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3ー5

 眩い光に急かされて、結月はゆるりと目を覚ます。

 昇り始めたばかりの太陽の光が屋敷に差し込む。朝が来たのかと不意に思った。昼間倒れてからずいぶん寝入ってしまっていたらしい。ふと、左手に違和感を覚えて隣を見やる。


 普段よりも近い距離に紫乃の顔があって、結月は息を呑んだ。どうやら布団の端に寄って、すぐそばで寝ているらしい。そこでようやく結月は紫乃が自身の手を握っていることに気がつく。

 手を握ったまま寝入ってしまったのだろうか。離そうかと思ったが、起こしてしまいそうだと思い至って止めた。手を繋いだまま横向きになると、更に距離が近くなった。


 紫乃はすうすうと気持ちよさそうに寝息を立てていた。長い睫毛が白い肌に影を落とす。品のある顔立ちだ。結婚してからも忙しなくて、じっくりと彼女を見るのは初めてだった。紫乃がわずかに身動いで、長い黒髪が一束はらりと顔に落ちる。顔に髪がかかるのがもったいなくて、そっと指先で元に戻した。

 そのとき、ふっと紫乃が目を開けた。まさか起きると思っていなくて、結月は伸ばした手を引っ込めることもできずに動きを止めた。

 ぼんやりしていた焦点が合い、紫乃が顔を真っ赤にして目を見開く。彼女は慌てて手を離すと、布団の上で正座をして頭を下げた。


「勝手にすみません! 差し出がましいとは思ったのですが、つい……」

「いえ……。こちらこそご迷惑をおかけしたようで、すみません」


 互いに正座をして向き合うと、妙な沈黙に包まれる。居心地がいいとは言えない空間だ。どうするべきかと思っているうちに、紫乃が静かに切り出した。


「……お加減はいかがですか?」

「だいぶいいです。異能を使ってくださったんですよね?」

「はい……」


 やはりそうかと結月は一人納得する。重怠い体がだいぶ軽くなり、体の節々を襲っていた痛みも引いている。こんなふうに体が軽いのは、紫乃が禍弥化を寛解させてくれたときと、禍弥が屋敷に侵入してきたあの日以来。彼女が異能を使ったのは明白だった。


 紫乃は身を縮こまらせている。怯えさせるつもりではなかったのだけれど、この状況なら仕方ないかと結月は自省する。沈黙が居座る前に結月は頭を下げた。


「ありがとうございます。あなたこそ大丈夫ですか?」

「は、はい。私は大丈夫です」

「そうですか。それならよかったです」


 言う通り、紫乃の顔色は悪くなさそうだ。何もないのならそれに越したことはなかった。


「あの、結月様。食欲はありますか? 口当たりの良いものだけでも食べられたほうがいいと思うのですが……」


 そう言われて、昨日ろくに食事を取っていなかったことを思い出す。彼女が買ってきてくれたどら焼きも結局手をつけないままだった。申し訳ないと思いつつも、昨日の状態ではどうしようもなかったと一人結論づける。


「食欲ならあります。さっき言ったように、だいぶ調子がいいんです」


 それなら良かったですと紫乃は安堵の笑みを浮べる。ふわりと柔らかい、華やいだ顔だった。その笑顔が結月には眩しすぎた。


「お食事を用意してきます。もう少しお休みになっていてください」


 紫乃はてきぱきと自身の布団を片付けると、寝所を後にしてしまった。残された結月はどうすべきかと悩んだが、結局身支度を整えることにした。昨日倒れてしまったため、書類仕事が残っているのだ。


 結月も自分の布団を片付けて書斎へと向かう。書斎の文机には広げた書類がそのまま残っていた。無造作に置かれた書類をぱらりと捲る。

 帝都に蔓延る呪詛を定期的に取り込み、浄化することが結月の基本任務だ。その他には禍弥が出現した場所に残る呪詛を浄化している。本当ならその場に赴いて浄化する方が正確なのだが、いかんせん今の状態だと他の者に迷惑をかけることになる。送られてくる資料と龍脈の気の滞りから位置を把握し、呪詛を取り込んで浄化していた。


