6ー3
鋭い眼光が飛ぶ。息が止まる錯覚がした。隣の識はもはや顔が真っ白だ。
ここで返答を間違ってはいけない。茉莉花はこくりと喉を鳴らし、ゆっくりと口を開いた。
「……結月のことが、心配で、お見舞いをしたかったのです。識は、わたしが無理に誘いました」
縺れながらようやく思いを口にできた。しかし、目の前に座す男は何も語らない。
「おお〜、健気だねぇ。誰かを心から心配できるなんて、茉莉花は私みたいにいい女になるよ」
「笑えない冗談だな」
横やりを入れられて女性はキッと睨みつけるが、東護家当主は意に介した様子はない。茉莉花は天宮家当主の言葉をじっと待った。緊張から胸が早鐘を打ち、喉が渇く。
「……そうか。識たちには時期を見て……とは思っていたが。その時が早まったということにしよう。茉莉花、私たちとて手荒なことはしたくない。この件は内密にできるか?」
茉莉花は間髪入れずに頷く。識も横で小さいながらも頷いていた。天宮家当主はおもむろに席を立つ。背後に設えられている窓に視線を映し、彼は誰にともなく話し始める。
「結月の《依代》は特別なんだろう。あれだけの浄化力は歴代でもない。そう思わないか?」
それはまるで自分に言い聞かせているようだった。きっと、その人はそうしなければならなかった。
「……まあ、それには同意だね。残っている記録と照らし合わせても、帝都の呪詛を余裕で肩代わりできるなんてなかったことだ。もしかしたらそれ以上のことができるかもしれない。しかし、本人への負担が想像していたより大きそうだけど」
星原家当主は一変して、神妙そうな面持ちで呟く。
そのとき、窓の方を向いていた大きな体がぐるりと茉莉花の方を向く。隣の識がびくりと体を震わせた。当主は子供二人を見下ろすと、柔和な笑みを浮かべる。
「そんな結月を我々が支えてやらないとならない。茉莉花、お前の異能なら結月を助けられる。もちろん力を貸してくれるだろう?」
暗い青い瞳にじっと見据えられる。恐ろしい目だと素直に感じた。けれど、それ以上に彼を守りたいと思った。茉莉花は深い一礼をする。
「……はい。お任せください」
天宮家当主は笑った。満足そうな笑みだった。
そのまま、茉莉花は天宮家当主同伴のもと、結月のもとへと訪問することになった。識は茉莉花と別れ、星原家当主が付き添って別邸に戻ることになった。
結月の部屋の前にたどり着き、ぶるりと体が震えた。当主はそんな茉莉花に気づくことなく襖を開ける。黒薔薇を咲かせる少年は目を瞑ったまま、苦しそうな息遣いをしていた。
「できるか?」
疑問形ではあるが、有無を言わさない声音が頭上から降り注ぐ。はいと返事をして、茉莉花は横たわる少年の近くに屈み込んだ。禍弥の呪詛の影響で腕は真っ黒だった。気持ちを奮い立たせて手を取る。手が異様に冷たかった。
茉莉花は目を伏せる。全身を流れる気が淀んでいた。時間をかけてどうにか気を同化させ、彼の異能を底上げする。三十分ほど異能を使っていただろうか。目を開けると幾分か結月の顔色が良くなっていた。
屋敷に囲われ、茉莉花は早朝・朝食後・正午・夕方・就寝前の一日五回、三十分ずつ異能の補助を行った。使用人が合間に目を覚ます結月の世話をする。四日目にして異能が功を奏して、結月は夕方前から起きて過ごせるようになった。
茉莉花は女中の代わりに夕食を持っていく。目を覚ましてからきちんと対面するのはこれが初めてだった。本当は対面するのが怖かった。けれど、逃げ出してはいけないと思って、竦みそうな足を前に出した。
布団に入ったまま、少年は本を眺めていた。気慰めに天宮家当主が持ってきたものだ。しかし、彼の視線は紙面の上を滑っているだけだった。髪は頭頂から半ばほどまで白く戻り、全体が黒ずんでいた腕も肘辺りまで正常な肌の色になっていた。
茉莉花は布団のそばにかがみ込み、持ってきたお膳を置いた。
体が緊張ではち切れそうだ。自分から言い出すべきなのに、言葉が喉に張り付いたように出てこない。口を開きかけては止めるという行為を何度か繰り返した、そのときだった。
