1話 目覚め
気がついたら俺は泣いていた。
本能が俺に泣けと命令するのだ。
視界はぼやけ、辺りに何があるのか分からない。
仲間はどうなったのか、ゲームはクリアできたのは、そして俺はどうなってしまったのか。錯乱した記憶とともに俺は泣き疲れ、意識を失った。
次に目が覚めたのは夜だった。
目を見開くとそこにあるのは知らない天井だった。
ここはどこなのだろう。俺のホームに設定してある宿ではない。
なら、俺はゲームを《ロストオブエデン》をクリアして現実世界に戻ってきたのだろうか。しかし、ここは俺の部屋ではないし、病院でもない。
しばらく色々なことを考えていると急激な眠気が俺を襲った。俺はそれに抵抗する間もなく再び意識を失った。
「¢£%#&*@」
誰かが俺に話しかけてきているようだ。その声に導かれて俺の意識は浮上し、目を開けた。
そこにいたのは外人の女性だった。見た目はとても整っている。
そんな美人に俺は見つめられていた。
だけれど、何故だが、懐かしく優しい感じがする。俺はおもむろに手を伸ばし、その女性の顔に触れた。
――あれ?
そこで俺は異変に気付く。まず、目の前の女性が異常な程に大きい。胸がじゃない。いや、胸も大きいが今いっているのはそういうことじゃない。サイズというか、単純な大きさが大きいのだ。
「あうあうあ~」
声を出そうと思えど舌が麻痺しているのか、上手く喋ることができない。
俺のそんか様子を見て、目の前の女性は幸せそうに笑う。それだけで、何故か彼女は俺の味方なのだと思えた。
状況確認の為に辺りを見渡す。すると、部屋に備え付けられた鏡が不意に目に入った。
そこには、目の前の女性の微笑む姿と、その微笑みを向けられている赤ん坊の姿があった。なんとも和やかな光景だ。
その赤ん坊が俺でなければの話だが。
右手を上げる。すると、鏡の中の赤ん坊も右手を上げた。
――コマネチ!!
鏡の中にコマネチをしているシュールな赤ん坊がいた。女性も若干、引き気味だ。
女性が微妙な顔をし出したので大人しく元の位置に戻った。
わかったことが一つある。何でかは知らないが俺は赤ん坊になってしまったらしい。
◆◇◆◇◆
俺がこの世界に生まれて一週間が経った。
この一週間、ベッドの上で考えての推測だが、どうやら俺は異世界に転生してしまったようなのだ。
俺の持つ転生前、最後の記憶は最終ボス《龍帝王フレイブル》を切り倒した時のもの。そして俺のヒットポイントが0になる瞬間だった。
つまり、俺は死んだのだ。しかし、仲間は全員無事だった。少なくとも俺の記憶の限りでは。
彼等はゲームをクリアし、元の世界に帰れたのだろうか。気になるところだが俺にはもう、それを確認する術は残されていない。俺には彼等の無事を祈ることしかできないのだ。
まぁ、死んじまったもんは仕方ない。俺だって精一杯やったんだ、悔いはないさ。
俺は今、非常に暇だ。
俺の体は生後一週間で、まだ一人では動くことが難しい。つまり、やることがなくて暇なのだ。
この一週間、俺の世界はこの部屋と時折来るあの美人な女性と、従者らしき女性だけ。多分、美人の方の女性は俺の母親だと思うのだがまだこの世界の言語は俺には理解できない為、確証は持てずにいる。
それはいい。ともかく言語を覚えるのでもいいから何かをしたい。ベッドの上で毎日寝て過ごすのは飽き飽きだ。
そこで突然、知らない足音が俺の耳に届いた。
反射的に俺はスキル【索敵】を使おうとする。
が、ここはもう《ロストオブエデン》の中では無いのだから当然、スキルは発動しな‥‥‥‥
――発動してる!?
頭に浮かぶのはこの家の配置と、そこにいる人の位置。
そこには俺の部屋に向かっている知らない足音の主も表示されていた。
足音の主は初めて見る男性だった。容姿は整っていてダンディーなイケメンさんだ。しかし、俺はそんな男に構ってはいられなかった。
俺は困惑の最中にいた。スキルは使えるが、ここはどう見ても《ロストオブエデン》の中ではない。まず、オブジェクトがリアル過ぎるし、ステータスを開くこともできない。
だが、スキルは発動する。しかも【索敵】の範囲を鑑みるに《ロストオブエデン》の時の熟練度をそのまま継承しているらしい。
男はしばらくの時間、俺を抱いてから俺の知らない言葉を発し部屋から出て行った。
再び一人となったこの部屋で俺は思考の海に沈む。
俺が《ロストオブエデン》で使えたスキルは、
【見切り】【自動回復】【隠蔽】【索敵】【ジャンプ】【ステップ】【幻影】【抜刀】
の八個。
その内、【隠密】と【幻影】はすぐに試してみて使用可能なことが分かった。それとやはり熟練度は受け継いでいるらしく、それぞれの効果がとても高い。
他のスキルも試してみたかったが、流石に生後一週間の俺が使うのは躊躇われるものばかりなので断念した。発動はせめて首は座りきってからにしたい。
◆◇◆◇◆
俺が生まれてから三年が経ち、俺は三歳になった。
立てるようになってから俺の行動範囲は飛躍的に広がった。
まずは、言語を覚えなければと思い、本なんかを使ってひたすらに単語を頭に叩き込んだ。赤ん坊の頭だけあって知識はスポンジが水を吸うがごとく蓄積されていった。
文法自体は日本語に似ていた為、今では難なく話すことも読み書きもできる。
