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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

【設定変更・短編版】桜色の殺し屋

作者: と近
掲載日:2025/10/14

プロローグ:ふわふわの満身創痍


コンクリートの壁にもたれかかり、息を整える。全身のあちこちが熱を持ってズキズキと痛む。左腕はひどくやられている。たぶん、折れてる。右腹にも深い傷があるのは、血の匂いでわかった。


「はぁ、また、こんなになっちゃった」


自分の小さく情けない声が、汚れた路地の壁に吸い込まれて消える。今しがたまで戦闘があった場所は、文字通り血の海だ。私一人に対して、組織の精鋭が五人。相手の武器がショットガンだったのがまずかった。それでも、全部、片付けた。


ふと、視界に揺れるものがある。私の、髪。


桜色の、ふわふわな髪。


光が当たると、まるで綿菓子みたいに甘くて柔らかそうに見える。この髪の色は、自分でも気に入っている。目立つ、という欠点はあるけれど。この髪のせいでついた異名が「桜色の殺し屋」。可愛いんだか、恐ろしいんだか。


「もう。この制服、血で台無しじゃない」


地面に落ちている制服のブレザーを拾い上げながら、ため息をつく。血糊でべったりと濡れた袖を、なんとか脱いで、傷の状態を確かめる。背中にも大きな裂傷。いつものことながら、満身創痍。ボロボロ、というレベルを超えて、瀕死と言ってもいい。


だけど、不思議と平気だ。痛みにはもう慣れた。死ぬつもりもないから、この「任務後のメンテナンス」にも慣れている。


問題は、これからのこと。明日は学校で、期末テストがある。左腕が折れてちゃ、シャーペンも持てない。それに、この顔の小さな切り傷だって、いくら何でも目立ちすぎる。絆創膏なんて貼ったら、学校中の噂になるに決まってる。


「まぁ、いいや。とりあえず、応急処置」


ポケットから取り出したのは、医療キットじゃなくて、可愛い花柄のコンパクトミラー。


鏡に映る私の顔は、確かに、とびきり可愛い女子高生のものだ。大きな瞳、整った鼻梁、少し血の気の引いた唇。だが、その可愛らしい顔には、わずかながらも殺し屋としての冷たい光が宿っている。


鏡で顔の角度をチェックし、傷をどうメイクで隠すか考える。コンシーラーとファンデーションを駆使すれば、頬の切り傷ぐらいは消せるはずだ。左腕は、制服の上にカーディガンを羽織って、その上からちょっとオーバーサイズのリストバンドでも巻けば、なんとかなるだろう。怪我なんて、どうでもいい。一番大切なのは、学校で「普通の可愛い真白」として通すことなのだから。


体がどうなろうと構わない。どうせ、また動けるようになる。明日も、明後日も、私はこの「桜色の殺し屋」として、誰かの命を奪い、誰かの命を守り続けるのだろう。それが私の、過酷すぎる日常だ。


でも、どんなボロボロな状態でも、おしゃれは譲れない。


「よし。まずは、血だらけの髪を整えなきゃ。この桜色のふわふわな髪が、ぺちゃんこになるのは許せないもん」


私は、満身創痍の体を無視して、立ち上がった。次の一歩を踏み出すために、まずは髪の毛を直す。それが、私の「桜色の殺し屋」としての、そして「可愛い女子高生」としての、譲れないルールだった。


----

Chapter 1:甘い日常への逃避行


昨夜の傷は、完璧に隠した。折れた左腕には、可愛いブランドのリストバンドと、オーバーサイズのカーディガン。顔の小さな傷は、新しいコンシーラーが優秀で全くわからない。


そして、私の一番のこだわりである、桜色のふわふわな髪は、朝の丁寧なブラッシングと香りのいいヘアオイルで、いつも通り、陽の光を浴びて柔らかく輝いている。


ガラッと教室のドアを開けると、いつもの席に座っている彼と目が合った。


「あ、真白。おはよう!」


亮くん。私の、甘くて優しい日常の象徴。クラスの誰からも好かれる、明るくて爽やかな男の子。私なんかの隣にいるには、あまりにも真っ直ぐすぎる人。


私が席に着くと、亮くんはすぐに顔を近づけてくる。その距離感に、周りの女子が小さなため息をついているのを感じるけど、そんなの気にしない。


「真白、なんか今日、いい匂いする。新しいシャンプー?」


「ううん、ヘアオイル。この桜色のふわふわな髪を維持するのは大変なんだから」


私が少し大袈裟に首を傾げると、亮くんは「ふわふわだねぇ」と言いながら、そっと手を伸ばして、私の髪の毛の先に触れた。


その指先が、まるで綿菓子に触れるみたいに優しくて、一瞬、昨日まで握っていた冷たいナイフの感触を忘れそうになる。亮くんの瞳には、血の匂いも、硝煙の煤も、何も映っていない。ただただ、目の前の私だけ。


「ね、今日の放課後、駅前にできた新しいクレープ屋さん行かない? 真白、甘いの好きでしょ?」


「行く!行く行く! チョコバナナがいいな。あと、ホイップは多めで」


「はいはい。ホイップ多めね。真白、細いのに本当よく食べるよね」


亮くんは笑って、私の頬を指でちょん、とつついた。その優しい触れ方に、心臓がきゅんとなる。


この瞬間、私は「桜色の殺し屋」なんかじゃない。ただの、彼氏との甘い放課後を楽しみにしている、ごく普通の女子高生、真白だ。


本当は、昨日だって、一昨日の夜だって、私は自分の体をボロボロにして、人を殺していた。この体には、今も消えない深い傷の痛みがある。体を大事にしないと、亮くんとの未来なんて掴めないのに、わかっていても、私の日常はあまりにも過酷すぎる。


