表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/13

6. 中学校編:栄子


居酒屋きむら亭のカウンターを布巾で拭き、並んでいる七味や醤油の小瓶をきれいに整える。母は冷蔵庫に瓶ビールを補充しながら、振り返りもせず声を上げた。


「栄子ー!携帯鳴っちょるよー!」


カウンターに置いていた二つ折りのガラケーから、流行曲のサビが軽快に流れている。


「はーい」


手に取ると、控えめにラインストーンを貼った本体がキラリと光り、付けていた二つのストラップがジャラリと鳴った。


画面には『2004.11.4』『アヤコ』の文字。


ふぅ、とひと息ついてから、店の外へ出て通話ボタンを押す。


「はーい! どうしたの?」


明るい声色を作る。電話の向こうからは音楽と笑い声が漏れていた。


『あ!栄子ぉ?今さァ、M駅前のカラオケに居るんだけど、今から来れるー?』


「あー…うん!行く!」


綾子にそう返事をして電話を切ると、胸の奥に小さな溜息がこぼれた。店内に戻り、母におそるおそる声をかける。


「あの…さ、」


「友達に誘われたんでしょ?行ってきないや」


母は私のすることに滅多に反対はしない。ぬか床をかき混ぜながら、ただ背中でそう告げる。


「…ありがと」


本当はもっと手伝ってあげたかった。けれど、この時の私にはそれができなかった。



カラオケ店の10番ルーム。扉を開けると、耳をつんざく大音量。


「はンなびらのォーー!」


綾子がマイクを握って歌っていた。他の三人もリズムに合わせて手拍子をしていたが、私に気づくなり一斉に寄ってくる。


「ごめん、遅くなった」


「栄子ぉー!やっぱアンタが居ないと締まんないからさぁ!」


綾子の言葉に、他の子たちが「そうそう」と頷く。そこへ店員がポテトとジュースを運んできた。

ひとりが「トイレ」と言って退室すると、綾子はポテトをまとめて口に放り込み、横目で扉の方を見ながら低く呟いた。


「あのコさぁ、他校のヤツと付き合ってるのに、ウチのクラスの山口に色目使ってるよね。…アイツ、そういうとこあるよねー」


(来た。ああ、またこの感じ……)


胸の奥でため息が広がる。表情に出さないように気をつけると、隣で別の子がすかさず言った。


「男子の前では声高くなるよね!」


ニヤニヤと笑い合う二人に合わせるように、私も笑ってみせる。心臓の鼓動は強くなるばかり。


「あ、ほら!やば!戻ってきた」


綾子はリモコンを操作し、次の曲を入れる。スピーカーから流れる音楽に、さっきまでの嫌な雰囲気はかき消され、トイレから戻ってきたその子は何も気づかずに席に腰を下ろした。


こんな場面は珍しくもない。むしろ日常だ。

その場にいない誰かの悪口を言い合い、次は自分が標的にならないかと怯える。だからみんな、綾子の誘いには逆らえない。


「「もーいっかい!!」」


可愛い曲の合いの手を、私たちは笑顔で揃える。机の上のガラケーには、プリクラが何枚も貼られていた。

そこには『ぅちらサイキョー!トモダチ!』の文字と、小学校からの友達・瑠美ちゃんが綾子と並んで笑う姿。


けれど今、その輪に瑠美ちゃんはいない。

中1の頃までは一緒にいた。でもある日、綾子の何気ない一言で全てが変わった。


『瑠美ってさー、ブランドもの持ってるからって自慢しすぎじゃね?』


翌日から、無視とハブが始まった。

瑠美ちゃんはたしかにブランドの財布やキーケースを持っていたけれど、それを自慢したことなんて一度もなかった。


声をかけようとした私の腕を、別の友達が掴んで囁いた。


『ダメだよ…そんなことしたらヤバいって…』


その瞬間、体が固まってしまった。

瑠美ちゃんは早々に別のグループへ行き、明るく振る舞っていた。


(ごめん…瑠美ちゃん…)


