3ー1
紫乃と結月が結婚してから一週間が経とうとしていた頃、暁斗は自身の書斎で書類を片付けていた。
結月が紫乃と結婚をしたいと報告したところ、天宮家の当主である父は大いに喜んだ。あの拒絶一択だった結月が婚姻を結ぶと言い、更には相手が結月の禍弥化を寛解することができるときたのだ。あの父が喜ばないわけがない。
一つの山場を越えたと見て、暁斗は一人息をつく。暁斗が確認し終えた書類を置きかけたとき、けたたましく部屋の扉が開いた。
視界に入ったのは緩やかに波打つ鼈甲色の髪の女性。女性は象牙色の着物と紺の袴を盛大に揺らして押し入り、勢いよく机に手をつく。
「暁斗様! 結月が結婚するという話は本当なんですか⁉︎」
部屋に入ってきた勢いそのままで、女性は暁斗に詰め寄る。暁斗は書類を置くと肩を竦めた。
「茉莉花、そんな振る舞いをしていたら貰い手もなくなるぞ」
高藤茉莉花。天宮家当主の妹の子。つまり、暁斗たちのいとこにあたる。暁斗の指摘に茉莉花は穏やかになるどころか、憤然とした様子で更に身を乗り出す。
「わたしには結月がおります!」
「その結月が結婚したんだが?」
「いつの間にそんなことに……! わたしに一言もそんな話をしていなかったではないですか⁉︎」
「していないからな」
平然と言ってのける暁斗に茉莉花は悔しそうに歯噛みする。
茉莉花は結月との結婚が濃厚視されていた女性だ。近親者であるが故に結月の異能のこともよく理解しているし、禍弥討伐隊特別支援員として異能を遺憾なく発揮して活躍している。その地位は盤石とさえいえた。
しかし、彼女を上回る者――紫乃が現れてしまった。父が茉莉花を差し置いて結月たちの婚姻を承諾したのは必然としか言えなかった。
「なぜ言ってくださらなかったんですか? 私が結月を慕っていることは知っておいででしょうに」
机の上で茉莉花はぎゅっと手を握る。納得がいかないと全身で訴えていた。
茉莉花が結月のことを慕っているのは親戚間でも周知のことだった。しかし、このご時世だ。自分の意思がままならないことなど、それこそ掃いて捨てるほどある。今回など、住吉紫乃がその筆頭に上がるだろう。
「どんな方なんですか? というか、どういう手を使ったんですか! 場合によっては当主様に直訴いたします!」
「結月が当主様に申し出た上で婚姻を認められた。俺もお前も口出しする件じゃないというだけだ」
暁斗の一声でぴたりと茉莉花は動きを止める。続いた彼女の声は先程までの威勢から一変して、ひどく揺らいでいた。
「当主様が……? 本当なんですか?」
「俺が嘘をついてなんの得になる」
そもそも、暁斗は嘘をつくのが得意ではない。それは茉莉花も理解しているのだろう。嘘ではないと察したようで彼女は口を閉ざした。その顔色は心なしか青ざめているように見える。しかし、茉莉花はグッと強く拳を握ると、暁斗を睨みつけた。
「認めません……! わたしは結月を諦めるつもりはありませんから!」
そう吐き捨てると、茉莉花は勢いよく部屋を後にした。その後ろ姿を見届けて暁斗は嘆息する。
「まあいろいろと……ままならないものだな」
一波乱起きそうだと思いながら、暁斗は天を仰いで目を伏せた。
天宮家に嫁いでおよそ二週間。紫乃は一人で禍弥討伐隊の本部へ出向いていた。馬車を降りると大きな建物が目にとまる。連日足を運んでいるが慣れないなあと紫乃は白い建物を仰ぎ見た。
禍弥討伐隊の本部は帝都の中央にある。スレート葺きの屋根に白く塗装された木造の洋館で、落ち着いた雰囲気だ。中央のホールには意匠が施されたチーク材の階段があり、その奥にはステンドグラスが輝かしい光を床に落としていた。
嫁いで早々、紫乃は暁斗に連れられて禍弥討伐隊の本部へ出かけることとなった。紫乃の異能について調べたいと暁斗から申し出があったのだ。
自分にどのような力があるのか知りたいと思い、暁斗の申し出に二つ返事したまではよかった。誤算は異能を使用すると思った以上に体に負担がかかったことだった。
実は異能の詳細を調べるための装置や術式はない。紫乃が異能を使い、ひたすら数をこなして能力を検分するしか方法がなかった。医師が以前言ったように、紫乃の器がまだ小さいのだろう。初日など、数をこなせないまま中断を余儀なくされ、ひどい有様だった。徐々に慣れてはきたが、目まぐるしく変わる環境と連日異能を行使している影響で疲労感が拭えない。
今日はその検分の最終日だった。無理を押して今日の日程を終えると、おおよその結論が見え始めた。
ここまでで分かったことは二つ。紫乃の異能は対象者との気の同化の相性差が激しいこと。気が同化しやすい者がおそらく限られていて、ごく一部の人にしか作用しないということだ。これまでに異能が上手く扱えなかったのは菅の詰まりだけでなく、この特異的な性質も関係していたらしい。
