童話の書き方
えっと・・・コメディはネタが厳しくなったって言ったじゃん?
なのでマジ書きしてみました。
子供向けの童話を書こうと思っている方は一読を?
どう話を書く人にちゅういがあります。
ぶんしょうそのもののレベルを落とすひつようはありません。
こどもむけのネタをさがすひつようもありません。
でも、コツはあります。
アザとーが文章を書く上で最も厳しく叩き込まれたのは「誰に読ませるかを考える」ということであった。
例えば学校の作文なら読む相手は先生だ。友達への手紙なら同い年くらいの子供に、である。この二者に書く文章が全く同じになるわけがない。語尾一つ取ってみても目上である先生には丁寧なですます文が好ましいに決まっている。それに対して親しい友達相手ともなればくだけきったちょっと乱暴な言葉遣いもありだろう。
相手によって好ましい話題というものもある。学校の先生相手にちょっとエッチな話や芸能ネタで笑いをとっても点数はもらえない。だが、遠足や運動会の一コマを迫力ある筆で書けば大絶賛されることを、我々は経験で知っている。
そのうえ、ここが最も重要であるが、相手によって使える語彙の幅が変わってくるのである。
すなわち、子供同士で使っている隠語などは先生に提出する作文には使わない。どうしてもその言葉を使う必要があるなら、本文中に解説を折り込むというクソ面倒な作業を強要された。
だが、こうして駄文なりとも人様に読ませる文章を書くにあたって、あれは実に正しい教えだったのだと身に沁みて思う。読み手の顔も見ずに文章を書くなど愚の骨頂。
今回は童話ということで読み手を子供だと仮定。その傾向と対策を見てみよう。
子供相手だからといって子供の読みたいものを考える必要などありません。
だが、あなたは子供相手に話をするとき、何を話してあげたいですか? 良識ある大人として、子供にむちゃくちゃ濃厚なエロ話や、人格が歪むほどのグロ話を聞かせたいですか?
R‐15というのはつまり、そういうことです。読み手が子供だと解っていれば、絶対に踏み外すわけがない。なのでここでは割愛。
時事ネタ? 哲学的な話? いいじゃん。受け入れられる受け入れられないは別として、子供に理解してもらえるように書くためのテクニックをここで教えますよ?
そのコツはたった一つだけ、「語彙力を見極めろ」です。
あなたが書く物語を読んでくれるのはいくつぐらいの子供ですか?
それによってまず、使える漢字の数が変わってきます。例えば幼稚園児なら学校で習っていないのだから漢字は知らないということが大前提。一年生の学童が相手なら学校で習ったはずの漢字が80字……といってもこれは、教科書などの編纂上のことなのであまり気にすることはありません。難しい漢字は読めなくて当たり前、そして自分が仮設定した読者が読めない漢字を使ってはいけない、ぐらいにとらえてください。
そして問題の語彙力。
子供は決してバカなわけではありません。どれだけ難しい話であろうと理解するだけの『理解力』をもっている。解ってもらえないのは実に大人の説明のしようが悪いのです。
その一番の原因はコツも押さえないのに「子供用」の言葉を使おうとするからなのですが、じゃあコツってなんだ、と聞かれれば「相手の語彙力にあわせて言葉を選べ」ということでしょう。
読書慣れしている『なろう』読者に向けて書くのと、小学生ぐらいの子供に向けて書く文章、はてはやっと言葉を話し始めた子供に……やっぱりがまんできん!
例文を書きます。
『見目も麗しい美青年が、ふわりとした高貴な仕草でお辞儀をする。』
問題が起きないように自作から一文抜き出してきました。これはもちろん読書慣れしている、中学生以上の年頃であれば解るようにと書かれた文章ですが、小学生にとっては少々難しい漢字や語句が含まれています。そこでそのような部分を平易な言葉に置き換えます。
『芸能人のようにきれいな顔をした男が、ふわりと優雅な仕草でおじぎした』
もっと小さな子供には、これでも難しいところがあるでしょう。さらに……
『テレビに出ている人みたいにきれいな男のひとです。その人がとても上品にあたまを下げて、おじぎをしました』
なぜこれほどに違いが出るかというと、表現に対する「経験値」が違うからです。
『見目麗しい』という言葉一つとっても、我々大人はその意味を知っている。例え知らなくても前後の文節や字面からおおよその予測解釈ができるでしょう。
ところが小学生にとっては、よほど読書好きならともかく、授業で習うレベルではお目にかからない言葉。この「授業で習う」というのが一つのガイドラインでもあります。
別に国語の指導要綱を入手してきてきっちりぴっちり調べろと言うつもりはありません。ただ、言葉選びに迷ったときの指標として「ああ、学校で教えていないだろうな」ぐらいの想像力は働かせて欲しいということです。
さて、学校では教えもしないだろうにあえて「芸能人」などという言葉を使ったのは、それが通俗語であり、テレビを見るようなごく普通の小学生ならば「知っている」言葉だからです。
ええ? 長々と説明していないで要点を言え?
