2番目のトライアングル
今日もまた叱られた。
夢の中で。
でもしっかりした女友達に叱られる夢。
なんでだろうか?彼女には恋心を抱いたこともないし、ただの友達なのに。
こいつが夢の中に出てくる時は決まって破れそうな、消えてしまいそうな心になった時。
決まって俺が引きずってる昔の彼女にすがりたくなった時に夢に出てきて俺を叱る。
「あなたのそういうとこがダメなのよ。あやちゃんがあなたから離れた理由もそうだと思うよ。」
そうやっていつも終わる夢。
なんなんだろう俺はこの夢を見た日は普段白濁している意識、つまり寝惚けている時間がない。楽しいとか気持ちのいい朝と言うのとは無縁だけれど、頭がすっきりして普段すぐに出れない布団から飛ぶように起きられる。
その理由を俺はきっと知っている。あやの中の俺がいとも簡単に過去へと、姿から思い出に変わっていることを。そして未だに俺があやを好きでいて、俺の思い出には彼女と違って姿形を持っていることも。そしてそんなあやは俺の夢に出てきてくれないことも。
新人研修の終わりの日、それは辞令が出る予定日だった。大手金融会社の大量採用。一年目からずっと東京にいられるのはごく一部の新人だけ。多分に漏れず小さな紙一枚で全国各地へと散っていく。わずかばかりの研修期間で仲良くなった人間も散り散りになり、社会人としての人生を新しい土地からスタートしていく。
次々と呼ばれ、淡々と告げられる各々の行き先。俺は新潟県だった。参ったな。覚悟はしていたけど全く知らない場所だ。友達もいない場所というのが辛い所だ。
辞令を受け取った日、俺は太田に電話をかける。太田というのは学生時代の友達で大体こいつの呼び掛けからみんなが集まる。そんな男だった。卒業式の飲み会もこいつが幹事で集合した。俺が来月から新潟へ行くのが決定したと話せばこいつがみんなを集めてくれるだろう。そんな自分勝手な期待に太田はちゃんと答えてくれた。
その週の土曜日、俺にとってしばしの別れになるこの配属を祝う、いや、祝ってはいないけれど「じゃ乾杯は今日の主役の誠に任せるかぁ」3分の2は急な招集にも関わらず時間通りに来てくれた。
「えーこの度新潟に参ります。寂しいけれども酒はうまいってことなんで暇が出来たら遊びにきてください。というかこい!かんぱーい!」
少し笑いたい気がしてたから精一杯の冗談を混ぜた。俺の乾杯で飲み会は始まった。誰がくるかはすべて太田に任せていたが、自分如きのために思っていたより多い人数が集まってくれていたことに少し感激をしながらも誠は時に饒舌になったり、人の話を興味深く聞いてみたり、普通にこの会を楽しんでいた。
ただ時々、瞬きよりも短く寂しさがチクリと身体のどこかで刺さる。あやに会いたい。学生時代と変わらずにみんなで集まることがあれば、別れてからも特に支障もなく定期的に顔を付き合わせていた。友達だから。友達の輪を壊す程俺たちは子供ではなかったし、恋心とか愛情だとかは蚊帳の外。みんなの視界の外にそれぞれ置いておけた。今日はたまたま今日顔を合わすことのできなかった何人かの内の一人。それぞれが仕事だなんだとしっかりとした理由を持って来れなかっただけ。さっき来れなかったヤツら全員に電話をかけた中の一人。少し電話で話もした。それでも注がれていく酒と共に満たされていく自分の心の杯が一向に埋まらないのは彼女の存在なのだろうか?
今日は最期まで、朝まで、俺を含め皆がそう思ってくれていたんだろうかは分からないがとにかく俺は東京で最後の夜をちょっとばかり大人になってきた気の合うバカ達と過ごすことができた。
「じゃあな~」「帰ってきたらぜってー連絡しろよ」「休み取れたら遊びに行くわ」
こんな当たり前に言葉にすら涙腺が浮ついては留まる。安っぽいドラマでもそうそうは泣かないところで俺は泣くものかと笑顔一つで始発電車の乗り込む。
微睡みながら太陽を遮るようにカーテンを閉め、眠りについたのが6:30頃。起きたのは
寝る前に消し忘れたTVの競馬中継のけたたましい実況で目が覚めた。多分4時前だ。なにやら実況が馬の名前を繰り返している。
「まさかの展開!勝ったのはセカンドトライアングル!セカンドトライアングル!二着にはブラックサン!一番人気期待のエチゴノテイオーは3着。勝ったのは10番人気の伏兵セカンドトライアングル!」
あぁそうか万馬券が出たのか。興奮する実況の声は寝起きの耳にはとんでなく耳障りで取り敢えずTVを消す。
「セカンドトライアングル・・・」
ただ記憶には残りそうな名前だなと思い起き上がった。
そして二日酔いを覚ますためにシャワーを浴び、飯食いにいこうと無造作に選んだ休日コンビニくらい用のTシャツを来て家を出た。
ラーメン屋・定食屋よく通う店はいろいろあるけれど、今日は少しゆっくりしたいと思い歩いて5分のファミレスに決めた。ドリンクバーがあるし席も多いため、まず忙しなく追い出されることはない。
