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依代の君と望まれぬ花嫁の幸福論  作者: 立藤夕貴
2話 契りと仮初の夫婦
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2ー1

 思いもしない出来事に見舞われつつも、変わりなく朝と夜は訪れる。

 紫乃は天秤(てんびん)の一つに生薬(しょうやく)を乗せて手を止める。これからどう立ち振る舞うべきなのか。住吉家にとって何が最善な行動なのか。ここ数日はそんなことばかりで頭が占拠されていた。


 見合いの日から二日後、周平が住吉家を訪れたのがすべての原因だった。用件は結月と再び面会してほしい、可能ならば婚姻に向けての話し合いをしたいというものだった。

 紫乃に断る権利はない。了承の旨を伝え、気持ちの整理がつかないまま日常を過ごしていると、いつの間にか約束の日が明日に迫っていた。

 かたんと戸が開く音がして、紫乃は思考の海から浮上する。視線を上げると引き戸の向こう側に喜好の姿があった。喜好は眉をひそめて紫乃の手元を見やる。


「紫乃。調薬中に考え事は感心しないね」

「ご、ごめんなさい」


 紫乃は慌てて詫びた。ここ数日ぼんやりしすぎていて、食事の支度中にも調子が悪いのかと問われるぐらいだった。分量が重要となる調薬中に考え事に(ふけ)っているなど、叱責されて当然だった。自分の不甲斐なさに申し訳なさが募る。

 喜好は少し距離を置いて腰を下ろし、両腕を袖に通して悩ましそうな顔をした。


「先方の所感は悪くなかったんだろう? そんなに気を揉むことはなんじゃないかい?」

「……はい」


 喜好が言うように天宮家の所感は悪くないだろう。むしろ良いとすら言える。

 問題は当事者である結月だ。彼はきっと今の状況を良しとはしないだろう。そう思うと、彼がこれからどんな行動を起こすか気がかりでならなかった。


「すまないね」

「え?」


 思いがけない声が耳に届いて紫乃はパッと視線を上げる。いつの間にか視線が落ちてしまっていたらしい。喜好に目を向けると、とても真剣な表情をしていた。


「紫乃にはもっと自由に生きてほしかったのに、私の力ではどうすることもできない。不甲斐ない父で申し訳ないよ」

「そんなことはないです! 私は十分に自由にさせてもらいました」


 それは心からの本心だった。自分の身の上からすれば、こうして育ててくれただけでも十分すぎるほどなのだ。自分が塞ぎ込んでいると思って、気を使わせてしまったのだろう。

 そう、ここで悩んでいても仕方がない。自分にできる最善を尽くすのみなのだ。


「大丈夫です。できることは……」


 そこまで言いかけて、店先がやけに賑やかなことに気がついた。紫乃と喜好は顔を見合わせる。途端に喧騒(けんそう)が聞こえてきて、二人は慌てて表へと出た。


「禍弥、禍弥だ!」


 視界に入ってきたのは逃げ惑う人々の姿。紫乃たちは何が起こったかすぐに察して、店の戸口を最大限に開ける。


「皆さん、こちらへ!」


 我先にと、人が店の中になだれ込む。近所の家も同じように往来の人々を家の中に招き入れている。人をできるだけ迎え入れて、紫乃は戸口に禍弥除けの札を新たに貼り付けた。喜好は異能が施された伝令箋(でんれいせん)を店の戸棚から出して素早く言霊を吹き込む。それは一羽の鳩に姿を変えると、戸をすり抜けて空を駆け抜けていった。


 広い店の土間が人々で占拠され、皆一様に息を潜めていた。ただ、じっと時が過ぎるのを待つ。紫乃は注意深く外を観察していた。目の前を通り過ぎる影を見て、つうと冷たい汗が流れる。

 格子戸の隙間から覗くのは白骨の異形。荊棘が体に絡みつき、黒薔薇を鮮やかに咲かせている。薔薇はまるで硝子のように艶やかで、太陽の光を反射していた。

 禍弥の出現は主に夜半であるが、時折はぐれたように日中出没することがある。この個体もそうなのだろう。そういうときはできるだけ禍弥除けが貼られた身近な建物に避難する。帝都ではこの通達が徹底しているおかげで、非常事態時は大抵は家の中に人を招き入れる。しかし。


「あああぁぁぁ――‼︎」


 遠くから悲鳴が聞こえた。帝都には浮浪者もいる。そういった者を招き入れたくないという者も一定数いるのが現状だ。逃げ遅れたか、建物に入れてもらえなかったのだろう。悲鳴は一回きりで、そのあと聞こえてくることはなかった。小さな子供を抱えた女性がぎゅっと身を縮こまらせていた。どくんどくんと心臓が脈打つ。