だけど、亮くんといると、そんな過酷な現実が遠い世界のことに思える。


彼の優しい笑顔、甘い声、そして、私の桜色のふわふわな髪を慈しむように触れてくれるその手。その全てが、私にとっての唯一の安息であり、生きるための「ご褒美」なのだ。


「真白。早くクレープ食べたいね」


亮くんが、私の手をそっと握った。彼の掌は、温かくて、柔らかくて、私を包み込んでくれる。


私は、彼の隣で微笑んだ。この甘い日常のために、私は明日も、満身創痍になっても、戦い続けるのだと心に誓いながら。


----

Chapter 2:満身創痍の告白


ビルの裏の、誰も来ないはずの汚れた非常階段の隅。


私は、ぐっしょりと汗と血に濡れたブレザーを脱ぎ捨て、冷たいコンクリートの壁に背中を預けた。視界がぼやける。左の脇腹を深く抉られ、右足はたぶん、もう感覚がない。意識を保っているのが奇跡的なレベルだ。全身の皮膚の下で、筋肉が悲鳴を上げているのがわかる。


呼吸をするたびに、肺から血の味が込み上げてくる。


「はぁ……っ、はぁ……」


浅い呼吸を繰り返しながら、乱れた髪をそっと払いのけた。


私の桜色の、ふわふわな髪。戦闘で泥と血が少し付着してしまったが、その柔らかな色は、この暗い場所でもかろうじて甘く見えている。


(また、こんなになっちゃった。もう動けない……。でも、応急処置をしないと……)


ポケットを探るが、指が震えすぎて細かい作業ができる状態じゃない。満身創痍。過酷すぎる日常が、私に与える最大の報酬は、このどうしようもないほどの痛みと、疲労だ。


「……こんな体、どうでもいいのに。またすぐ動くようになるんだから」


体を大事にしない。いつもそうだ。おしゃれには気を遣っても、この肉体への愛着は驚くほど希薄だ。次に動ければいい。それだけ。


その時だった。非常階段の下から、聞き慣れた、優しい声が響いた。


「真白?こんなところにいたの?さっきから電話しても出ないから、心配で……」


ゾッ、と背筋が凍った。折れた腕よりも、腹の傷よりも、ずっと冷たい感覚。


亮くん。


どうして、彼がここに。今日、亮くんとは別の方向に帰るはずだったのに。


彼は、階段を二段上がり、暗闇に慣れない目で私を見つけた。


「真白!よかった……って……」


そこで、彼の足が止まった。声が、喉の奥で詰まったように途切れる。


私の姿は、彼が知る「とびきり可愛い女子高生」とはかけ離れていた。血と泥にまみれた制服。大きく破れたスカートから覗く、深い切り傷。そして、口の端から垂れた血。


亮くんの顔から、一気に血の気が引いていくのが見えた。彼の瞳は、恐怖と、信じられないものを見た驚愕で大きく見開かれていた。


隠し通す、なんて、もう無理だ。


この状態を、メイクや笑顔で誤魔化すなんて、神様でもできない。いつもは完璧に隠してきた裏の顔が、今、無防備に、剥き出しになっている。


私は、全身の痛みを無視して、力なく微笑んだ。それは、戦闘中よりもずっと、絶望的な笑顔だった。


「亮くん……見ちゃったね」


震える手で、自分の桜色のふわふわな髪の、血の付いた束をそっと掴む。


「ごめんね。知ってた? この髪の色から、私の異名は『桜色の殺し屋』なんだ」


私の声は、ひどく掠れていた。でも、嘘偽りない真実だった。亮くんは、一歩も動けないまま、まるで金縛りにあったように私を見つめている。


「私はね、亮くん。君の隣にいる、ただの可愛い女子高生なんかじゃない。お金をもらって、人を殺すフリーの殺し屋。これ、昨日やられた傷。今日も、全部で五人を……。見ての通り、いつもボロボロだよ」


血に濡れた左腕を、わざと彼の目の前に突きつける。


「いつもいつも、こんな調子。体を大事にしない、ひどい女の子。だって、どうせまた動くんだもん。こんな体、どうなってもいいの。大切なのは、君と笑って過ごす時間のためにおしゃれをすることだけ。それ以外の時間は、この命を懸けても、この体が壊れても構わないって思ってる」


私の瞳に、涙が滲む。痛みからじゃない。彼に、こんな汚れた自分を見せてしまった罪悪感と、体を大事にしない自分自身への自己嫌悪からだ。


「私は、君の彼女として、最低だ。ねぇ、亮くん。こんな……こんなひどい女の子のこと、君はまだ好きでいてくれる?」


私は、全身の力を使い果たして、ただ静かに、彼の答えを待った。血の匂いと、暗闇の中で、二人の息遣いだけが響いていた。


----

Chapter 3:ひどい女の子への信頼


静寂が、重い空気のように非常階段に横たわっていた。血の匂いと、私の荒い息遣いだけが響いている。


亮くんは、ただ呆然と立ち尽くしていた。彼の、いつもは明るい瞳に、今、映っているのは、殺し屋としての、血に塗れた私だ。


「私は、君の彼女として、最低だ。ねぇ、亮くん。こんな……こんなひどい女の子のこと、君はまだ好きでいてくれる?」


私は、彼の答えを待った。拒絶されるのが怖くて、全身が震える。これで、私の甘い日常は終わる。そう覚悟していた。


しかし、亮くんは、予想に反して、ゆっくりと目を閉じ、そして、深呼吸をした。


次に彼が目を開けた時、その瞳には恐怖の色はなかった。あったのは、複雑で、そして、強い光だった。


彼は、一歩、また一歩と、血の海に足を踏み入れながら、私に近づいてきた。


「真白……最低、なんて言わないでよ」


彼の声は、震えていなかった。むしろ、妙に落ち着いていた。


「僕は、ずっと不思議だったんだ。真白は、いつも周りの誰よりも可愛くて、誰よりもおしゃれに気を遣うのに、時々、その目に、僕たちとは違う遠い光が宿ることがあった。授業中、突然、手が震えたり、疲れているのに必死で隠したり……」


亮くんは、私の目の前に座り込んだ。その足元は、私の血で汚れている。


「僕が知ってるのは、真白のその桜色のふわふわな髪と、甘いものが大好きで、少しわがままな、可愛い彼女としての君だ。でも……」


彼は、そっと、私の満身創痍の左腕に触れた。痛みで、私の体がビクッと跳ねる。


「でも、真白。君が『体を大事にしない』のは、きっと、大事にしなくても動かせる自信があるからだよね?」


予期せぬ言葉に、私の呼吸が止まった。


「普通の女の子なら、こんな傷、死ぬほど怖がる。でも、君は、どうせまた動くって『知ってる』から、おしゃれだけ気にすればいいって平気でいられるんだ。そんなの、もう、人間じゃない、別の生き物みたいに強いってことだろ」


