3ー2
「うーん。やっぱ王道の方がいいかな。でも、こっちの新作も気になるなぁ。紫乃様はどっちがいいと思います?」
「あ、あの。織様?」
「はい、何か気になるものがありました?」
ようやくメニューから視線が戻ってきて紫乃は安堵する。
今、紫乃と識がいるのはレストランだ。赤い絨毯が引かれ、木製のアンティークの机や椅子が並んでいる空間はとても美しい。調度の一つ一つが綺麗な空間だった。シャツと黒いジャケットを羽織った識もその場によく馴染んでいた。反面、分不相応すぎる場所に連れてこられて、紫乃は身を縮こまらせていた。
識が屋敷に送り届けてくれるというので甘んじさせてもらったのだが、たどり着いたのがここだった。説明もないまま連れ込まれてしまい、席に着かされて今に至る。
紫乃はようやく話ができると安堵して、遠慮がちに識に尋ねた。
「えっと、これはどういうことなんでしょう……?」
「紫乃様にも気分転換が必要じゃないかなあと思って。あ、ついでに俺の息抜きだったりします。直近の任務がちょっと大変だったんですよー」
にこりと識は笑ってみせる。毒気のない笑顔を前にして紫乃は呆気に取られてしまった。識は一拍置くと申し訳なさそうな笑みを浮かべる。
「兄様……というか元を正せば父上のせいなんですが。異能の件でいろいろとご負担をかけてしまったようなので、お詫びにと思って」
「お詫びだなんて、そんな。私の方こそ、暁斗様や皆さんにご迷惑をおかけしていて……」
「そんなことないですよ。それに隊員はみな堅強ですからお気になさらず。今は少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです」
急なことでついていくのが精一杯だったが、どうやらこれは彼なりの気遣いらしい。それならば無下になどできなかった。しかし、一般市民には縁遠いレストランで何を頼んでいいかなど分からない。正直に分からないと伝えると識がおすすめのものを選んでくれた。
二人の前に運ばれてきたのは三角形の白い菓子だ。カステラ生地が生クリームで飾り立てられ、上には艶やかなイチゴが乗っている。どうやらショートケーキというものらしい。一緒に頼んだ紅茶も芳しい香りを漂わせている。
「どうぞ」
識に促されたものの、どう食べればいいのかまったく分からない。まごついていると、識がフォークを手に取ってケーキを一口食べてみせた。こうして食べるものなのかと、紫乃は見よう見まねでフォークを持つ。
ケーキにフォークを突き刺すと、ふわりとした感触が伝わってきた。思っていた以上に柔らかい菓子だ。こぼれないように注意しながら口に運ぶ。
食べた途端、濃厚な甘みが口に広がる。なめらかな舌触りのクリームは瞬く間に消えてしまった。紫乃は口元に手を当て、感嘆の声を上げた。
「美味しい……」
「お口に合ったようでよかったです」
識はとても嬉しそうに笑う。甘いショートケーキに対して紅茶は香ばしい味わいで、菓子によく合っていた。初めての体験に紫乃の心は躍り、疲れも吹き飛んでいた。
しかし、食べ終えるとじわりと申し訳なさが迫り上がってきた。聞くべきか逡巡したが、紫乃は意を決して識に申し出る。
「あの、識様。こちらに持ち帰れるお菓子はあるでしょうか? 結月様に何かお土産をと考えているのですが……」
「紫乃様。俺なんかに様なんてつけなくていいですよ」
紫乃の言葉に識は口に運びかけたカップを止め、悩ましそうな表情をした。
とはいえ、識は天宮家の三男。紫乃でも耳にすることのある有名人であり、禍弥討伐隊第二部隊で活躍する有望株である。識はカップをソーサーに置き、軽く目を伏せた。
「さっきも言いましたけど、堅苦しいの苦手なんですよね。畏まられるようなガラでもないというか。それに、親戚になるわけじゃないですか。俺としては兄上のお嫁さんとも仲良くやっていきたいんですけど」
生意気ですかね、と言って識は苦笑いを浮かべる。
正直言って、親戚付き合いをどうしていくのが普通なのか紫乃にはよく分からない。それでも、仲良くしていきたいという気持ちは識と一緒だった。悩みながらも紫乃は識に問う。
「ええと。それでは、織さん……でいいでしょうか?」
「はい! それでお願いします」
紫乃の返答に識は相好を崩した。コロコロと変わる表情は見ていて眩しい。人懐こい大型犬のようだと紫乃は心の中でくすりと笑う。
「……ていうか、話が逸れちゃってすみません。手土産の話でしたよね?」
識は申し訳なさそうに詫びてから、口元に手を当てて空を仰いだ。
「でも、兄上なら洋菓子より和菓子の方が好きだから、別のところがいいかもしれませんね」
「そうなんですか?」
「はい。甘いものでも食事でも、和物の方が好きなんです。そうだ。夕凪亭なんかいいかもしれません。あそこの店、兄上のお気に入りなんです」
当たり前だけれど、初めて聞く話だった。ここ連日互いに忙しいこともあって、夜のときに挨拶を交わすぐらいでろくに話もできていない。
結月は結月で自分の任務を淡々とこなしているようだった。禍弥化が進行したときに力を貸してほしいと契約に盛り込まれていたが、禍弥が屋敷を襲撃したあの日以降は紫乃が力を貸すまでもなく、彼は自らの異能で浄化を済ませていた。禍弥化したとき以外の助力は希望しないと結月は言っていたが、何もできていない現状に不甲斐なさが募る。
「……それじゃあ、夕凪亭に寄っていきましょうか。あそこ餡がめちゃくちゃ美味しんですよ。ちなみに俺はこし餡派です。紫乃さんは?」
唐突な質問に目を瞬いてしまったが、紫乃は素直にそれに答えた。
「えっと……私も、こし餡派です」
「一緒ですね」
「はい」
識は嬉しそうに笑う。それにつられて紫乃も微笑んでいた。
識の案内で夕凪亭に立ち寄り、どら焼きを買った。周平たちの分も含めて全部六つ。こし餡と粒あん半々だ。あまりは好きな人が食べればいいですよと言って、識が数を合わせてくれたのだ。




