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なんで口にしてしまったのだと、冷静な自分が頭の片隅で問う。言わなければ知られることもない。侮蔑の目を向けられることも、ここから追い出されることもないだろう。
それでも口に出したのは、結月が最も触れたくない話をしてくれたと感じたからだ。きちんと向き合ってくれる彼に対して、せめてもの誠意で応えなければならないと思った。息苦しくて、ぎゅうっと胸元の着物を握った。一度口にしたあとは、思ったよりも簡単に言葉が口からまろび出ていく。
「ここでお医者様に診ていただいたときに言われたんです。通るべきだった管が閉塞していて、その詰まりの原因はおそらく強力な呪詛だろうと。そのとき思ったんです。ああ、これは必然だったんだと。私という存在自体が呪いだったんだと」
「……紫乃さん」
「住吉家に引き取られる前に、星原家の子に言われました。私には災禍を引き寄せる相があると。いずれ、その身をもって知るときがくると。だから……!」
瞬間、ぐっと体を引き寄せられる。
いつの間にか結月に抱きしめられていた。痛いほどに、腕に力が込められている。
「もういいです」
とても優しくて、痛みを堪えるような声だった。それに喜んでしまう自分が心底嫌だった。気持ち悪くて仕方がない。
紫乃は結月の胸に手を当てて、無理やり身を離そうとする。けれど、結月は離そうとしない。それがまた紫乃の奥底にある甘えを刺激する。
甘美な優しさがじわじわと体を侵食する。可能ならずっとこの温かさに浸っていたかった。しかし、それを享受すべき人は別にいるのだ。結月から逃れようと、更に紫乃はもがく。
「離してください。ここには私ではなく、茉莉花さんがいるべきだった――」
その途端、口を塞ぐように唇が重ねられる。何が起こったのか分からなくて、紫乃は一切の動きを止めた。
数秒の口づけのあと、ゆっくりと重なった唇が離れる。結月は壊れ物に触れるように紫乃の頬に手を添え、コツンと額を当てた。月のような金色の瞳が紫乃を捉えて離さない。
「それでも僕は……共に生きるなら、あなたがいい」
ふわりと再び抱きしめられる。今度は優しい抱擁だった。甘くて優しくて、とても温かい。
「あなたはあんな姿の僕に手を伸ばしてくれた。おぞましいなんてことは決してありません」
おぞましいだなんて、一番自分が理解していた。だからせめて誰にも迷惑をかけないように、負担を最小限にしようと自分のできる努力はしてきたはずだった。一人で生きるための術を身につけてきた。
そう。自分も彼と同じように、一人で生きて独りで死んでいくのだとずっと思っていた。
でもそれ以上に、自分がここにいることを許されたいと――ずっと心の底で思っていた。
「……ううっ……!」
いつの間にか一筋の雨が頬を流れ、嗚咽がこぼれ落ちた。子供のように縋り付いてしまう。そんな紫乃の頭にそっと手を当て、結月は優しく抱きしめた。
堰を切ったように涙があふれる。結月の腕の中で紫乃はずっと泣き続けていた。
サラサラと髪が撫でられている。そんな気配を感じて紫乃は目をゆっくりと開ける。
白髪の青年が真向かいにいる。彼は横になったまま紫乃の髪を梳いていた。
そこで紫乃はようやく自分が布団で寝ているのだと認識する。いつの間にか寝所に運ばれ、一つの布団で結月とともに寝ていたらしい。部屋の中は暗く、小さな行灯だけが灯されている。
紫乃は結月から視線を外して体を縮こまらせる。自分のおぞましい身の上を話したのだと思い出すと、結月の顔をまともに見られなかった。結月は髪を梳くのをやめて、静かに声をかけた。
「もう少し休んでいて大丈夫ですよ」
「……ご迷惑をおかけして、すみません」
詫びる紫乃を見て、結月は困ったように笑った。
「僕たち、昨日から謝ってばかりですね」
驚いて伏せていた顔を上げると、ふわりと引き寄せられた。そのまますっぽりと胸に抱かれてしまう。
温かい。浸ってはいけないのに、その優しさについ縋ってしまう。
