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依代の君と望まれぬ花嫁の幸福論  作者: 立藤夕貴
1話 頂点と末端の縁談
2/32

1ー1

 太陽が傾いて空が橙に染まり、皆が忙しなく自宅へと足を向ける。

 往来する人の顔が陰り、顔が判別できなくなる時間帯。禍が降り落ちるとされる逢魔(おうま)が時だ。


 店に訪れる人ももうだいぶ少ない。そろそろ店じまいかなと住吉紫乃は通りに面する格子戸に目を向ける。ちょうどそのとき、戸が開いた。

 慌てた様子で格子戸を開けたのは壮年の女性だった。きちんと結い上げられた黒髪に落ち着いた臙脂色(えんじいろ)の着物。この道具屋の常連さんである三島(みしま)さんだ。四人の子を育てる、三十代の肝っ玉お母さんである。


「紫乃ちゃん、お(はら)い用の札をくれないかい? 二枚ね」

「はい。少々お待ちくださいね」


 紫乃はサッと立ち上がって、右手にある棚の中を探る。すこし厚手の和紙は細長く切られ、青墨で複雑な文様が描かれていた。目的の物がきちんと二枚あることを確認して、紫乃は戸口に立つ三島に手渡す。


「二枚で十銭になります」

「ありがとうがとうね。夕方、急に一枚が燃えて消えちまって焦ったよ。間に合ってよかった」


 三島は強張っていた顔を綻ばせ、紫乃に代金を渡す。日が落ちて判別しにくいが、三島の顔色はどことなく白く見えた。紫乃はさり気なく声をかける。


「あの、お体の方は大丈夫ですか?」


 紫乃の言葉に三島はぱちくりと目を瞬かせる。肩を竦め、頬に手を当てると彼女は息をついた。


「そうだねぇ……。ここのところ禍弥(まがみ)が増えたせいなんか、なんだか気力を持ってかれてるみたいで……ってああ! 急いていて、頼むのを忘れてたよ。前にもらったあの薬ももらえるかい? こっちも切れちゃってね」

「はい」


 相槌(あいづち)を打った紫乃は素早く座敷に戻ると、道具をしまっている棚の隣に向かった。そこには小さな引き出しがたくさん設えられている箪笥(たんす)がある。素早く視線を走らせ、彼女は一つの引き出しを開けた。

 小分け用にされている麻袋を一つ手にして、紫乃は素早く戸口へと戻った。


「こちらで少し気の流れが良くなると思いますから、お大事にしてください。用法は前とお変わりなくて大丈夫かと」

「ありがとうね」


 三島は差し出された麻袋を大事そうに受け取る。薬分の代金を受け取ると紫乃は表通りに出て、今日最後のお客様である三島を見送る。


「暗くなってきたので、お気をつけてください」

「ああ、遅くに悪かったね。紫乃ちゃんも気をつけてね」


 紫乃は手を振って帰っていく三島に一礼をし、通りから姿が見えなくなるまで見送る。いつの間にか日が完全に暮れ、空は濃い藍色に支配され始めていた。紫乃は戸口にかけている暖簾(のれん)を外して店の中にしまう。一日の締めを計算し、書き留めている間に夕食時が迫っていた。手早く店の仕事を終わらせ、台所の方に向かう。


 タイル張りの水道の前に立ち、長い髪をうなじでひとまとめにする。手早くかまどに火をくべて米を炊き始める。トントンと小気味いい包丁の音が耳に心地いい。アジの開きの香ばしい香りとご飯の湯気が台所に立ち上がってくる。

 一通り食事の用意ができると、ちょうど家用の戸口が開いた。程なくして父である喜好(きよし)が居間に姿を表す。その表情がやけに疲れているのを見て、紫乃は足早に駆け寄った。


「どうしかしたんですか?」


 今日はお客様と大切な話があるということで、紫乃に店を任せて出かけていたのだ。よほど難しい要求をされたのだろうか。喜好は目頭を揉みしだく。ふうと息をつくと眉を下げて申し訳なさそうに笑う。