亮くんは、優しく、しかし真剣な眼差しで、私を見つめた。


「僕は、真白のそういうところを怖いとは思わない。だって、僕の知らないところで、君は自分の命を削って、一人で戦い続けてたんだ。ボロボロになっても、次の日、僕の隣で笑うために、完璧に隠して…」


彼は、私の顔の横に垂れ下がった、血のついていない、桜色のふわふわな髪を一房、そっと掬い上げた。


「真白。君が『桜色の殺し屋』だっていうなら、僕はその強さに、むしろ惹かれる。自分の命より、自分が決めた『日常』を守るために、こんなにも満身創痍でいられるなんて……僕には想像もつかないくらい、君は強いんだ」


亮くんは、血と泥に汚れた私の手を、そっと両手で包み込んだ。温かかった。


「真白が、どういう生き方を選んだとしても、僕の好きな真白は、その内側にいるんだ。だから、僕は君を信頼するよ。その強さで、絶対に、生き抜いて戻ってきてくれるって」


「亮く……ん」


涙が溢れた。痛みからじゃない。彼に、こんな汚れた自分を見せてしまった罪悪感と、体を大事にしない自分自身への自己嫌悪からだ。


「だから、真白。お願い。次からは、おしゃれだけじゃなくて、体もちょっとは大事にして。僕のためだけに」


そう言って、亮くんは、少しだけ涙を滲ませながら、優しく微笑んだ。私は、この甘い日常は、まだ、終わらないのだと知った。この命を懸けて、彼が信頼してくれたこの強さを、守り続けるのだと。


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Chapter 4:武装した可愛さ


コンクリートの冷たい床の上で一夜を明かしたような、全身の軋みと、鋭い痛みが私を襲う。いや、非常階段で亮くんが応急処置を手伝ってくれた後、なんとか家に這い戻ったのだった。


左脇腹の傷が、脈打つたびにズキズキと熱を持つ。昨夜、亮くんは「病院に行こう」と真剣に言ったけれど、断固として拒否した。殺し屋が病院なんて行けるわけがない。


私は、激痛を奥歯で噛み殺しながら、鏡の前に立つ。顔色は最悪だ。だが、それは許されない。


「ファッションは、武装だもん」


気合を入れて、メイクを施す。青白い顔に、血色を戻すためのチークと、強い光を宿すためのアイメイク。そして、何よりも重要なのが、この桜色のふわふわな髪。昨日付着した血糊と泥を完璧に洗い流し、時間をかけてブローし、一番いい香りのヘアオイルで仕上げた。痛みで汗が滲むが、絶対に崩さない。


今日の制服は、昨日とは違うスペア。左腕は、昨日亮くんが買ってきてくれた、可愛いブランドの厚手のリストバンドで固定し、その上から、ゆったりとしたカーディガンを羽織る。これで、満身創痍の「桜色の殺し屋」は、完璧な「可愛い女子高生」に変身した。


教室のドアを開ける。痛みで、一歩一歩が地雷の上を歩くようだけど、顔には絶対に出さない。


「真白、おはよう!」


亮くんが、いつものように、私の席の隣で待っていてくれた。


私が席に着くと、亮くんはすぐに顔を近づけてくる。彼の目が、私を見ている。その視線は、昨日までの甘いものとは少し違う。真摯で、少しだけ、崇拝のようなものが混ざっている気がした。


「おはよう、亮くん」


いつものように微笑んで見せる。その笑顔を作るだけで、頬の筋肉がピクッと引き攣るが、気にしない。


亮くんは、私の髪の毛に手を伸ばしかけたが、途中で止めた。代わりに、そっと、私を上から下まで見渡した。


「真白。昨日のあれ、全部、完璧に隠したね」


隠すなんて簡単な言葉じゃない。これは、命懸けの変装だ。私は、クスッと笑って見せた。


「当たり前でしょ? 私の譲れないおしゃれなんだから。それに、亮くんが『体も大事にして』って言ってくれたから、今日はいつもより厚着なんだよ?」


そう言って、カーディガンの袖を軽く持ち上げてみせる。実際は、折れた腕を固定しているだけだ。


亮くんは、何も言わず、ただ、じっと私を見つめた。


そして、彼の顔に、ふと、昨日までの「甘い彼氏」の顔に戻った。いや、それ以上の、何か強い感情を含んだ顔。


「真白。君、本当にすごいよ」


彼は、心底、感動したような、小さな息を漏らした。


「全身ボロボロで、激痛に耐えてるはずなのに、完璧だ。昨日、あんな姿を見た僕でも、今の君を見たら、『やっぱりただの可愛い真白だ』って思ってしまう。昨日のは、夢だったんじゃないかって」


亮くんは、私の隣に顔を寄せた。


「でも、僕は知ってる。その笑顔の下で、君がどれほどの痛みに耐えてるか。僕のために、いや、君が大切にしたい日常のために、ここまで自分を着飾って、登校してくるなんて……」


彼は、私の桜色のふわふわな髪から、制服の襟元、そして、きっちり結んだリボンまで、一つ一つ、愛おしむように視線を走らせた。


「僕は、真白のその『どんな状況でも美しさを崩さない』その強さに、心から見惚れてる。本当に、世界一可愛い女子高生だよ。僕の真白は」


亮くんの視線は、ただの「可愛い」へのそれじゃない。私の「殺し屋」としての過酷すぎる生き方、そして、それを乗り越えて、なお、この甘い日常を守ろうとする私の「強さ」に対する、深い信頼と、愛情だった。


私は、痛む体とは裏腹に、胸の奥が熱くなるのを感じた。


「ありがとう、亮くん」


激痛に耐えながら作った笑顔は、もしかしたら、今までで一番、心からの、素直な笑顔だったかもしれない。この笑顔のために、私は今日も、満身創痍で、世界一可愛い女子高生を演じ続けるのだ。


