3ー7
昼間のうちに実家に向かい、紫乃は多種多様の生薬を父から買い付けた。住吉家は長い年月を積み重ねて人脈を広げ、各方面と薬の交易をしている。何か必要なものがある場合は喜好に相談するのが一番だった。道中で調薬に必要な物品も揃えてもらった。付き添い兼御者をしてくれた周平は紫乃の荷物を興味深そうに見やる。
「いろいろな種類があるんですね」
「はい、私もまだ勉強中です」
自室へと荷物を運び込んで整理をする。新しい木製の薬棚はまだ身の置き場がないようで、どこか肩身が狭そうだった。まるで自分のようだと紫乃は苦笑いを浮かべる。買い付けた薬を棚に仕分けしていくと、いくらか不安な気持ちが落ち着いた。
もう一つ頼み事があって、紫乃はカナエを探す。庭先で洗濯物を取り込んでいるカナエを見つけて相談を持ちかける。
「献立を紫乃様が? 私は構いませんけれど……」
紫乃が持ちかけたのはしばらくの間、献立を考えさせてほしいということだった。二人で作るのは今までと変わりはないという旨を伝えると、カナエは戸惑いながらも了承してくれた。
結月の屋敷では食事は基本的に朝と夕の二食だ。もともと結月が質素倹約思考だったのと、呪詛の影響で食が細くなってから一日一回食べれば十分だという日が多くなって、そうなったらしい。紫乃は今日の夕飯から献立を考えることにしていた。
調理台には生姜、ウコン、ナツメ、クコ、八角など全十三種類の生薬が並ぶ。食材を興味津々といった様子でカナエが覗き込んだ。
「見たことのないものがたくさんありますね」
「普通の献立ですと、あまり使わないものですから」
そう、紫乃が作ろうとしているのは普段とは違った料理だ。住吉家ではたまに食べていたが、果たして口に合うだろうかという懸念が一瞬よぎる。けれど、教えを請うた父の言葉を念頭に準備を進めた。トントンと小気味いい音が台所に響き、コトコトと鍋から湯気が立つ。
「後味が少し変わっているお出汁ですが、美味しいです」
「よかったです」
調理自体は簡単なのですぐに終わるだろう。台所の片隅にある椅子でカナエとともにご飯が炊きあがるのを待った。炊きたてのご飯が待ち遠しい。穏やかで落ち着く空気だった。
「私、実は夫と子供を亡くしているんです」
思いがけない告白を聞いて、紫乃は隣に座るカナエに視線を向けた。
いつもの快活さが身を潜めていて息を呑む。その横顔は見たこともないほどに寂しそうだった。カナエは視線をそのままに言葉を続けた。
「帝都から少し離れた街に住んでいましてね。ある日、住んでいた周辺が禍弥に襲われました。夫と子は禍弥に襲われて亡くなったんです。禍弥に襲撃された中でもひどかったそうで、そこは地獄のような有り様でした」
どくりと心臓が跳ねる。いつも見ているカナエの様子からはまったく想像できない過去だった。過去を思い馳せているのか、カナエは遠くを見つめていた。
「呪詛を植え付けられた遺体は黒薔薇を咲かせて、禍弥の餌となるそうなんです。私の夫がそうでした。二人の遺体を前にして泣いていたとき、一人の男の子が私の前に現れました。それが結月様でした。確か、十四歳の頃だったと記憶しています」
禍弥討伐隊への入隊は基本的に十五歳からとされている。新人として教育期間があり、力量に応じて実践に投入される。カナエの話で結月の経歴が一線を画しているのだとすぐに理解できた。同時に、若くしてカナエがいう地獄のような場面を目にしていたのだと知る。
「髪と目、手足も真っ黒。禍弥と同じように黒い薔薇を体にまとっていて……。びっくりするぐらいの綺麗な顔だったので、それはもう怖かったです。禍弥の主でも現れたのかと……ここで死ぬのかと思いました。声も上げられずにいたのですが、その子は何も言わずに夫に手を添えて、その途端に黒薔薇はすべて散ってしまったんです。『禍弥の呪詛は僕がもらいました』と言われたんですけど、始めは何を言われているのかまったく理解できませんでした。あとになって人づてに禍弥の餌の噂を聞いて、喰われそうになっていた夫が救われたのだと知りました」
禍弥が直接呪詛を植え込んで人を餌とするという話は紫乃も聞いたことがある。しかし、帝都は禍弥討伐隊の本部が置かれているために禍弥の処理も早い。実際にあるものとして認識しきれていなかったのだと、カナエの話を聞いていて思った。
そんな恐ろしい事態に巻き込まれ、年端もいかない少年――結月が助けた。結月との出会いはカナエにとって、どれほどの救いになったのだろうか。
「帝都所属の胸章を付けていることを思い出してここへ来て、必死になって恩人を探しました。そうしたら、結月様の方から私に声をかけてくださって、直々に雇ってもらえたんです。……結月様は私と、私の家族の恩人なんです」
カナエが姿勢を正して紫乃に向き直る。その表情は一人の青年を慮る母の顔だった。
「差し出がましいとは重々承知しています。ですが……もう少しだけ、結月様のそばにいていただけませんか? ここ最近でここまで結月様に心を砕いてくださったのは、紫乃様しかおりません」
