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5. 中学校編:英里


2004年――私は小林英里。田木中学校の二年生になった。

田木中は、国道二十三号線沿いに建つ校舎で、私の通った田木小の卒業生だけでなく、近隣の小学校からも多くが集まる大きな中学だった。


中学生にもなれば、さすがの私だって他人の目を気にする。

だからと言ってメイクをするわけじゃないけれど、ぼさぼさになりがちな髪は後ろでまとめ、眉を整えるくらいの努力はする。清潔感を保つ最低限の工夫だ。――まあ、地味には変わりないんだけど。


「おはよー、カナ」


「おはよう、英里」


友達と廊下で鉢合わせて、一緒に教室へ向かう。けれど奥に、あの“集団”の姿が見えた瞬間、私たちは目を合わせ、黙って別の階段へと曲がった。


「エンカウント回避〜」


軽口を叩くと、カナは小さく吹き出して頷く。


――そう、私はあの集団が苦手だ。いや、正直に言えば大嫌いだ。

教室に入って席に着くと、廊下の方から甲高い笑い声が響いてきた。


「ギャハハ!」「ウケるー!」


声の主たちが近づいてくる。


窓越しに見えたのは、いつもの“一軍”グループ。

先頭にいるのは中村綾子なかむらあやこ。私たちの学年の女ボスだ。

体型はずんぐりしていて、目は重いまぶたに押しつぶされ、しかも離れているから常に不機嫌そうだ。団子鼻はぺしゃんこで、口はアンコウみたいに大きい。髪だけはまっすぐで長いけれど、前髪をポンパドールに持ち上げている姿は、どう見ても似合っていない。


(……性格が良ければ、まだ救いはあったんだけど。あれは中身まで顔と一致してるんだよな。綾子っていうより“カバコ”だわ)


朝から聞きたくもない大声に、思わず心の中で毒づく。

もちろん私だって、年齢とともに多少は捻くれてきた自覚はある。けれど、ここまで悪態をつきたくなる人間なんて後にも先にもカバコしかいない。


「マジでさー、一限目からハゲ野の授業とか、マジだるいんだけど!」


大声で文句を言うカバコ。その後ろで取り巻きたちは「それなー」「だよねー」とお決まりの相槌を打つ。

――見慣れた光景だった。

けれど、そんな集団の中でひときわ輝く存在がある。


木村栄子きむらえいこ。――エーちゃん。


小学校の頃に比べてメイクもして…確かに派手にはなった。

けれど、小さな顔に映える大きな二重の目。長く濃い睫毛に縁取られた瞳は、ただ見ているだけで人を惹き込む。すっと通った鼻筋と形のいい唇は、その整った輪郭をさらに際立たせていた。

すらりと伸びた手足。モデルのようにしなやかな体型。彼女の存在は、あの喧しい集団の中でも際立ちすぎていて、むしろ“浮いて”しまうほどだ。


廊下ですれ違った男子も女子も、思わず振り返って彼女を見ている。教室の中にいた私たちでさえ、横目で見ずにはいられなかった。


(……レベルが違うなぁ、エーちゃんは)


かつては私の親友だった人。

でも今は――。


(あんなに綺麗なら、そりゃあ私なんか、隣に立つのは無理があるよね……)


小学校を卒業する頃には私とエーちゃんはほとんど話さなくなった。

そんなセンチな気分を打ち消すように、隣のクラスから再び「ギャハハ!」とあの耳障りな笑い声が響いてきた。


思い出すのは、体育の授業でのこと。

運悪くカバコと同じバレーボールチームになり、私が飛んできたボールを取り損ねた時のことだ。


「……はぁぁぁぁ……」


わざとらしく、カバのあくびのような大きなため息。そして、ゴミでも見るような目つきで「サイアク〜」と吐き捨てられた。

あの視線の冷たさはいまだに忘れられない。


(……でもさ。どうしてだろう。しこたま殴られたジャバ・ザ・ナントカみたいな顔してるのに、なんでカバコはエーちゃんの隣にいられるんだろう?)


私は机に頬杖をつきながら、そんな疑問を拭いきれずにいた。


私は文芸部に所属している。部室は家庭科室の隣にある工芸室――ほとんど使われていないため、私たちの隠れ家のような場所だ。ここでは漫画を描く者、プラモデルを作る者、アクセサリーを手作りする者……それぞれが好きなことに打ち込み、上下関係もゆるくて居心地が良い。


「やっぱり魔法学校を舞台にすると、展開を広げやすいんだよね」


私は小説を書いており、小学生の頃からずっと夢中になっている世界的ベストセラーの児童書の影響を、どうしても引きずってしまう。


「英里はほんとファンタジー好きだよね。わかるけどさ、魔法学校って響きはイイ」


友達は笑いながら、手元でイヤリング作りを続けている。

その和やかな空気を破るように、勢いよくドアが開いた。


「先輩、聞いてください!」


慌てて飛び込んできたのは一年生の後輩だった。顔が青ざめている。私は立ち上がり、駆け寄る。


「どうしたの?」


「あの……中村綾子先輩たちが、一年生のスカートチェックしてるんです」


中村綾子――通称カバコ。聞いただけで胃が重くなる名前だった。

話を詳しく聞けば、取り巻き二人を従えて一年生の教室を見回り、スカートが短い子をわざわざ女子トイレに呼び出しているらしい。そこで、カバコが粗削りの岩石みたいな顔をぐっと近づけてドスの効いた声を浴びせる。


