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見合いの日は見事な五月晴れだった。
用意されたのは牡丹と蝶が描かれた白と紫の地の振袖。父の希望もあって名前に合わせた色にしてもらった。着物の色合いが抑えめな分、華やかな金の帯を締める。邪魔にならないように髪を結い上げ、ささやかに髪飾りをつければ完成だ。
姿見を見て、馬子にも衣装という言葉が頭をよぎる。こんなふうに着飾るのは住吉家に養子に出されたとき以来だった。正絹の着物など身の丈を超えていると思うが、天宮家との見合いとなっては粗末な身なりで臨むわけにはいかない。落ち着かないまま、紫乃は迎えを待つ。
迎えに来た馬車に乗り込んで向うのは帝都の西端だ。そこに結月の屋敷があるのだという。普通、良家の見合いなら料亭、一般家庭なら女性宅を男性が訪れるのが一般的だが、先方が指定してきたのがそこだったのだ。しかも、あろうことか紫乃一人で来てほしいという要望つきだ。しかし、郷に行っては郷に従えである。喜好と紫乃は不審を抱きつつもそれを承諾した。
しばらく馬車を走らせてたどりついた屋敷は思っていたよりもこぢんまりとしていた。天宮家の所有物ということから、紫乃は大きい屋敷を想像していたのだ。
入り口前など屋敷の周りには樹木が植えられ、緑が美しい。慎ましやかながらも趣のある屋敷である。手入れもいき届いていて、主人が屋敷を大切にしていることが窺えた。しかし、それと相反するように、いい知れぬ雰囲気を家の中から感じた。その空気に少し呑まれたまま、紫乃は屋敷の前立つ男性に視線を向ける。
シャツに青鈍色の着物。茅色の袴という出立ちだ。短く切り揃えた鳶色の髪も相まって清潔感がある。男性は紫乃を歓迎しているようで、笑顔とともに深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらに」
挨拶のあと、すぐに中へと案内される。敷居を跨いだ瞬間、ぶるりと体が震えた。
「どうかなさいましたか?」
「……いえ、なんでもございません」
振り返った男性に向かって、紫乃は取り繕うように笑う。男性はそれ以上追求することなく、そうですかと言って微笑んだ。この屋敷を囲む空気と相反する笑顔が余計にチグハグな気分を加速させた。どくどくと脈打つ心臓を抱えながら、紫乃は思考を走らせる。
さっきの悪寒はなんだったのだろう。男性は何も感じていないのだろか。そう思いながらさりげなく周囲を見てみると、中は思っていたよりも天井が高かった。外観は和の趣が強いが、内装はところどころ洋の面影が見て取れる。屋敷の中は外観と同じように整然としている印象だった。
廊下を通り、奥へと案内されると襖が見えてきた。襖の前に立った途端、この屋敷に入ったとき以上の違和感と圧迫感を覚えて、紫乃は立ち尽くしていた。
男性が振り返り、紫乃に一礼をする。彼は流れるような所作で懐から何かを取り出した。
「これから先、『あなた様が見るのはすべて夢』です」
文様が描かれた紙から漂う香が思考を微睡ませる。男性が襖を開けた先、座敷の奥にいるモノを視界に捉えて紫乃は言葉を失った。
そこにいたのは、かろうじて人のようだと言える《何か》。
布団の上で座る人は深く俯いている。その腕は墨に浸したように黒く変色していた。それだけならまだよかった。その人の全身には黒い荊棘が蔓延り、花が咲いていた。荊棘が咲かせる黒薔薇は硝子のように艶やかで、禍弥のそれと酷似している。そう、白骨でないという以外は禍弥とそっくりな異形がそこに座していた。
恐怖で声も上がらなかった。その間にも異形の体が揺らめく。異形がゆっくりと頭をもたげ、少し伸びた黒髪から顔が覗いた。
白磁のような白い肌。その左頬から額にかけて、黒い複雑な文様が走る。漆黒の瞳には怨嗟とも怒りともつかない感情が込められていた。禍々しいのに美しい。それ故に恐怖が増幅し、逃げなければと脳が警鐘を鳴らす。じとりと嫌な汗が全身に浮かんだ、そのときだった。
異形の体が傾ぎ、踏みとどまった。それはまるで、眩暈がして頭を押さえるような仕草だった。
それを見た途端、どくりと心臓が跳ねる。脳裏に蘇ったのは亡くなる直前の義母の姿。
いつの間にか体が動いていた。紫乃は異形のもとに駆け寄り屈み込む。一拍置いて、慌てて使用人の男性が紫乃のもとに駆け寄ろうとした。それと紫乃の手が異形の肩に触れたのが同時。
「――!」
異形の肩に触れた瞬間、眩い光が迸った。それも束の間、黒薔薇がジュッという音とともに急速に萎れていく。同時に全身を覆っていた荊棘がボロボロと焼け落ちていった。薔薇と荊棘がすべて落ち切ると、全身を蝕んでいた黒ずみがゆっくりと薄れていく。
そうして目の前に現れたのは、人らしい肌の色をした真っ白な髪の男性。髪は絹のように艶やかで、髪から覗いた顔は一目見ただけでも上品だと分かる目鼻立ちだった。更に驚かされたのは瞳だった。困惑に満ちた珠玉のような赤い瞳が紫乃を捉えていた。
赤と紫の双眸がかちりと合う。その刹那、頭がぐらりと眩んで紫乃の視界は瞬く間に暗転した。




