第6話:痛み止めでは治らない
エレナが竜王を手懐けていた頃。
王都は、かつてないパニックに陥っていた。
「おい、どうなっている! なぜ治らないんだ!」
王城の医務室。
アルフレッド王子の怒声が響き渡る。
ベッドには、近衛騎士団のエースである青年が横たわっていた。彼は先日の魔獣討伐で「毒の爪」による傷を負ったのだが、傷口が紫色に変色し、高熱にうなされている。
「ミリア! 君の魔法をかけたのだろう? なぜ傷が悪化している!」
「わ、わかりません……!」
新聖女ミリアは、涙目で杖を握りしめていた。
彼女はもう十回もヒールとキュアをかけた。そのたびに、傷口は綺麗に塞がり、騎士も「痛みが消えました」と安堵の表情を見せるのだ。
しかし、数時間もすると傷口が再びパックリと開き、今度はさらに深い場所まで腐り始めている。
「私、ちゃんと治しました! 痛みも消しました! でも、何度もぶり返すんです!」
「くそっ、このままでは騎士団の戦力がガタ落ちだぞ!」
そこに、王宮医師団の長である老医師が、沈痛な面持ちで口を開いた。
「……殿下。恐れながら申し上げます」
「なんだ!」
「これは通常の毒ではありません。『呪毒』です。傷口を塞ぐだけでは意味がありません。体内に侵入した呪いの因果そのものを断たねば、何度でも傷を食い破って現れます」
老医師は、ちらりとミリアを見た。
「ミリア様の魔法は、確かに痛みを取り除くには優秀です。しかし……根治には至りません。かつてエレナ様が行っていたような、高密度の魔力による『焼却』が必要なのです」
「なっ……!?」
アルフレッドは絶句した。
あの痛い魔法か?
あの拷問のような、悲鳴を上げずにはいられない、野蛮な魔法こそが必要だったと言うのか?
「で、ですが先生! あんな痛い思いをさせるなんて、可哀想です!」
ミリアが反論する。
「黙りなさい!」
老医師が初めて声を荒げた。
「可哀想? 患者を死なせることのほうがよほど残酷です! エレナ様は、患者に恨まれ、罵られようとも、その『命』だけは確実に救っておられた! その覚悟が、あなたにありますか!」
ミリアは「ひっ」と悲鳴を上げてアルフレッドの背後に隠れた。
しかし、今回ばかりはアルフレッドも彼女を庇えなかった。
目の前の騎士の腕が、今まさに壊死しようとしている現実があるからだ。
「……おい、誰か。エレナを呼べ」
アルフレッドは震える声で命じた。
プライドが許さなかったが、背に腹は代えられない。
「エレナを呼び戻せ! 『許してやるから戻ってこい』と伝えろ! 今すぐ治療させれば間に合う!」
騎士たちが顔を見合わせ、言いにくそうに口を開く。
「あ、あの……殿下。エレナ様は城を出ていかれました」
「知っている! 実家かどこかにいるのだろう!」
「それが……ご実家は既に取り壊されており、行方が……」
「なんだと!?」
その時、伝令兵が部屋に飛び込んできた。
「ほ、報告します! 街で『謎の熱病』が急速に拡大中! 市民の三割が倒れました! 下水からはヘドロの魔獣が溢れ出し、商店街がパニックになっています!」
「さらに報告! 地下牢の封印扉にヒビが! 瘴気漏れが止まりません! 結界班が維持できません!」
次々と舞い込む凶報。
アルフレッドの顔から血の気が引いていく。
これらは全て、以前は起きなかったことだ。いや、起きていたけれど、誰かが未然に防いでいたのだ。
誰が?
――エレナだ。毎日、城中を歩き回り、地下牢の様子を見て、下水を浄化して回っていたからこそ、この国は「清潔」でいられたのだ。
「く、くそっ……! あの女、黙って出ていきおって!」
アルフレッドは机を叩きつけた。
自分の追放宣言を棚に上げ、彼は叫んだ。
「捜せ! 国中をひっくり返してでもエレナを見つけ出せ! 連れ戻して治療させろ! これは王命だ!!」
――しかし、彼らは知らない。
その頃、捜索対象のエレナは、世界最強の竜王をボディーガードに従え、難攻不落の「北の森」で優雅に紅茶を啜っていることを。
そして、王家の使者程度では、もはや彼女のカフェの敷居を跨ぐことすら許されないことを。