----

Chapter 5:桜色のホームレス


あの夜、亮くんが私の正体を知った数日後。


私の「日常」は、文字通り崩壊した。


戦闘後の傷の手当が甘かったのか、あるいは帰宅が遅すぎたのが原因か。朝、リビングでコーヒーを飲んでいた父と母に、私の正体がバレた。


激しい口論の末、私は家を追い出された。当然だ。娘が凄腕の殺し屋「桜色の殺し屋」だなんて、普通の親が受け入れられるはずがない。彼らの安全のためにも、私は去るべきだった。


そして今、私は「ホームレス」だ。


とは言っても、私の場合は普通のホームレスとは違う。どうせ夜通し戦うのだ。昼間は空きビルの非常階段や、人目につかない公園のベンチで仮眠をとり、夜になれば再び、血生臭い世界へ身を投じる。


体を大事にしない、という私の信条は、この過酷な環境でさらに強化された。寝床はコンクリート。ろくに食事もとれない。風邪をひこうが、傷口が膿もうが、気にしない。どうせ、次の任務で体はボロボロになる。


「体がどうなろうと構わない。どうせ、夜通し戦うんだから」


この桜色のふわふわな髪は、なんとか手持ちのシャンプーと公園の水道で維持している。髪だけは譲れない。それが、殺し屋としての、そして亮くんの彼女としての、私の最後の砦だ。


ある日の朝。いつものように教室で待っていた亮くん。私の制服は、一見すると普通だが、数日分の疲れと汚れが染み付いている。


亮くんはすぐに気づいた。私の目の下の、どんなコンシーラーでも隠しきれない隈。そして、制服の袖口から見える手の甲の、新しい擦り傷。


「真白。最近、なんか様子が変だよ」


いつものように、亮くんは私の隣に座るなり、真剣な顔で尋ねてきた。


「寝不足?」


私が曖昧に微笑むと、亮くんは首を横に振る。


「違うだろ。真白、正直に言って。家で何かあったの?」


彼の真摯な視線に、嘘をつくのはやめた。隠す必要もない。彼は、私の「強さ」を信頼してくれた唯一の人間なのだから。


私は、彼の顔を見て、あっさりと、まるで今日の夕食の献立を話すかのように言った。


「うん。親にバレちゃったんだ。『桜色の殺し屋』ってことがね」


亮くんは、驚きで目を見開いたが、すぐに表情を引き締めた。


「それで……真白は、どうしてるの?」


私は、笑った。痛みも、疲労も、一切合切を無視して、ただ、平然と笑った。


「見ての通り、ホームレスだよ」


亮くんの口が、言葉にならない驚きで開いたままになる。


「家を追い出された。でも、平気。だって、どうせ私は、夜通し戦うんだから。家で寝る時間なんて、どうせろくにない。寝床がベッドからコンクリートになっただけ。体なんて全然大事にできないよ。だって、どうせ次の任務で満身創痍になるんだもん。ボロボロになるのが前提なんだから、今、少しくらい体を壊したって、痛めたって、まったく気にならない」


私は、自分の桜色のふわふわな髪を、少し誇らしげに撫でた。


「こんな状態でも、この髪だけは完璧でしょ? ちゃんと、おしゃれには気を使ってる。それが、私だもん」


亮くんは、しばらく黙って、私の顔を見ていた。彼の瞳には、怒りも、悲しみも、同情も、何一つなかった。あったのは、ただ、私の「真白らしさ」を、ありのまま受け止めようとする、強い光だけ。


「そうか……真白は、家にいてもいなくても、結局、夜通し戦う、殺し屋なんだね」


亮くんは、そう言って、深くため息をついた。そして、私の手を、そっと握った。


「真白。僕は、君の生き方を変えろ、なんて言わない。でも、せめて…体を大事にしないなら、僕が君の体を大事にする」


彼は、真剣な顔で私を見つめ返した。


「夜通し戦って、ボロボロになっても、次に僕と会う時は、せめて空腹だけは満たしてきて。君がそうして、また僕の隣に座ってくれるなら、僕はそれだけで、君の強さを信頼し続ける」


彼の優しさと覚悟が、私の、冷え切った心と体を温めた。過酷すぎる日常の中で、この亮くんとの時間だけが、私の命綱なのだと、改めて悟った。


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Chapter 6:勝利のための肉体


周囲を取り囲むのは、五人の影。倉庫の薄暗い非常灯に照らされ、彼らの持っているアサルトライフルの冷たい銃身が鈍く光っている。


私一人が相手だ。この状況は、圧倒的に不利。


「逃げ場はないぞ、『桜色の殺し屋』」


リーダー格の声が響く。逃げない。最初から、逃げるつもりなんてない。


(やれやれ、またこのパターンか。どうせ、満身創痍になるんだから、手っ取り早く終わらせないと)


私の戦闘スタイルは、一言で言えば「体の耐久力を信用した特攻」だ。どうせ、私はボロボロになっても動く。多少、いや、かなり深刻なレベルで傷を負っても、必ず勝つための「切り札」が、この肉体なのだ。体を大事にする、という発想が、私には一切ない。


私は、自分の桜色の、ふわふわな髪を、邪魔にならないよう耳にかけた。その仕草は、戦場とは思えないほど優雅に見えるだろう。


「ごめんね。その言葉、聞き飽きたの」


低く、しかし場違いに甘い声でそう囁くと、私は一瞬で動いた。


相手が銃を構えるより早く、私は最も近くにいる一人目に向かって、敢えて一直線に突っ込んだ。もちろん、彼の銃口は、私の胸元を正確に捉えている。


「バカな!」


相手が引き金を引く。


ドォン!


