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依代の君と望まれぬ花嫁の幸福論  作者: 立藤夕貴
1話 頂点と末端の縁談
4/22

1ー3

 * * *


 白を基調とした洋式の木製の建物。ベッドとテーブルが設えられただけの簡素な部屋だ。部屋を見て、紫乃はこれは夢なのだと察する。

 ここは異能一族が経営している医院だ。帝都より少し離れたところにある。苦い気持ちを押し込めながら、紫乃はゆっくりと窓際に設えられているベッドへと足を向けた。


 養母は目を開けることなく、ベッドに()せっていた。手と足は墨に浸したように黒ずんでいる。肉付きが良かった体はもうだいぶ細くなってしまった。

 世の中には禍弥の呪詛を受けやすい体質の人間がいる。義母もその一人だった。中には異能の力で症状が寛解(かんかい)する者もいたが、義母は根治が難しいと判断されてこの地へ来た。


 移った頃はまだまだ元気で、喜好をはじめとした家族と会うことをとても楽しみにしていた。痛みや眩暈に襲われても笑顔を絶やさずに家族を迎えてくれた、優しくて強い人。しかし、体を呪詛に侵食された義母は徐々に起きることもままならなくなった。今はもう喋ることすらままならない。ここは義母の(つい)の住処だった。


 ひゅーひゅーと浅い呼吸が聞こえる。息遣いが義母の余命が幾許(いくばく)もないことを物語っていた。ただ一心に、祈りを込めて黒ずんでしまった手を取る。


 ――どうか、お母さんを助けてください。力をどうかお貸しください。


 龍神に何度も()う。しかし、無能の祈りなど届くはずなどなかった。

 仙道家の汚点。おぞましい子。

 その言葉は禍弥の呪詛のように、いつまで経っても焼き付いて消えることがなかった。 




 * * *




 ハッと目を覚ます。

 気がつけば心臓がバクバクと早鐘を打っていた。全身がじっとりと汗ばんでいる。先ほど見た夢のせいだというのは火を見るよりも明らかだった。紫乃は身動きが取れないまま、見慣れぬ天井を見つめていた。


「目を覚まされましたか」


 すぐそばから声が聞こえてきて、紫乃は体をびくりと跳ねさせる。声がしてきた左手に視線を持っていくと、淡い抹茶色(まっちゃいろ)の着物を着た女性がそばに寄ってきた。年齢は四十代ぐらいだろうか。


「お顔の色はまだよくないですね。無理をせずに、そのまま寝ていらしてください」


 そう言い残すと女性は慌ただしく部屋を出ていってしまった。声をかける隙さえなく、紫乃は途方に暮れる。少ししてから、失礼しますという声とともに襖が開いた。そこに見覚えのある男性の姿があって、紫乃は体を強張らせる。


 女性とともに現れたのは、案内をしてくれたあの使用人だ。今度は何が起こるのだろうか。そう思った紫乃は素早く身を起こして気を引き締める。彼は警戒を滲ませる紫乃から少し距離を置いて正座をすると、深く頭を下げた。


「……この度は驚かせてしまい、大変申し訳ありません。私は結月様の使用人の染谷(そめたに)周平(しゅうへい)です」

「同じく、使用人のカナエです。僭越(せんえつ)ではありますが、お茶を入れさせていただいても構わないでしょうか? 気が付かれたばかりで落ち着かないでしょう?」


 カナエと名乗った女性も申し訳なさそうに笑った。紫乃は彼らが今回の件に(くみ)していることを察する。周平は頭を上げると言葉を続けた。


「紫乃様。大変厚かましくて恐縮なのですが、少しだけ私どものお話を聞いてはもらえないでしょうか?」


 まっすぐで、祈るような視線が紫乃に突き刺さる。その姿は昔、義母の件で医師に詰め寄った自身を思い起こさせた。息が詰まりそうになる。

 紫乃としても聞きたいことはいろいろとある。なぜ、禍弥に似た異形とも言えるものが屋敷にいたのか。異形だったものが人に変化したのは間違いないのか。あの美しい白い髪の男性が結月という人なのか。不審や恐怖感は拭えないけれど、今は彼らの話を聞くのが最善だと思った。何よりも、周平たちの必死な姿を見たら無下(むげ)になどできなかった。


「……分かりました。お話、聞かせていただいてもいいですか?」

「……ご厚情、痛み入ります」


 もう一度、周平は頭を下げた。深い一礼だった。同じようにカナエも深く頭を下げる。紫乃もそれにはさすがにうろたえて、慌てて二人に声をかけた。


「あ、頭を上げてください……! 私も分からないことを知りたいですし、きちんとお話をしてくださればそれで構いませんから……」

「ありがとうございます」


 紫乃が声をかけ、ようやく二人は顔を上げた。声をかけなかったら頭を下げ続けていただろうという気迫だった。カナエが一度退席し、茶器一式とお茶請(ちゃう)けを持って戻ってくる。

 茶が器に注がれて芳しい香りが鼻腔をくすぐった。茶碗を受け取ると、熱すぎない熱が伝わってくる。口にすると、香ばしい茶の香りと温かさが乾いていた喉を潤した。そのときになって、紫乃は自分が思っていた以上に水分を欲していたのだと知る。紫乃が落ち着いたところを見計らって、周平が口火を切った。


「先ほど紫乃様がご覧になられたのは、ここの屋敷の主人である天宮結月様です」


 すっと頭に浮かんできたのは黒薔薇を身に咲かせる異形の姿。そして、気を失う前に一瞬だけ見ることが叶った男性の姿だった。異形の姿はもちろんだが、白髪の男性も到底人とは思えない容貌だった。紫乃は言葉を選びながら、周平に問い返す。


「それは……あの黒薔薇を咲かせる方も、白い髪の男性も……天宮様ということでしょうか?」

「その通りです」


 にわかには信じがたい話だった。けれど、紫乃自身が目の前で異形が白髪の男性になったのを目にしている。周平の話を否定することなどできなかった。


「結月様は《依代(よりしろ)》という特異的な異能を持たれています」

「《依代》……?」

「はい。禍弥の呪詛をその身に取り込み、浄化するという異能です。異能の性質としては、形代(かたしろ)と表現した方が正しいでしょうか」


 形代なら紫乃も馴染みがある。お祓いを受ける人の代わりに罪や穢れを移すための人形や紙だ。道具屋でも簡易的な呪詛祓いとして売っている。そこまで考え至って、ぞくりと全身が粟立(あわだ)った。


「結月様は帝都にあふれる呪詛を祓う任を請け負っておられます。先ほど紫乃様がご覧になった姿は呪詛を取り込み、一時的に禍弥化した結月様のお姿です。浄化しきれば元のお姿に戻られます」


 最後の方は聞こえていなかった。義母の臨終の姿が脳裏に浮かぶ。

 禍弥の呪詛は頭痛や眩暈、悪心(おしん)、全身の痛みなどを引き起こし、人の自由を損なわせていく。呼吸困難の果てにもたらされるのは死だ。帝都に蔓延る呪詛を一人で取り込み、浄化するなど正気の沙汰ではない。


「一人で帝都の呪詛を……。そんなことが、本当に可能なのですか……?」

「可能です。だからこそ、この(よど)みの時代に帝都は正常を保つことができます。仙道家の紫乃様であれば、その辺りはご理解いただけるのではないでしょうか?」

「……やはり、私の経歴をご存知だったのですね」


 紫乃の言葉に周平は(もく)する。それは問いに対する答えと同義だった。深く淀んだ空気が部屋を満たす。

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