つ、アタシの話も聞いてもらおうかな!」
山田さんはアヒル口のにやけた表情で唐突に話を変えてきました。破天荒なように見えて気を使っているのが丸出しです。
武器を持ち歩いたり、破天荒なフリをしたりしていますが、結構常識人という感じです。
「アタシの家はね、ダゴン秘密教団っていう宗教団体とパン屋を経営してんのよ」
前言撤回した方が良いかもしれません。やっぱり何か変です。そう言えば、そのダゴン秘密教団って最初に会った時も言っていたような気がします。
もしかしたらその宗教団体に勧誘されたりしてしまうのでしょうか。
「まあ、宗教の方はどうでもいいのよ」
どうでもいいそうです……。なぜか山田さんのテンションが徐々に上がっていきます。もう話したくて仕方が無いというくらいに意気込んで話は先に進みます。
「今日はね、まずアタシの家に招待してね、ウチのクロワッサンを食べてもらおうと思ってるの。本当はね、アタシの幼なじみの優子っていうメガネを紹介するつもりだったんだけど、そのメガネがね、塾に行くから無理だとか言ってんのよ」
クロワッサンとメガネも気になりますが、その前にダゴン秘密教団の事が気になって仕方がありません。ただやっぱりスルーするべきなのでしょうか。
「そう言えばサキはどうなの? これから受験じゃん? やっぱり学習塾とか行くつもりなの?」
私の身の上話に戻ってしまうのですが、私の父の成功がきっかけで母方の実家から認められる事となりました。その結果、格式や品位なんてものを重んじる母方の実家からの執拗な奨めもあって、私はお嬢様学校と揶揄される進学校に通っていました。
詳しい事は聞かされていませんが、先日父は直属の上司の失脚もあって左遷同様の扱いでこの間丹生市へとやってくる事となりました。
もちろん、私はお嬢様学校から普通の公立中学校へと転入する事となりました。そんな慌ただしく、また両親にとってもこれまでの生活を大きく揺るがす事態の中で、私の受験の事は一切話題になった事がありませんでした。
「そうですね。まだ受験の事は考えていませんでしたね」
さすがに身の上話の第二話を口に出すのはやめておきました。受験について考える余裕がなかった事は伏せたまま、ただ受験について考えていないと答えた結果、山田さんは私の事を珍妙な動物でも見るような目で見つめています。
「いやぁ、アタシが言うのもなんだけどね。サキも結構大雑把なのかなぁ」
大雑把と言われても否定できないかも知れません。つい数ヶ月前までは、窮屈で厳しいお嬢様学校の生活を受け入れていました。その生活は面白みもなく、ただ窮屈な日々であるものの、進学に関しては付属大学まで悩むことなく進める事がほぼ決定していました。
それがすべて白紙となったものの、私に動揺や迷いは無く、むしろ開放された気分になっていました。
たった今、山田さんから指摘されるまで、受験が控えている事を忘れていたくらいです。
「これから考えてみます。ゆっくりと」
山田さんの、それまでの物珍しいモノを見る目が一転して何かを察したような表情に変わり、そしてすぐに軽い調子に戻りました。
「まあ、色々とあるよねぇ」
山田さん、やっぱり空気を読んでいます。なんか察しが良すぎます。思い返してみれば、私の父の転勤が決まり、間丹生市へと引っ越す事が決まった後の学校の先生もこんな対応をしていた気がします。
世間的にはやっぱり私は『可哀想な少女』なのでしょうか。裕福な家庭に生まれ、お嬢様学校へと通っていた少女。そして家庭の事情から、地方の公立学校へと転入。それは人によっては『転落』と揶揄される事なのかも知れません。
実際には、以前の学校での生活は私にとって窮屈としか言えないものでしたし、家庭内にもまるで問題はありません。父の左遷同様の転勤、それを知った母は当初こそ父をなじり、言い争いもしていました。それでも今は、何がどうなったのかは知りませんが、見ていて少し引くくらいに夫婦仲は良好です。
山田さんには気を使わせてしまっているようですが、だからと言ってまた身の上話に突入してしまうのも考えものです。
「あれ、そう言えばなんの話してたんだっけ? ああ、そうそう。アタシの家の話なんだけどさ。家に着く前にお願いしておきたい事があるんだよね」
そう言えば、受験の話の前は山田さんのクロワッサンとメガネについて話していたような気がします。
「お願いですか?」
「うん。実はね……。アタシのお父ちゃんって、ちょっと風変わりって言うか、軽くキモいと言うかね。まあ、お願いっていうのはね、アタシのお父ちゃんを見ても、叫んだりしないで欲しいのよ」
「叫ぶ? 山田さんのお父さんを見て?」
「うん。アタシのお父ちゃんを初めて見た人はね、結構な確率で悲鳴を上げたりすんのよ」
思わず聞き返してしまう発言です。結構な確率で悲鳴を上げる? 一体どうして?