銃声が倉庫に響き渡る。激しい衝撃が、私の右肩を襲った。熱い液体が、制服のブレザーを瞬く間に染めていくのがわかった。


(命中。でも、致命傷じゃない)


私は、その痛みを無視し、肩の傷からくる麻痺に構わず、体当たりで相手のバランスを崩す。そして、懐に潜り込み、隠し持っていた細身のナイフを、彼の喉笛に深く突き立てた。


一人、排除。


だが、代償は大きい。右腕が、衝撃でほとんど使い物にならない。激しい痛みが、思考を支配しようとするが、私はそれを雑音として無視した。


二、三人目が、私に向かって弾丸を浴びせてくる。私は、瓦礫の山に飛び込むことで、そのほとんどを避けた。しかし、腹部に一発。焼けるような熱さが、体中を駆け巡る。


「くっ……!」


奥歯を噛み締め、呼吸を整える。血が、口の中にまで滲んできた。かなり深い。普通なら、ここで戦線離脱だ。いや、絶命していてもおかしくない。


だが、私は立ち上がる。


(平気、平気。どうせ、また動ける。この体は、私が勝利するためにあるんだから。体を大事にする?そんな悠長なこと、言ってられないでしょ)


私は、腹の傷を全く気にせず、むしろその傷のせいで動きが緩慢になっているように見せかけながら、残りの敵を誘い出した。


「もうすぐ倒れるぞ!仕留めろ!」


四人目、五人目が、勝利を確信して無防備に近づいてくる。このチャンスを待っていた。


四人目がナイフを振りかざして飛び込んできた瞬間、私は腹の痛みに耐えるどころか、むしろその痛みを力に変え、腹筋に力を入れて傷口を広げるようにして、体を捻った。


その凄まじい反動で、相手のナイフをギリギリでかわし、使えなくなったはずの右腕の骨折を無視して、渾身の力を込めた左の踵落としを、彼の頭部に叩き込んだ。


ゴッという鈍い音。四人目も沈黙。


残るはリーダー格の一人。彼は、恐怖に顔を引き攣らせて、後ずさりしている。


「な、なんだ、こいつ……!」


私は、両手両足、そして腹と肩。全身が満身創痍で、立つのがやっとだ。血で汚れた桜色のふわふわな髪が、汗で額に張り付いている。ボロボロ、というレベルではない。文字通り、瀕死だ。


だが、勝利は、私のものだ。


私は、ゆっくりと、しかし確実に、彼に向かって歩み寄った。体を大事にしない私の戦闘スタイルが、この圧倒的不利な状況をひっくり返したのだ。


「これで、終わり」


そう呟いた私の声は、ひどく掠れていたけれど、そこには勝利を確信する、絶対的な殺し屋の冷たい光があった。


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Chapter 7:究極のサバイバル・ガーリー


今日もまた、夜明けの冷たい空気で目を覚ました。寝床は、廃ビルの屋上にある、誰も使わないはずの錆びた貯水タンクの裏。昨日撃たれた背中の傷が、じっとりとした湿気でじんじんと痛む。


(はぁ、なんて最高に過酷な朝なんでしょ)


私は、痛みを堪えながら、体を起こした。昨夜の戦闘で泥がついた制服を軽く払い、すぐに自分の状態をチェックする。顔色は悪いが、メイクでどうにでもなる。だが、最も重要なのは。


桜色のふわふわな髪。


「よし、今日も完璧」


持参したコンパクトミラーで髪の揺れを確認する。ホームレス生活だろうが、寝床がコンクリートだろうが、この髪だけは絶対に譲れない。水道水と、残り少ないヘアオイルを駆使して、今日も柔らかく、甘い桜色を保っている。


この生活は、普通なら絶望だろう。学校のクラスメイトには、誰も想像できない過酷さだ。いつ襲われるかわからない。いつ体を壊すかわからない。食事もまともにとれない。


でも、私はこの「危険すぎるホームレス生活」を、意外と楽しんでいる。


「だって、これって、究極のサバイバルゲームじゃない?」


誰も持っていない、私だけの特別な体験。この生活のおかげで、私はますます体を大事にしないようになった。どうせ、屋上に住んで、夜通し戦って、いつ死ぬかわからないのだ。体がボロボロになっても、次の任務で動ければいい。この肉体は、私の「おしゃれ」を守るための道具なのだから。


そして、このホームレス生活は、私のファッションセンスをさらに磨いてくれた。


今日のテーマは「都会のストリートサバイバル・ガーリー」。


破れた制服は、ダメージジーンズ風にアレンジ。厚手のカーディガンで怪我を隠しつつ、防寒対策。そして、何よりも重要なのは、『清潔感』。どんなにボロボロで過酷な生活を送っていても、私の桜色のふわふわな髪と、メイクだけは、誰よりも完璧で、誰よりも可愛い。


このギャップこそが、私の「おしゃれ」であり、「強さ」の証明なのだ。


(さて、そろそろ亮くんに会いに、学校へ行かなきゃ)


体を大事にしないまま、激痛に耐えながら立ち上がる。一歩踏み出すたびに、背中の傷が悲鳴をあげるが、私はそれを気にしない。


「こんな過酷な状況で、毎日完璧な私を維持できるなんて、私ってやっぱり、とびきり可愛い最強の女子高生よね」


そう自画自賛しながら、口元に笑みを浮かべる。この危険なホームレス生活は、私の存在そのものを、一層特別で、誰にも真似できないものにしてくれている。


そして、このボロボロの体で、今日も亮くんの隣に座る。彼の優しさと信頼に包まれる瞬間こそが、この過酷すぎる日常における、私の最大の「ご褒美」なのだ。


さあ、今日も、私は「桜色の殺し屋」として、そして「世界一可愛い女子高生」として、戦い続ける。ホームレスの過酷さなんて、私の強さと可愛さの前では、なんでもないことだ。


