6ー2
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結月と初めて会ったのがいつだったかは分からない。いとこという関係のために、ごく当たり前のように顔を合わせたのだと思う。幼いこともあったし、彼には特別な力があるんだと聞かされていたので、容姿に驚いた記憶も実はあまりない。交友関係が広がって同い年ぐらいの子たちと過ごすようになって、ようやく彼の一線を画す容貌と特異的な髪色を実感し始めたぐらいだ。
彼は気さくで優しくて、見かけによらずときどき思い切ったことをする子だった。今思えば、おそらく性格は母親に似たのだと思う。結月の母は縛られることを良しとはせず、そんな彼女のもとで結月はのびのびと育てられた。変わったものが好きで物怖じしない。不当だと思うことは当主にも意見を申し立てる。異能の格差も気にせず接してくれる二人が茉莉花は大好きだった。
天宮家の人間として、彼はさまざまなことを求められた。中でも大変だったのは武術の鍛錬だったのではないかと思う。ある日、天宮家の屋敷を訪れたときに、個人指導を受けている結月の姿を目にした。縁側で擦り傷を手当し始めた結月を見て、声をかけた。
「お稽古、お疲れさま」
振り返った結月は驚いた様子だった。結月はありがとうと言って茉莉花から手ぬぐいを受け取る。茉莉花は汗を拭う結月の隣に座った。
「先生から一本取ってたね。すごいね!」
「……まだまだだよ。兄上みたいにはうまくいかない」
苦笑いをこぼす結月を見て茉莉花は口を噤む。
二つ上の兄、暁斗は武術について抜きん出ていた。まさに天賦の才というものだった。年が離れていても当主は容赦ない。暁斗なら同い年にはもうこれぐらいはできていた。更に精進しなさい。当主からそう言われているところを聞いたことがある。いつも比べられる結月は努力の人だった。
貸して、と茉莉花は結月に手を差し出す。彼は戸惑った表情をしていたが、やがて持っていた消毒液と布を茉莉花に託した。左前腕は擦れて血が滲んでいる。明日には青痣になっているだろう。茉莉花は血が滲む左腕を消毒し、清潔な布ガーゼを当てて包帯で巻き上げた。
「なんか、大げさになっちゃったなあ」
結月は大した事ないのにと笑う。その笑顔が無理をしているように感じて、いたたまれなさが募る。
「……いたいよね」
「ううん。……避けきれなかった僕が悪いだけだから」
自分を卑下する言葉が胸に刺さる。彼はできるだけの努力をしているのに、当主はそう簡単に認めようとはしない。単純に彼の努力を軽視されるのが悔しかった。泣きたいのは自分じゃないのに、涙が浮かんで不甲斐なかった。
「そんな言い方しないで……。結月は何も悪くないんだから」
「……ごめん」
結月は困ったように笑う。些細なことでも彼の力になりたい。辛いときに一緒にいてあげたい。そんな感情が募り、自然と彼のことを支えたいと思うようになっていた。
しかし、その頃はまだ何も知らなかった。《依代の君》の異能の詳細も役割も。異能一族の世界のことも。
大きく変わったのは結月が十歳になった頃。《依代》の異能が本格的に開花したときだった。大きな仕事をするということで、準備も含めて結月と二週間会えなくなった。少し寂しい気持ちもあったが、彼の邪魔をしてはいけないと思って日々の習い事に精を出した。
もう少しで二週間経つという時期に、ようやく結月が任務を終えたという噂を耳にした。彼が無事だということに安堵しつつも不安が芽吹いていた。だから、あんな提案をしてしまったのだ。
「ねえ、識。結月のお屋敷に行かない?」
学校帰り、識を捕まえて物陰に滑り込む。識は案の定、困りきった表情をした。それに違わない返答がくる。
「……大きな仕事が終わってまだ疲れてるからまだダメだって、みんなが言ってたよ」
結月と識たちは全員、母親が違うという。結月の母が亡くなってから識は別邸で母親と生活をしていた。茉莉花以上に結月と顔を合わせづらい時期だった。
「識は結月のこと心配じゃないの?」
「……心配に決まってるよ」
識がいつもより強い口調で返してくる。彼は普段大人しいが、優しくて曲がったことは好きではない。兄を心配していないのかと問われれば、ムキになって反論してくることは分かっていた。
「じゃあ行くよね」
「……うん」
