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依代の君と望まれぬ花嫁の幸福論  作者: 立藤夕貴
2話 契りと仮初の夫婦
7/33

2ー2

「話を勝手に進められては困るんだけどな」


 そんな声が頭上から降り落ちてきて、紫乃は恐る恐る振り返る。そこにいたのはスーツ姿の黒髪の男性。織り目正しい格好と長身でしっかりした体躯が印象的だ。結月と対照的な青の瞳が紫乃に向けられる。彼は結月の横に腰を下ろして居住まいを正した。結月は横に座った兄を睨みつけるように見据える。


「お呼び立てした上に遅くなって大変失礼しました。私は天宮暁斗。結月の兄です」

「話を勝手に進めているのはそっちじゃないか」

「紫乃様の前だぞ」


 暁斗の指摘に結月は不承不承といった様子で口を噤む。結月が黙ったのを確認して、暁斗が改めて話を続けた。


「こちらにご足労いただきありがとうございます。先日、結月の禍弥化を寛解させたという報告を受けております。本日はぜひ、紫乃様の異能を拝見したいと思っております」

「こんな不当な要件、応じなくていいです。無礼ですが今日は――」

「結月」


 暁斗の鋭い声音が部屋に響き渡る。結月だけでなく、紫乃もその冷たい声に身を強張らせた。冴え冴えとした青の瞳が白髪の青年を射抜く。


「お前の禍弥化を寛解させる者が現れた。本当に紫乃様の御力がお前に有効なのか、見極める必要がある」


 結月はぐっと言葉を飲み込み、微かに上げた腰を静かに下ろした。痛いほどの沈黙が部屋の中を占拠する。しかし、暁斗はそれをものともせずに紫乃に視線を向けた。


「失礼ですが、異能を拝見してもよろしいでしょうか?」

「は、はい」


 この空気の中で、自分に異能はないなどと紫乃には言えなかった。しかし、返事をしたものの、どうするのがいいのか分からず逡巡してしまう。


「紫乃様、結月の隣に来ていただいてもいいですか?」


 困惑を察したらしい暁斗にそう促されて、紫乃は席を立った。結月の横に座って改めて様子を窺うと、先ほどまで無表情を決め込んでいた結月の顔には不機嫌さが滲んでいた。

 異能がないと分かって落胆されるのは正直怖い。しかし、あの日何が起こったのか確かめたいという気持ちは紫乃にも少なからずあった。紫乃は恐れを飲み込んで結月に声をかける。


「手を、お借りしてもいいですか?」

「……はい」


 差し出された手を取る。少し線が細いが、男性らしい筋張った手だった。

 けれど、初めて彼に触れたときのような光が生まれることはなかった。これで何も起こらなければ、自分の無能が明確になるということだ。どくどくと心臓が早鐘を打ちはじめる。

 そのとき、さり気なく手が軽く握りしめられた。ハッとして視線を上げると結月の真剣な眼差しが目に入った。そうだ、怖気づいている場合ではない。紫乃は軽く息をつき、目を伏せる。


 思い出せ。何度も練習してきた手筈を。体に染み付いた鍛錬の記憶を。

 まずは自分の気と相手の気を同化させて、流れを把握する。人には血管だけではなく、気が流れる管が無数に存在している。そこが禍弥の呪詛で閉塞すると体に支障をきたしてしまうのだ。

 紫乃は気の同化に集中する。結月の気を捉えると、驚くほどによく馴染んだ。次いで気の流れが滞っているところを探り当てる工程に入る。流れる気をたどっていくと細くなった部位を感じた。末端が全体的にひどく閉塞しているようだ。同化させた気で菅の詰まりを浄化していく。


 細い管に糸を通していくような作業だ。徐々に閉塞感が薄れていくと、今まで感じたことのない高揚感が体を駆け抜けていった。自分も誰かの力になれることがある。まったくの能なしではないのだと思った矢先のことだった。