----

Chapter 8:盾になる体への愛情


亮くんと二人で、人気のない公園の隅を歩いていた。最近は、ホームレス生活が常態化し、夜の行動には特に注意を払っているつもりだった。


だが、甘かった。


暗闇に潜んでいた影が、突然閃光と共に現れた。相手は、私の任務の残党。こちらが二人だと分かって、私ではなく、亮くんを狙ってきた。


「真白っ!」


亮くんが私を押し退けようと動いた、その一瞬。


私は、反射的に亮くんの前に飛び出した。


ドスッ


鈍い音。焼けるような熱と、激しい衝撃が、私の背中を襲った。弾丸が、私の左肩甲骨の下あたりにめり込んだのがわかる。


体が前に傾ぐ。しかし、私は踏みとどまった。亮くんは、私のすぐ後ろにいる。


「……ッ、はぁ……」


背中にめり込んだ弾丸の激痛を、私は奥歯で噛み殺す。視界が一瞬白くなるが、すぐに持ち直した。


相手は、私が倒れないことに驚き、ひるんだ一瞬を逃さない。私は、全身の痛みを無視して、地面に転がっていた空き缶を拾い上げ、正確に奴の顔面に投げつけた。


その隙に、私は亮くんを突き飛ばし、そのまま地面に転がった。


「真白!」


亮くんの悲鳴のような声が聞こえる。しかし、私の反応は冷静だった。地面を転がりながら、懐から細身のナイフを取り出し、最後の力を振り絞って投げつけた。


暗闇に、小さな悲鳴と、物体が倒れる音が響く。


これで、終わりだ。


私は、地面に突っ伏したまま、全身の力を抜いた。背中が、ズキズキと、いや、ゴリゴリと、耐え難い痛みを訴えている。血が、アスファルトを濡らしていく。


「真白!大丈夫か!真白!」


亮くんが駆け寄ってくる。彼の顔は、恐怖と動揺で歪んでいた。


私は、痛む体を引きずり起こし、上半身だけ起こした。亮くんが、私の血に濡れた背中を見て、息を呑むのがわかった。


「……大丈夫、亮くん」


私は、軽く息を吐きながら、そう答えた。


「大丈夫なわけないだろ!撃たれたんだぞ!?血が、こんなに……!」


亮くんは、私の肩に手を伸ばしかけたが、血に怯えて触れられないようだった。


私が、ふっと笑う。


「平気だって言ってるでしょ? 私の体は、こんなこと、日常なんだから。どうせ夜通し戦うんだし、撃たれるなんて、よくあること。ね? 私は、体を大事にしないひどい女の子なんだから」


私は、自分の桜色のふわふわな髪についた、ほんの僅かな埃を払う仕草をした。激しい痛みで、その動作すらおぼつかないが、それでも私は、あくまで平然と振る舞った。


その私の姿を見て、亮くんの顔つきが変わった。動揺が消え、いつものような、私を深く理解し信頼する、あの冷静な表情に戻った。


彼は、私の目の前にしゃがみ込み、血に濡れていない私の左手を、そっと両手で包み込んだ。


「ありがとう、真白」


彼の声は、静かで、落ち着いていた。


「僕を庇ってくれたんだね。……君の言う通り、君は、とんでもない強さだ。僕なら、今頃パニックになってる。撃たれたのに、髪の心配までしてるなんて、本当にすごいよ」


亮くんは、深く、私の目を見つめた。


「でも、真白。君が、僕のために、その『大事にしない体』を盾にしてくれたこと。それは、僕にとって、何よりも大切なことだ。感謝するよ。心から」


彼は、私の手を握る力を強めた。


「さあ、真白。『体を大事にしないなら、僕が君の体を大事にする』。動けるかい? 応急処置をしよう。夜通し戦うのは、それからだ」


私は、激痛を全身で感じながらも、彼のその言葉に、胸の奥が温かくなるのを感じた。


「……うん。亮くん。お願い」


撃たれた痛みよりも、彼の優しさの方が、私にはずっと、深く響いた。この過酷な日常の中で、私は、この温かい手の温もりだけを頼りに、また立ち上がるのだ。


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Chapter 9:浅すぎるきっかけ


応急処置を終え、二人で夜の公園のベンチに座っていた。私の背中の傷は、亮くんの冷静な処置のおかげで、ひとまず出血は止まっている。激痛は変わらないけれど。


夜風に、私の桜色のふわふわな髪が揺れる。


亮くんは、私の隣で静かに空を見上げていた。先ほど、私を庇って撃たれたことについて、彼はもう何も言わない。ただ、私の手を握りしめている。


「ねぇ、真白」


亮くんが、ふいに口を開いた。


「一つだけ、聞いてもいいかな。どうして、真白は『桜色の殺し屋』なんていう、こんな過酷な仕事を選んだんだ?何か、壮絶な過去とか、復讐とか……」


彼の声には、私の壮絶な過去を覚悟するような、重い響きがあった。


私は、彼の期待とは裏腹に、クスッと笑ってしまった。痛みで表情が引き攣るが、気にしない。


「壮絶な過去?復讐?うーん……そういうの、亮くんは期待する?」


「いや、違う。でも、そうでなければ、こんな過酷な生き方、選べないと思うから」


私は、空を見上げた。夜空には、星が一つも見えない。


「じゃあ、教えるね。私にとって、この『殺し屋』になったきっかけなんて、本当にどうでもいいくらい、浅いものなんだ」


私は、彼の握った手を優しく握り返した。


「あれは、中学生の時だったかな。私は、友達と同じ服を着るのが嫌で、誰よりも可愛く、おしゃれでいることに、異常なほどこだわってた」


「うん。今もね」


亮くんは、静かに頷く。


「ある日、すごく可愛い新作のブランドバッグが出たの。それはもう、世界で一番可愛いバッグだった。絶対、あれを持たなきゃ、私の可愛さが完成しないって思った」


私は、そこで言葉を区切った。亮くんは、真剣に続きを待っている。


「でも、そのバッグ、とんでもなく高かったんだ。お小遣いとか、バイト代とか、そんなレベルじゃない」


私は、ふふっと、自嘲気味に笑った。


「それでね、たまたまネットで、『高額報酬。危険な仕事』っていう、闇の求人広告を見つけたの。報酬額を見て、計算した。これなら、あのバッグが買える。しかも、他の子たちには絶対にできない、私だけの特別な『おしゃれ』になるって」


亮くんは、信じられない、という表情で固まっている。


「そう。きっかけは、可愛いブランドバッグが欲しかった。ただ、それだけ。誰かを救いたいとか、復讐したいとか、そんな大層な理由じゃない。ただ、私の『可愛い』を完成させるために、私はフリーの殺し屋になったんだよ」


