6ー5
結月は食事がいまだ並ばない食堂で時計を見据え、ぽつりとこぼした。
「さすがに連絡がないのは困りましたね」
「何かあったのでしょうか……」
カナエもまた、心配そうな面持ちで食堂の時計を見上げた。待てど暮らせど紫乃が帰ってこないのだ。時計は夜の二十時を指していた。
正規の隊員ではない紫乃が本部に残るには遅すぎる。遅くなることはこれまでもあったが、そのときは本部から茉莉花が伝令箋で連絡をくれていた。しかし、今日はそれすらもない。茉莉花と何かがあったのだろうかと嫌な予感に苛まれる。次の依頼書を持ってきた周平が先んじて結月に声をかけた。
「本部の方に私が向かいましょうか?」
「いえ、僕が直接……」
結月がそこまで言いかけたとき、ガラガラと乱暴に引き戸が開く音がした。三人は慌てて玄関へと向かう。
そこにいたのは紫乃ではなく識だった。普段見ないような引き攣った表情している。しかも、制服姿のままで帯剣もしていた。
「兄上、紫乃様はお帰りになっていますか?」
「いや、まだだ」
サッと識の顔色が変わった。彼は矢継ぎ早に言葉を続ける。
「紫乃様、本部の方にも姿がない。どこを探しても見当たらないんだ」
「どういうこと――」
その瞬間、ズンと空気が重くなるのを感じた。いっそう識の顔が険しくなり、周平が警戒を滲ませて辺りを見渡す。カナエは突然の振動に身を縮こまらせていた。結月は懐から呪符を出す。
「今日は何か変だ。兄上――」
「ああ。空蝉に隠世の虚を写せ」
言霊が紡がれた途端、和紙が空気に溶けて消える。それとともに結月の髪が黒へ、瞳は金色へと変わった。
周平から予備としてもらっておいた呪符だ。周平が頷いたのを見て、結月は自分の姿が問題なく変化したことを認識する。
書斎に置いてある刀を持って結月は表に出た。三人が通りに出たとき、見知らぬ男が立っていて足を止める。
「いい月夜ですね」
上弦の月を背に男は微笑んだ。癖の強い黒髪が風に揺れる。双眸は月を彩る星々のよう。歳は二十半ばといったところだろうか。結月は警戒を強めて男に向き合った。
「何用か? 急用でなければあとにしていただきたい」
「『寿星と災星、沈む時代に並び立つ。故に世界は人々に鳴動をもたらすだろう』」
寿星という言葉を聞いて結月は瞠目した。それは《依代》の異能を使う際の特別な言霊。ひいては《依代の君》のことを暗に指す言葉である。結月の反応を見て男は面白そうに目を細める。
「あなたのアレは忌むべきものじゃない。むしろ誇るべきだ。なにせ、それだけ禍弥の呪詛を体に同化させて浄化ができるという証左なのだから」
どくりと心臓が跳ねた。男は結月が禍弥化することをおそらく知っている。それだけではなく、それが忌むべきものではないと言い切った。先ほどの神託のような言葉。そして、個の本質を見抜くような発言を前にして心臓が早鐘を打つ。
紫乃が話していた星原家の子と《先見》に似た力。これまでの情報で結月は一つの推論に至った。
「《星見》か」
《星見》の異能。それは《先見》を享受する異能者の中でもいっそう強い力を持つ者のことだ。人の本質を理解し、龍神から先見の神託を受けると伝えられている。しかし、《星見》の異能者が出生しているなどという話は聞いたことがない。
「《星見》……そんな話はどこからも聞いたことがない」
驚きのあまりだろう、周平の言葉遣いが乱れていた。結月が識に視線を向けると彼も首を横に振った。
男は各々の反応にくすりと笑う。まるで悪戯を楽しんでいる子供のようだ。
「俺は《依代の君》に忠告をしに来たんだ。急ぐのもいいと思うけれど、俺の話を聞くのも悪くないのではないかな?」
「《星見》とはいえ、兄上に忠告しに来たとはずいぶん上から目線ですねえ。礼儀がなってなさすぎじゃないですか? 名乗らないのも気に入らないですけど」
「ふふ、俺を揺さぶって看破しようとしても無駄だよ、識くん。君がどんなに優秀だとしても所詮は俺の下位互換。俺を看破することは絶対にできない」
識の表情が強張る。識は瞬時に男を睨みつけるが、彼の視線はすぐに結月へと戻った。結月は平静を務めて男に問う。
「過去、紫乃さんに声をかけた星原家の者というのは、あなたのことですか?」
「ええ。あの子は災禍の相がある。龍脈の気の流れを乱してしまう存在だ。あなたと周りの人々を不幸にする。早く離れた方が身のためです」
男の声は憂慮に満ちていた。今までと違う感情が乗った声音が異様に際立って聞こえた。
結月が口を開きかけたとき、再度大地が揺れた。一度目よりも大きな揺れに結月は素早く周平に声をかけた。
「周平さん、カナエさんを頼みます!」
「承知しました。よろしければこちらを」
結月の意図を察して、周平は懐から数枚の呪符を出して手渡した。《隠蔽》の異能が込められた呪符だ。緊急用に身を隠すことができる。結月は懐にしまって識に視線を送った。
「少し離れたところに馬車があります。行きましょう!」
「もし」
駆け出した矢先に男の声が降りかかり、結月の足は止まってしまった。わずかな空白が生まれる。
「もし、俺の手を取ることによって安寧を享受したまま生きながらえるとしたら、どうしますか?」
数秒の沈黙を経て、結月は駆け出した。識がすかさず結月を追う。その後ろ姿を見送りながら、男は肩を竦めた。しかし、その顔はひどく楽しそうだった。
「残念。誘いを蹴られてしまったね」
「お引き取り願えますか?」
「そう警戒しないでほしいな。《依代の君》の身を案じているのは君たちと同じなのだから。まあ、今日はこの辺りで失礼するよ」
男は背を向けて手を振ると、悠然と夜道を歩いていく。周平はその後ろ姿が闇に消えるまで追い続けた。