「……茉莉花。僕は大丈夫だから。もういいよ」
結月は視線を本に落としたまま、ぽつりと告げた。諦観に満ちた声だった。
無理して自分の側にいる必要はないと、言外で伝えていた。茉莉花は膝の上できゅっと手を握る。
「僕は……化け物だ。だから……」
「化け物なんかじゃない」
いつの間にかぽろぽろと涙がこぼれていた。自分の浅はかさを悔やんでいるからか、彼がすべてを諦めているようなことを口にしたからなのかは分からない。ただ、悔しいという感情は共通していた。結月はそれ以上、茉莉花に応えることはなかった。
その後、天宮家当主の正式な要請が下り、茉莉花は定期的に結月の異能を強化するようになった。
あの一件以来、茉莉花は鍛錬と淑女としての稽古事に打ち込んだ。彼の隣に立っても恥じない自分になれるように。いつか一緒にいてもいいと思ってもらえるように、腕を磨いた。
結月はあまり笑わなくなり、兄弟でいる姿はほとんど見かけなくなった。ぽっかりと穴が空いたような感覚に苛まれた分、鍛錬に打ち込む。鍛錬に打ち込んだことにより、周囲から淑女らしくないと眉を幾度となくひそめられた。
そうして茉莉花は自分の異能を活かし、十四歳を迎えた暁に禍弥討伐隊の支援部隊へと入隊した。しかし、その一年後、結月は禍弥の呪詛を取り込んだことによって再び倒れる。
その日以降、彼はあの小さな屋敷から外へと出ることはなくなった。
* * *
集中していたら、あっという間に時間が過ぎていた。閉館を知らせる鐘が鳴って辺りを確認すると、残っていたのは茉莉花だけだった。着替えて外へ出る。振り返って見上げると本部の窓から光がこぼれていた。まだ残務をしている者がいるのだろう。
茉莉花は馬車の停留所に向う。高藤家の馬車が迎えに来ているはずなのだ。街灯が灯る停留所で見慣れた馬車のもとに人の姿を認めて足を止めた。
馬車の前に悠然と立っているのは黒髪の男だ。癖の強い髪に灰色の瞳。シャツに黒のズボンという簡素な服装。光の加減だろうか、瞳が一瞬白銀のように煌めいた。
男の姿を視界に捉えた瞬間、ぞくりと悪寒が背筋を走っていった。本能が彼のことを一線を画す存在だと告げていた。
「はじめまして、茉莉花譲」
男は居住まいを正すとにこりと笑ってみせる。しかし、その笑顔はどこか空々しかった。笑っているはずなのにまったく感情が読めない。茉莉花は竦みそうな気持ちを奮い立たせて男に問う。
「失礼いたしますが、どちら様でしょうか?」
「ふふ、噂に違わず気概のある女性のようだね」
男は興味深いと言わんばかりに視線で探ってくる。おそらく褒めているのだろうが、男の言動のせいで気に障る。
「御用がないのならどいてくださらない? 場合によっては……」
茉莉花がそこまで言いかけたとき、しゃらりと金属が音を奏でた。男が掲げた銀装飾を見て、茉莉花は瞠目する。
月輪に三つ星の家紋が描かれた装飾品。見覚えしかない家紋を目の前にして、どくりと心臓が跳ねた。
「あなた――」
男は言葉なく人差し指を口に当てた。たったそれだけだったのに、茉莉花は口を閉じてしまった。圧倒的な威圧感があるわけではない。超常じみた容貌をしているわけでもない。けれど、目の前に立つ男には抗えない何かがあった。
茉莉花が黙したのを見て、男は人の良さそうな笑みを浮かべる。
「茉莉花譲。ぜひお会いしたい人がいてね。一つ俺に協力してほしいんだ」
その頼みを聞いてはいけないと本能が告げていた。しかし、それ以上に彼に話さなければならないような感覚にも囚われていた。それはまるで、すべての者を跪かせるような絶対的な理を前にしているかのようだった。
そんなものを前にして、抗うことができるだろうか。
「……分かりました。お話を聞きましょう」
否。思考よりも先に言葉が口をついて出ていた。口にしてからなぜか汗が噴き出すのを感じた。
「ありがとう。助かるよ」
茉莉花の返答に男は相好を崩す。そのとき、男の双眸が白銀の星のように煌めいた気がした。