「ああ、大丈夫だよ。それよりご飯ありがとう。冷めないうちに食べようか」

「は、はい」


 ()くべきではなかったかなと思いながら、紫乃は言われた通りに夕食を食卓に運ぶ。白いご飯に豆腐のお味噌汁、ひじきの煮物と鯵の開き。最後に沢庵漬(たくあんづ)けを並べて卓につく。普段と代わり映えのない質素な食卓だ。それでもこうして毎日家族と食事ができるということが、紫乃にとって代えがたい時間だった。


 夕食の片付けを終え、一息ついたときだった。改まって父から声をかけられ、紫乃は再び居間の卓につく。目の前に座る喜好は気難しそうな顔をしていた。


「今日、天宮(あまみや)家の仲介人とお会いしたんだよ」


 天宮家、と紫乃は一人頭の中で反芻する。天宮家は強力な異能を持ち、異能一族を統括している御三家の一つだ。


 遠い昔、この世界は龍神に創造されたのだという。龍神たちは生命を育むための気を世界に循環させるため、大地に脈を通した。龍脈と言われるそれは世界に大いなる繁栄をもたらすことになった。

 しかし、その気が滞ったとき、一つの災厄が大地に生み落とされた。その災厄は発生初期は小さな黒薔薇(くろばら)(かたど)り、大きく育つと荊棘(けいきょく)をまとう白骨の異形となって人を襲うようになった。ときに遺体に呪詛を込めて(えさ)とし、人を喰らう異形は畏怖を込めて禍弥と呼ばれるようになった。


 禍弥に対抗するために、龍神より人の一部に異能が分け与えられる。異能が与えられた人々は禍弥に対抗する組織を立ち上げ、自らの危険を顧みずに禍弥の討伐にあたった。

 組織の中で、三つの家が頭角を表すようになる。定期的に淀む龍脈を監視しながら、御三家と呼ばれる東護(とうご)家、天宮家、星原(ほしはら)家を中心として、この国は発展してきたと言われている。

 御三家の一つが話題に上がり、自然と紫乃の体に力が入った。


「天宮家ですか。……どんな話を?」

「天宮家の次男、結月(ゆづき)様との縁談をいただいたんだ」


 紫乃は独り言のように縁談という言葉を繰り返す。それから徐々に言葉の意味が頭の中に染み込んできて、思わず声を上げていた。


「縁談……⁉︎ もしかして、私にですか⁉」

「うん、そうなんだよ……」


 喜好は悩ましそうに肩を落とした。ここでようやく紫乃は父の並々ならぬ心労を察する。


 天宮家といえば、禍弥を祓い浄化する《破邪(はじゃ)》の異能を持つ子が生まれやすい家門だ。普通の物理的攻撃でも禍弥を打ち倒すことは可能だが、《破邪》の異能を持つ者はそれよりも容易く消滅させることができるという。天宮家はここ近年、禍弥討伐で輝かしい功績を残し、御三家の中でも強い発言権を持ち始めていると耳にしたことがある。

 そんな天宮家ともなれば、当然異能を重視した婚姻を望むはずだ。よりによってなぜ、住吉家を選んだのかという疑問が浮かぶ。


 実は住吉家も異能を持つ家門である。しかし、今は異能が著しく低く、地位は末席どころかないと言って等しい。どうしてそうなったかと言えば、住吉家が自由な婚姻をしてきたのが原因らしい。

 異能者同士の夫婦の方が強い異能を持つ子が生まれるという統計が出ている。そのため、今では強い異能が子に現れるように政略結婚することが当たり前となっていた。そんな中で住吉家は代々恋愛結婚をしてきた珍妙な家なのである。世間一般でも見合い結婚が当たり前なので、その方針は浮いているどころの話ではない。

 しかし、異能が弱くても住吉家は異能者一族の端くれである。道具屋として、他の家門が制作した対禍弥用の道具を市民に売る。それが住吉家の役割だった。


「それにさっき次男様と言ってましたけど。私、次男様のお話をまったく聞いたことがなくて……」

「ああ、私も聞いたことがないよ」


 もう一つの疑問はそこにあった。

 天宮家は三人兄弟と聞いたことがある。中でも一番有名なのは長男である天宮暁斗(あきと)。《破邪》の異能を色濃く受け継ぎ、天宮家の次期当主として認識されているぐらいだ。禍弥討伐隊第二部隊の副団長を務めていて、冷静な判断力と破邪の力をもってして禍弥を一掃する姿から《軍神》などとも呼ばれているという。確か年齢は二十代半ばぐらいだっただろうか。彼を団長にと押し上げる声も強いぐらいだ。


