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依代の君と望まれぬ花嫁の幸福論  作者: 立藤夕貴
6話 寿星と災星、沈む時代に並び立つ
36/40

6ー7

 識の声が耳に届いたのと同時に結月は身を捻る。しかし、間に合わずに何かが脇腹を掠めた。結月は姿勢を整えながら、襲いかかってきたものを視界に捉える。道の奥に人によく似た何かが立っていた。


 全身が真っ黒な《それ》はおもむろに頭をもたげた。黒薔薇を花開かせ、凹凸(おうとつ)のない顔に嘲笑うかのような月が浮かぶ。それを見た瞬間、言いしれぬ感覚が全身をよぎっていった。

 直感と言って良かった。あれはおそらく、《餌》を食らった禍弥だ。


「茨、八時方向!」


 識の言葉を受けて、結月は視線を左手に向ける。黒い荊棘が間近に迫って体を翻した。その流れで荊棘を斬りつける。いつもなら簡単に砕け落ちるが今は跡を残すのみだ。自然と舌打ちが出てしまう。

 識が前に出て禍弥の荊棘を刀で受け流す。そのまま懐に入り込んで左胸を穿つも、禍弥は何事もなかったように識の頭を狙って荊棘を薙いだ。識は腰を落としてそれを躱し、すぐさま後退する。


 二人が禍弥から距離を空けたときだった。ぴたりと禍弥が動きを止める。再び能面が笑ったと思った瞬間、じわりと地面に無数の黒い染みが滲み出た。それは見る間に黒薔薇を咲かせる。

 禍弥が禍弥を量産している。それを認識して、結月は言葉を失った。


「はは……何の、冗談だよ……」


 識の乾いた笑いが耳を打った。本能が警鐘を鳴らす。それと同時にあの男の言葉が再び蘇った。


 ――あの子は災禍の相がある。龍脈の気の流れを乱してしまう存在だ。あなたと周りの人々を不幸にする。


 結月は込み上げてきた不安と畏怖をグッと飲み込む。

 彼が言うことが真実だとしても、それがいったいなんだというのか。自分の(めい)は呪詛を取り込んで浄化すること。生じるすべての負を飲み込むまでだ。

 結月は刀の先を地面に突き立て、懐にしまっていた水晶の数珠を左腕に取り付けた。それを見た識が静止の声を上げる。


「兄上!」

「この身を器にしてあざなえる呪詛を昇華せん」


 たちまちのうちに黒薔薇が萎れていく。しかし、腹までに押し留めていた悪寒が胸に向かって迫り上がってきた。結月は崩れ落ちそうな体を気力で奮い立たせ、無理やり足で支える。

 禍弥の口元が不快だと言わんばかりに下がった。その刹那、禍弥の視線が自分より後方にあると気がついて、結月は刀を構える。


 後方でパンという乾いた音がした。異能が看破された音だ。後方に視線を向けると地面から這い出た荊棘が視界の片隅に入った。意識がそちらに傾いた瞬間、結月は強い浮遊感に見舞われた。

 次いで襲ってきたのは鋭い痛み。左肩が荊棘に抉られ、微かに体が浮く。


「……ぐッ!」


 ドンという重い音が轟く。茉莉花の銃撃によって禍弥の首が大きく後ろにのけ反り、識が結月を捉える荊棘を斬り落とした。結月は辛うじて足から着地し、その場にうずくまる。


「結月!」


 茉莉花が結月のもとに駆けつけ、庇うように前に出る。茉莉花に応えるよりも先に眩暈に襲われた。

 識が応戦してくれているものの、周りには黒薔薇がまた咲き始めていた。撤退もこれ以上の応戦も厳しい。どうすべきかと思考を走らせていたときだった。


「……ゆ、づき……さん……」


 消え入りそうな声が耳に届いた。結月は咄嗟に後方に視線を向ける。

 紫乃が結月に向かって手を伸ばしていた。何を思うよりも早く体が動いていて、結月はその手を取っていた。

 二つの手が重なり、滞っていた気が巡る。冷え切っていた体に火が灯ったようだった。黒薔薇が散り、黒ずんでいた腕が指先からどんどん元の色へと戻っていった。頬や全身の痛みが引いていく。髪が絹のような輝きを取り戻したとき、周囲がにわかに賑やかさを増してきた。


 黒薔薇から成長した禍弥が次々と斬り伏せられ、光を伴って消失していく。一閃にして禍弥たちを屠るのは《軍神》と称えられる青年。

 暁斗の姿を見て、現場を共にしたときの懐かしくも苦しい記憶が蘇る。しかし、それ以上に今は彼の姿が頼もしく映った。暁斗は有象無象の禍弥を薙ぎ払い、背を向けて結月たちの前に立つ。


「結月、死ぬなよ」


 暁斗はそれだけ告げると、《餌》を喰らった禍弥の荊棘を薙ぎ払っていく。先ほどまで荒ぶっていた気持ちが凪いでいき、結月は自然と目を伏せた。

 そうだ。怒りを向ければ怒りが返ってくる。嘆けばそれだけ嘆きが増強する。

 今必要なのは正しき祈り。遠くから聞こえる喧騒も耳に入らないほど集中し、結月は自らの中に残る呪詛を浄化していった。かつてないほどのなだらかな気持ちで、結月は終止符を打つための言霊を紡ぐ。


「依代の君の名のもと、ここに正常を体現せよ」


 閃光が辺りに迸り、生まれかけの禍弥たちが見る間に枯れていった。残骸が多くの光を伴って消えていく。恐ろしくも美しい光景を目の当たりにした隊員たちは、呆けたように空を眺めていた。

 声をかけられ、結月はゆるりと目を開ける。救助隊員たちから紫乃を搬送する旨を伝えられて手を離した。ようやく安全なところに移してやれると思うと、この上ない安堵感が押し寄せてきた。

 残った禍弥たちの処理を行う兄弟の後ろ姿を見ながら、結月は自分の意識を手放した。


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