 それは帝都だけに収まらず、国中に及んだ。他にも呪詛の浄化を専門とする異能者がいるが、遠方の事件に関しては結月の方が処理が早い。本部から任務内容が送られ、自宅で浄化をして報告書を提出する。ここ数年はずっとこのやり方で任務をこなしていた。

 結月は静かにペンを走らせる。心地いい朝の時間はとても久しぶりだった。これなら仕事も捗りそうだと思いながら、書類を片付けていった。




 はやる心臓を宥めるながら紫乃は台所へ向かう。心臓がはち切れるぐらいにバクバクと脈打っていた。

 ふと何かが顔に触れたような気がして目を開けたら、結月の顔が間近にあって心臓が止まるかと思った。慌てて詫びを入れて退出してきたけれど、それはそれで不自然ではなかったかと頭を抱える。

 思わず手を握って眠ってしまったのだけれど、はしたない女だと思われても仕方がない。しかし、これからの共同生活を考えると多少なりとも弁明したい。そもそも何と切り出すべきか。そんな思考の負の連鎖を断ち切れないまま台所にたどり着くと、既にカナエが立っていた。

 カナエは住み込みをし、ここの家事を一任されている。この屋敷で家事のために雇われている使用人は彼女だけだった。何か手伝えればと思って訪れたのだが、さすがに早朝からの来訪は想像していなかったのだろう。カナエは慌てふためいている。


「紫乃様、まだお休みになられていてください」

「いえ。むしろ目が冴えてしまって寝られそうにないから、何か手伝わせてもらいたくて」


 目が冴えてしまったのは本当だった。それに、この状態なら無心で料理をしていた方が落ち着くとさえ言える。カナエは少し渋っていたが、最後は了承してくれた。

 寄木張りの食堂に三人分の朝食が並べられる。周平は天宮家の本家と屋敷を行ったり来たりしているので、食事時はいたりいなかったりとまちまちだ。主人と使用人が一緒に食事を取るなど本来ならありえないのだろうが、この少人数でバラバラに食事を取るほうが効率が悪いだろうという理由からこうなっているらしい。そもそも、結月の体調が悪いときが多くて、このように食卓を囲むのも珍しいことだそうだ。


「いただきます」


 各々挨拶をして食事を始める。味噌汁を口にすると、茗荷の独特の爽やかな香りとわずかな辛みが口に広がる。一緒に入っている茄子はとろとろに溶けていて美味しい。カナエが炊いてくれたご飯は粒が立っていて絶品で、出汁の効いた厚焼き玉子がよく合う。里芋とイカの煮物も薄味ながらも美味しかった。

 さり気なく結月の様子を窺うと、思っていたよりも箸が進んでいるようだった。一時はどうなるかと思ったが、心穏やかに食事の時間を迎えられて紫乃は安堵の息をつく。片付けを一通り終えたとき、結月から声をかけられた。

 一度引いた緊張が再び押し寄せる。食堂の席につくと、結月が先んじて頭を下げた。


「改めて昨日はご迷惑をおかけしました」

「いえ……」


 改まった物言いに改めて緊張が加速する。これから告げられることが怖いと思っているのに、申し訳なさそうな結月の表情から目が離せなかった。


「……醜態を晒しておきながら言うことではないとは思いますが。紫乃さんは契約通り、禍弥化したときにお力を貸していただければ大丈夫です。もし、また僕が倒れたとしても、無理に異能は使わなくて結構です」


 彼が望まないことをしてしまったのだと、そこでようやく気がついた。

 何を勘違いしていたのだろう。この婚姻は契約があってこそのものだ。契約を違えてしまうなど本来あってはならない。自分の過ちを察してどっと汗が出る。

 なんと答えるべきだろう。まず詫びるべきか、弁明するべきか。一瞬のうちにさまざまな思考が頭を駆け巡る。しかし、出てきた言葉は至って簡潔なものだった。


「……はい。承知しました」


 紫乃は深々と頭を下げる。結月の顔をまともに見ることができなかった。

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