4ー2
そう言うや否や、識に連れられて訪れたのは意匠が凝らされた煌びやかな店。天宮家という肩書は伊達ではなく、識が店に顔を出せば店主が相好を崩した。しかも、帝都の老舗ではだいたい顔が利くらしい。
それもすべては《依代の君》のお陰だ。《依代の君》が現出している時代は安寧と繁栄が約束される。そのため、《依代の君》を輩出した家門は多くの優遇を受けていた。帝都ではおおよそ融通が利くし、《依代の君》が望めば可能な限りで物を手配してもらえるという。人気の劇場の席を押さえるのも簡単にできてしまうというのだから恐ろしい。
商品を見ながら歩き回っただけなのだが、華やかな世界に眩暈がする。疲労を感じ始めて中央通りの喫茶店に入り、一息入れると識の怒りはいくらか収まったようだった。
そのあとは街中に出て公園へと向かった。識は木陰にあるベンチに無造作に背を預けて不満をぶちまける。
「ああいう煮えきらない態度、本当に腹立つ」
「そ、そうですか」
歯に衣着せぬ物言いに紫乃の方が恐縮してしまう。識はベンチから背を離し、足に両肘をおいて手を握ると遠くに視線を向けた。
「……父上からの命で仕方ないっていうのは俺だって分かってる。だけど、紫乃様がいるんだ。茉莉花さんとはきちんと距離を取るべきだよ」
識の指摘に紫乃は口を開きかけ、すぐに閉じた。
目の前を小さい子供が通り過ぎていく。大きい子が姉で、小さい子はおそらく弟。快活そうな女の子が少年の手を引いて笑っていた。その姿を識は眩しいものを見るかのような目で見ていた。
「紫乃様は別の女が屋敷に来るの、嫌じゃないんですか?」
別の女、という言い方がこの上なく棘に満ちている。識と茉莉花が久しぶりの対面を果たしたときも感じていたが、二人の折り合いはすこぶる悪いらしい。紫乃は膝に置く自分の手に視線を落とした。
「嫌じゃない……わけじゃないですけど。当主様の命であれば、仕方ないことじゃないかと」
そもそも、茉莉花の力で結月の生活を支えていたのだ。紫乃が横槍を入れたと言っても過言ではない。茉莉花の立場からしたら、たまったものではないだろう。
「……あのクソ親父、本当にろくなことしない。滅したい」
人当たりのいい識にここまで言わせるなんてどんな人なのだろう。いや、正確に言えば思い当たる節は大いにあるのだ。
家門のための縁談と結婚。死ぬ前に子を成せという無言の圧力。結婚させたうえで、結月の異能を強化保持するために茉莉花を屋敷に通わせるという行為。父親によって結月の生は雁字搦めにされている。この短い期間でもよく分かる異常さだ。おそらく、識もそういった圧力の下で生きてきた。
「っていうか、紫乃様。まだ兄上のこと様付けで呼んでますよね?」
識の言葉に紫乃は再び言葉を詰まらせる。一拍を置いてから紫乃はぎこちなく笑った。
「どう呼ぶのがいいのか分からなくて、このまま来ちゃいました」
「ほんと、こんないい人ぞんざいに扱って、何考えてるんだか」
風が頬を撫でて髪が流される。紫乃は識と同じように遠くを見つめながら、ぽつりとこぼした。
「……私は、いい人って言われるような人ではないですよ」
口から出てきたのは、自分に対する正直な見解。横に座る識は紫乃を一瞥すると微苦笑を浮かべた。
「……紫乃様と兄上って、そういうところ、ちょっと似てますよね」
想像もしていなかったことを言われ、紫乃は思わず識の方に視線を向ける。識はベンチに背を預けた姿で天を仰いでいた。視線が噛み合うことはない。
二人の間を沈黙が覆った。賑やかな子供の声がやたらと耳につく。識は空を眺めたまま、ぽつりとこぼした。
「兄上、追ってこないですね」
「お体のことがありますから」
結月は体調を著しく崩したときから、あの屋敷から出ることがなくなったという。今は比較的調子が良くなっているようだったが、いつ倒れたらと思うと気が気ではないだろう。追いかけてこないのは当然だと思っていた。
「それもあるかもしれません。けど、今の兄上は外に出られないんじゃなくて、出たくないんですよ」
識が言っている意味が理解できなくて、紫乃は隣に座る青年に視線を向けた。
飴色の双眸と視線が合う。識の顔はとても真剣だった。いつもとは違う気配を感じて心臓が早鐘を打つ。外に出ない理由が体調以外にあるというのなら、それは一体何なのだろう。