「日替わりランチのドリンクバーつけてください。」
注文を終え、そそくさとドリンクバーへ向かいアイスコーヒーを取ってくる。まぁファミレスのコーヒーに美味さなんて求めていないので、ガムシロップとミルクポーションを一つづつ取って席に戻るとすぐに注文のランチセットが運ばれてきた。
ランチをさっさと平らげ、さてドリンクバーの元を取ろうかと考えてみたが、読みかけの本も今日は持ってきていないし、起きてすぐに出てきたためかイマイチ思索もなく、とりあえず携帯電話を見る。こういう時はスマートフォンにしていてよかったなと思い携帯のニュースサイトを見ながら2杯目のアイスコーヒーストローで吸い上げる。
すると携帯のメールが入った。
昨日は・・・というタイトルで来たメール。何も考えてなかったからか宛先を見てぼんやりとoffモードになっていた頭が一気に冴えた。あやからのメール。そんなことは想像だにしてなかった。付き合っている時もほとんどメールなんか寄越さないような女だったので何故急にメールをしたかは彼女しかわからないと思う。
「昨日は行けなくてごめん。新潟なんやってね。頑張ってな」
少し関西弁の入った文章だったのでこれは本心だ。あいつはいつも取り繕いたくない時自分の故郷の言葉を使いたがる。というか使うとはっきり公言していた。
こちらこそ・・・というタイトルを入れたところで少し詰まってしまった。当然ありがとう向こういっても頑張るから・・・という程度で返せばいいのだが、何分自分の心を律しなければしばらくはいつでもこの世で一番会いたい人だ。他に好いた人がまだいないのだから。あいつはどうなんだろう?仲間内でもそんな話題は出なかった。女は男を過去にできるらしいから、もうもしかしたら恋人とまではいかなくとも好きな男の一人ぐらい出来ていてもおかしくはないけれど。
「わざわざありがとう。でも引越しは来週やからまだ少しこっちにいるわ」
あぁ卑怯だ。我ながら卑怯だ。会いたいという気持ちをちらつかせながら相手に答えを任せる。そんな文章以外思いつかなかった自分を卑下しながらも送信ボタンを押した。
「ん~今ちょっと忙しいからね~。ホンマは時間作ったりたいねんけど。向こう行くの土曜とかなん?やったらお見送り行くわ。」
予想の上を行く、卑怯な策略のままのメールが帰ってきた。懺悔の気持ちよりもただあやに会える。そんな喜びが自分の靄を消していった。
「ごめん待った?」
待ち合わせの時間に遅れて東京駅にやってきたあやは悪びれる風もなく、小さなバック一つで改札内の書店で立ち読みをしていた誠に声をかけてきた。
「いやそんなに待っとらん」
「だって新潟行くって言っとったからそんな荷物やと思わんやん」
「旅行ちゃうからな。服とか全部送ってもうたわ」
微妙な距離感のある会話をしたあと、二人は喫茶店に場所を写してもその距離は縮まることもなく他愛のない話で時間が消えていく。
「そろそろ時間や。ホームに上がらなあかん。」
「じゃ新幹線出るまでは一緒にいたるわ。」
二人は新幹線のホームへと上がっていく。また時間が消えていく。
ホームのベンチは背中合わせの二席だけ空いていた。座りなよと言われ誠が席につく。その後ろの席にあやが腰掛ける。
「向こう行ったら恋人作らんとな。最後が昔の女やったら寂しすぎる。」
二人の思い出にふとメスを入れてみた。なんとはなしに自然とこんな言葉が出てしまった。
「ん~。私は今会社の先輩に恋してるからいらん。」
コツンとあやが自分の頭を誠の頭に合わせてきた。
誠に取って2番目に聞きたくて一番聞きたくない言葉だった。
「あぁそうかよ。今俺は何番目だ?」
「2番目」
「奇遇やな俺もおまえが2番や」
「1番は?私はおらんけど?」
「俺もおらんからおまえが2番。その先輩は1番やないの?」
「まだわからん。やからここにいるのかも」
二人の接した後頭部を頂点にしたトライアングルの姿勢で交わす言葉はこれ以上は存在しなかった。けして交わることのない2番と2番。今だけは永遠に手が届かない場所で二人接していた。時間が溶けていく。
乗車のアナウンスが聞こえる。二人のトライアングルは離れた。
さよならと元気でいてねの言葉を交わし誠の乗った電車は離れていった。
電車の中で擦り切れるまで聞いた曲を聴きながらふと思う。もう一回好きでいてよかったのかもな。俺が言っちゃだめだけど、あやが言ってくれたらよかったのにな。
けいて1番になることがなくなった恋のトライアングルは胸なのか頭なのか心なのかわからない場所で音を響かせ、埋もれて行った。
電光掲示板のニュースはセカンドトライアングルの次のレースが決まったことを知らせていた。俺も次へ走り出さなきゃ。あやも次へ走りだしたろう。互いの1番を探してセカンドトライアングルをもっと深くへ仕舞うために。