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依代の君と望まれぬ花嫁の幸福論  作者: 立藤夕貴
3話 波乱の幕開け
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3ー6

「結月様は紫乃様の思いをもっと汲まれるべきだと思います」


 書斎に戻って早々、鬼のような形相をしたカナエが部屋を訪れた。正座で向き合わされたあとの第一声がこれである。カナエは不平不満と小言を遠慮なくぶちまけてくる。


「紫乃様はいつも結月様の身を案じられているのですよ」

「それは分かっています」

「それならもっと言葉も態度も選んでください!」


 おそらく、カナエのほうが正しいのだろう。それに円満な夫婦生活を送るためには多少の譲歩はするものだ。

 しかし、結月にも譲れない領域というものがあった。だから今回、契約結婚を望んだのだ。


「……僕は誰かに気を遣ってもらうような人間ではないです。ましてや、あと数年で死ぬんです。自分の身を害してまで助ける価値なんてない」


 結月の言葉にカナエは息を潜めた。しんと部屋が静まり返る。チリンと、窓辺に吊るしている硝子製の風鈴が音を奏でた。

 カナエは心苦しそうな顔をして正座の上で手を握った。こんな顔をさせるつもりではなかったのだが、後の祭りだ。一度こぼした水は元のように盆に戻すことはできない。

 そして、死んでしまえば一切何も残らない。

 人との縁も愛も名誉も金も、すべて無に帰す。だから今という時間が虚しくて仕方がなかった。


「……結月様。自ら手放そうとしてしまえば、縁は離れていってしまうものです」


 静かな言の葉が並ぶ。まるで祈るかのように。

 カナエは頭を下げた。額が畳につくほどの深い座礼だった。


「私はあなた様とのご縁を離す気はございませんが、どうか……どうかもっと、ご自分を大切にしてください……」








 鮮やかな新緑が目に染みる。

 紫乃は一人、食堂に面した広縁の椅子に腰をかけて外を眺めていた。禍弥討伐隊本部から届いた手紙を確認しようと持ってきたのだが、ろくに頭に入ってこなかった。

 失敗など今までに何度でもある。けれど、今回ばかりはすぐに切り替えられなかった。


 あれは結月のこれ以上踏み入ってくるなという警告であり、拒絶だった。一人で死にたいと言った彼の思いは自分が想像していた以上に切実だった。自分の浅はかさが恨めしい。

 今は大切な書類に目を通すべきではないと思って、備え付けのテーブルに広げていた手紙を片付けようとしたときだった。

 ふと、手を止める。細長い封筒に見慣れた文字が見えて、紫乃は急いで裏返した。そこにあったのは父、喜好の名だった。一気に現実に引き戻されて、紫乃はハサミで封を開ける。


『紫乃、元気にやっているだろうか。まだそんなに経っていないから、不慣れなこともあるだろう』


 懐かしい文字が並ぶ。それだけでも胸にくるものがあるというのに、体調や環境を慮る言葉が並んでいてじわりと涙が浮かんでしまう。慌てて指先で拭って手紙の続きを読む。


『お前の体調も心配だけど、結月様のお加減はいかがだろうか? 必要なものがあったら遠慮なく言ってほしい。できる限りのことはするよ』


 嫁入り前、自宅の片付けをしながら父と話したことが頭に蘇る。

 病気がちな結月のことを懸念していた父。それに対して自分はなんと答えたか。


 ――私にはお父さんから教わった知識があるもの。少しは結月様や皆さんのお役に立てるかもしれない。


 そうだ。たしかにそう言った。なぜ、今の今まで忘れてしまっていたのだろう。

 結月の体調不良は取り込んだ呪詛のせいで気の流れが阻害されているのが原因だ。つまり、気の流れを正せばいい。異能などとは比べ物にならないとは思うが、薬や食事で体の調子を整えることはできる。気持ち程度かもしれないが、いくらかはマシになるだろう。


 一瞬、先ほどの結月の顔が脳裏によぎる。今やろうとしていることも彼の望まないことだろうか。それとも許容される範囲だろうか。ただ、一人で静かに逝きたいと言ったときの彼の寂しそうな顔を思うと、何かせずにはいられなかった。

 紫乃は自室へと戻ると、便箋一式とペンを文机から取り出す。残っていた書類を片付けてから、持参した本を片っ端から読みふけった。




 夜になり、結月は寝所へ向かう。

 そこには二組の布団が置かれていた。あんな事になってしまったので一日ぐらいは別々もありだろうと思っていたのだが、どうやらそうはさせてもらえないらしい。中に入るとちょうど紫乃が寝所へとやってきた。

 顔を合わせたのは朝のあのとき以来だ。急に気まずさが迫り上がってくる。しかし、紫乃は気にした素振りもなく、結月に声をかけてきた。


「結月様、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「は、はい」


 朝から一変した雰囲気に思わず気圧されてしまう。雰囲気的に畳の上に正座して紫乃と対面した。何の話だろうかと思っているうちに、板に貼り付けた紙とペンを手に紫乃がずいと詰め寄ってきた。


「お体の調子を伺っていきますね。正直にお答えください。足のむくみはありますか?」

「い、いえ」

「もたれといった胃腸の不調を感じますか?」

「……あります」

「日中の眠気は強いですか?」

「はい……」


 その後も延々と問答を繰り返す。まるで尋問のようだった。いや、症状を聞いているのだから問診と言うべきか。ただ、紫乃の圧を考えると尋問と言って差し支えないと結月は一人思う。

 一通り質問が終わったのか、紫乃は口元に手を当てて紙面と睨み合っていた。何をする気なのだろうかと窺っていると、紫乃が顔を上げた。


「長い時間、お付き合いいただきありがとうございました。失礼させていただきますね」


 一礼をすると紫乃はさっさと寝所を後にした。状況についていけないまま、結月は一人寝所に取り残されるかたちとなった。その勢いはまさに嵐のようである。

 何をしようとしているのかまるで分からない。しかし、悩んだところで仕方ないと思い至って、結月は横になることにした。

 まだ見慣れない二組の布団。暑いはずなのに、今日はなんだか肌寒い気がする。

 長いこと紫乃が戻ってくるのを待っていたが、結月が起きている間に彼女が帰ってくることはなかった。

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