「読者として設定した年齢層の平均値を考えろ」ですね。
児童書がわざわざ「低学年用」「高学年用」に分かれているのはそうした平均的な語彙レベルを目安としたものなのです。
さらに就学前の子供となると、難しい言葉には説明が必要になるでしょう。
『「みめうるわしい」というのは、とてもきれいなみための人をほめることばですが、この男の人はどうしても「みめうるわしい」しかおもいつかないほどにきれいなすがたをしていました』
ここまで長々と解説を入れるほど重要な文章など、全体の中で一語か二語しかありますまい。だからここでは「テレビに出ている人みたいにきれいな」と、幼児でも解るように置き換えました。例文として引いたから頑張っただけで、実際の本文の中での重要性を考えれば「きれいなひと」と単純に表してもいいぐらいです。
まあぶっちゃけていうと、そういう年齢設定さえ考えずにただ平易で口優しい文章を書くから普段の筆力を失ってしまうんだよってことですね。
俺はこの基本さえ押さえていれば、政治問題だろうが原発批判だろうが好きにすればいいと思っています。ただ、あまりに難しい話を簡単な言葉だけで、しかも何も知らない相手に教えるって、難しくないですか?
時節柄、衆議院選挙を例に挙げてみましょう。
「おとーさん、せんきょってなぁに?」
(そこからかあああああああ! ううう、小さい子相手なら仕方もなかろう)
変態すれすれで有名なアザとーはそれでも一生懸命に説明を試みます。もちろん、小さい子にわかる言葉を用いて。
「みんなをまとめるための代表の人を選び出すことだよ」
子供への説明はかように難しい。何しろ相手が知っている言葉を組み合わせて、こちらの意図するところを伝えなくてはならないのだから。
相手が小学校にでも上がっていれば身近なたとえを出して説明することもできます。
「……学級委員長って、いるだろう?」
でも、学校のシステムすら知らない幼児に説明するには、どうすればいいのでしょう。しかも相手は語彙力に乏しい。知らない言葉が出てくれば容赦なく疑問を投げてくるでしょう。
その都度平易な言葉で分かりやすく答えてやるしかありません。これを延延繰り返す覚悟があるのなら、どんな難しい言葉だって子供は理解できます。
ただ、学○の学習漫画じゃあるまいし、難しいことを子供に教えるためだけの童話って書きたいですか?
童話のテーマがあまり複雑でない背景にはこうした理由があります。
え? 分かりやすく説明するために暗喩的手法がある?
あまいっすね、あんなモンは……おっと失礼。あんなものは子供のための物語をきちんと書いた上でこっそり組み込む、大人に向けたお遊びです。子供にはこちらが仕掛けた文章遊びを読む気などありません。
書かれた表現を真っ直ぐ言葉のとおりに捉える、それが子供です。ですから語彙数を減らして丁寧語で書かれた童話風の文体だとしても、大人に向けて書いたお話は決して子供のためのお話にはなりえないのです。子供相手にごまかしなどきかない。子供のために書いたお話は残酷なものは残酷だと、美しいものは美しいと真っ直ぐに表現しなくてはならない。それも真摯に、全身全霊を捧げて。
ひねった小手先のテクニックを封印されるからこそ、子供に向けた文章はシンプルで美しいものでなければならないのです。また、そういうものになるのが当たり前。
さあ、良く考えてみてください。あなたがその「童話」を読ませたいのは本当に子供ですか?
いくつぐらいの子供ですか、男の子ですか、女の子ですか?
その子に本当に伝えたい、興味をもってもらえる話題を選んでいますか?
理解される言葉を使っていますか?
大人のために書く「童話風」の文章なのか、子供のために書く「童話」なのか、今一度読み手サンの顔を思い浮かべてください。それが文章のメリハリを生むのです。
なぜこのタイミングかって?だってアザとーですもん。たまにはあざといことがしてみたかったんですよ。
っていうか、このタイミングこそが今回のネタ!