「……どうして」
「世界を見ることが怖いから」
「世界を見ることが……?」
はいと識は相槌を打つ。木々の葉からこぼれ落ちる日がやけに眩しい。識は一呼吸置くと続けた。
「《依代の君》が暴徒によって殺されたときがあるって話、聞いたことあります?」
「……はい」
「残されている記録によると、その《依代の君》の亡骸に怨恨が集って禍弥化した。そのせいで一つの大きな街が崩壊し、何万人も死んだ。《依代》の異能が反転した影響だと推察されています。強く正す力は反転すると強力な呪詛になる。兄上はそれをきっと誰よりも理解している」
一人の異能者の死が怨恨を呼び、何万人もの人を死に至らしめた。その事実を前にして背筋に寒気が走る。
「《依代の君》が生まれる数十年前から禍弥の出現が抑えられ始める。そして、死んだあとも向こう二百年は平安な時代が続いたと伝えられています。今は淀みの時代と言われている時です。それにもかかわらずここまで帝都は栄えて、歴代の中でも治安が良いと言われています。……それは、兄上という存在がいてくれているから成り立っている」
諸外国との交流を積極的に持ち始めたのはここ三十年ほど。多かった禍弥の出現も下降傾向になり、そのために人の生活は下向きから上向きへと変わった。貿易と文化交流で躍進的に帝都は変化し、今も発展を続けている。
識に連れられて歩いた中央通りや煌びやかな店。道を行き交う華々しい人々の姿が脳裏に蘇る。
「俺なら、それらを知っているうえで自分が死にゆく世界を……見たいとは思わない。栄えている街で楽しそうに生活している人を見たらなおさら、なんで自分だけって……きっと思ってしまうから。俺が同じ立場ならたぶん、気が狂う」
禍弥を打ち祓い、気の流れを正常にして整える。それはこの世界に龍脈が生まれ、異能を賜ったときから連綿と続いてきた異能者の責務だ。
結月は強い力を持った故に強大な義務を負った。父親からの期待と圧力も同時にかかる。本人からしたら望んでもいない現状だろう。その上で自分の命がそう長くないと知ったとき、境遇を――世界を恨まずにいられるだろうか。
帝都の片隅に佇む小さな屋敷。あの屋敷は結月が自分を守るために作った、箱庭なのだ。
「紫乃様。実は兄上、ああ見えて小さい頃はよく街中に出かけてたんですよ」
「え? 本当……ですか?」
先程までとは一変した事実に驚きが隠せない。ええ、と相槌を打つ識は昔を懐かしむように目を細める。
「周平さんって《隠蔽》の異能持ちじゃないですか。本質を隠すという作用で髪の色と目を変えてもらって、こっそり兄弟で外に遊びに行っていたんです。大人たちに見つかったときは、みんなこっぴどく怒られました。なんで連れてかれただけの俺も怒られるんだって、めちゃくちゃ悔し泣きしました 」
住吉家に結婚の挨拶をしに来たときの結月の姿が頭に蘇る。そういえば、あのときも周平の異能で本来の髪や目の色を隠してもらっていたのだ。髪と目を隠してこっそりと出かける。今の結月からは想像ができない、やんちゃな一面だ。
「……明るくて聡明で、いつも俺を引っ張ってくれて。幼い俺にとっては太陽のような人でした。……本当はもっと、自由に生きてほしいんですけどね」
そう言って、識は視線を落とした。紫乃はそれに対して何一つ言葉を返すことができなかった。
もっと話が聞きたい。彼らのこと、天宮家での結月のことを。しかし、ここからは結月本人から聞かなければならない。そのためには屋敷に戻って、彼ともう一度向き合う必要がある。結月が向き合ってくれるかどうか、分からないけれど。
「紫乃様。いろいろなところに連れ回してすみません。買い出しって銘打って出てきたので、何か買って帰りたいんですけど。欲しいものないですかね?」
識が申し訳なさそうに申し出た。彼の勢いに巻き込まれて出かけたけれど、確かに何か持って帰らなければお互いに体裁が悪いだろう。しかし、あの煌びやかな世界の中でほしいと思えるものはない。紫乃はしばらく逡巡してから、おずおずと切り出した。
「……ええと。強いて言うなら足りなくなってるものがあるので、薬がほしい……とは思うんですけど」
「了解です。行きましょう」




