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人の体には気が流れる管があるとされている。仙道家特有の異能は対象者と気を同化させ、その菅を浄化して気の流れを正常に戻すというもの。それによって対象者は身体機能が改善し、異能も向上する。力が強い者は根源である龍脈にも干渉できる。殊に女児に発現しやすいとされている異能だった。
しかし、紫乃に異能はなかった。いや、正しく言うならば気の流れを感じることはできた。しかし、相手と自分の気の同化が上手くできない。異能行使の初手の段階で躓いてしまうのだ。歴代でもなかった現象で、汚点と言われても仕方がなかった。そのために住吉家に引き取られることになったのだ。
苦い過去が思い起こされて、紫乃は両手をきゅっと握る。少し間を空けてから紫乃は静かに周平に問うた。
「それなら、どうして私などに縁談を持ちかけたんでしょうか? 私は仙道家の汚点と言われている者です。他にも良いお方はおられたでしょう?」
「……縁談自体は前々から水面下で行われていました。ただ、あのお姿を見られた上で恐れず、結月様に手を伸ばされた方は紫乃様しかいませんでした」
恐れがなかったわけではない。義母の姿が脳裏によぎって咄嗟に駆け寄ってしまっただけなのだ。何があってもおかしくなかった。何が功を奏したのか分からないが、今回は結果が良かっただけにすぎない。勇猛でもなければ献身でもない。無鉄砲で考えなしの行動だ。
紫乃は自身の行動が急に恥ずかしくなってきた。それを誤魔化すように、紫乃はふと浮かんだ疑問を口にした。
「……結月様は他の方とのお見合いのときも、あのお姿でお会いになったんですか?」
「任務ゆえ、致し方ないところがありまして……」
周平が歯切れの悪い返答をする。何か他にもありそうだなと紫乃が思った矢先、今まで事を見守っていたカナエが口を開いた。
「結月様は縁談を白紙にしたく、あのようなお姿で人前にお出になられているんです」
「カナエさん」
周平が慌ててカナエを静止する。しかし、カナエはそんな彼をまっすぐな視線で見つめ返した。
「紫乃様が真剣にこちらの話を聞いてくださっているんです。私たちも誠意を持ってお答えすべきかと」
カナエの指摘に周平は口を噤む。しばらくしたのち、彼は軽くため息をついてから話を続けた。
「実のところ、結月様は婚姻を望まれておられなくて……。縁談を持ってこられたのは結月様の兄である暁斗様なんです。結月様は当主様と暁斗様に押し進められて縁談に応じている状況でして。それで、見合い相手が異形と分かれば誰もが逃げ出すだろうと言って、あのお姿でお出になると……」
結月が婚姻を望まない理由はあの姿を見た今なら理解できる気がした。自分なら、共にいたいと思う者はいないだろうと諦観する。ただ、白紙への持ち込み方がかなり乱暴なのが気にかかった。
そこでもう一つの疑問が芽生える。踏み入れたらきっと後戻りできなくなるという予感がしたが、違和感が拭えないまま終わるのは嫌だった。紫乃は恐怖を飲み込み、疑問を口にする。
「末端の住吉家に細かい話が届かないのは当然かもしれませんが……。それでも天宮家の縁談なら、少なからずどこかでお話を耳にするはずです。どうして……どこからもお話が聞こえてこないのでしょうか?」
再び訪れたのは極寒の沈黙。そこで訊いてはいけない問いだったのだと紫乃は改めて思った。しかし、後の祭りである。何を口にしたらいいのかまったく分からない。周平はしばらく黙していたが、やがて口を開いた。
「先に言ったように、結月様は縁談に関して断固拒否でした。しかし、強力な《依代》の力を持たれている。婚姻を結ばないなど当主様が許しません。それならば、呪詛を受けた禍弥化した自分を見ても慄かない者、もしくは呪詛を共に浄化できる者が現れれば婚姻を結ぶというとことで話が着地しました。縁談の話が外に広がらないのは私の異能で《隠蔽》しているからです」
「隠蔽?」
不穏な響きが鼓膜を揺らす。周平が紫乃の言葉に頷いてみせる。
「文字通り、人の所在や事の真相などを故意に覆い隠す力。今までの縁談については、お相手様とご家族の記憶から『すべてなかったこと』になっています。……理解し難いとは思いますが、異形を見てしまったお相手方様に対する、結月様なりの配慮なんです」
記憶の改竄。そんな言葉がふっと頭に浮かんで、全身の血の気が引いた。
