正義の外側
男の苦痛の叫び声は屋敷中に響いた。研二はこの男が、ロイの言っていた“人を殺すことを仕事や商売にしている人間”かと思った。
「五体満足で此処から去れるとでも思っていたのか? とっとと吐けば楽になれるぞ……」
ボルサリーノが落ち着いた声で訊ねる。それは苦痛からの解放、つまりは苦しみから解き放たれる唯一の術であり、ボルサリーノが男に与えた唯一無二の選択肢だった。
「……ぐっ、り、りゅうとう…、竜東会……」
男がとうとう屈してボルサリーノに告げる。一瞬傷口に押し当てられる靴が緩む。
「ほう、竜東会。そうか、竜東会か。以前、俺の息子に随分な歓迎をしてくれたそうじゃないか。では、そのお礼もしないとだな……。そうだよなぁ? なあッ!?」
ボルサリーノの声は恐ろしく鮮明だった。既にこの男には自分の味方はいない。他の者は扉から逃げ帰った。四面楚歌…とでも言おうか。いや、孤立していることよりも酷い。彼は、今その身の一部を押さえつけ、踏みつけられているのだから。
再びボルサリーノはマグナムの銃口を男の太ももに定める。冷たい銃口はじっと自らの仕事をすべき時を待っている。ボルサリーノがゆっくりと引き金を絞る。
「……父さん」
研二が声をあげる。普通に話すときくらいの大きさの声…。だが、それよりも大きいように感じるかもしれない。先程のボルサリーノのような落ち着いた声じゃない。だが、どこか耳に残るものだった。
しばらくは静寂が続いた。とても重い重い空気…。その場が冷たく凍りついた。まだうっすらと硝煙の香りが鼻に残る。
「ああ、研二か。無事だったか?」
落ち着きを払ったボルサリーノがわざとらしく笑って言う。一部始終を見ていた研二にはその理由が自然とわかった。すっと太ももから靴をどかすボルサリーノ。男は逃げようと身を起こすも、あまりの痛みに耐えられなかった。研二はゆっくりと階段を下りていく。血と硝煙の混ざった生臭さが段々と濃くなっていくのを研二は感じた。
「父さん、前にも言ったけど俺はマフィアのことなんて何も分からない。これが……マフィアの世界なの?」
ボルサリーノを見つめて研二が言う。その目には恐怖の色がわずかながら感じられる。ボルサリーノはマグナムの撃鉄をゆっくと元に戻し、マグナムを胸にしまう。
「研二、こいつはお前を襲ったヤツだ。こいつは金と引き換えに人の命を奪う最低の人間なんだよ。そんなヤツら、痛い目にあって当然じゃないか?」
ボルサリーノは研二を安心させるように言う。だが、研二はそっと息を飲み、じっとボルサリーノの目を見つめる。
「そんなの、そんなの絶対に間違ってる!ロイも言ってた。どんなに悪い人間でも殺されることが許される人間なんていないんだって! 俺……ここに来てもまだ何も分からなかった! 何で俺は父さんについてきたのか分からなかった! ……だけど、今わかったんだよ! それは、正義を貫くためなんだって!!」
研二は絶叫した。その様子を眺めていたロイ、レッジは唖然としていた。だが、そんな研二に対してボルサリーノは
「……正義か。そんなものは戯言だ。いいか研二、そんなものは所詮、強者の掲げる戯言に過ぎないんだよ。歴史は何度も塗り替えられている。民は偽りの事実に目を向け、強者が己の行為を正当化する口実、それが正義だ! 正義……それは強者の隠れ蓑でしか無いんだよ!」
ボルサリーノは怒りに満ちた声で言う。それは子供を諭す親の声と言うよりも、この世に失望した一人の男の叫びのように思える。
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しばらくの間、ボルサリーノと研二は見つめあったままだった。男のうめき声以外に何も音はしない。いや、二人の耳にはそれさえも届かなかった。
(確かに正義なんてものは都合が良すぎることなのかもしれない。父さんの言う通りなのかもしれない……。だけどそれでも……)
「……それでも、誰しも譲れ無い思いはある! 悪党のレッテルが何になるの? 悪人が人助けしてはいけないの? ねえ、気づいてよ! 誰かを救いたい気持ちに悪人も善人も関係無いよ!!」
研二は無意識のうちに叫んでいた。それは研二の心からの叫びとなり、この空間にいた全ての人の心に響いた。
「……」
じっとボルサリーノは研二の目を見つめる。それは、息子として研二を見るときの目とは違い、その視線には一人の男としての尊敬の念も込められていた。ふと、ボルサリーノはレッジの方に目をやる。
「レッジ、すまんが病院まで頼めるか?」
ボルサリーノはヤクザを指差して言う。レッジはは驚きを見せた後、大きく返事して男を抱えて車まで運んでいった。
「……これでいい。研二、お前に感謝しないとだな。私は道を誤るところだった。悪に対する憎悪がつきまとうこの人生で、お前だけが光だった。……ありがとう」
そういってボルサリーノは研二の頭にポンっと手を置く。ボルサリーノにとって、息子の成長を実感したと共に、新たな思いの芽生えた時だった。
ボルサリーノとも無事打ち解けた研二は、改めてここに来た答えを出した。だが、それは“正義”と呼ぶにはふさわしくない思想……。彼らはそれを正義の外側、《Outside of justice》と呼ぶことにした。悪に染まることも無く、かといって強者として正義を貫く訳でもない……。正義の枠には入らないかもしれないが、その思いは正義にも勝る……。そう、その思いこそが“正義の外側”と呼ぶのに相応しかった。




