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茉莉花との訓練を始めて、二週間が経とうとしていた。
紫乃はいつも通りに禍弥討伐隊の本部に向かう準備をする。準備を始めた紫乃をカナエが心配そうな面持ちで見ている。
「少しお休みされてもいいでしょうに」
「いえ、討伐隊の方は連日訓練していますし、茉莉花さんの手を煩わせていますから。休んでなどいられません」
「ですが……」
カナエは横に立つ結月にちらりと視線を向けた。カナエの意図を汲んだ結月が諭すように続ける。
「カナエさんの言う通りだと思います。あなたの異能は特殊ですし、正規の訓練をしている討伐隊の方々と比較しても意味はないかと思います。……それにここ数日、あまり眠れていないのでしょう?」
どうやら隠しきれていなかったらしい。紫乃は苦笑いを浮かべた。
「倒れてしまっては元も子もありません。言いにくいのでしたら、僕から茉莉花に伝えましょうか?」
「そうですよ。無理をしていいことなどありません」
カナエが念を押すようにずいと紫乃に迫る。思っていた以上に心配をかけているのだと、ようやく紫乃は察した。
「……分かりました。でも、私の方から茉莉花さんに相談してみます。遅くなるかもしれませんが、心配しないでください」
そう告げて紫乃は屋敷を後にする。乗合馬車に乗って本部へとたどり着くと、紫乃はすぐに訓練室へと向かった。内容が変わらないので、茉莉花がこの部屋に来るのは訓練の終了時間ごろだ。茉莉花も訓練や任務があるのだから、その処置は当然だろうと紫乃は思っている。
早速訓練を始める。植物と気の同化を試みると昨日より手応えがあった。これならいけるだろうかと思い、流れる気に干渉すると以前よりは統御がしやすい気がした。些細な変化ではあったが喜びが湧き上がってくる。
変化を感じられたおかげか、あっという間に時間が経っていた。日がだいぶ傾いた頃、部屋の扉をノックされて紫乃は顔を上げる。
「はい」
茉莉花が様子を見に訪ねてきたのだろう。そう思って扉の方を見た瞬間、どっと汗が噴き出した。
癖のある黒髪。姿が変わっても間違いようのない、捉えどころのない空気。男が首を傾げて灰色の瞳が一瞬、白銀に煌めいた。
「久しぶりだね。昔会ったときとまるで雰囲気が違ったから驚いたよ」
足を動かしたいのにまったく言うことを聞かない。喉がカラカラに渇く。男が動くと存在を主張するようにしゃらりと金属が音を奏でた。月輪と三つ星の家紋が過去を抉り出す。
「どう? 《依代の君》のお側は居心地がいいかな? 彼のお役に立てるといいね。……ただ一つ忠告しておこう。まともな人たちにの中に交じったとしても、君の本質は変わらない。かつて伝えたことを決して忘れてはいけないよ」
言葉が一切出てこない。相反するように男は悠々と口を動かす。
「君が悲嘆に溺れると、龍脈の気が乱れて淀みを生む。そういった性質を持った星なんだよ、君は。思い当たる節があるだろう? 君が敬愛していた義母を亡くしたときが確か十二歳だったかな? その少しあと、帝都から少し離れたある街が禍弥に襲撃された。あのとき《依代の君》は十四歳。これは偶然の一致だろうか?」
紫乃の脳裏にカナエの姿が蘇る。街が禍弥に襲われたこと。亡くなった夫と子供の話。崩壊した街で結月と出会い、助けてもらったという過去。一瞬のうちにそれらが想起されて、途端に体が震え出した。
男が音もなく近づいてくる。ここから逃げ出したいのに、体が微動だにしない。
「あれは必然だ。君の嘆きが龍脈の気の淀みを引き起こし、禍弥を生み出した。そして、禍弥の呪詛を浄化し続けていた《依代の君》は限界を迎えて、ある日倒れた。それが五年前のことだよ」
男が肩に落ちる髪を一房手に取り、弄んだ。耳元に優しい声音が降りかかる。
「仙道の血がまだ君の存在を許している。けれど、自分が本当にここにいてもいいのか、よく考えてみるといいよ」
はらりと髪が男の指から離れていくとともに、紫乃の体も床に落ちる。男は微笑みを手向けて部屋を後にした。椿を耳にかけて去っていったときと同じような足取りの軽さだった。
床にひれ伏したと同時に涙があふれる。ただ一人、紫乃は嗚咽を噛み殺しながら泣き続けた。
どのくらい経ったかは分からない。部屋が暗く沈んだとき、紫乃はゆっくりと立ち上がった。
ここにいてはいけない。
ろくに回らない頭に浮かんできたのはそんな思考。紫乃は顔を伏せ気味にしながら外に向かった。醜態を晒すことはしたくないし、帝都から去るためには目立ってはいけなかった。誰にも気づかれないように本部を後にし、屋敷とは反対側の東部へ足を向けた。
日中は賑やかな中央も人がいなくなり、もの寂しい雰囲気に変わっていた。夜は禍弥が出現しやすい時間帯だ。よほどのことがなければ一般市民は外へと出ないのだ。煌びやかな街灯が目を刺して鬱陶しい。明るいところから逃げたくなって、紫乃は建物の影に隠れて通りを歩く。鉛が括り付けられたように重い体を無理やり動かした。
早く帝都を出なければと思うが、急激に疲れが押し寄せてきて紫乃は足を止めた。一度足を止めたが最後、動けなくなる。紫乃は長屋が並ぶ道端に座り込んだ。
男の話が頭を占拠する。彼が言うように、義母を亡くした年はカナエが結月と出会うことになった事件と同じだ。
――自分が本当にここにいてもいいのか、よく考えてみるといいよ。
沈めていた不安と恐怖が噴き出す。やはり自分という存在はここにいてはいけなかったのだと思った、そのときだった。
ズンと大地が揺れるとともに、空気がのしかかるように重くなる。何が起こったのかと顔を上げると、普段は感じることのない大きな気のうねりを感じた。それは大地を駆け抜けるような奔流。瞬時にそれが龍脈を流れる気だと紫乃は察した。そして、その流れが何かにぶつかって異常な動きしていることにも気がつく。
このままではいけない。
放置すれば異常事態が起こる。仙道家の血がそう告げていた。紫乃は反射的に地面に手を当てる。龍脈の中で比較的大きな流れが何かに阻害されている。おそらくこれが原因だ。
紫乃は普段、龍脈の気をほんの少ししか感じられない。加えて異能が特異的すぎる。常識的に考えて、龍脈の気の統御と浄化などできるわけがない。けれど、紫乃は龍脈の気と同化を試みた。
男が言っていた言葉が本当ならば、自分が龍脈に淀みを引き起こし、禍弥を生じさせる要因ということになる。目の前で起こり得る現実が恐ろしくて、必死になって龍脈の気との同化を試す。意外にもすんなりと馴染み、気の流れを統御して浄化を始めたときに異変が起こった。
気の奔流に弾かれて、紫乃の体は地面に叩きつけられた。胃がずしりと重くなり、全身が強い痛みに襲われる。消化不良感を覚えた直後に何かが喉元に迫り上がってきて、紫乃は口元に手を当てた。
口から何かが溢れ出す。暗色の液体が指を滴って地面に落ちた。
「あ――」
滴り落ちる血を見た直後、紫乃の視界は暗転した。




