5ー1
差し込む光が眩しくて目を覚ます。ふと、懐が暖かいことに気がついて、結月は自分の腕の中を見た。
穏やかな寝息を立てて紫乃が眠っていた。その途端に昨日の己の醜態が頭に蘇る。自分が嫉妬深いなんて思ってもいなくて、今更ながらに恥ずかしさが込み上げてくる。ただ、懐で眠る紫乃が穏やかな表情で眠っているのを見てホッとした。
紫乃も血で悩まされ、異能で苦しまされてきたのだと知った。彼女が口にした事実を思い出すと心苦しくなるし、自分のことのように辛くなる。けれど、結月と紫乃の苦悩はまったく別物だ。分かるなんて到底言えるものではないし、力になれることはないといって等しい。ただ、せめて彼女のそばにいたいと素直に思った。
紫乃の顔を見て、涙の跡が微かにあるのに気がつく。あのあとも泣いていたのだろうか。結月はそっと指先でなぞる。乾いた涙は軽く触れただけでは拭えなかった。
ふと、目蓋がピクリと動いた。ゆっくりと紫乃が目を開ける。
「おはようございます」
「おはよう、ございます……」
昨晩と同じように、紫乃はいたたまれなさそうに挨拶をした。何事もなかったようにしろという方が酷だろう。ぎこちなさはあるだろうが、空けてしまっていた距離は今から埋め直せばいい。
「気分転換に湯浴みでもしてはどうですか? 昨日はそれどころではなかったですし」
「あ、そ、そうですね。気が利かなくてすみません……!」
紫乃はさっと顔色を変える。まるで失態を犯した子供のような反応に結月は一瞬面食らってしまった。結月は勢いよく起き上がった紫乃の腕を引いて止める。
「え、あ、あの?」
急に引き止められて状況が分かっていないのだろう。紫乃は困惑したまま身動きが取れないでいる。
仙道家での暮らしぶりは分からないが、出自のことを考えると紫乃の境遇はいいと言えないものだったはずだ。この屋敷に置きとどめてもらうために彼女が努力をするのは必然とも言える。こうでもしないと彼女は動き続けてしまうだろう。純粋に心配だった。
天宮家の思惑から遠ざけたかったからとはいえ、彼女を突き放したことに変わりないし、後悔したところで遅い。ならば、これから彼女がここにいてもいいのだと思ってもらえるようにしたかった。
「今あなたに必要なのは休息です。まだ休んでいてください。僕が準備をしてきますから」
「そういうわけにはいきません!」
紫乃が反射的に言い返す。言語道断と言わんばかりの圧がカナエとよく似ていた。類は友を呼ぶとはよく言うが、やはり性質が近い者同士引き合うのだろうか。ふっと自然と笑みがこぼれてしまった。
「僕がやりたいんです。やらせてもらえませんか? 隊員時代に叩き込まれていますので、身の回りのことは最低限はできますよ。炊き出し訓練は基準点スレスレだったので、料理はまあ……アレですけど」
結月の申し出に紫乃は体の力を緩める。話を聞いてくれる気配を感じて、結月も手を離した。
「世間体が悪いのも重々承知していますし、常識からズレているというのは理解しています。けれど、僕は主従にあまりこだわらずにいたい。さすがに世間体を考えなければならないときは、相応の態度や姿勢で臨んでいますが」
一般的にはカナエや紫乃の反応が当たり前なのだろう。しかし、天宮家当主の意向第一という方針がずっと息苦しかった。だから地位を得て、一人で過ごせる場所を作った。
「体調の件がなければ、僕は本当に一人で生きて死んでいくつもりでした。そして、あなたを前にして一人で死んでいきたいとも告げました」
びくりと紫乃の肩が揺れた。我ながらずる賢いなと結月は思う。
「でも、今は……あなたたちと真っ当に生きてみたいと思えるんです。あと少しだけ、僕の我儘に付き合ってくれませんか?」
残された時間を有意義にしたいと情に訴えているのだ。愚かしいにもほどがあると思う。大切にしたいと思う人ほど、きっと自分は傷つけることしかできない。
でも、口にした思いは本物だ。自分に何ができるのかなど到底分からない。それでも、こんなにも我儘な自分についてきてくれた人には相応に返さなければ申し訳が立たない。
紫乃の瞳が寂しそうに揺れる。彼女は絞り出すように言葉を紡いだ。
「……そんなの、ずるいです……」
「すみません」
不甲斐なさから苦笑いがこぼれてしまった。しばらくの間、沈黙が二人の間を覆う。紫乃は顔を伏せていたが、やがて静かに口火を切った。
「それなら、私のお願いも聞いていただけますか?」
「なんですか?」
「今日から、異能を使わせていただきたいです」
斜め上の返答に結月は閉口してしまう。けれど、真っ直ぐに向けられた紫乃の目を見て自分の負けを悟った。
先ほどまで揺らいでいた瞳は譲らないという意志で満ちていた。その強さに見惚れてしまう。そもそも、異能を使ってほしいと進言したのは結月自身だ。紫乃の提案を断ることなどできない。
「……はい。よろしくお願いします」
結月が風呂の準備をしている間に紫乃は台所へと向かった。どうやら、朝食の下ごしらえだけでもしておきたいらしい。昨日あんなことがあって、カナエにもずいぶん心配をかけてしまった。あまつさえ彼女の仕事を横取りしているのだから大目玉を食らうだろう。そう思いながらも、どこか面白く感じている自分がいて不思議だった。
案の定、起きたカナエは結月と紫乃が家事をしていることを知って飛び上がった。それでも持ち前の胆力で持ち直した彼女はさっさと紫乃を湯浴みさせ、髪を梳いていた。結月が入れ替わりで入ると浴槽にはいつものように白い布地が水面に浮かんでいた。
湯に浸かるとうっすらと林檎に似た甘やかな香りがする。カミツレだろうか。優しい香りが強張っていた体をほぐしてくれる。浴槽に入れてくれる薬草が心地良くなっているのだから不思議だ。彼女の話をもっと聞いてみたいと改めて思う。