《隠蔽》の異能をもってすれば事実を覆い隠したり、一個人の意思決定を覆したりすることなど造作でもないということだ。異能というものの恐ろしさを今になって目の当たりにして、言いようのない感覚が背筋を這う。
「加えて、市井にも結月様の噂が流れないようにするための配慮でもあります。結月様本来のお姿をご覧になられたでしょう? あのお姿だけでも市井に大きな影響を与えてしまいます」
一目見ることができた結月の本来の姿を思い出す。艷やかな白い髪と宝石のような赤い瞳。今までに見たことがない美しい容貌だ。
「……結月様の異能はとても強力です。一人でこの淀みの時代を乗り切れるぐらいに。しかし、それ故に《依代》の異能を持つものは皆、短命なんです」
続けられた事実に紫乃は言葉を失う。慌ててカナエに視線を向けると、彼女は鎮痛な面持ちで軽く目を伏せていた。自然と紫乃は口を噤む。
「結月様は二十一になられました。残された時間はそう多くはありません。……だからほんの少しの可能性にかけて、お力を貸していただきたいんです。立場が違えど、あなたも結月様も異能というものに縛られて生きてきた」
この帝都に蔓延る呪詛を取り込み、一人で祓えるほどの異能。しかも残された生は短く、それ故に望まぬ婚姻を急かされているという。想像しかできないが、息苦しいという言葉では到底収まりきらないということだけは分かった。
無意識のうちに、足においていた両手をきゅっと握っていた。そんな紫乃を見て、周平は申し訳なさそうに頭を下げる。
「情に訴えるような卑劣な真似をして申し訳ございません。ただ、もう一度だけ結月様とお会いしてくださいませんか? こんなことを頼むのは厚かましいと存じています。しかし、あなたは結月様を元の姿に戻してみせた。私には、あなたに異能がないとは到底思えないのです」
周平が言っていることは理解できたつもりだ。しかし、いかんせん情報量が多すぎる。紫乃は自分を宥めるようにそっと息をついた。
「すみません……。いろいろとお話を聞いて、私もだいぶ混乱していて……」
「そうですよね」
周平は微苦笑を浮べる。ようやくそこで紫乃は彼の顔をまともに見た気がした。
「お返事は今でなくて構いません。ただ、この件はご内密にお願いいたします。……私も可能な限り、人道に背くことはしたくないものでして」
周平の言葉を聞いて紫乃はハッとする。彼の立場上、主人の命には逆らえない。紫乃はようやく落ち着きを取り戻し始めた頭で彼の立場を認識した。彼に抱いてしまった不快感が罪悪感に変わり、ザラザラと胸に残る。
ふと、結月はどうしているのだろうと冷静になった頭で思った。あんな苦しそうな姿を目にして、気にならないわけがない。
「あの……。一度、結月様の様子を見させていただいてもいいですか?」
「もちろんです」
周平がすかさずそう返し、紫乃はカナエに手を貸してもらって立ち上がった。廊下を歩くと程なくして部屋にたどり着き、少しだけ体が強張った。周平が振り返って紫乃に視線を送る。
「今は寝ておられます。目を覚ますのは、おそらくもう少し後になるかと」
紫乃が静かに頷いてみせると、彼はゆっくりと襖を開けた。
文机や箪笥など、必要最低限のものが置かれた簡素な部屋。そこに一組の布団が敷かれ、白髪の青年が臥せっていた。起こさぬよう、紫乃はそっとそばに腰を下ろす。
そばで見た青年の顔は苦悶に満ちていた。玉のような汗が額に浮かんで白い肌を流れていく。
いつの間にかカナエがすぐ近くに腰を下ろして、桶にかけていた手拭いを絞っていた。彼女がずっと紫乃と結月を介抱していたのだろう。その様子を見守っていると不意に手拭いが差し出された。
カナエは言葉なく、優しく微笑む。紫乃は逡巡したあと、ためらいがちに受け取った。
そっと、壊れ物に触れるように手拭いを当てる。微かに目蓋が動くが、紫乃はそのまま流れ落ちそうになる汗を拭き取った。目に見える汗を拭き取り終えると、先ほどまで苦しそうだった表情がいくらか和らいでいた。カナエがほうっと安堵の息をつく。
「お顔色がいつもよりだいぶいいんです。きっと、紫乃様のおかげだと思いますよ」
そう言われたものの、紫乃はそうですかと相槌を打つことぐらいしかできなかった。実感がなくて、今目の前のことでさえ他人事のように映ってしまう。しかし、これでも調子がいいというのなら、普段はどんな有様なのだろう。
すっきりとしない気持ちを抱いたまま、紫乃は自宅へと戻ることになった。