「ここにいてください。目を離したら、あなたはどこかへ行ってしまいそうだ」
「……でも、私は……」
「紫乃さんはこの屋敷にいるのは嫌ですか? 嫌なら婚姻を破棄してらって構いませんよ」
「嫌だなんて、そんな」
慌てて身を捩って見上げるとぱちりと視線が合った。結月は端正な顔に苦笑いを浮かべている。こんな至近距離で顔を合わせるのはなんだか気恥ずかしい。
「嫌じゃないならここにいてください。さっき言ったように、僕は共に生きるならあなたがいい。異能も出自も関係ありません。……あなたがいないと、僕は寂しい」
ずっと一人でいた人が自分を必要としてくれる。いないと寂しいと言ってくれる。その言葉は紫乃にとって甘美すぎて抗えない。ここにいたいという渇望が湧き上がり、思わず胸元に額を寄せてしまう。
「……私だって、できるなら……ここにいたいです……。私にできることなら、何でもします。だから……」
「そのままでいいです。あなたは十分よくやってくれています」
紫乃の言葉に結月は苦笑を強め、寄せられた頭に手をおいて子供をあやすように何度も撫でた。
ふと蘇るのは住吉家に引き取られて間もない頃のこと。早く役に立たなければと家事の手伝いに奔走したところ、釜を焦げさせて迷惑をかけてしまったことがある。紫乃が泣いて頭を下げるものだから、義母がぎゅっと抱きしめて頭を撫でてくれたのだ。気恥ずかしさとともに安堵感に包まれる。
言葉ないまま頭を撫でられ微睡んでいく。結月は手を止めると、紫乃から少しだけ身を離した。
「紫乃さん。自分から契約を申し出ていてこんなことを頼むのはおこがましいんですが。……定期的に僕に異能を使ってくれませんか?」
結月の申し出に紫乃はパッと結月に視線を向ける。彼は申し訳なさそうに笑っていた。
「……いい、んですか?」
「いいも何も、こちらが土下座して頼み込むぐらいのことですよ。あなたの異能は未知数です。異能を使うことであなたに不利益が出るかもしれない。だから、嫌なら断っていただいて構いません。ただ……」
「ただ?」
「死ぬまであなたの隣に立って歩きたい。少しでもその時間が長くあって欲しい。だから、力を貸していただけると嬉しいです。……って、こんなこと言うのは卑怯ですよね」
結月が不甲斐ないと言わんばかりに眉を下げる。
彼のそばにいてもいいのだろうか。自分という存在が果たして本当に力になれるのだろうか。そんな不安が胸に去来する。けれど、何よりも彼と共に過ごせる時間が長くなるなら、自分ができることをしたいと思った。
「……いえ、やらせてください。少しでも、力になりたいです」
「ありがとうございます」
心底安心したという笑顔を向けられた。しかし、次いで結月の表情が真剣なものへと変わる。紫乃がまだなにかあるのだろうかと思っているうちに、結月が小さい声で切り出した。
「あと、本部の方で訓練のことなんですが。それ自体は無理のない範囲で続けていただいていいんですけど……その。男性との訓練は控えていただきたくて……」
確かに立場的には人妻なのだからそういったことは控えるべきだったと、紫乃は一人自省する。しかし、結月のバツが悪そうな表情を見て、紫乃は徐々に別の意味があることを察した。
「……それは、ええと……」
嫉妬だろうか。識のときも驚いたが、意外と結月はヤキモチを焼く性分らしい。意図を察したのに気付いたらしく、彼は口元に手を当てて顔を真っ赤にした。
「縛られるのが嫌なくせにこんな……。器が小さくて、本当に嫌になります」
顔を見られないようにするためか、すっぽりと胸に抱かれてしまった。もう少し休みましょうという声が頭上から降りかかり、温かな胸から規則正しい鼓動が聞こえる。先程まで聞こえていた心音より少し速度が早いように感じた。すぐったい気持ちに駆られるけれど、心地いい。
生きている。まだ、私たちはここにいる。
心地よい温かさに包まれたまま、紫乃はゆっくりと目蓋を閉じる。やがて甘い微睡に誘われ、深い眠りに落ちていった。




