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馬車を降り、玄関に入ると見慣れない草履があった。金刺繍が施された上物だ。お客様だろうかと思っていると、隣に立つ識が眉をひそめた。
「紫乃様、おかえりなさいませ……」
出迎えに現れたのはカナエだった。周平はおそらく別件で外に出ているのだろう。隣に立つ識の姿を見た途端、彼女は大きく目を見張る。
「識様」
「お久しぶり〜」
識はのほほんとした様子でカナエに手を振る。しかし、当のカナエはなぜか居心地が悪そうにしている。不穏な空気を察して、紫乃は静かに尋ねた。
「どうかされたんですか?」
「……いえ。今、茉莉花様がいらしてまして」
「……やっぱり」
識はそれだけ言うと靴を脱ぎ、颯爽と屋敷の中に入っていった。慌てて紫乃とカナエはその後を追う。寄木張りの食堂には二つの人の姿があった。
大きなテーブルについているのは結月と見慣れぬ女性だ。女性の緩やかに波打つ髪が目にとまる。月白と薄い藍の着物には百合が描かれていて、髪にはつまみ細工の飾りがさりげなくつけられていた。淡い色彩がとてもよく似合う人というのが第一印象だった。識が女性に微笑みを向ける。
「お久しぶり、茉莉花さん」
「あら、識。お久しぶりですね。あなたがこちらに来るなんて雪でも降るんじゃないかしら?」
茉莉花と呼ばれた女性はにこりと笑ってみせる。一目見た男性は射止められてしまうのではないかという笑顔だった。しかし、言葉にはしっかりと棘を感じる。識は眉根を寄せたまま、茉莉花を見据えた。
「この季節に雪は降らないと思いますけど?」
「そうね、それなら槍でも降るんじゃないかしら?」
「……兄上の屋敷に俺が来たら、そんなにおかしいですか?」
「ここ最近、全然寄り付かなかったじゃないですか。どういう風の吹き回しかと思っただけだけれど? ああ、あなたも結月のお相手のことが気になって――」
「二人とも、やめてくれ」
結月の一声で両者は黙る。紫乃はどくどくと脈打つ心臓を感じながら、必死で笑顔を作った。結月は軽く息をつくと識に視線を向ける。
「識、どうしてここに?」
「紫乃様がお帰りになるところだったから俺が護衛についただけだよ。任務がちょうど一段落して時間があったから、挨拶もしたかったし」
識の返答に結月がわずかに眉をひそめる。何か気に触ることでもあったのだろうか。しかし、どちらかというと茉莉花の視線が突き刺さって身の置き所がない。
「私、新しいお茶を用意してまいりますね」
紫乃は急いでその場を後にする。お茶の用意はカナエの仕事だが、あの雰囲気の中に居続けることなど到底できなくて、咄嗟にそう言ってしまった。逃げ出すような自分の行動に嫌気が差す。
しかし、茶を用意すると言ったからには戻らないといけない。茶と買ってきたどら焼きを用意して紫乃は食堂へと戻る。太陽と雲、水平線を模った丸い焼き印が入ったどら焼きを出すと茉莉花の表情がパッと華やいだ。
「もしかして、夕凪亭のものですか?」
「は、はい」
「あそこの和菓子、どれも美味しいんです。結月はここの最中がお好きでしたよね」
「……まあ」
「昔はお彼岸のおはぎなどもよく頼んでいましたね。昔の識は怖がりで、肝試しの時はよく怯えていましたよね」
「さっきから何ですか? 俺への当てつけですか?」
「そんなことありませんよ? 懐かしいただの昔話じゃないですか」
識と茉莉花は相変わらずの調子で会話を続ける。やや棘があるけれど、昔話に花を咲かせる二人を見て居心地の悪さを覚える。そもそも、茉莉花は結月に用事があって訪れたのだろう。自分がいては邪魔だと思い、席を外そうとした矢先に結月とばちりと視線が合ってしまった。
「紫乃さん、こちらにどうぞ」
結月にそう言われてしまっては断ることなどできない。紫乃は逡巡したのちに結月の右の席に座る。腰を下ろすと結月が小さな声で紫乃に声をかけてきた。
「わざわざ買ってきてくれたんですか?」
「あ、はい……。何かお土産をと思って識さんに相談しましたら、こちらのお店がいいと教えてくださって」
結月が少し驚いたような顔をして、妙な空白が生まれる。やはり余計なことをしてしまっただろうかと思っていると、結月が軽く頭を下げた。
「……そうでしたか。ありがとうございます」
そこで紫乃は結月の顔がいつもより白いことに気がつく。しかし、それを口にする前に結月が場を改めた。
「識はともかく、改めて挨拶したほうがいいかと。……茉莉花からお願いできますか?」
茉莉花は不服そうにしていたが、結月に促されて居住まいを正した。座りながらも綺麗な礼をしてみせる。
「高藤茉莉花です。どうぞお見知りおきを」
「あ、天宮紫乃です。どうぞよろしくお願いいたします……」
しどろもどろになってしまい顔が熱くなる。天宮の姓を名乗るのがまったく慣れない。そんな紫乃を茉莉花は冷ややかな目で見ていた。どくどくと更に紫乃の緊張は強まる。双方が挨拶を終えたところで結月が後を引きとった。
「茉莉花は僕たちの父の妹の子、つまりいとこなんです。優秀な異能者で、禍弥討伐隊特別支援員として活躍しています」
茉莉花が禍弥討伐隊の特別支援員だと聞いて、紫乃は驚いた。こんな可憐な人があの異形たちと真っ向から対峙する立場にいるとは想像もつかない。茉莉花は腕を組み、不服そうにふんと鼻を鳴らす。
「ただのいとこではありません。結月の婚約者です」
「元婚約者候補ね」
「識、うるさくてよ」
茉莉花がキッと識を睨みつける。しかし、識は動じた様子もなく、どら焼きを口に運んでいる。
婚約者候補という言葉を聞いて、紫乃の全身からサッと血の気が引いた。
結月と茉莉花の親しげな話ぶり。そして、互いに名前で呼び合っている理由を今になって察する。彼女が本来いるべき場所を奪ってしまったのだと思い至って、心臓の鼓動が更に加速した。
「識の言う通り、茉莉花は『元婚約者候補』だ」
結月の発言で空気が痛いほどに静まり返った。
茉莉花の顔が自然と強張る。しかし、彼は逃げることなく茉莉花に向き直った。
「今回の件は当主様から承認を得て決まったことだ。決定は覆らないし、僕も彼女と別れるつもりはない。茉莉花は異能の扱いも申し分ないし器量もいい。僕なんかよりもっといい伴侶がいるはずだ」
「……」
「振り回してしまったことは本当に申し訳ないと思っている。詫びて済むことではないと思っているけれど、どうか許してほしい」
結月は深く頭を下げる。これが今の自分にできる、最大限の誠意だというように。
紫乃は恐る恐る茉莉花を見やる。彼女は悔しそうに顔を歪めると席を立った。