私が本当にしたかったのは、ファッションやアクセサリーの話を一緒にすること。それだけだったのに。

どうしてこんなふうになってしまったんだろう。

ふとした瞬間、そんな思いばかりが胸に浮かんでいた。



学校は、あまり好きじゃなかった。

成績は悪いし、先生たちも信じられない。仲間のグループにいても、心が落ち着くことはなかった。

登校して教室に入ると、まだ綾子たちは来ていなかった。私は女神ロゴのスクールバッグを席に置いたとき、野太い声が教室に響く。


「おーい!佐藤ォ!お前漫画好きだがァ?アキバとか行ったことあんのか?」


振り返れば、竜斗がクラスの男子をからかっていた。竜斗はヤンキーグループのリーダーで、取り巻きたちと一緒になって佐藤君のノートをひったくったり、無理やり肩を組んだりして笑い合っている。


「なぁ見ろよ!電車なんとかに似てねぇ?今流行ってるやつ!」


(ああもう、うるさいな……)


困ったように苦笑いする佐藤君を前に、竜斗は得意げに振る舞いながらも、ちらちらとこちらを見てきた。まるで「俺って強いだろ?」と誇示しているみたいで、腹が立つ。


(逆効果だっつーの、クソ野郎)


苛立ちに耐えきれず舌打ちをした瞬間、竜斗は焦ったように佐藤君から離れ、こちらへ近づいてきた。最悪だった。


「はよー!栄子!なに、機嫌悪ぃんか?」


「わかってんなら放っといて」


冷たくあしらうと、竜斗の取り巻きが調子を合わせるように声をかけてくる。


「たまには竜ちゃんに優しくしろよ〜」


「私のことはいいから、あんたらこそ綾子に優しくしたら?」


綾子の名前を出すと、竜斗は言葉に詰まり、気まずそうな顔になる。だが、それでも席を離れない。しびれを切らした私は立ち上がり、そのまま教室を出ていった。


背後からは「お高くとまってんなぁ……」という呟きが、はっきりと聞こえてくる。


(お前らだけは絶対に好きにならない。優しくするつもりなんて、これっぽっちもない)


ガキくさい男子が嫌いだった。ニタニタと品定めするような目で見てきて、冷たくすれば陰で文句を言う。少し優しくすれば勘違いして距離を詰めてくるくせに、誘いを断れば「思わせぶり」だとまた文句。


(どいつもこいつも……ウザすぎる。キモい)


放課後、正門を出ようとしたときだった。

目の前に、他校の制服を着崩した男三人組が立ちはだかる。1人は赤髪、後2人は金髪だ。


「おい、お前、木村栄子だがぁ?」


(……呼び捨てにすんな)


無視して通り過ぎようとすると、慌てたように腕を伸ばしてきた。


「ちょ、無視すんなや!」


「……何」


鋭い視線を向けると、三人とも顔を引きつらせる。


「すげぇ可愛い奴がいるって聞いて来てみたけど……まじヤベーな」


全身を舐め回すような視線に、背筋を悪寒が走り、怒りがこみ上げたその時――


ブッブー! ブーーー!


正門前に停まった白いワンボックスカーがクラクションを鳴らす。運転席から降りてきたのは、金糸入りの黒ジャージに身を包み、金髪ツーブロックの筋肉隆々の大男だった。


(ヤス兄ちゃん……)