カナエは深い一礼をする。
彼が望む通りの距離感を保てるよう、手を離すのは簡単だ。しかし、そうしたらきっとこの縁は切れてしまうだろう。結月がどこまでを望むか正直分からない。
まだ彼とは知り合ったばかりで何も知らない。何ができるかも分からない。けれど、もう少し彼のことを見ていたいと紫乃も思っている。
「……はい」
そう一言返した。結月の境遇を考えると、そう返すだけで精一杯だった。
蒸らしの時間を終えてご飯が仕上がる。支度の時間は長いようで短かった。鍋とご飯、口直しの香の物を準備して食堂で屋敷の主を迎える。今日は二人でいただいてくださいと言われて、カナエは不在だ。食堂に現れた結月は両手を袖に入れ、ぽつりと呟く。
「ええと。……これは?」
「お鍋です」
「今、夏ですよね?」
結月が指摘した通り、今は夏真っ盛り。鍋といえば冬だろう。夜になったのでいくらか涼しいが、暑いことには変わりない。紫乃は負けずに続ける。
「ただのお鍋ではありません。結月様のお身体の状態を考えて準備した薬膳鍋です。それに巷では牛鍋が流行っていますから、真夏にお鍋でもそんなに驚くことではないかと」
二人の間に妙な間が流れ、結月は沈黙を保ったまま席についた。納得したのかしていないかは分からなかったが、そっぽを向かれなかっただけ良しとした。紫乃は彩りよく鍋を盛り付けていく。梅の花を象った人参が目に鮮やかだ。
「お口に合うといいのですが」
差し出された器を結月はためらいがちに受け取る。紫乃も自分の分を盛り付けて席についた。
「……いただきます」
結月はレンゲでつゆをすくい、疑心暗鬼といった様子で口に運ぶ。間を空けて彼はぽつりとこぼした。
「……美味しい」
その言葉を聞いて安堵する。紫乃もよそった鍋をいただくことにした。
鶏肉の旨味が効いているつゆは黄金色。肉の旨味を前に出して香辛料独特の風味を抑えめにした。香辛料や生薬は刺激や辛味があるものを控えている。肉は豚と鶏。気を補う人参や椎茸、体を温めるネギやごぼう、胃腸を整えるキャベツなどバランスよく入れている。
会話はなかったが、居心地は悪くなかった。ゆっくりと時間をかけて二人で鍋を平らげる。食器を下げたあと、紫乃は結月にあるものを手渡した。
「これは?」
結月は紙袋の中身を確認して紫乃に問う。小包がたくさん入っているだけで、中身がまるで分からなかったのだ。
「体の不調を整える薬です。結月様は気の流れが滞って体が冷え切ってしまっていますし、お話を聞いたところ、栄養を運ぶ血もやや不足しているようです。できる限りお体を温めたほうがいいと思いまして準備しました。一日一回、朝食前に飲んでいただければ大丈夫です」
「僕は病人ではないんですが」
紫乃の説明を受けて結月はムッとしたような表情をする。しかし、紫乃も薬を扱う者として、ここは折れるわけにはいかなかった。
「病気になる前に体を整えるんですよ。対症療法の薬ももちろんありますけど、そもそも病気は未然に防ぐのが重要なんです。それと、せっかく屋敷にお風呂があるんですから、落ち着いたらちゃんと湯船に浸かってください。体を温めて労ってあげてくださいね」
そう伝えると、紫乃は片付けをするために台所へと向かう。取り残された結月は呆気にとられ、肩を竦めると書斎へと戻ることにした。
書斎に戻るとチリンチリンという涼やかな音が耳に届いた。風鈴が開けた窓から入る風を受けて揺らめいている。
結月は狭い書斎の窓に腰掛けて夜空を眺める。こうして夜空をのんびり眺めるのは久しぶりだった。
鍋を食べたせいか、体が内側からじんわりと温かい。普段、魚が主菜になることが多かったので今日の鍋は新鮮に感じた。結月は天を仰いだまま、目を伏せる。
理解を超えた《依代の君》という存在。しかも、禍弥化した姿を見て理解しようとしてくれた人は親戚でも数少ない。家門のためと言って父に駒のように使われるのも、周囲に恐れられるのにも疲れ切っていた。だから人との関わりを最小限にして生きてきた。一人で死のうと思った。
その中でも紫乃は異端だった。禍弥化した自身に手を伸ばしてきた。呪詛を肩代わりすれば助けられたかもしれない義母がいたのに、結月が悪いわけではないという。あまつさえ一度突っぱねたのにもかかわらず、今日も真っ向から自分と向き合おうとしてきた。そこまでする理由は何かあるのだろうか。
気がつけば紫乃のことを考えていた。思考が縛られていると気がついて、結月は一人苦笑いをこぼす。
愛の反対は無関心。無関心でいなければならないのに、いつの間にか紫乃という存在がするりと懐に入り込んでいる。これ以上はいけないと思って、結月は風呂場へと足を向けた。
浴槽の中に白いものが浮かべられていた。よく見ると白い布の中に葉が包まれているらしい。これも自分のために用意したものなのだろうかと、結月は一人思案する。
思考を放棄したくて、とっぷりと湯船に浸かる。
温かい。熱すぎなくてちょうどいい。
湯に浸りながら、結月は自分の思考が溶けていくのを感じていた。