そうして分かったことだが、やはりあの美人の女性は俺の母親だった。んでもって初めてスキルを使った日に来た男性が俺の父親らしい。
母親も父親も仕事が忙しいようで俺にはめったに会いにこない。それが寂しいとは精神的に成熟している俺が今更思わないが、普通の子供ならグレている気がする。
両親はともに国仕の魔術師で、お偉いさんだ。
どんな仕事をしているかは知らないが階級も貴族で領地もあることを考えると結構な重役なのではないかと思う。
この世界には魔術が存在する。俺の読んだ簡単な説明本によると、魔術とは身体の中にある魔力を術式を通して体外に放出し世界の理に干渉する技、らしい。
本当はもっと小難しい理論書もあるのだが、今の俺には読めないので魔術に関しては大ざっぱにしか理解できていないのが現状だ。
次に俺がいるこの国について説明をしよう。
俺が今いるこの国は魔術国家。四方を魔の領域に囲まれた国。
頻繁に現れる魔物に対抗するために魔術を極端に発達させた国で周辺の国々の中では最強の軍事力を誇る。それは最強の矛たる騎士団《朱雀》とその雛鳥たる魔術学院生がこの国にいるからだと本には書いてあった。
どういう意味なのだろうか。
「フィン坊ちゃま、お食事の時間ですよ。」
フィンとは俺の名前だ。因みに家名はブリフィクス。なんとも貴族らしい名前だ。
「今、行きます。」
俺は親や従者の前では猫を被っている。というよりそうせざるを得ない、というのが事実だ。
精神的には既に大人に近い俺が素の状態で三歳児をやったら違和感しかないだろうからな。
今日は久しぶりに両親と食事をすることになっている。
前の世界での俺には親がいなかった。俺が生まれてすぐ飛行機の事故で死んでしまったのだ。それから俺は祖父の家に預けられて育った。優しくも厳しい祖父で彼に孝行できずに死んでしまったのが俺の唯一の後悔と言えるだろう。
そういう訳で俺は親というものを知らずに育ってきた。だから今のように両親がいる生活に新鮮味を覚えている。といっても毎日会える訳ではないし、会えても月に一度や二度だが俺は優しく微笑む母と父が嫌いではなかった。
「今日はフィンちゃんに会わせたい人がいるのよ。」
その日の夕食は家族団欒で和気あいあいとしたものとなった。俺はボロが出てしまいそうだったからあまり話してはいないが父と母が幸せそうに最近のことを楽しく聞かせてくれた。
そんな食事が終わった後、母が俺に紹介したい人がいると部屋を出て行った。
「初めまして、エリンと言います。」
――使用人?
思わず首を傾げてしまいたくなるほど優雅な佇まいで俺達に挨拶をくれたエリンというエメラルド色の髪を持つ女性。美人なのは勿論のこと、スタイルもいい。だがそれよりも目を惹くのは長く尖った耳。
本で読んだことがある。彼女はエルフだ。森の精霊とも言われるエルフは高い魔力を誇りプライドが高いらしい。そんなエルフと母はどんな関係なのだろうか。
「エリン君か、久しぶりだね。」
「クランおじ様もお元気そうで何よりです。」
クランとは俺の父の名前だ。どうやらエリンは父とも知り合いのようだ。ということは職場の関係者なのかもしれない。
父と母ともに国仕の魔術師であることを考えるとその可能性は高そうだ。
「エリンにはフィンの教育係りをやって貰おうと思っているの。」
「約束を果たしに参りました。」
「律儀だね。エリン君は。」
「いえ、これはあなた方への恩返しですから。
最も、これくらいで返しきれるとも思っていませんが。」
俺を抜きに話は進んでいく。話を聞く限りこのエリンという女性は父と母に恩があり、それを返す為に俺の教育係りを買って出たということらしいが俺の意志は全く関係ないようだ。
まぁ、三歳児の意見なんて聞く方がおかしいか。
「フィンはとっても良い子だから、手はかからないと思うわ。」
「そうだな、俺達が忙しさにかまけて殆ど会えないのにこの子はそれをグズったりしない。
本当に出来すぎた程できた子だよ。」
「自慢の息子さん、確かにお預かりします。」
「ええ。私達がいない間、寂しく無いように側にいてあげてくれるかしら?」
「勿論です。」
父と母はそう言って屋敷から出て行った。まだ仕事が残っているらしく王宮に戻ったのだ。
さて、エリンと屋敷に二人きりというこの状況、どうしたものか。今までは俺に深く関わってくる人がいなかったから猫をかぶり続けられたが、毎日顔を合わせるのだと変なところでボロをだしかねない。
とりあえずは自己紹介といきますか。円滑な人間関係を築くには最初が肝心だというし。できるだけ愛想のよく挨拶をしよう。
「初めま‥‥‥‥」
――殺気!?
反射的に【ステップ】を使ってその場を離れる。
「やはりそうですか。」
反射的とはいえスキルを使ったのはまずかったか。
エリンは先程の位置から変わっていない。これで俺の異常性がバレてしまった。だが、どうしてバレた?
「あなたの気配は戦士のものでした。その年でその気配を持つ、あなた何者です?」
「なんのことだか分かりませ‥‥‥」
再び殺気。しかも今度は【見切り】に反応があった。これは本気で攻撃してくる気だ!!
【ステップ】を使ってその場を離れる。俺が今までいた場所にエリンの蹴りが放たれた。
更に【見切り】に反応あり。今度は【ジャンプ】でその場を脱す。
「あまえ、子供に向かってなにしとるんじゃぁ!!」
――あ、思わず素で叫んじまった。