小学生の頃から店で可愛がってくれている常連だ。彼は私の前に立ち、深々と一礼する。


「お嬢!オジキがお待ちです!さ、どうぞお乗りくだせぇ!」


いかにも芝居がかった口調で目配せしてきたので、私は無言で車に乗り込んだ。振り返れば、三人組や周りの生徒は青ざめて固まっている。――少しだけ、愉快だった。


車内の後部座席には、優しそうな女性が手で口を押さえて笑っていた。お腹が大きい、妊婦さんだ。


「もぉ、やだヤスったら……ごめんね栄子ちゃん!」


「マユさん! 久しぶり!」


ヤス兄ちゃんの奥さんで、彼女もまた昔からの常連だった。


「たまたま学校前通ったらよぉ、栄ちゃん絡まれてるから…助けろってマユに言われたんだわ!あ、ちゃんと脅しといたけん!」


そう言ってヤス兄ちゃんはゆっくりとしたスピードで運転する。


「ありがと。でも、なんて脅したの?」


「『ウチのお嬢に手ぇ出したら、組全員で巻きにして日本海のカニの餌にしちゃるけぇのぉ…』って言った!」


「もちろん、私の指示でーす」


にこやかにお腹を撫でるマユさんに、思わず笑ってしまう。

こういうことが時々あるから、私に「ヤクザと繋がってる」という噂があるのも知っていた。でも否定はしなかった。むしろそのほうが、余計な干渉や攻撃を避けられる抑止力になるから――。

車が学校から離れると肩の力が緩んだ。

でも、また学校に行かなくてはならない。


(ダルい……週に五回も行く必要ある?)


私のスクールバッグには、正直あまり好きでもないウサギの人形がぶら下がっていた。


昨日の昼休み――。

綾子は自分の席ではなく、大人しい同級生の机にドカッと腰を下ろしていた。

その手には、買ったばかりだというウサギの人形のキーホルダー。わざと高々と掲げてみせる。


「コレ、最近ハマってんだ!みんなも同じの付けて、オソロにしよーよ!」


無邪気を装った声色のまま、綾子は自分の少し離れた背後に立つ“その席の持ち主”を、どいてほしそうに困った顔で立ち尽くすまま放置している。ちらちらと横目で見ながら、ニヤニヤと笑って。


(……どいてあげなよって、どうして言えないの、私……!)


喉の奥がぎゅっと詰まる。

胸の内側に、じっとりとした嫌悪感が広がっていく。


(ああ……嫌だ。気持ち悪い……)


綾子に逆らわないように、私も結局そのキーホルダーを買った。

今はこうして、スクールバッグにぶら下がっている。


(従うように“お揃い”なんて……馬鹿みたい)


自分で自分が情けなくて、バッグの揺れるウサギが視界に入るたび、胸の奥で小さなため息がこぼれるのだった。



廊下を力の抜けた足取りで歩いていると、隣のクラスの窓から身を乗り出して声をかけてくる男子がいた。


(こんな時に小野田かよ……勘弁してよ……)


友達面して馴れ馴れしく呼び捨てにするその態度に、胸の奥が重く沈む。


「おい、栄子!なぁ、これお前も見ろよ! 小林のノート」


足が硬直するように止まった。

小林、と言えばひとりしかいない。

小林英里こばやしえり


(エリちゃん……!)


思わずクラスに足を踏み入れると、生徒たちは一斉にこちらを見てざわついた。その中にエリちゃんの姿はない。小野田は嬉々とした顔で、ピンク色のノートをこちらに掲げていた。


(なんで……エリちゃんがいないのに、小野田があのノートを……?)


小野田は得意げに喉を震わせ、まるで国語の音読のように読み上げた。


「『光は窓辺に横たわり、沈黙の粒子となって空気に貼りつく。存在は常に遅れてやって来る影のようで――』……は? なんだこれ、意味わかんねぇ!」


「小野田くん、やめて!勝手に机を漁って……返してよ!」


エリちゃんの友達が必死に手を伸ばすが、小野田はサルのように身をかわして読み続ける。


「ぎゃはは! 『頭を垂れた金色の稲穂は波を打つ』……ぷはっ、なにコレ、わけわかめー!」


周囲の男子も苦笑いしながら「おい、やめろって……」と声をかけるが止める気はなさそうだ。

胸の奥に冷たい血が逆流するような感覚。喉はカラカラに乾き、息が詰まる。


(エリちゃんの机を勝手に漁って……勝手にノートを見て……)


小野田はさらに調子づき、興奮した顔でこちらを見た。


「なぁ栄子!お前も読んでみろよ!パース!」


そう言ってノートを私に押しつけてくる。私は静かにそれを受け取った。


次の瞬間――。


ドガッ!!!


