6ー10
紫乃の涙が落ち着いたところで屋敷の中へと入った。紫乃の体調もあって盛大にとはいかなかったが、カナエが腕によりをかけた夕食を振る舞ってくれた。
野菜が入った雑炊に茶碗蒸し。かぼちゃの煮物、長芋の醤油漬けといった消化が良いものが並ぶ。久しぶりのカナエの料理は身に染みるほど温かくて美味しかった。
「紫乃さん。今からお時間をいただきたいんですけど、いいですか?」
食後にお茶で一服をしている最中、結月からそんな提案を受けた。ついに来たかと紫乃は身構えながら、平静を装って返事をする。
「は、はい」
「外に出たいので支度をしてきます。すぐに戻りますので、ここでお持ちください」
紫乃が疑問を声にする前に結月は席を立ってしまった。普通なら出かけなどしない時間帯だ。一体どこへいくというのだろうか。
程なくして黒髪の結月が姿を現した。表に出ると天宮家の馬車が止まっていた。御者台には周平が座っている。結月に促されて馬車に乗ると、ゆるりと走り出した。街灯が灯る夜景が車窓を流れていく。
「どこへ、行かれるのですか?」
「秘密です」
対面に座る結月は悪戯っぽく笑った。向かうところが決して悪いところではないらしいと、それで悟る。昔、結月に街に連れ出されていたと識が話していたが、このような感じだったのだろうかと紫乃は一人思った。
帝都を出て十分ほどしたぐらいだろうか。ゆるやかな傾斜を登り終えて馬車が止まった。目的地に着いたということだろうか。窓にかかる幕をそっと開けて、紫乃は息を呑んだ。
満月の空の下、光り輝く花畑がそこにあった。半透明の乳白色の花弁が青白い光を灯し、宙に粒子を舞い上がらせている。それは息をするのも忘れてしまうような、えも言われぬ美しい光景だった。
「行きましょう」
いつの間にか馬車を降りた結月が手を差し伸べている。紫乃はその手を取って、外へと足を踏み出した。
満月の下で光り輝く花畑はいっそ神々しい。感嘆の息が自然とこぼれていた。
「いかがですか?」
声をかけられて視線を向けると、いつの間にか白髪姿の結月が隣にいた。沈む世界の中、花畑の光に照らされて神々しく映る。
「ここは……?」
「ここは満月の日だけに咲く花畑なんです。母が幼い頃に連れてきてくれました。死ぬ前にもう一度来たいと思い続けていた場所です。……そして、もう二度と訪れることはないと思っていた場所でもありました」
結月の告白につきんと胸が痛む。結月はおもむろに紫乃に向き直り、微笑んでみせた。
「あなたがもう一度、僕を外の世界へと連れ出してくれた。そのおかげでここまで来られました。……ありがとうございます」
向けられる優しい笑顔に息が詰まる。けれど、ここできちんと向かい合わなければならない。紫乃は俯き、縺れる口で言葉を紡ぐ。
「私は、お礼を言われるような人間では……ありません。あの方とお会いしたのなら、ご存知のはずです」
「……確かにお話は聞きました。あなたには災禍の相がある。龍脈の気の流れを乱してしまう存在で、周りの人々を不幸にすると」
「そうです。私の心の乱れが龍脈の気を乱して禍弥を生む。だから、私はあなたのそばにいてはいけない。いえ、この世にはいてはいけない存在なんです。ですから――」
紫乃さん、という声に押し留められる。胸元で握りしめていた両手を取られ、そっと握られる。
「《星見》に災厄を呼ぶと謳われたとしても、あなたが僕を……多くの人を助けてくれた。その事実に変わりはありません」
真摯な瞳が向けられる。それに耐えきれなくて、紫乃は再び視線を下に落とした。さあっと風が走り、白と黒の髪を揺らして過ぎ去っていく。
「あなたに不安が降りかからないよう、笑って生きてもらえるよう努力します。僕はあなたに出会えてよかった。誰がなんと言おうと、その思いは変わらない。何度でも言い続けます。だから、どこにもいかないでください。皆、あなたのことを心から敬愛しています」
「でも、そこにあなたがいなければ……意味がありません……」
声がみっともなく掠れていく。きちんと話し合いたいと思って我慢をしていたのに、こんな甘やかな言葉を向けられたら涙を止められるわけがなかった。涙を流す紫乃を見て、結月は困ったように笑う。
「あの人に言われました。俺の手を取ることによって安寧を享受したまま生きながらえられるとしたら、どうしますか、と」
「それなら、なおさら……」
「でも、僕はあの人の手を取るつもりはありません。一人で安穏と隠れては生きていけない。僕は僕の身近な人たちに笑っていてほしい。安全な世界で生きていてほしい。そのためなら、死力を尽くします」
死力を尽くす。その言葉で禍弥化した彼の姿が脳裏に蘇った。
自身が生み出した呪いを全身に受けて想い人が死ぬ。そんなの耐え切れそうにない。涙があふれて止まらなくなる。結月はそんな紫乃を静かに抱きしめた。
「それでは……あなたが、報われないじゃないですか……」
そんなことはないですよと結月は笑った。大切な人たちのために死ねるのなら、それも悪くないと彼は言う。
「……それに、あの人は『寿星と災星、沈む時代に並び立つ。故に世界は人々に鳴動をもたらすだろう』とも言っていました。寿星は僕、災星はおそらくあなたのこと。鳴動をもたらすとは言われていますが、寿星がすぐに滅びるという示唆はありません。それなら、僕たちが共に生きられるという可能性も捨て切れないのではないでしょか?」
結月はそっと身を離し、腰下げ巾着袋から四角い箱を取り出した。
そこに入っていたのは半透明の花。まるでここに咲いている花を摘み取ったような髪飾りだった。結月はそれを手に取ると、紫乃の左耳に挿した。
「紫乃さん。あなたに会って僕は欲張りになってしまったみたいです。あんなにも独りで死んでいくと豪語していたのに、僕はまだあなたたちと生きていたいと思っている。だから、僕は生き延びられる術を模索します。もう一度、ここから始めさせてください」
紅玉のような双眸が紫乃を見つめる。気高くて清廉で、迷いのない視線だった。
「みっともなくとも生きましょう。笑われたとしても蔑まされたとしても、僕たちを好きでいてくれる人たちのために――最期まで生きていきましょう」
自分にはもったいないと素直に思った。しかし、それ以上に手向けられた言葉を手放したくないと思った。
「わたしも、あなたと……いっしょに、生きて、いたいです」
縺れながら紡がれた言葉を聞いて、結月が安堵したように微笑む。彼は紫乃の涙を親指の腹で拭うと顔を寄せた。
唇が重なる。風に煽られて光の粒子と花弁が舞い上がった。
互いの存在を確かめ合うように、二人はしばらく身を寄せ合っていた。




