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依代の君と望まれぬ花嫁の幸福論  作者: 立藤夕貴
5話 境界を越える
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5ー3

 その後、紫乃には一週間に一回、異能での補助をしてもらうことになった。様子を見て時間や回数を調整しようということになっている。


 本格的に紫乃に異能を使ってもらうことを当主に報告し、効果の程を確認したいために茉莉花の補助を外してもらうように進言した。当主はそれを了承したが、折を見てまた茉莉花を屋敷に通わせるだろうと結月は見ている。茉莉花には訪問を控えるように結月から直接話をした。当主からも了承を得ていることを伝えると、彼女はそれを受け入れてくれた。


 午前中、結月と紫乃はとある和室の整理を行っていた。彼女が使い始めてようやく馴染み始めた部屋には真新しい本棚が設置されていた。小さめではあるが、本棚にぎっしりと本が並ぶ様を見て結月の胸にも充実感が湧く。


「壮観ですね」


 薬に関する本がほしいと紫乃から相談を受けて約一週間。本棚には身近で手に入る教本から翻訳された諸外国の資料までが綺麗に並んでいた。結月に向かって紫乃が頭を下げる。


「ここまでしていただいて、本当にありがとうございます」

「いえ、大したことはしていませんから」 


 結月がしたことといえば、《依代の君》の権限を使って資料を取り寄せたぐらいだ。それでも自分が彼女の役に立つなら素直に嬉しい。今まで無用の長物と思っていた権威がこのときばかりは頼もしく思えたものだ。普段の任務の報酬も必要な分だけ受け取って慈善事業に寄付をしている。そのせいもあってか、道具を購入するためにいつもより多めの報酬を申請しても、必要ならもっと申し付けてくださいと言われるぐらいだった。


「まだ必要なものがあったら、遠慮なく言ってください」

「はい」


 二人の話し方は相変わらずだった。端から見たら違和感だらけの夫婦かもしれないが、急に変えるのもおかしい気がした。そのため、今は流れに任せようという話になったのだ。これから変わっていってもいいし、変わらなくてもいいと結月自身も思っている。結月は改めて部屋にある薬棚や道具をしみじみと眺めた。


「それにしても、いろいろな種類がありますね」

「この国の薬草はもちろんですが、諸外国にしか自生していないものもありますから。交易が広まってからはいろいろなものが手に入りやすくなっていますし」


 紫乃は嬉しそうに目を細めた。薬や住吉家の道具屋のことに触れると、彼女はあどけない笑顔を浮かべる。興味を持ってくれることが嬉しいのだろう。そんな様子を見るのが密かに楽しみになっているのが不思議だ。純粋に知的好奇心が湧いて、結月は更に紫乃に問う。


「初めに出してくれた薬のお陰で、だいぶ倦怠感も眠気も良くなりました。あれはなんという薬なんですか?」


十全大補湯(じゅうぜんだいほとう)という漢方です。気血両虚(きけつりょうきょ)の状態を改善してくれます。結月さんの場合は気虚(きけつ)に加えて、血虚(けっきょ)の傾向もあったので、ちょっと強めの薬をお渡ししました」


 漢方医学の考えの一つ、気虚は体を巡る気が不足している状態だという。気が不足してしまうと倦怠感や眠気、体の冷えや食欲不振を引き起こす。まさに結月が抱えていた問題だった。加えて血が不足気味。栄養が全身に行き届いていないという傾向にあったため、それを補うための薬として選んだらしい。


 飲み始めて四、五日して調子が上向きになってきたときは驚いたものだ。再度問診を受けたところ、血虚は改善傾向だったため、今は気虚を補う薬に変わっているという話だ。禍弥の呪詛はどうしても気を虚ろにさせたり流れを阻害したりするので、こういった補剤を選ぶことが多いらしい。病気ではないと薬を飲むことに否定的だったが、実際に内服して調子が上向いたことで興味が湧いた。


「漢方というとちょっととっつきにくい感じがしていたんですが。意外と飲みやすくて驚きました」

「それは薬が体にあっていたからですよ。良いもので結月さんに合ったものだから、美味しく感じたんだと思います。良薬口に苦しなんて言われていますけど、漢方は体に合わないとき、美味しく感じないんですよ」

「……なるほど」


 こうして話を聞いていると、彼女や住吉家の知識の豊富さ、日々精進する姿に尊敬の念を抱く。

 話に花が咲いていたが、少し休みませんかとカナエから声をかけられて二人は縁側で一服することにした。夏でも体を冷やさないようにと温かいお茶を入れてもらう。夏野菜は体を冷やすものが多いため、自然と体が冷えがちになるという。普段は頓着しない食事に関しても新しい知見を得られて、彼女と話すのは楽しかった。


