第7話:お迎え(強制連行)が来たけれど、うちの番犬と常連客が怖すぎる
その日の午後も、私のカフェ「森の隠れ家」は平和だった。
テラス席では、世界最強の竜王イグニス様が、眉間に深い皺を寄せながらティーカップと格闘している。
「……苦い。それに喉が焼ける。相変わらず貴様の茶は凶器だな」
「文句を言わないでください。今日は『肩こり解消ブレンド』ですよ。溜まった血流を一気に流しますから」
イグニス様は文句を言いながらも、最後の一滴まで飲み干した。
カッ、と彼の身体が赤く発光し、ボキボキと豪快な音が鳴る。
「ふむ……軽い。翼の付け根の違和感が消えた。悪くない」
「それは良かったです。お代はいつもので」
そんな平和なやり取りをしていた時だった。
森の静寂を切り裂くように、ドカドカと無遠慮な足音が響いてきたのは。
「いたぞ! ここに隠れていたか!」
現れたのは、煌びやかな鎧に身を包んだ一団だった。
見覚えがある。王宮騎士団の第三部隊だ。
先頭に立つ男が、私を見てニヤリと笑った。
「元聖女エレナだな! アルフレッド殿下の王命により、貴様を王都へ連行する!」
連行、と言った。
「迎え」でも「依頼」でもなく。
私はため息をつき、テーブルを拭く手を止めた。
「お断りします。私は既に辞表を出し、受理されています。王命に従う義理はありません」
「生意気な! 貴様の意思など聞いていない! 王都は今、疫病で大変なことになっているんだ! さっさと来て治療しろ!」
男が唾を飛ばしながら怒鳴る。
……なるほど。
自分たちで追い出しておいて、困ったから戻ってこい。しかも謝罪のひとつもなく、命令口調で。
呆れて物も言えないとはこのことだ。
「嫌です。私はここでカフェを経営していますので」
「店など知ったことか! おい、その女を捕らえろ! 抵抗するなら多少手荒に扱っても構わん!」
男の合図で、数人の騎士が剣の柄に手をかけ、私に向かって踏み出した――その瞬間。
「グルルルルッ……!!」
私の足元で寝ていたポチが、ゆっくりと起き上がった。
その身体から、銀色の魔力が噴き出す。
空気が凍りつき、騎士たちの足がピタリと止まった。
「な、なんだこの犬は……?」
「犬? おいおい、目が悪いんじゃないか?」
ポチが身体を一振りすると、その姿が「愛玩犬モード」から「本気モード」へと変化する。
家よりも巨大な体躯。刃物のような牙。そして絶対零度の冷気を纏う、伝説の魔獣フェンリル。
「ヒッ……!? ふ、フェンリル!?」
「なぜこんな所に伝説の魔獣が!?」
騎士たちが悲鳴を上げて後ずさる。
ポチは「主ニ手出シタラ、殺ス(意訳)」と言わんばかりの殺気を放ち、一歩、また一歩と彼らに詰め寄る。
「ひ、怯むな! たかが一匹だ! 囲んで倒せ!」
隊長らしき男が震える声で指示を飛ばした、その時だった。
「――騒がしいな」
低い、地を這うような声が響いた。
それまでテラス席で優雅に(激痛に耐えながら)茶を飲んでいたイグニス様が、面倒くさそうに顔を上げたのだ。
「せっかくの茶の余韻が台無しだ。……おい、そこの鉄屑ども」
イグニス様がギロリと騎士たちを睨む。
ただそれだけで、騎士たちの鎧がミシミシと音を立てて歪み始めた。圧倒的な「竜威」だ。
隊長の男が、イグニス様の赤い髪と金の瞳を見て、顔面蒼白になる。
「あ、赤髪……金の瞳……まさか、炎竜王イグニス……!?」
「ほう、俺の名を知っているか。ならば話は早い」
イグニス様は指をパチンと鳴らした。
ドォォォォン!!
騎士たちの周囲の地面から火柱が上がり、彼らを逃げ場のない炎の檻に閉じ込めた。
「うわああああっ!?」
「あつっ、熱いぃぃ!!」
「この店は俺の縄張りだ。そしてその女は、俺の専属医だ。……その女を連れて行くということは、俺に喧嘩を売るということでいいんだな?」
イグニス様が、楽しそうに獰猛な笑みを浮かべる。
対する騎士たちは、もはや戦意など欠片も残っていなかった。
伝説のフェンリルと、最強の竜王。
人類が束になっても勝てない二大巨頭が、なぜか一人の元聖女を守っているのだ。
勝てるわけがない。
「も、申し訳ありませんでしたぁぁぁ!!」
「し、失礼しましたぁぁぁ!!」
隊長が土下座をし、部下たちも一斉に地面に額をこすりつけた。
「二度と来るな。……ああ、それと、その無能な王子に伝えておけ」
イグニス様は冷酷に告げた。
「『次にエレナに手を出したら、王都ごと地図から消す』とな」
「は、ひぃぃぃ!! 承知しましたぁぁ!!」
炎の檻が消えると同時に、騎士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ帰っていった。
鎧を捨て、剣を捨て、無様な悲鳴を上げながら。
「……やれやれ。静かになったな」
イグニス様は何事もなかったかのように席に戻り、空になったカップを指差した。
「エレナ、お代わりだ。今度はもう少し甘くしろ」
「はいはい。ありがとうございます、イグニス様、ポチ」
私は苦笑しながら、彼らの頭と肩(イグニス様)を撫でた。
これで、王都側も理解しただろう。
私を連れ戻すということは、世界を敵に回すことと同義だと。
――こうして、王子の強制連行作戦は、開始数分で完全なる失敗に終わったのだった。