 唐突にひどい眩暈に襲われ、体がふらつく。体が倒れかけた途端に誰かに受け止められた。体を離そうとしたが、動こうとした矢先にまた視界が揺れた。


「そのままでいてください」


 結月の声音がすぐ近くに聞こえる。きっと彼が倒れかけたところを支えてくれたのだろう。紫乃は胸を借りたまま眩暈が収まるのを待つ。しばらくすると症状が落ち着き、ゆっくりと体を離した。


「ご迷惑をおかけして……失礼しました」

「……いえ」


 気遣わしげな声だった。紫乃は思わず彼の顔を見る。声と同じように彼の瞳には心配の色が差していた。


「結月、どうだ? 嘘はなしで正直な意見を言ってくれ」


 しかし、それも束の間。暁斗の声が間に割って入ってきた。結月は少しムッとした様子で兄を見据える。しかし、暁斗はまったく意に介さない。

 しばらくの間、膠着(こうちゃく)した状態が続く。やがて、結月が諦めたように息をついた。


「……体がかなり軽くなった。気の滞りが改善されたんだと思う」

「思うとはずいぶん抽象的な言い方だな」

「仕方ないじゃないか。こんなこと、今までなかったんだ」


 結月の返答を受けて、暁斗は口元に手を当てて眉をひそめた。


「やはり、あなたには特別な異能があるようです。結月だけに起こるのか、それとも――」


 そこで暁斗の言葉が途切れた。彼は素早く縁側の向こう側を見据える。それは結月も同様だった。屋敷を覆う空気がいつの間にか張り詰めていた。


「私は外に向かいます。ここにいてください」


 暁斗はそう告げるなり、玄関の方へと走っていった。何事かと思っているうちに、結月が腰を上げた。そのまま紫乃を背に隠すようにして縁側に向き直る。

 瞬間、悪寒が全身を駆け抜けて総毛立つ。塀の上にある存在に気がついて紫乃は絶句した。

 そこに立つのは白骨の異形。禍弥が大きく跳躍するのと同時に、結月が縁側から外へと躍り出る。


 どんという音とともに、禍弥が着地した地面が軽く陥没する。禍弥は立ち上がった途端に結月めがけて飛びかかった。結月は動じることなく腕を(かわ)し、ガラ空きになった背中に掌底(しょうてい)を見舞った。

 がらがらと派手に音を立てながら禍弥が地面を転がる。しかし、それを(かば)うように荊棘が伸びて体を覆い、一部が結月に向かった。同刻、聞き慣れ始めた男性の声があたりに響く。


「結月様!」


 結月は自分めがけて放り投げられた刀を受け取る。次いで彼は腰を落とすと、流れるような所作で抜刀した。

 瞬間、目の前に差し迫った荊棘と薔薇が斬り伏せられる。続け様に伸びてきた荊棘もいとも容易く地に落ちた。結月は荊棘を操る禍弥の右腕を斬り落とし、ガラ空きになった胸に刀を突き立てる。

 硝子を砕くような高い音とともに、禍弥の体が糸が切れたように項垂れる。結月がすかさず刀を引き抜くと、禍弥の体は光の粒子となって消えていった。刀を鞘に戻す結月のもとに周平が駆け寄る。


「結月様、申し訳ありません! 私の異能が至らないばかりに……」

「いえ、あれは狂花しかけていた禍弥でした。仕方ありません。……兄上は?」

「表に出現した禍弥に対応していました。質は並。数も多くないので、もうじき戻られるかと」


 結月はそこで口を噤む。部屋に視線を戻すと奥で座り込んでいる紫乃と視線が合った。

 紫乃は言葉ひとつ発することもできず、彼らの攻防を見ていた。結月は素早く部屋に戻ると座り込んでいる紫乃のもとに屈み込む。結月を目の前にして、紫乃の体は反射的にビクリと震えてしまった。


「……僕たちの日常は、こんなものです」


 その声は、ひどく寂しそうだった。沈黙がもどかしくて口を開きかけた途端、彼は自らの羽織を紫乃の頭に被せる。急激に視界が暗くなり、紫乃は慌てて羽織をどかそうとした。

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