私は、背中の痛みを無視して、亮くんの肩に頭を預けた。彼の温かさが心地よい。


「どう? 亮くんが想像してた、壮絶な過去とは程遠いでしょ? 私が、こんなに体を大事にしないひどい女の子になったのも、最初から『可愛い』のためなら、命を懸けてもいいって決めたから。そうすれば、満身創痍になっても、ボロボロになっても、平気でいられるから」


亮くんは、しばらく黙っていたが、やがて、私の桜色のふわふわな髪を、そっと撫でた。


「……真白らしいよ。普通の人が聞いたら呆れるかもしれないけど、僕は、真白のその『可愛い』を絶対的な理由にできる強さに、やっぱり惹かれる。そのために、夜通し戦って、満身創痍になっても、僕の隣に戻ってきてくれるんだから」


彼は、静かに、そして力強く言った。


「これからも、その『可愛い』のために、生き抜いてくれ、真白。そして、僕が、その『可愛い』を一番近くで見ている」


私は、痛む背中の傷を忘れ、彼の優しさに深く感謝した。この、浅すぎるきっかけで始めた過酷な日常も、彼の存在のおかげで、私にとって、かけがえのないものになっている。


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Chapter 10:呆れた愛情


今日の任務は、最悪だった。逃走経路を誤り、化学工場の廃液槽に落ちてしまった。命に別状はないが、左足の膝から下が、ひどい火傷と化学薬品による組織の損傷で、感覚がほとんどない。立っていることすら、奇跡的だ。


廃液の臭いを消すために、近くの公園の水道で体を洗ったが、左足の損傷は治らない。明らかに、もう普通には動かせない。


私は、ホームレス生活で慣れた裏路地の隅に身を潜め、最後の力を振り絞って、応急処置を施した。だが、こんな致命的な損傷は、素人にはどうしようもない。


「はぁ。これじゃ、次の体育の授業、見学になっちゃう」


体を大事にしない私でも、さすがに足が使い物にならないのは少し困る。でも、それだけだ。絶望なんてしない。


(どうせ、また動くようになるでしょ。それに、こんなの、次の任務で全身ボロボロになると思えば、大したことない)


私は、バッグから取り出した、フリルのついた可愛いニーハイソックスを履き、その上から長めのスカートを履き直した。外見だけは、完璧にする。


「これで良し」


左足の感覚が麻痺し、激しい痛みに襲われているが、表情は変えない。この桜色のふわふわな髪が、私の完璧な武装なのだ。


約束の場所に向かうと、亮くんがベンチに座って待っていた。


「真白!」


彼は立ち上がり、私の異変にすぐに気づいた。私が、普段は感じさせないほどの微細な震えを伴って、ぎこちなく歩いているからだろう。


私がベンチに座ると、亮くんはすぐに私の膝元にしゃがみ込み、私の顔ではなく、左足に視線を向けた。彼は、私が隠そうとしても、もはや隠しきれないほどの重傷を負っていることを知っている。


「真白、その足……どうしたんだ?」


彼の声は、心配と、どこか諦めが混ざっていた。


私は、いつものように、あっけらかんとした口調で答えた。


「これ?ああ、昨日ね、ちょっと派手に失敗して。化学薬品の廃液槽に落ちちゃったの。だから、ほら」


私は、スカートの裾を少しだけ持ち上げた。ニーハイソックス越しに見える私の足首から下は、皮膚がただれ、紫色に変色している。


「この通り、左足の膝から下は、もう使い物にならないよ。たぶん、感覚がほとんどない。動かそうとすると、激痛。まあ、しばらくはまともに歩けないかな」


私は、まるでテストの結果が悪かったとでも言うように、平然と肩をすくめた。体に深刻な障害が残っても、表情一つ変えない。なぜなら、私にとって、体を大事にするという選択肢は、初めから存在しないからだ。


亮くんは、私の足を見て、そして、私の顔を見て、そして、また私の足を見た。


そして、次の瞬間。


「ははっ……!」


彼は、耐えきれないといったように、大きな声で笑い出した。


「ま、真白、君は……! もう、本当に世界一、頭がおかしいよ!」


笑っているのに、彼の目には涙が滲んでいる。それは、絶望や恐怖からくるものではなく、私のあまりの平然さに、感情が振り切れてしまったからだろう。


「片足が使い物にならなくなったって言うのに、何その言い草!なんでそんなに平気なんだよ!普通、泣くか、怒るかだろ!?」


「だって、仕方ないじゃない。どうせ、また動くようになるし。それに、足が一本ダメになったって、この桜色のふわふわな髪は無事なんだから。おしゃれは完璧だよ」


私がそう言うと、亮くんは笑いながら、呆れたようにため息をついた。


「ああ、そうか。そうだね。君は『桜色の殺し屋』だもんね。君にとって、体は、壊れても交換が利く道具なんだ。だから、平気なんだ」


彼は、涙を拭い、私の血も薬品もついていない右手を握りしめた。


「わかったよ。真白。左足が使えないなら、僕が支える。でも、一つだけ約束して。僕が君の足を支えている間は、せめておしゃれのためのエネルギーを、体の回復に少しだけ回して。君の強さを信頼しているから、絶対に治して戻ってきてくれ」


亮くんの呆れ笑いと、その奥にある深い愛情が、私の心を強く温めた。私は、彼が信頼してくれたこの体と、この「可愛い」を、必ず守り続けるのだと、心に誓った。


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Chapter 11:両親との決別


昼下がりの、人気のない公園のベンチ。私は、膝から下が使い物にならない左足を伸ばし、少しでも負担がかからないように座っていた。ホームレス生活と激しい戦闘のせいで、体は絶え間なく痛むが、顔にはもちろん出さない。


制服の上に重ねたオーバーサイズのカーディガンと、入念に整えた桜色のふわふわな髪のおかげで、一見すると、ただの居眠り中の女子高生に見えるはずだ。


私は、ベンチに身を預けながら、昨日亮くんが買ってくれた、甘さ控えめのミルクティーを飲んでいた。この穏やかな時間が、私にとっての唯一の休息だ。


その時、ベンチの前の舗装された道を、見慣れた二つの影が通りかかった。


「……あ」


思わず、小さく声が漏れた。父と母だ。


二人は、近所のスーパーから帰る途中だろう。手にはエコバッグを持っている。私を家から追い出した後、彼らがどんな生活を送っているか、私は知る由もなかったが、見たところ、変わらぬ穏やかな日常を過ごしているようだ。


