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「……結月様と暁斗様はどうされていますか?」
「暁斗様は禍弥の件で討伐隊の本部に向かわれました。結月様は自らの浄化を終えて、今は昼間の案件の処理をしています。……紫乃様が目を覚まされたらお話をしたいと仰っていました」
「そうですか」
目が覚めたら話がしたい。その言葉に紫乃の心はざわつく。おそらく婚姻に関した話だろう。諍いの仔細は覚えていないが、これまでの様子を鑑みても話が順調に進むとは思えない。どう話が転ぶのか見当がつかなくて、不安が押し寄せる。
「それよりも紫乃様、食欲はありますか?」
「え? そ、その……、今はあまり……」
「それなら、温めの生姜湯とかはちみつ湯とか、飲み物でもいかがですか? 刺激のあるものも駄目でしたら、お白湯とかがいいかもしれませんね」
「でも」
結月が待っているのではないだろうかという懸念が頭によぎり、紫乃は咄嗟にそう返していた。不安を見越してだろう、カナエが微笑んでみせる。
「先生も先ほど言っていらしたでしょう? 今、紫乃様には休息が必要です。結月様もそれは分かっておいでだと思いますよ」
紫乃はカナエの言葉にハッとする。
声をかけてくれた結月を前にして、体が震えてしまったことを思い出す。多忙ゆえにこちらへ来られないとばかり思っていたが、結月が部屋を訪れないのは自分に気を使ってくれているからだろう。連動するように、白い髪と指先が黒く染まってしまった彼の姿が頭に蘇る。
本当に結月は自分の体に呪詛を取り込み、浄化しているのだ。禍弥化した姿はどうしても恐怖心が先に立ってしまう。結月自身も禍弥化した姿など、本来なら誰にも見られたくないだろう。そう思うと、結月が人と距離を置こうとする言動は少なからず理解できた。息苦しくて、胸元できゅっと手を握る。
「何もおもてなしできなくて申し訳ありませんが、今晩はゆっくりしてください」
「……はい。ありがとうございます」
カナエの提案を受けて紫乃は白湯をいただくことにした。少しでも糖分を取っておいた方がいいということで、カナエがドロップも一緒にもってきてくれた。紫乃の日常ではそう簡単に手にできない品だった。
缶に入ったドロップは多種多様な彩りで、透明感があって美しい。恐る恐るドロップを一つ口に含むと、優しい甘さがふわりと広がった。強張っていた気持ちと体がゆっくりと解れる。
しばらくカナエと話をしてから、紫乃は床につくことにした。
光が徐々に強さを増してきて、紫乃は目を覚ます。暑い季節に向かう時分だけあって日の出が早い。
昨日と比べると、だいぶ倦怠感が薄れていた。紫乃は一人安堵し、顔を洗ってカナエが用意してくれた着物に着替える。着替えが済む頃合いを見計らってだろう。カナエが食事を持ってきてくれた。
お膳に乗せられているのは卵雑炊と味噌汁、香の物だった。昨日食欲がないと言ったので、口当たりのいい物にしてくれたのだろう。卵雑炊は小口切りにされた小ネギが乗り、白出汁が効いていてとても美味しかった。
一通り支度を終えると、向き合わなくてはいけない時間が刻々と迫ってきた。紫乃はカナエの案内のもと、来客用の和室へと向かった。自然と緊張が走る。
大きな座卓の前に白髪の青年の姿があった。黒く染まっていた毛先と指先は綺麗に元に戻っている。朝の日差しを受けて、神妙さがいっそ増していた。紫乃の体は更に緊張で縮こまってしまう。一方、結月は気にした様子もなく、紫乃が座ったのを見計らって頭を下げた。
「昨日は見苦しい姿をお見せして、申し訳ありませんでした」
「い、いえ……」
それ以上はどうし返していいか分からず、言葉が尻切れとなる。停滞しそうになった空気を破るように、結月が続けた。
「お体の方は?」