「まあ、平たく言うとね。アタシのお父ちゃん、カエルなのよ」
かなり突拍子もない発言です。発言だけ聞いていると、山田さんのお父さんよりも、山田さんの精神状態に問題がある気がしてきます。
「あのね、まず想像して欲しいの。人間サイズのカエルが服着て歩いている姿を。アタシのお父ちゃんは大体そんな感じ」
すみません。どんな感じでしょう? 想像は出来ました、カエルが服着て歩いている姿は想像出来ました。ただ『そんな感じ』と言われても、現実的にありえないと思うのですが。
私は曖昧な返事しか出来ませんでした。多分、冗談で言っているのだと思いますが、それにしては山田さんの態度は割と真剣です。
「いや、一昨日もウチのお店に来たお客さんが悲鳴を上げたらしくてね。お父ちゃん少しへこんでたんだ。さすがに続くと可哀想だからさ」
山田さんがどこまで本気なのか分かりません。そもそも、カエルがパン屋さんを営んでいる事自体あり得ません。それに山田さんのお父さんがカエルなら、山田さんは一体何者でしょう、彼女もカエルなのでしょうか?
「おう、ダゴンちゃん。今日も元気そうだね」
通りすがりのお爺さんが山田さんに声をかけてきました。山田さんと一緒に歩いていると、通りすがりの人がよく声をかけてきます。商店街の有名人といった感じでしょうか。
とりあえずお爺さんに愛想笑いを浮かべながら会釈をすると、お爺さんと山田さんの会話はなぜか私の話題になりました。
「なあ、ダゴンちゃん。その子が噂の女の子かい?」
噂の女の子?
「ああ、アタシたちが初めて会った時の事だよ。この間、サキに絡んできたバカ連中ね、この辺りに住んでる連中でさ。あっという間に噂になったらしいよ。最近引っ越してきた女の子に絡んで玉砕したって」
田舎の噂話はあっという間に広まります。気が付かない内に、私も噂になっていたようでした。
「まあ、サキは目立つからね。アタシの友達からもメールとかで聞かれたよ。商店街を一緒に歩いてた女の子誰だって」
そう言えば母が言っていました。間丹生市は田舎だから、おかしな事をすればすぐに街中の噂になると。
「いや、そんな噂に飢えてる訳じゃないから。田舎って言ったって、そんなに小さな街でもないしね」
山田さんは少し口を尖らせています。そんな私たちのやりとりを見ていたお爺さんは、途中からしげしげと私の顔を眺めていました。そして一言。
「ダゴンちゃん。この子、早苗さんにそっくりだねぇ」
その一言を聞いた瞬間、山田さんは見ていて面白いほどにうろたえ始めました。手足をバタバタさせながら、真っ赤な顔でお爺さんに言い返しています。
「なっ、なに言ってるかな、このジジイは。え? 似てる? 似てるかな? そんな事どうでもいいよ、ジジイ。ボケちゃったんじゃないの、朝ご飯何食べたか覚えてる?」
抗議というより罵倒になっています。恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていなければ、かなり問題のある発言が続きました。この後、覚えているだけで『ボケ』という言葉を二十回は繰り返していました。あと、『死ね』が四回くらい。
最初は山田さんもお爺さんの事を、『タケベのお爺ちゃん』と呼んでいたのですが、既に『ジジイ』呼ばわりです。
お爺さんは笑顔で聞き流しています。多分、凄くいい人です。『おー、怖い、怖い』と、ありがちなリアクションをしながらお爺さんは去っていきました。
残ったのは顔を紅潮させながら息も絶え絶えな山田さんです。若干、涙目になっています。
「えっとね……。今のは、気にしなくて良いから……」
少し声が震えていました。表情を見た限り、ものすごく恥ずかしそうです。よく分かりませんが、どうやら私は山田さんの知人に良く似ているようです。
一昨日初めて会ってから、連日私と会っている理由が少し分かった気がしました。正直に言うと、山田さんはもしかしたら友達がいないのかな、とまで思っていたくらいでした。
それは勘違いだったようです。きっと私は山田さんの大事な人にそっくりなのでしょう。山田さんは毎日私と会い、そして街を案内してくれています。いくらお人好しでも、初対面の人にそこまで親切にする人はかなり珍しいと思います。
まだ出会って三日目の山田さんの好意に、少し気後れしていた私ですが、少しずつ彼女の事が分かってきました。きっと良い友達になれると思います。
『タケベのお爺ちゃん』を相手に大騒ぎをした三十分後、呼吸を整えた山田さんは少しばかりギクシャクしながらも商店街の案内を再開してくれました。
みどり聖堂商店街、そのメインストリートから少し外れたところにあるお店が今日の目的地です。
『ベーカリー・ダゴン』
小さなお店ですが、お店の外まで焼きたてのパンの美味しそうな匂いが広がっています。
お店の正面には木で出来た看板がつるされ、その看板にはカエルが左右の手に食パンとクロワッサンを持っている絵が描かれています。ああ、カエルパンってこういう意味か……。なぜか納得してしまいました。
お店のドアの横には古びたポスターが貼られていました。
『ダゴン様を知りませんか?』
迷子になったペットの捜索願でしょうか? 大きく書かれたその一文の下に、小さく『ダゴン秘密教団、間丹生市支部』とも書かれています。
ここまで意図の分からない張り紙も珍しいと思います。時折見かける電波系というモノでしょうか、これで入信したいと考える人はいないと思います。
「今からお店に案内するけど、中で珍妙な生き物がパンを焼いてても驚かないでね」
あえて強調するための表現だとは思いますが、お父さんの事を『珍妙な生き物』と表現するのはあんまりだと思いました。
ただそう思ったのは一瞬の事でした。お店の正面は大きなガラス張りで、ショーウィンドウのようになってしました。お店の中に入るまでもなく、店内を見通すことが出来ます。そして私は見てしまいました。
『珍妙な生き物』が満面の笑みで店内の棚にパンを並べている姿を。