 早く討伐隊がきてくれますように。紫乃にはそう祈ることしかできなかった。


 そのあと、早急に禍弥討伐隊が駆けつけたようで、一時間ほどで事態は収束したようだった。住吉家は帝都の中央より少し離れた場所にあるため、禍弥が現れることはままある。しかし、見合いを受けた以降は禍弥の出没が頻繁に騒がれていた。日常の仕事をこなしつつ、禍弥と接触しないように過ごしながら、紫乃は結月との面会の日を待った。


 迎えた約束の日。見合いのときのように迎えの馬車が現れ、紫乃は天宮家へと向かった。屋敷はまるで何事もなかったかのように、静かに帝都の片隅に佇んでいた。


「ご足労いただきありがとうございます」


 屋敷の前で待機していたのだろう。周平が紫乃の来訪に気が付き、素早く迎え出た。彼の顔からは安堵が(にじ)み出ている。おそらく、紫乃が本当に応じてくれるのが気がかりだったのだろう。周平にどう応えていいかわからず、紫乃は曖昧な笑みを浮かべた。


 周平の案内で向かったのは、あの見合いで使われた部屋。緊張で身を固めたまま、紫乃は緩やかに開けられる襖を見守った。大きな座卓と人の姿が視界に入る。

 座卓を挟んで座するのは白い髪の男性。絹のような髪が濃紺の着物と銀鼠(ぎんねず)の羽織によく映える。少し前髪が長いのは目を隠すためだろうか。紅玉のような赤い瞳は長い睫毛で縁取られている。すっとした目鼻立ちも相まって中性的な印象だ。体はやや細身ながらも凛とした雰囲気をまとっていた。


 青年の造形は何一つとして乱れてはならないというような、絶妙な均衡で成り立っていた。まるで龍神が人の姿を象ったらこのようになるのではないかと思わせる容貌だ。改めて結月の姿を目の当たりにして、紫乃の背筋に冷たいものが走る。畏怖と同時に人を惹きつける姿で目を離せない。


「どうぞお座りになってください」


 男性に声をかけられて紫乃はハッと我に返り、慌てて返事をして座卓に着く。真正面から見るといっそ彼の精錬された姿を目の当たりにすることになった。自分とは一線を画す存在を前に緊張が加速していく。男性は席についたのを見計らって頭を下げた。


「この度はご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。この屋敷の主、天宮結月と申します」

「ご、ご丁寧にありがとうございます。住吉紫乃と申します」


 思っていたよりも落ち着いた声音が耳を打つ。出合い頭に叱責(しっせき)されてもおかしくないと思っていたので、詫びられた紫乃は目を白黒させた。

 襖の向こう側から声がかけられ、結月が応じるとカナエが入ってきた。彼女は二人の茶を用意して紫乃に向かって微笑むと、静かに退席していく。知れた顔を見て紫乃の緊張は幾分か和らいだ。結月は紫乃にどうぞと茶を勧めると、湯飲み茶碗を手に取った。こちらが手に取りやすいよう気を使ってくれているのだろうか。

 不意に苦しそうに臥せっている結月の姿が脳裏に蘇る。声をかけるべきか迷ったが、迷いを押し殺して紫乃は口を開く。


「あ、あの。お体の方は……大丈夫でしょうか?」


 ここ最近、禍弥が頻繁に出没している。今日の面会も無理をしているのではないかと思ったのだ。

 赤い瞳が見開かれる。そのときになって、紫乃は結月の顔をようやくまともに見ることができた。もともと色白なのだろうが、顔色があまり良くないように見えた。


「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます。どうぞご心配なく」


 けれど、彼は淡々とそう返した。わずかにのぞいた驚きという感情はすでに息を潜めていた。

 差し出がましいことをしてしまっただろうか。そんなふうに紫乃が思っていると、はっきりとした声が耳を打った。


「ここまでおいでいただいて大変恐縮なのですが、私はどなたとも婚姻を結ぶつもりはありません」


 二人の間を覆う空気がすっと張り詰めた。感情が窺えない赤い瞳が紫乃に向けられる。


「ご迷惑をおかけしたことは重々承知していますので、お詫びはいかようにでもいたします。ご要望はなんなりと――」


 そのとき、唐突に襖が開けられた。あまりにも急なことだったため、紫乃は竦み上がってしまう。結月は襖の先に立つ者を見て静かに睨みつけた。

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