「あの、結月さん。もしよければ、なんですけど。今度、調子がいいときに一緒に出かけませんか?」


 一服したところで紫乃からそんな提案をされて、結月は目を見張る。提案してきた紫乃も少し緊張した面持ちだ。結月は逡巡したあと、ためらいがちに尋ねた。


「……それは外に、ということですよね?」

「……はい」


 紫乃は短く返す。自然と二人の間に沈黙が降り落ちた。

 大きく体調を崩してからこの五年、結月は屋敷から外へ出られなくなった。体がままならないことも理由の一つだったが、それ以上に外の世界を見ることが怖くなってしまった。


 交易を軸に発展した帝都を見るのは楽しかった。様々な店や交易品。そして、文化交流によってもたらされる新しい技術や芸術。華やかに着飾る人々や日進月歩で変わっていく世界がだんだんと自分にはふさわしくないような気がして、背を向けた。

 紫乃の実家に出向けたのは必要に迫られていたからだ。あのときだって本当はろくに外を見ることができなかった。世界に再度踏み出したとき、自分はどんな感情を抱くのだろう。恨み言の一つでも口にしたら、もう戻れなくなるような気がした。


「私の実家の近くあたりならそんなに賑やかではないので、どうかなと思ったんです。家族と出かけていた甘味処があって、あんみつがお勧めなんですよ」


 彼女が過ごしてきた場所を巡る。本当にそれができたら、どれだけ素晴らしいだろう。

 自分が外に立っている姿が想像できない。それでもどこかで一歩踏み出せないと、ずっとこのままになってしまう気がした。長い沈黙を経て、結月は静かに口を開いた。


「……分かりました。出かけてみましょう」

「ありがとうございます」


 紫乃は表情を緩める。提案した彼女自身も、結月がどのような反応をするのか気が気ではなかったのだろう。それを見て、結月は自分の不甲斐なさを自嘲する。二日後に約束を取り付けて、二人はそれぞれの仕事にあたった。










 二日後は薄曇りで出かけるにはちょうど良さそうな気候だった。晩夏となって日差しが少しだけ和らぐ。支度を済ませ、結月は姿見に映る自身を一瞥した。

 濃紺の着物に鈍色の袴は夏仕様の薄手のものだ。ひときわ目立つ白い髪は黒に染まっていた。ふと、結月の脳裏に幼い頃のことが蘇る。


 外に出かけてみたいから力を貸してほしいと周平に協力を仰いだものの、暁斗にあえなく却下さたこと。それでも諦めきれずに機会を伺い、周平が一人でいるところで声をかけて識と共に出かけた。

 外に出かけたいと思った理由は純粋な好奇心と、家で本を読んでいてばかりの識を外に連れ出したかったのが大きい。初めは渋っていた識も一緒に外に出かけるにつれて、本物に触れる楽しさを知っていってくれたのではないかと思う。識からしたら迷惑以外の何物でもないだろうと思うと、自然と苦笑が浮かんだ。


「結月様」


 襖越しに声をかけられて応じると、周平が中に入ってきた。彼は慎重に懐から一通の封筒を出した。


「こちら報告書です」


 以前、紫乃が話していた「星原家の子」に該当する者がいないか、周平に調査を頼んでいたのだ。

 星原家は《先見》の異能者が出生しやすい家門だ。《先見》の異能は神託にも似た力で吉凶を予見する。それを他の家門に共有してこの国を守ってきた。当代の星原家当主も《先見》の異能者の一人だ。薄い封筒を開封し、結月はサッと内容を確認する。


「……目ぼしい人はいないか」


 紫乃と同年代、もしくは少し上の者で《先見》の異能者がいないか探してもらったのだが、該当する者がいない。そもそも、星原家当主が《先見》の異能持ちなのだから、この年代で他に異能者がいるとは考えにくい。


「もう少し調査を続けますか?」

「そうですね。お願いしてもいいですか? 報告書の提出も頼みます」


 はいと周平が応じる。結月は鍵付きの金庫に封筒をしまうと玄関へと足を運んだ。

 程なくすると奥から紫乃がやってきた。紺地に桔梗と流水紋があしらわれた着物。金刺繍が施された白の帯がよく映える。いつもうなじの下で縛っている黒髪は結ばれることなく肩に落ちていた。流れる髪はしとやかな美しさで目にとまる。


「おまたせしてすみません」

「いえ、僕もちょうど支度ができたところなんです。行きましょうか」


 はいという紫乃の声を聞き届けて、結月は草履を履く。周平とカナエが玄関で見送ってくれた。


「行ってらっしゃいませ。お気をつけて」


 玄関を出るとまだ賑やかな日差しが目を刺激した。晩夏の日を受けて緑が眩しい。それほど大きくない屋敷なのですぐに門にたどり着いてしまった。煌々と照らされる道を前にして足が止まる。


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