「お陰様でずいぶん良くなりました。ドロップまで頂いてしまって……本当にありがとうございます」
いえ、と結月は淡々と返す。昨日、垣間見えた感情が今日はまるで表に出てこない。不安を感じていると結月が改めて居住まいを正した。
「改めまして、今回の件についてご提案があります。僕と契約結婚をしてはいただけないでしょうか?」
「契約結婚、ですか?」
聞きなれない単語を耳にして紫乃は復唱する。結月はそうですと相槌を打つと、言葉を続けた。
「はい。生活上のさまざまな事柄について話し合ったうえで婚姻をしたいと考えています。僕は天宮家当主の命のもと、誰かと婚姻を結ばなければならない。あなたは僕と接触したことで異能が開花し、禍弥に狙われる立場となりました。身を守る誰かが必要となる。それならば、共にいた方が何かと都合がいいかと思いまして」
紫乃の頭に暁斗が言っていたことが蘇る。もともと、呪詛を祓うことができる結月は禍弥から危険視されていた。そこに彼の禍弥化を寛解させられる紫乃という存在が出現してしまった。禍弥からすれば脅威の増強であり、排除すべきと認識するはずだ。その事実がずしりと胃にのしかかる。
婚姻を誰かとしなければならない結月と、禍弥から命を狙われる存在となった紫乃。婚姻を結べば結月は本家の過干渉から少しは解放されるだろうか。紫乃としては身を護ってくれる者がすぐそばにいてくれるということになる。彼がいう通り、互いが望むものは一致する。
「異能を重ねて使っておりますので、基本的にはこの家にいれば最低限の安全は確保されます。もし、先日のような事があった場合でも、僕があなたを必ずお護りします。各々の希望や詳細は、これから詰めさせていただければと」
結月の話は理解できる。しかし、情報量が多すぎて自分のこととは到底思えなかった。しかし、紫乃の思考は続いた結月の言葉で一気に現実に引き戻される。
「こちらの第一の条件としては、僕が死ぬまでの間、あなたには対外的に良き妻として振る舞っていただきたい」
結月が放った条件を耳にして、紫乃の心臓がどくりと跳ねる。それに相反するように赤い双眸はとても穏やかに凪いでいた。
「あなたに禍弥化を寛解させる力があるとはいえ、僕はおそらくあまり先が長くないでしょう。そのあとは再婚するなり、あなたの好きにしていただいて構いません。代理人を立てるつもりでいますので、僕が死んだあともどうぞご安心ください。……とはいえ、貴重な時間を浪費させてしまうことになります。その代わりと言ってはなんですが、あなたと住吉家に支援を惜しむつもりはありませんので、ご要望は何なりと言っていただければと。あと、周囲はあれこれ言うと思いますが、僕は子も望みません」
後半部分はあまり聞こえていなかった。紫乃は膝の上に置いた手をきゅっと握る。
自分が死ぬまでの間、良き妻であるよう振る舞う。そう提示したのは彼にとって当たり前だったのだろう。しかし、それがあまりにも残酷で無慈悲で、心苦しかった。
「……他に、結月様が何か望まれるものはありますか?」
紫乃の問いに結月は軽く視線を落とした。一拍を置いて、静かに答える。
「そうですね。……あとは一人で静かに死を迎えたい、というところでしょうか」
彼の望みはすべて自らの死を根本としている。婚姻を結んだとしても彼は一人で生きて、独りで死んでいく気なのだ。それを理解してしまえば、もう言葉など出てこなかった。
これはお互いの利益を鑑みての婚姻だ。それに、自分できることなど何もないと自覚もしている。
それでも、せめて一人で逝きたいと言った彼のそばにいたいと思うのは、傲慢だろうか。
紫乃は手をついて頭を下げ、言葉を絞り出した。
「契約結婚につきまして、お受けさせていただきたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします」