全身の力を込めて、小野田の下腹に蹴りを叩き込んだ。シューズ越しに人の肉の感触があり、鈍い音を立てて小野田は机と椅子を巻き込みながら床に転がる。


「きゃああ!」


女子の悲鳴が響き渡る。小野田は涙と鼻水を垂らし、呻き声を上げた。教室は騒然とし、生徒たちの顔が恐怖に引きつっている。

私はノートを英里の友達に渡した。


「……テメェ、うぜぇんだよ。二度とやんな」


吐き捨てるように言うと、クラス全員が水を打ったように黙り込む。誰もが青ざめて私を見ていた。


教室を出て廊下に出ると、噂を聞きつけて集まっていた他のクラスの生徒たちが青ざめた顔で立ちすくんでいた。その中に綾子たちもいた。彼女たちの目には、いつものあの余裕の色がなかった。


(今日はもう……いいや……帰ろう)


綾子たちの前で上手く取り繕える自信なんてなかった。舌打ちをしてスクールバッグを肩にかけ、廊下を抜ける。

先生とすれ違ったが、まるで空気のように視線を逸らされる。そんなことにはもう慣れきってしまった。


(……つかれた……)


肩が鉛のように重く、足もまとわりつくように動かない。


(お母さんには、早退って言おう……)


(化粧、とって……シャワー浴びたい……)


階段をひとつひとつ、転ばないように慎重に降りていく。


「あ……あのっ」


懐かしい声に振り返った。


階段の上から、黒髪を後ろでまとめた少女が駆けてくる。息を切らし、顔を少し赤らめて。


「え……」


思わず声が漏れる。


久しぶりに見るエリちゃんだった。背が伸びて、どこか大人びて見える。


「あの……友達から聞いたの。……小野田くんから、このノート取り返してくれたって……」


彼女の胸に抱かれたピンク色のノート。

よく見ると、そこに貼られているぷっくりとした小さなシール――それは、私が小学生の頃、彼女にあげたものだった。


「木村さん、ありがとう……!」


その言葉に、ヒュッと息が詰まった。


(木村……さん……)


唇が震え、鼻の奥がツンと熱くなる。必死に堪えても、涙がにじみ出しそうになる。

慌てて背を向けた。


「……いーよ。授業、遅れるよ」


情けないほど、声は上ずっていた。振り返る勇気もなく、私は一気に階段を駆け降り、玄関を抜けた。


(木村さん……)


胸がひどく痛む。

エリちゃんの声を、久しぶりに聞けた。しかも「ありがとう」と言ってくれた。嬉しいはずなのに――。

それでも、「エーちゃん」と呼ばれなかっただけで、涙が止まらない。


(エリちゃん……エリちゃん!)


自分から距離を置いたのは私なのに。あの日、臆病になって逃げたのは私なのに。今さら近づきたいだなんて、虫が良すぎる。


男子にだけ強気でいられるのも、


綾子たちの顔色を伺っているのも、


結局は全部、自分のため。自分が安全でいたいから。


(私が弱いから……自己中だから……馬鹿だから……最低だ……)


胸の奥から黒い泥が溢れ出すように、どろどろとした自己嫌悪が全身を飲み込む。


私は校舎裏に逃げ込むと、その場にうずくまり、膝を抱え込んだ。


重く冷たい渦の中で、涙が止まらない。

しばらく、何もできなかった。動くことも、息を整えることも。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