「アンタ、一年生のくせにスカート短すぎ」


すかさず取り巻きが「長くしろ」「早くしろ」と畳みかける。


――ただの嫌がらせじゃないか。


しかも笑えることに、カバコ本人たちのスカートは腰で何度も折られて不自然に膨らみ、丈は明らかに短い。自分のことは棚に上げて、後輩に威張り散らしているのだ。


(……エーちゃんはいない。よかった)


怒りを覚えながらも、私はそこだけには安堵を感じた。あの美しい彼女がこんな茶番に加わっていなくて、本当に救われる。


「だから、今日はいつもより長いんだね」


後輩のスカート丈は膝をすっかり覆っていた。


「はい。もともと短くはないんですけど……念のため」


私は小さく息を吐いた。


(カバコの良いところ? もしあるなら、アマゾン奥地でツチノコを探すほうがよほど簡単だろう)


それでも、最後にどうしても気になって尋ねてしまう。


「……えっと、木村栄子さんには、何かされたりは…?」


後輩は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに首を横に振った。私は胸の奥に溜まっていた重苦しいものが、少しだけ和らいでいくのを感じた。


「見て!あれ!」


友達が急に身を乗り出し、窓の外を指差した。私と後輩もつられて覗き込む。校門前の石碑のそばに、生徒たちがぽつぽつと行き来している。その中に――エーちゃんの姿があった。

彼女は男子グループと向き合っている。相手は三人。他校の制服を着崩し、二人は金髪、ひとりは赤髪。いかにも柄の悪そうな雰囲気をまとっていた。


(エーちゃん……絡まれてるの?)


彼女の美しさが他校にまで広まり、わざわざ見物に来る不届き者がいる――今日のこれも、その類なのかもしれない。


「木村さんって、他校のヤンキーのボスとか地元のヤクザと繋がってるって噂あるよね……」


友達がぼそっとつぶやき、すぐに窓から離れてイヤリング作りに戻った。


「たしかに……クールだし綺麗すぎて、カタギには見えません」


後輩は机に丸ペンとインクを整然と並べながら同意する。

私は思わず声に出しそうになる。


――そんな噂、うそだ!


でも、もうエーちゃんとは親しくしていない。彼女の世界に私はいない。言い返す資格なんて、きっとないのだ。


「……そんな子じゃないよ」


唇からこぼれた小さな声は、二人の耳には届かなかった。


※※※


ある日。職員室での用事を終え、教室に戻ると、そこには妙な静けさがあった。空気が張り詰め、私が入った途端にクラス全員の視線が一斉に突き刺さる。


(え……な、なに? 私、なんかした?)


人に注目されるのが苦手な私は、一歩後ろにたじろいだ。その瞬間、友達が駆け寄ってきて、私を廊下まで引っ張り出す。


「英里、これ……」


差し出されたのは、一冊のピンク色のノート。表紙には『純文学用』と書かれていた。


「……これ、私の小説ノートじゃん!?」


「そう……小野田君が勝手に取り出して、教室で読んじゃったの」


「マジで……!?」


頭が真っ白になった。

小学生ノリが抜けきらず、鬱陶しさで定評のある小野田。どうしてそんなことを――。私は知らぬところで恥をさらされていたのか。


(……いや、でも……BLのノートじゃなくてよかった。セーフ、ギリギリセーフ!)


「でね……木村さんがそれ見てキレちゃって、小野田君を蹴飛ばして出ていったの」


「えええ!?」


一番の衝撃だった。


エーちゃんが……私のために怒ってくれた?

それとも単純に小野田が鬱陶しかったから? 真意はわからない。けれど、そのおかげで私のノートはこうして戻ってきたのだ。


ノートを抱きしめるように片手に持ちながら、私は廊下を小走りに駆ける。


(エーちゃん……どこにいるの……?)



誰もいない階段を覗き込むと、艶のあるセミロングが揺れていた。

エーちゃんが静かに階段を降りている。

私の心臓は、鼓膜を突き破るほどに跳ねた。


久しぶりに彼女に声をかける。その緊張に、肩から指先まで強張っていく。


「あ……あのっ」


情けないほど声が上擦った。


エーちゃんは振り返り、少し驚いたように大きな瞳をこちらへ向ける。

一瞬、時間が止まったような気がした。


「え……」


私は慌ててノートを胸の前に差し出した。手が震えるのが自分でも分かる。


「あの、友達から聞いたの。……小野田くんから、このノート取り返してくれたって……木村さん、ありがとう……!」


言葉を吐き出すと同時に、息が詰まりそうになる。


エーちゃんは目をさらに大きく見開き――けれど、すぐに伏せ、視線をそらした。


「……いーよ。授業、遅れるよ」


短くそれだけを残すと、彼女は再び階段を降りていった。


振り返ることもなく、髪だけが艶やかに揺れて消えていく。


――私とエーちゃんの、一年ぶりの会話だった。



私の学校にはスカート警察が実在してました…

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