先日、見舞い用に買った小さなクッキー缶を手にして、半ば強引に識を連れて行く。本当は結月が好きな和菓子を持っていきたかったが、生菓子は日持ちがしないからと思って焼き菓子にした。屋敷を訪れると神妙そうな表情で当主の家臣が茉莉花たちを迎えた。
「結月様にはまだお会いできません」
門前払いも同然だった。しかし、そう簡単に引き下がる茉莉花でもない。
「分かりました。また来ます」
いったん帰る素振りをしてその場をやり過ごす。ダメだよという識の主張を押しのけ、人の気配を探り、隠れながら結月の部屋に向かった。見慣れた襖が目の前に現れる。
もう少しで結月に会える。そのときは不安がいつの間にか消えていて、期待と高揚感にあふれていた。静かに襖を開けて布団に伏せる少年を目にしたとき、茉莉花の全身は凍りついた。
そこにいたのは黒薔薇を体に咲かせる黒髪の少年。端正な顔の左側には複雑な文様が浮かび上がっていた。掛け布団から出る腕も墨のように真っ黒になっている。そこにいたのは禍弥に似た何かだった。
だん、という大きな音がすぐそばでした。数秒置いてから、自分がふらついて床に尻餅をついたのだと茉莉花は知った。その音を聞きつけて大人たちが駆けつけた。
同刻、少年の目が薄く開く。汗を滲ませる少年は茉莉花たちを視界に捉えて瞠目した。その表情を見て、ようやく茉莉花は少年が結月だと察した。声を上げようとしたが、喉につかえたように出てこない。目が合った瞬間、少年は顔を歪ませて背けた。どくりと心臓が大きく跳ね、汗が背を伝う。
結月はひどく悲しそうな顔をしていた。それが失望だったのか、諦観だったのかは分からない。一瞬の邂逅のあと、茉莉花たちは家臣たちに連行され、一時的に天宮家に身元を預けられることになった。二人が入れられたのは座敷牢。そこで当主が戻るまで監視されることになった。
当主が帰宅したとの報告を受け、茉莉花も識も恐れ慄いた。どんな処罰が与えられるのか想像できないまま、二人は当主の主務室に連れていかれる。そこにいた大人たちを見て、更に二人は竦み上がった。
主務室に座すのは藍染の羽織を身にまとう三人の大人たち。大きな黒檀の机の奥に天宮家当主。その前の左手側の椅子に東護家、右手側に星原家の当主が座していた。
右手に座る女性は面白そうに笑う。羽織に入っている月輪に三つ星の家紋は星原家を示す。
「いやいや。本当に子供は何をやらかすものか分からないものだね。面白いったらないよ」
「星原。笑い事ではないんだぞ」
左手に座る男、東護家の当主が苦言を呈した。竜胆車の家紋が描かれた羽織を着ている。星原家の当主は椅子の肘掛けに頬杖を突き、呆れ顔で男を見やる。
「東護家は頭が硬い連中ばかりだけれど、お前はその筆頭だね。まあ確かに、今の問題はこの子たちをどうするかだねえ」
星原家当主の煌々と輝く瞳が向いて、茉莉花と識は息を呑んだ。
「アレ、見ちゃったんだよね、君たち? 本当は御三家以外には内密にしておきたかった案件なんだよねえ」
星原家の当主がにっと笑う。柔和そうな口ぶりと反して、その瞳は抉るように茉莉花たちを観察している。
彼女の視線と笑顔が恐ろしくて、茉莉花と識は一言も発せられなかった。そんなに圧をかけたら怯えるだろうと東護家の当主が苦い顔をする。
「……とりあえず正直に答えてくれないか? 君たちは彼を――黒薔薇を咲かせる結月の姿を見たのだろう?」
東護家の当主の質問に茉莉花はこくこくと頷いた。続けて《依代》の異能についても知っているかと聞かれて、戸惑いがちに頷く。《依代》の異能は禍弥の呪詛をその身に取り込み、浄化するというもの。異能者の皆が畏敬の念を抱く特異的な力だ。近親者ということもあり、それは茉莉花たちでも知っている。
「アレは歴代の《依代の君》でも見られなかった症状でね。対応を協議中だったんだよ。そこを君たちが乱しちゃったわけだ。これを解決するには君たちの記憶を隠すのが一番手っ取り早いんだけど、どうしようか?」
女性が面白おかしそうに笑い、体が慄いてしまう。東護家当主が苦虫を噛み潰したような表情をして口を挟んだ。
「おい、子供に対してほいほいとやるような処罰じゃないだろう」
「はいはい、分かってますよ。雑談が通じないね」
星原家当主は不貞腐れたように頬杖に体を預ける。そこで、今まで沈黙を保っていた天宮家当主が動いた。肘をついて手を組み、口元をそこに埋めながら問う。
「茉莉花、識。なぜ部屋に入ろうとした?」