 三男の天宮(しき)は暁斗の五つ下の弟だ。長兄と同じ第二部隊に所属し、彼も禍弥討伐で大きく貢献しているという。気さくで人当たりがいいという話を聞いたことがあった。


 そんな二人に反比例するかにように、次男の話はとんと聞いたことがないのだ。容姿も人柄も異能の話も、耳にしたことがない。まるで、彼がそこにいないとでもいうかのように。「天宮家の次男」という肩書だけが彼の存在を保っているようだった。


 幼い頃の自分を思い重ねて、つきんと胸が痛む。もしかしたら彼も自分と同じように異能がもとで、家族から捨て置かれているのだろうか。世間の体裁を保つためだけに親が縁談を申し込んでいるとも考えられる。それならそれで話題になりそうなものなので、情報が秘匿されているという事実がやけに不気味に映る。


「当然、意図があっての縁談だと思うんだが、なにせ理由がいまいち分からなくてね。たとえ、結月様の異能が天宮家の家柄に見合わないとしても、家門の名から考えれば良縁はあるだろうに、なぜうちなのだろう? しかし……天宮家からの縁談だからね。断ることも難しいと思う」


 やはり、父の憂慮もそこにあるようだ。目上どころか御三家からの縁談。末端の家門が断れる話ではないというのは紫乃も十分に理解している。


「お父さん。その縁談、お受けします」


 紫乃の発言に喜好は大きく目を見張る。そんな父に対して紫乃は右手に手を当て、ふわりと笑ってみせた。


「まずはお見合いをさせていただきましょう。私が無能だと知れたら、先方から断るはず。こちらが断るより、よっぽど穏便に済みます」

「しかし」


 縁談を断られたとなれば、世間的に嫁としての器量がない女と見られるわけだ。そうなれば次の縁談も来にくくなるだろう。女一人で生きていくにはまだ難しい世の中でそれは死活問題とも言える。けれど。


「大丈夫です。私にはお父さんから知恵も技術もたくさんいただきました。道具屋をすることは叶わないかもしれないけれど、薬の知恵で食いつないでいくぐらいはできるはずです」


 父は道具屋と並行して、生薬を売る薬屋としても働いている。禍弥は気の流れを滞らせる性質があり、そのせいで体調不良を起こしやすくなる。住吉家は代々その知識と技術を継いで生き延びてきた。

 異能が弱いながらも人々の手助けになれないだろうかという、住吉家の思想と実践。その生き方は異能を持たない紫乃に大きな衝撃を与えたと同時に、彼女の生きる指針となった。


「嫁に行けない娘を持つのは迷惑だと思うけれど……。縁談を断られたら、今までのように店でお手伝いをさせてくれませんか? お願いします」


 紫乃は畳に手を置き、深く頭を下げる。ふと、義理の弟の顔が頭に浮かんだ。

 住吉家の中で珍しく《破邪》の異能を発現したのが義理の弟だった。自分が住吉家を盛り立てるから待っていろよと言って、彼は十五になった春に禍弥討伐隊へと入団した。

 嫁げない姉がいるとなれば、彼の身の回りにも影響が出るかもしれない。そう思うとやはり怖くはあった。自分の立場が悪くなる分には耐えられるが、身近な人たちに悪評が立つのはやるせない。それでも、この状況での最善は紫乃が縁談を受けることだと思うのだ。


「……紫乃はいい出したら聞かないからねぇ」


 諦めと呆れが入った声が頭の上から降り注ぐ。紫乃がぱっと顔を上げると、袖に手を入れ、困ったように笑う父の姿が目に入った。


「分かった。紫乃が言う通り縁談を進めよう。けれど、これは住吉家の問題だよ。紫乃一人の問題じゃあない。いいね?」


 小さな子供に言い含めるように、喜好はそう告げた。

 住吉家に来たばかりのとき、敬語で話すことがやめられられなかったことを思い出す。根気よく義父母が接してくれたおかげで、不器用ながらも彼らと家族になれたのだ。懐かしくて気恥ずかしくて、そして何よりありがたかった。


「……ありがとう」


 だから紫乃はもう一度、父に向かって深々と頭を下げた。

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