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依代の君と望まれぬ花嫁の幸福論  作者: 立藤夕貴
6話 寿星と災星、沈む時代に並び立つ
37/40

6ー8

 * * *


 つきりと胃に痛みを感じて、紫乃は目を覚ます。

 まだ夜明け前なのだろうか。部屋の中は薄暗い。ぼんやりとした頭のまま、紫乃はゆっくりと辺りを確認する。見覚えのない洋装の建物にいて、寝台に寝かされているらしいということが分かった。 

 くらい。暗いのは怖い。普段はそれほど怖いと思わないのに、急激に不安が押し寄せてきた。そこでようやく手が異様に温かいことに気がついて、紫乃は左脇に視線を持っていく。


 ベッドの端で白髪の青年が臥せっていた。どうやら彼が手を握っているらしい。まるで離さないというように手を握っている青年を見て、ぎゅっと心臓が苦しくなる。

 手を離さなければならないと思った。けれどその温かさを振り払うことがどうしてもできなかった。

 いずれこの手を離すから、今だけは許してほしい。そう思いながら紫乃はもう一度、微睡みに沈んでいった。









 日差しが眩しい。いつの間にか日が昇って、部屋の中に差し込んでいた。

 紫乃が再び目を覚ましたときには結月の姿はなかった。もしかしたら自分の願望が見せた夢だったのかもしれない。そんなことを考えていると女性が部屋の中に入ってきた。彼女は諸症状の有無を簡単に確認すると医師を連れてきた。どうやらここは御三家お抱えの病院らしく、緊急搬送されたらしい。見たこともない硝子の瓶が宙にぶら下げられ、細長いゴムのチューブが腕に繋がれていた。


 医師によると胃から出血があったとのことだった。龍脈の強力な気の流れに当てられ、体に相当の負担がかかったらしい。しばらくは食事は中止。宙に浮いている瓶から水分を体に取り入れて、再出血の恐れがないと判断されたら柔らかい食事が出るとのことだった。

 医師の診察のあと、部屋を訪れたのは周平とカナエだった。カナエは目を潤ませてベッドに駆け寄り、体を起こしかけた紫乃を慌てて静止する。


「紫乃様、ああ、どうかそのまま横になっていてください」

「そうです。あんなことがあったのですから、今は安静になさっていてください」

「……あの……。結月、さんは……?」


 問うべきか逡巡したが、紫乃はためらいを押し殺して問うた。

 かつて実家で出会った少年と顔を再び合わせることになった、あの日。帝都から逃げ出そうとしたところ、道中で龍脈の乱れに見舞われて異能を使い、血を吐いて意識を失った。意識を取り戻したとき、目の前に結月の後ろ姿があって咄嗟に腕を伸ばしたことまでは覚えている。

 紫乃の疑問に答えてくれたのは周平だった。


「結月様は無事でいらっしゃいますよ。今は後処理等がありまして、後ほど伺うとのことでした」

「たいそう心配しておられましたよ。そばで様子を見たいと言って聞かなかったぐらいなんですから」


 周平の後にカナエが付け足す。どうやら夜中に見たのは本物だったらしい。結月が無事という知らせを聞いて、安堵とともに不安が迫り上がる。

 星原家の男と会ったこと、伝えられたことを話さなければならない。彼らから離れなければならないと思うほど、息苦しさが襲ってきた。

 結月とどんな話をすればいいのかと思い悩んでいるうちに眠気が押し寄せてきて、紫乃は夢と現を行き来しながら一日を過ごした。しかし、その日、結月が病室を訪れることはなかった。

 結局、結月は三日後の夜に来訪した。御三家のお抱えの病院だからだろうか。白髪と赤い目の姿のままだ。彼は寝台のそばにある椅子に腰掛けて頭を下げた。


「すぐに来られなくてすみませんでした。調子はどうですか?」

「お陰さまで、ずいぶんいいです」


 それは正直な言葉だった。胃の痛みは今のところなく、水分も口から摂取していいということになっていた。紫乃の説明を受けて、結月は安堵の笑みを浮かべる。


「それならよかったです」

「あの、結月さ……」


 結月が首を振ったのを見て紫乃は黙した。結月は穏やかな笑みを浮かべると口を開く。


「僕も話をしたいことがあります。でも、今はゆっくりと体を休めてください。……でないと、きちんと話し合えません」


 結月の言葉に紫乃はハッとする。おそらく、彼は紫乃に関する何かを知っている。あの青年が結月と接触して話をしたのかもしれない。いや、きっと彼ならばそうする。紫乃はこくりと喉を鳴らした。


「……もしかして、星原を名乗る男性と……お会いしましたか?」

「ええ。……したい話とは、彼にまつわることです」


 結月の返事を受けて、部屋が水を打ったように静まり返る。何か言いたかったけれど、喉に詰まったように言葉が出てこない。心音が嫌に大きく聞こえた。


「紫乃さん――」

「安静にしていてほしいのは兄上も同じなんですけどねえ」


 結月の言葉と被さって、扉の方から不機嫌そうな声が響いた。二人が視線を向けた先には腕を組み、眉を吊り上げている識が立っていた。弟の姿を見て驚いた結月がかすかに腰を浮かす。


「識、帰ったんじゃ……」

「どうせこんなことだろうと思ってたんで、兄上の様子を監視してましたー。兄上も安静だって言われてたでしょうが。さっさと戻る!」


 識はズカズカと結月のもとに歩み寄り、立ち上がらせると体を扉に向けさせた。識の発言に紫乃はうろたえてしまう。


「え、ど、どういうことですか?」


 後処理があって結月が見舞いに来られないことは伝え聞いていたが、識の話を聞く限りそうではないようだ。安静ということは、あの異常事態に巻き込まれて傷でも負ったのだろうか。紫乃の問いに識は不満を隠そうとせずに答えた。


「兄上、異能を極限まで使ってぶっ倒れたんですよ。なので、今は経過観察のためにここに入院しているんです。怪我もしてるし」


 脳裏に蘇ったのは紫乃が結月に手を伸ばしたときのこと。重ねた手が異常に冷たかったが、まさか異能を極限まで使って倒れているとは思わなかった。紫乃の顔からサッと血の気が引く。


「もう大丈夫だって言って……」

「兄上の大丈夫ほど信用できないものはないです。文句ならいくらでも聞きますから戻ってください!」

「そうです、安静になさってください!」


 識と紫乃の両方から叱責を受け、結月はしゅんと肩を落とす。その姿が親に怒られてしょげる少年そのもので、きゅっと胸が締め付けられる。


「元気になって、会いに行きます。そのときに……ちゃんとお話をしますから」

「……分かりました」


 渋々といった様子だったものの、最後には結月が折れてくれた。約束をしたからには紫乃も逃げるわけにはいかない。退院したときにきちんと話をして、別れを告げよう。紫乃は密かにそう心に決める。


「……紫乃様。これ、よければ目を通してもらっていいですか? 嫌なら捨ててもらって構いませんし、必要なら俺が取り継ぎます」


 識が差し出したのは白い封筒だ。差出人の名前を見て、一瞬手が止まった。


「少し、お時間をいただいても……いいですか?」

「もちろん。毎日お見舞いにはきますんで、何かあったらいつでも言ってください。今日は失礼しますね」


 識はそう言い残すと、結月の背を押して部屋を出ていった。紫乃は軽くとめられていた封を開け、静かに文面に目を落とした。



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