父が、何気なく公園のベンチに目をやった、その瞬間。


父の目が、私を捉えた。


「ま……真白?!」


母も、父の異変に気づき、慌てて視線を向ける。そして、私だと認識した瞬間、二人の顔は、驚愕と、後悔と、そしてどうしようもない不安で歪んだ。


二人は、私の目の前で立ち止まった。


「真白、お前……こんなところで何を……まさか、本当に、ホームレス生活を……?」


父の声は、震えていた。母は、泣き出しそうな顔で、私のぼろぼろになった制服と、膝元に置かれたわずかな荷物を見つめている。


私は、慌てなかった。怒りも、悲しみもない。ただ、穏やかな気持ちで、二人を見上げた。


「うん。見ての通りだよ、お父さん、お母さん」


私は、少しだけ微笑んだ。この状況でも、この笑顔だけは崩さない。


「別に、心配しないで。私、元気だよ。ほら」


私は、自分の桜色のふわふわな髪を、指先で掬い上げた。


「ちゃんと、おしゃれには気を使ってるでしょ? 左足がちょっと使い物にならないけど、それ以外は問題なし。ホームレス生活も、どうせ夜通し戦うから、そんなに不便じゃないんだ」


私は、彼らが抱いているであろう罪悪感を打ち消すように、明るく、あっけらかんと言った。


「だからね、お願い。私を、もう放っておいてほしいの」


私の口調は、穏やかだった。怒鳴るでもなく、恨むでもなく、ただ静かに。


「お父さんたちの生活を壊したくないし、もう、私のことなんか忘れて、普通に暮らしてほしい。私は、私で、自分の選んだこの過酷な道を行くから。そして、この道が、私にとって一番『私らしい』生き方なんだ」


母の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「真白……そんな、ひどいこと言わないで。家に、帰ろう。全部、話し合って……」


「帰らないよ」


私は、きっぱりと首を横に振った。


「もう、あそこは私の居場所じゃない。私の居場所は、この過酷な世界と、私を受け入れてくれた人の隣だけ。だから、これでいいんだ」


私は、最後に、彼らに最高の笑顔を見せた。それは、ホームレスとして、殺し屋として、全てを自分で決めて生きている者の、清々しい笑顔だった。


「じゃあね、お父さん、お母さん」


私は、ベンチに深く座り直し、ミルクティーを一口飲んだ。背中を向けて立ち去る二人から、重い足取りと、言葉にならない嗚咽が聞こえた。


これでいい。彼らの穏やかな日常に、私の血生臭い世界は必要ない。私は、私の選んだこの過酷な日常の中で、ただひたすらに、私の「可愛い」と「強さ」を証明し続けるだけだ。


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エピローグ:永遠に過酷なハッピーエンド


コンクリートの屋上。冷たい夜風が、私の頬と、血の匂いのする桜色のふわふわな髪を撫でていく。


今日の任務は終わった。結果は勝利。代償は、全身の骨の軋みと、また新しく増えた、塞がらない傷。満身創痍。瀕死。いつものことだ。


私は、息絶えた敵の傍で、膝を抱えて座り込んだ。左足は、依然として使い物にならない。この過酷すぎる日常は、いつまで続くのだろう。終わりなんて、きっと来ない。フリーの殺し屋である限り、誰かに狙われ、誰かを守るために、私は永遠に戦い続けなければならない。


でも、それでいい。


私は、ポケットから、愛用のコンパクトミラーを取り出した。汚れた鏡面を拭い、自分の顔を映す。血と汗と、極度の疲労に歪んだ、けれど、まだ「可愛い」顔。そして、その表情の奥には、どんな困難にも屈しない、殺し屋の冷たい光が宿っている。


「ふふ。今日も、勝った」


体を大事にしない。過酷なホームレス生活。永遠に続く戦闘。普通なら地獄だが、私にとっては、これこそが「ハッピーエンド」なのだ。


なぜなら、この過酷な日常こそが、私の「強さ」と「おしゃれ」を証明する、唯一の舞台だから。


そして、何よりも。


ピロリ


スマートフォンが、微かに振動した。ディスプレイに表示されたのは、亮くんからのメッセージ。


『真白、お疲れ様。クレープ、チョコバナナとホイップ多めで買ってあるよ。いつもの場所で待ってるね』


私は、全身の激痛を無視して、立ち上がった。


左足が使い物にならなくても、私は、なんとか立ち上がれる。それが私の強さだ。


私は、血と泥に汚れた制服を軽く払い、もう一度、桜色のふわふわな髪を整えた。どんなにボロボロで満身創痍でも、彼の前に出る時は、最高の「可愛い」でなければならない。


彼は知っている。私が凄腕の殺し屋で、体を大事にしないひどい女の子で、左足がもう動かないことも。そして、この過酷な日常が、私の意思で選ばれた生き方だということも。


彼は、そんな私を否定せず、その「強さ」と「生き方」を信頼してくれている。


彼が待っていてくれる場所へ向かう。その一歩一歩が、地獄のような激痛を伴う。


でも、それが、私にとっての幸福だ。


過酷な戦闘を生き抜き、ボロボロの体で彼の元へ戻り、「可愛い真白」として笑顔を交わす。彼が、私の命を削った強さを信頼し、私の「可愛い」を慈しんでくれる。


私が永遠に戦い続ける限り、この過酷な日常も、彼の隣で過ごす甘い時間も、永遠に続く。


(これが、私にとっての、一番過酷で、一番甘い、最高のハッピーエンドなんだ)


私は、満身創痍の体に鞭を打ち、夜の闇の中を歩き出した。私の桜色のふわふわな髪が、風に揺れる。明日も、明後日も、私は戦い続けるだろう。この過酷な命を懸けた日常のために。そして、ただ一人の彼との、甘い時間の証明のために。

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