身近なところで例を上げるならば、結月との気の同化は非常にしやすく、彼の異能を飛躍的に向上させられる。一方で、暁斗とは気の同化が難しく、まるで効果がなかった。調査の途中で個人差が大きいのは理解していたが、兄弟間でもここまで作用が違ったのは驚きだった。この結果にはさすがの暁斗も眉をひそめていた。
調査の終了を受けて、紫乃は禍弥討伐隊の本部にある応接間に案内された。
「お疲れ様でした。何もないところで恐縮ですが、少しお休みになってから戻られてください」
「ありがとうございます」
暁斗に礼をいい、紫乃は入れてもらったお茶を口にして一息つく。二週間大変ではあったが、自分の異能がどういうものか分かって安堵した。
一方で落胆もしていた。結月にとって有用な力であるだけでも僥倖だったはずなのだが、もっと自分の異能が役に立てると思っていたらしい。ずいぶんと自分を高く見積もっていたのだと気がついて、紫乃は自嘲する。
「私は仕事がありますので、これで……」
暁斗がそう言いかけたとき、応接間の扉がノックされた。暁斗が素早く応じると青年が中に入ってきた。隊員であることを示す詰襟の制服を着ていている。少し癖毛なのか、飴色の髪がところどころ跳ねていた。幼さと大人っぽさが入り混じった顔立ちだ。
紫乃を見た途端、青年の瞳がパッと輝いた。呆気に取られているうちにずいずいと青年が距離を詰めて、勢いのまま手を取られる。
「初めまして! あなたが紫乃様ですか? いやー、思ってた以上に美人さんでびっくりしちゃいました!」
「識、失礼だろう」
途端に暁斗の叱責が飛び、青年は動きを止める。紫乃が圧倒されていることに気がついたのだろう。識と呼ばれた青年は紫乃の手を離して居住まいを正した。暁斗が呆れまじれに嘆息する。
「愚弟が失礼をしてすみませんでした。こちらは弟の識です」
「改めまして、天宮識と申します。この度はご結婚おめでとうございます。任務のため帝都から離れておりまして、ご挨拶が遅くなって申し訳ありません」
流れるような所作で識は一礼をした。先ほどとは違った美しい振る舞いを前にして、彼が天宮家の出身だと知らしめられた気がした。紫乃は慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「初めまして。紫乃と申します。不束者ですが、よろしくお願いいたします」
「っていうか、そんなに畏まらなくていいですよ。俺、そういうの苦手なんで」
頭を上げると、にこやかに笑う識の顔が目に入った。眩しい太陽のような笑顔だ。よくよく見ると顔立ちも兄弟にしては作りが違う気がする。そんなことを思っていると、暁斗の嘆息が紫乃と識の間に割って入った。
「だからと言って、初対面であんなにズカズカと詰め寄っていくやつがあるか」
「えー? 常時しかめっ面してる兄様よりはいいと思うんだけど?」
識の言葉に暁斗は眉根を寄せる。しかし、識はどこ吹く風だ。まるで正反対の二人であるが、険悪な雰囲気は一切なくて微笑ましささえ覚えた。紫乃はふっと顔を綻ばせる。それを見た識がにこやかに笑った。
「うん、笑ってた方がずっといいですよ。めちゃくちゃ可愛いです」
「え? そ、そうですか?」
識のまっすぐな言葉に紫乃は思わずうろたえてしまう。暁斗は呆れた様子で識を眺めていたが、諦めたようで話を切り替えた。
「識、それでなんの用だ?」
「ああ、そうそう。兄様、紫乃様のお仕事は終わったんでしょう? 俺、仕事一段落したから時間あるし、護衛代わりに紫乃様を屋敷にお送りしてもいいですか?」
「……それは構わないが」
「やった! それじゃあ紫乃様、少しお時間いただいてもいいですか? 着替えてきますんでちょっと待っててください!」
嵐のような勢いを前にして、紫乃が口を挟む隙などなかった。紫乃が返事をする前に識は応接間を出ていってしまう。暁斗は眉間に皺を寄せてこめかみに手を当てていた。
「弟がご迷惑をおかけして申し訳ありません……」
「いえ。明るくて元気な方ですね」
暁斗がこのような態度を見せるのも新鮮で、思わず笑みがこぼれてしまう。異能が上手く扱えないことや制限があるとことを知って気が塞いでいたが、彼らのやりとりが気を和ませてくれた。
暁斗が改めて居住まいを正し、紫乃に向き直る。
「今日の帰りは識に任せますが、粗相がありましたら遠慮なく言ってください。きちんと言いつけますので」
「分かりました」
紫乃としてはあまり畏まらない関係の方がありがたいのだが、暁斗の立場からしたらそうは言っていられないのだろう。紫乃はそう思い至って了承した。程なくして現れた識とともに、紫乃は本部を後にした。




